第四章(21)光の向こうへ
ザクザクと、荒野を蹴る足音が聞こえる。
目がうまく開かず、体の感覚を失ったサラには、耳だけが頼りだ。
閉じた瞼の向こうがオレンジに染まっていることから、すでに太陽が高く昇っていることが分かる。
今、サラはキール将軍によって運ばれている。
十字に組んだ直径二十センチほどの丸太に、両手両足を荒縄でくくりつけられ、こすれる手首と開いた唇から血を溢れさせながら。
殴られたときに内臓が傷ついたのだろうとサラは思った。
ときおりむせかえるほどの血液と胃酸があがり、嗚咽とともに吐き出す。
そのたびに、サラの騎士服は汚れ、汚物は砂へと垂れ流された。
その上を歩き、サラの吐いた血をかき消してしまう集団がいた。
彼らは“弾”と呼ばれる老人たちだ。
一瞬だけ視界に入った彼らの体は幽鬼のように揺れ、時によろめき倒れながらも、無言で後をついてくる。
心に闇を、体に炎をまとわりつかせたネルギ軍の幽鬼兵。
先頭に立つキール将軍は、魔力を使って丸太ごとサラを抱え上げているため、足取りはぶれない。
サラが声にならない声で止めようとしても、当然聞く耳を持たない。
赤い瞳から距離が離れたところで、その支配力は衰えないようだ。
今頃あの屋敷では、銀の粉で支配を強められた魔術師たちが集い、最終決戦へ向けて詠唱を続けていることだろう。
最前線に送られたキール将軍は、爆薬の一つだ。
サラを救いに来るはずのトリウム軍を巻き込み、全てを炎に包むための大事な弾薬。
『この男は、罪を償うべきなんだ。そうは思わないかね? 異界のサラ姫』
赤い瞳を受け継いだ魔術師は、サラの腕を縄できつく縛りつけながら、悲願達成を目前に感傷に浸っていた。
最後に漏らした言葉は、赤い瞳が言わせたものとは少しだけ違った。
『この戦地には、数え切れない仲間が……墓標も立てられず朽ち果ててきた。この男はそれを知りながら、我々に死を与え続けた。あなたはそれを知らないのだ。だからこの男をかばったり、簡単に“戦争を終わらせる”などと戯言を言う。もう止められないのですよ。全てを壊し尽くすまでは……』
首を横に振り抵抗するサラを、聞き分けの無い子どもを見るような目つきで見つめながら、男はサラの黒髪を一度撫でてから、出陣の命を下した。
けれど、彼こそ知らないのだ。
この太陽が陰るとき……赤い瞳の悪魔が、その瞬間を狙ってきたことを。
* * *
荒野の中心に、サラは置かれた。
両手を広げ、力なく頭を下げ、血を垂れ流し続けるボロボロの姿で。
キール将軍の力によって、一度高く掲げられ、その後地面へと降ろされた。
丸太の先は砂に少しめり込むものの、安定感は無く風で揺れる。
キール将軍の魔術が途切れれば、容易に倒れるだろう。
瞼を閉じていても、サラには分かった。
サラの姿が、距離を置いて相対したトリウム軍の騎士たちにも、見えてしまったことが。
強烈な憎悪ととも湧き上がる怒声が、荒野を包んだ。
サラを奪還せんと、突進する力強い足音。
その地響きは、導火線に火がつくカウントダウンとなる。
「来ない、で……」
サラは顔を上げようとし、そのたびに力を失っていった。
止めなければいけないのに、体がまったく言うことをきかない。
そういえば、トリウム王城で毒を盛られたときも、こんなことがあったと思い出した。
あの時は、ジュートが助けに来てくれた。
今回は……。
「もう、遅い……」
呟いた言葉は、風にかき消された。
瞼の向こうの世界が、少しずつ色を失っていく。
テレビでしか見たことの無い、丸い太陽の縁が欠け光が少しずつ弱まっていくあの光景が、今まさに起こっているのだろう。
赤い瞳によって、闇に染められたネルギ軍の贄たち。
サラの姿によって、心に闇を抱いたトリウム軍の騎士たち。
この場に居る全員の意思が闇を欲し……その意思に呼応するように、闇が色付いていくのだ。
遠く、風の吹く向こうから、戸惑いを含むざわつきが聞こえた。
本格的な皆既日食はこの世界でも珍しいと、クロルが教えてくれた。
太陽が陰ると同時に、枯れた荒野にも異変が訪れ始める。
「――なんだ、これはっ!」
すぐ近くから、トリウム軍の騎士の声がはっきり聞こえた。
ネルギ軍の幽鬼兵を目の当たりにしても怯まず、サラを助けんと突き進んで来たのだろう。
獲物が射程距離に入った合図のように、キール将軍の詠唱が始まった。
その低い声に応えるように、幽鬼兵たちも言葉をなさないうめき声を上げ続けている。
陰鬱な唱和の中で、サラの耳が、トリウム軍の誰かが発した言葉を掴まえた。
「花が……」
「赤い……」
