第四章 エピローグ 〜砂漠への帰還(2)〜
キール将軍の案内により、カリムは廃墟を奥へと進んだ。
目的地は、ネルギ軍のアジトだ。
昨夜は、目の前の魔術師が張った結界と、その前に立ちはだかるサラによって跳ね返された場所……その中は、想像通りの荒れ方だった。
廃墟とはいえ石畳の上は歩きやすい。
街の印象も、トリウムの城下町に似て悪くない。
しかし、魔術師が中心とはいえ、この場所に大勢の人間が何年も暮らしていたとは到底思えない。
「まさに、死の街だな……」
カリムが漏らした言葉に、ローブのフードから見えた表情が、抑えきれない悲しみをにじませた。
「本当にその通りです。ここで何人の人間が死んだか分かりません……全て、私の指示で」
「俺だって同罪だ。王宮に居る奴らも、国民全員が」
キール将軍は、そうじゃないというように首を横に振り、自嘲した。
「正直に言います。私はこの十五年の記憶を、正確には覚えていないのです。都合の悪いことだけが抜けている……だからこうして生きていられるのかもしれません。もし覚えていたら……きっと、自ら命を絶っていることでしょう。それが亡くなった方に対して、少しでも償いになるのならば」
カリムにはまだ、闇の魔術に操られた経験が無い。
それでも、先ほどの暗闇は恐ろしかった。
目が覚めたとき、すでに太陽は戻っていたのだが、もしあの間に誰かを殺めていたら……想像するだけで背筋にぞくりと寒気が走る。
それでも、伝えなければ。
「……あなたの償いは、生きている人間を幸せにすることですよ」
なんとかその一言だけ搾り出し、カリムは奥歯を噛み締めた。
キール将軍は「ありがとうございます」と言って、カリムに深く頭を下げた。
* * *
根城にしていたというその建物へ着くと、すでにネルギ軍は整列していた。
ほとんどが、着たきりのローブを身に着けた魔術師たち。
トリウム軍ほどの大所帯ではないが、数百名はいるだろう。
過酷な生活を強いられたせいか、ほぼ全員が痩せこけ、ぶかぶかになったローブを身にまとっている。
そして魔術師の脇には、一般市民と思われる少女と老人もいた。
「キール将軍、彼らの健康状態は?」
「体調は確認しました。病気の者は居ませんし、怪我も女神の……癒しの光が治しました。もちろん“赤い瞳”を持った人間もおりません」
キール将軍は、ネルギ軍の魔術師たちと、贄として使われていた元農民、そして黒髪の少女たち、それぞれの立場を簡単に解説した。
特にカリムが注目したのは、老人たちだ。
老人というには若いのだが、痩せて骨と皮しか残らないような容姿からそう見える。
あまりにもみすぼらしい身なりの彼らに、カリムは思わず眉をひそめた。
オアシスの国で、特別貧しい者が集うという自治区でも見かけなかったレベルだった。
アレクの統治が始まる前までは、家が無い老人や子どもたちが溢れていたと聞いているが……。
絶句したカリムは、今や砂漠ではこんな生活が当たり前なのだと思い出す。
飲み水の確保にも苦労するというのに、風呂や洗濯の水を確保できるわけがない。
そういうこともひっくるめて、全てを変えなければならない。
「しかし、いくら体調が良いとはいえ、砂漠への旅は過酷だ。魔術師はともかく、一般市民は……」
オアシスに近い荒野ならまだいいが、彼ら全員を連れての砂漠越えは可能なのだろうか?
底の厚い靴を履かなければ足を痛め、なによりこの薄着では夜の寒さに耐えられない。
砂漠の手前までなら行けたとしても、ラクタも使わず砂漠に入れば、どのくらいの日数がかかるか……。
カリムの視線の先を追い、キール将軍も市民たちを見つめた。
薄く血の気の通わないその唇が、先ほど漏らした懺悔とは違う、情熱的な言葉を紡いだ。
「全員で、我々の国に戻りたいと……そう願っているのです、カリム殿」
「キール将軍……」
カリムは、彼らの顔をもう一度見た。
絶え間ない戦争の終わりを垣間見たせいか、天駆ける女神の姿に胸を打たれたせいか。
それとも、一度は諦めた命を取り戻したせいか……。
どんなに痩せても、みすぼらしくとも、彼らの瞳は生命力に満ち溢れて見えた。
「私たちの心は一つなのです。自分を待つ者の元へ、生きて帰るのだと」
キール将軍の声が、最後の一押しとなった。
分かったと呟くと、カリムは全員に聞こえるような大声を出した。
「今から、ネルギへの帰還を開始する。ただし旅の途中で根を上げるのは自由だ。ついて来られない者はその場に置いていく。分かったな!」
カリムの言葉に扇動されたネルギ軍は、拳を天に突き上げ、勝ち鬨のような歓声を上げた。
* * *
出発前には、できる限りの物資と装備を整えたい。
カリムはキール将軍に尋ねた。
「この街には、もう物資は何も残っていないのか?」
「ええ、こちらに軍を移設したときに、建物内はすべて確認しました。食料なども……」
キール将軍が言葉に詰まった理由は、なんとなく察することができた。