閉じた瞼は、ほんのわずかな光をも失いかけている。
もうすぐ世界は、漆黒の闇に染まる……その直前、サラの脳裏には一つの光景が描かれた。
黄土色の荒野が、赤い絨毯を敷いたように赤い花に覆われる。
命を落とした何千何万もの人間たちが、闇に照らされて命の花を咲かせる。
それは、あまりにも幻想的で美しい光景だった。
この戦場は……今から、森になるのだ。
人間が誰一人生き延びられない、聖なる森に――。
* * *
ふっと詠唱が途絶え、すぐ近くでズシリと何かが落ちる音がした。
同時に、サラの体も大地へと投げ出される。
すでに痛覚が失われているため、痛みは感じなかったが、体が不自然な形に曲がったことは分かった。
サラの体がはりつけられた木が倒れた……それは、支えていたキール将軍が倒れたせいに他ならない。
贄として連れてこられた老人たちのうめき声も、聞こえなかった。
トリウム軍の足音も、ましてや風の音すら聞こえない。
完全な静寂の中、サラの視界は何も映すことはなかった。
サラがこの世界へ誘われたあのときのような、どこまでも続く暗闇が広がっていた。
ついに、そのときが来たのだ。
全ての生命が無に還り……大地の穢れは拭い去られる。
それが、魔女の望み。
「皆、ごめん……」
分かっていたのに、止められなかった。
自分は“この時”のために呼ばれたのに――。
『――サラっ!』
誰かが、サラの名を呼んだ。
サラの意識は、今一度揺り起こされる。
しかし、サラの体はもう動かないただの塊となっていた。
『ごめんなさい……』
サラの心が、贖罪の言葉を呟いたとき。
体はもう動かないはずなのに、ふわり、とサラの心だけが宙に浮いた。
高く上空へと浮かんでいく浮遊感を不思議に心地よく感じながら、サラは大地を見下ろしていた。
魂を縛り付けていた重く歪んだ体が、眼下に映る。
『私、本当に死んでしまったのね……』
見上げれば、輝きを失い縁だけを白いリングのように輝かせた太陽が一つ。
見下ろせば、黒い蟻のようにちっぽけな人間たちが大勢蠢いている。
まるで早回しのビデオを見るように、黒い蟻たちが次々と力尽き、赤い花を咲かせていく。
あの蟻のうちの一匹が、自分だ。
体はすぐに大地へ溶け、その場所には一輪の赤い花が咲く。
他の蟻たちも、すぐ花になれるだろう。
少し寂しいけれど、きっと美しい光景となる……。
『……けて』
ある種の感慨とともに大地を見下ろしていたサラの耳に、微かな声が聞こえた。
あまりにも小さく、儚く……しかし、決して聞き逃せない音色。
サラは耳を澄ませてその声の聞こえた場所を探った。
サラの魂が声の主を求めてさまよう中、コマ送りのビデオは、自動的に時間をまき戻していった。
赤い花は消え、砂に埋もれた大地は緑に覆われていく。
小さな蟻たちの顔が、一人一人見えてきた。
それは、サラの大事な……守りたいと思った人たち。
そして、誰よりも大事なものが、サラの目の前に現れた。
『……助けて!』
『――お母さんっ!』
サラは、下腹部をおさえながら必死の形相で走る母に、手を差し伸べた。
背後に迫りくるのは、あの暗闇。
母を闇に取り込もうと触手を伸ばすように、波打ちながら近づいてくる。
とっさに周囲を見渡すと、いくつもの枝分かれした道の先に、一つの光り輝く星が見えた。
あそこなら、きっと――。
『行って! あの光の向こうへ!』
サラの願いと同時に、母は闇を振り切って光の中へ飛び込み、消えた。
↓次号予告&作者の言い訳(痛いかも?)です。読みたくない方は、素早くスクロールを。
ついに何日遅れで皆既日食。サラちゃん、楽しい幽体離脱&三途の川体験ツアー。そして秘密が一つ……母&サラちゃんを救ったのは、サラちゃんでしたっ。イッツ時間ループ……ファンタジーというよりSFの王道ですね。夢オチと同じく禁じ手って感じもしますが、作者は大好きです。素晴らしき無限ループの世界。この逃げ場が無い感じにうっとり。オカンがもともとこっちの世界の人だったということは、すでに第一章でバラしてるんですが、こんな感じで逃げてきたのです。T市(←どこだよ)を選んだのは、サラちゃんがテキトーに……パラレルワールドのどっかに放り込んだということで、それ以上の追求はご勘弁ください。オカンが逃げた理由は謎のままですが、その辺は第五章で。魔女さんの呪いもまたちょっぴり出ました。いろんな思惑の魔女が居るので困りますわー。
次回は、遅ればせながらジュート君の登場です。たまに出て来てイイトコ持ってくヤナヤツです。そして、生き返ったサラちゃんに何かが起こる……。
 