カリムは、さりげなくフォローする。
「食糧事情が、かなり悪そうだな」
「はい。食べられるものはすべて食べてきました。植物も、動物も、虫も……」
流動食にすれば原材料は分からないので、なんとか飲み込むことができるのだと、キール将軍は苦笑しつつ告げた。
元々彼らはさほど裕福な育ちではないので、そのようなことは慣れているらしい。
「ただし、このことは少女たちには言わないで欲しい」と言われ、カリムはうなずいた。
この集団の中で、もっともそれに耐性が低いのは、贄として集められた少女たちだろう。
彼女たちは、サラ姫の侍女として採用されただけあり、それなりの家柄だ。
キースも、昨夜のパーティでは「久しぶりに甘いものを口にした」と喜んでいたくらいだし、彼女たちもたまにはケーキなどの菓子を食べられる生活を送っていたはず。
となると、旅の途中にもそれなりの食事を用意しなければ、きっと不満が出るに違いない。
雑草や虫を食むことを強要し、従わなければ切り捨てることもできるが……。
考えかけたカリムは、不意にサラの姿を思い出した。
砂漠の旅の終盤、確かサラは“サンドワームを食べる”と言い出したのだ。
あのグロテスクな怪物を食べるなんて……。
「まったく、年頃の女が言う台詞じゃねえな」
唐突にカリムが笑い出したので、キール将軍は声をかけた。
「どうなさったんですか? カリム殿」
「いや、なんでもない……おかしな女が居たなと思ってさ」
カリムは、ズボンの左ポケットにしまった大粒の宝石に手を伸ばした。
手のひらで握ったり転がしたりしつつ、キール将軍と今後の行軍について詳細を詰める。
カリムたちの後をついてくる彼らの人数は、約五百名。
内、魔術師は四百名。
「彼らの魔術はそれなりに強いと聞いているが?」
「はい、飲み水についてはまったく問題ありません。民間人にも分け与えられる程度の力はあるかと」
「炎と風は?」
「そちらも、得手不得手はありますが、問題ないかと」
寝袋は無くとも、夜は炎と風で温風を作り交代制で温めれば乗り越えられるかもしれない、とカリムは思った。
キール将軍は癒しの魔術にも長けている。
足が傷ついた者がいても、風の魔術と併用することである程度はカバーできそうだ。
「やはり、問題は食料だな」
特に、体力が衰えやせ細った老人と少女たちに、何か滋養のあるものを。
肉と野菜を使った、温かいスープでもあれば……。
カリムの思考は、再び過去へ飛んだ。
「――ああ、そうか」
算段を終えたカリムは、出発の準備を開始するよう、キール将軍に指示した。
* * *
一度ネルギ軍のアジトへ入ったカリムは、持ち出す物資のチェックと同時に、サラに頼まれていた『ダイス』を無事回収した。
ダイスの近くには、まだ乾ききっていない血痕があった。
赤い瞳に捕らわれ絶命した男は、キール将軍の手で屋敷の裏庭に埋葬されたという。
若い魔術師を中心に、持てる限りの物資を抱えたネルギ軍は、日が落ちきる前に出発した。
一路砂漠……ではなく、一旦南へと向かう。
植物の生えた平坦な道のりをほんの二日の行軍で、目的の場所に到着した。
出迎えたのは、カリムの良く知るあの人物。
「カリム……てめえっ!」
「まあいいじゃねーか。添い寝した仲だろ? ヒゲオヤジ」
盗賊の砦に押しかけたカリムは、留守を任されていたヒゲオヤジの許可を無理やりもらうと、たった二日で疲れきったネルギ軍のメンバーを交代で休ませた。
風呂に入り、おばちゃんの手料理を食べさせられ……身寄りの無い少女や老人の何人かが、この砦に残りたいと申し出るほど手厚いもてなしを受けた。
ありがたいことに、砂漠の旅に必要な服と靴、保存食までも放出してくれた。
良くしてもらった礼にと、カリムは虎の子の『宝石』を差し出したのだが、ヒゲオヤジは「てめえがネルギを変えた暁には、正式な貿易権を俺たちに寄越せよ」と笑い、カリムの頭をぐちゃぐちゃに撫でたのだった。
↓次号予告&作者の言い訳(痛いかも?)です。読みたくない方は、素早くスクロールを。
エピローグ後半戦。シリアスなようで、ほのぼのなオチに。カリム君はやっぱり頼りになる子です。どう考えても王子たちが強烈すぎるんだな……。今回も、サラちゃんの壊れっぷり回想を少し。そして、ラストはチラッとヒゲ登場! 盗賊の砦はちょうどよい宿屋でした。ここでセーブしておけば、この先の旅で死にかけもリセット……という貴重な場所。ヒゲオヤジ、ワンシーンだけどカッコイイっす。賢い国王様も良いのですが、こういう陽気でかわいい、ちょっとイイヤツ系のオッサンが作者の好み……でもこんな人なかなか居ないですけどね。ふふ……。エシレ姉さんは出せませんでしたが、苺ちゃんたちの世話に夢中でしたという補足をば。どんな風にお世話したかというと、お風呂で(以下割愛)
次回は、閑話抜きで第五章プロローグへ。飛んで行ったサラちゃん視点です。王城到着前にちょっとだけ寄り道します。