第四章(19)劣勢
風の魔術が使えればいいのにと、サラはこの世界に来てから何度目かの無いものねだりをした。
ドクドクと鳴り響く心臓の音を振り切るように、ネルギ軍のアジトへと駆け戻ったときには、すでに廃墟は朝の光に包まれていた。
昨夜は見えなかった、瓦礫の合い間に息づくほんの少しの雑草……今のサラには、そんな微笑ましい小さな命に気付く余裕も無い。
サラが戻ってくることが事前に知らされていたのか、アジトの門は開かれていた。
飛び込んだサラは、扉の奥で待ち構えるキール将軍に出迎えられた。
「お待ちしておりましたよ。さあ、こちらへ」
光に慣れていた目が、建物内の圧倒的な暗闇によってダメージを受ける。
何度かまばたきをしたサラは、あらためてキール将軍を見た。
左目を長い前髪で隠し、ローブのフードをかぶり……左手には新たに用意した赤い指輪をはめている。
何もかも、夜明け前と同じ……。
「早くいらしてください。皆、あなたをお待ちしているのですから」
キール将軍に強く促され、サラは館の奥へと付いて行った。
* * *
「あなたが出迎えるなんて、珍しいんじゃない?」
サラの問いかけに、彼は応えない。
静かに任務をこなすだけだ。
「私は……間違えてしまったの?」
目の前の大きな背中に、心もとなげなサラの声がぶつかり、遮断されて落ちる。
建物の外観に対して、蟻の巣のように入り組んだ地下通路を進み、連れて行かれたのは『将軍』の部屋だった。
簡素な木の扉ではなく、そこだけは大きく頑丈な鉄の扉で仕切られており、中は十畳ほどの広さだった。
敷かれた緋色のカーペットと、背もたれの高い布張りの椅子、艶のある大きなデスク。
通風孔が設けられており、冷たい風がサラの前髪を跳ね上げた。
「戻って来られたのですね、サラ姫」
デスクの上には、サラが預けたままの黒剣と、茶色の小瓶が並べて置かれている。
二つのアイテムを手のひらで撫でるその男に、サラは見覚えがあった。
「あなたは……誰?」
「名乗らなくとも良いでしょう。新たな“将軍”と覚えていただければ」
サラが、キール将軍に会う直前に見た、小柄な魔術師の男だった。
見立てどおりならば、ネルギ軍のナンバーツー。
命を燃やすほどの魔術を使い続けた証として、顔中にシワが寄り、年齢は読めない。
分かるのは、その目がまだ生を欲していることだけ。
「お前はもう良い。出て行け」
男に軽く頭を下げたキール将軍は、頭を上げつつ邪魔な前髪を耳にかける。
涼やかな両の黒い目を隠そうともせず。
「待って、キール将軍!」
「将軍は私だ!」
後姿のまま、ドアに手をかけた姿勢で固まったキール将軍は、スローモーションのように振りかえる。
射抜くようなサラの視線と、さげすむ様な“将軍”の視線、両方を感情の無い目で受け入れた。
「キール将軍、あなたはまた同じ道を辿るの?」
支配されることに慣れた目は、サラの言葉にも反応しない。
背後にいる魔術師の男が、ククッと甲高い嫌な笑い声を立てた。
「奴が居た方が良いというなら、望みを叶えてやろう」
出て行けという命令が取り消され、キール将軍は扉の前に立った。
とりあえず、魔術師の男と二人きりにならずにすんだことに安堵しつつ、サラはデスクの方を向く。
サラの気持ちを悟っているのか、男はサラが嫌いな声色で笑い続けている。
「何がおかしいの?」
サラが問いかけると、その男は伏せていた顔をあげた。
外は朝日が昇ったというのに、この部屋は暗い。
小さなランプ一つの明かりの中でも、男の左目に輝く赤は、十分に良く見えた。
* * *
自分は、いくつかの間違いを犯したとサラは思った。
一つ目は、シシトの砦に手紙を残していかなかったこと。
二つ目は、キール将軍に必要以上の銀の砂を飲ませてしまったこと。
三つ目は、赤い瞳のしくみについて、深く追求しなかったこと。
そして最後は……自分の心が発する警鐘を無視して、キール将軍を一人残してしまったこと。
「その男には、ずいぶんと無理な要求を呑まされてきたんですよ」
魔術師の男は椅子から立ち上がると、一歩ずつサラへと歩み寄ってくる。
動けないサラは、近づく男を見つめたまま唇を噛んだ。
あの時クロルは、サラに大事なキーワードを伝えてくれていた。
闇の魔術については、まだ分からないことが多い……アレがどんな形で人間に憑依するのかを、しっかり確認するべきだった。
キール将軍の目から離れた黒い靄は、別のよりしろを見つけたのだ。
今までの宿主より力は弱くとも、居心地の良い場所を。
「もう、十四年……私の体は、魔術に蝕まれた」
増えた指輪を重そうに持ち上げながら、男は両方の手の甲を見つめる。
水が飲めなかった砂漠の旅で、サラもああして手の甲を見たことがあったなと思い出した。
しかし男の皮膚に刻まれたシワは、水を飲めば治るものとは違うのだ。
「ようやく、私は手に入れた。この男に……いや、私をおびやかした者全てに復讐できる方法を」
サラの胸に鳴り響く警鐘は、昨夜以上に強くなった。
しかし、動きたくとも動けない。
サラの背後では、赤い瞳の手下と化したキール将軍が、ガッチリとサラの腕を掴んでいる。
銀の砂を飲み過ぎると薬が毒になるのだと、クロルは言っていた。
より闇の魔術にかかりやすくなったキール将軍は、この男の操り人形だ。
最愛の義妹に似たサラに対しても、苦痛を与えるほど腕を締め上げてくる。
「復讐って、何をする気……?」
「あなたを使えば、いろいろなことができる」
男はサラに向かって老人のように枯れた手を伸ばし、頬から首筋へと這わせた。
不快感で身震いするサラの表情を見て、愉快でしかたないといった顔をしながら。
「私は、役に立つような人間じゃない」
「あなたは、結界を崩せる。魔術師にも近づける。剣の腕もそれなりにあるらしいですね」
「……そんな要求を、呑むと思う?」
「あなたの大事な人間を、一人ずつ殺して行きましょう。まずは、この男から」
汚らしく伸ばした爪の先が、サラの頭の上を指した。
そこにあるのは、感情を失くした人形が一人。
サラは、悔しさに唇を噛み締め、悪意を込めて魔術師を睨みつけた。
「そんなに……このクズが大事か?」
背筋を伸ばせば、魔術師の男はサラとそれほど身長は変わらなかった。
落ち窪んだ瞳の赤が近づき、サラは思わず顔を逸らす。
同時に、男の指輪をはめた手の甲が飛んできて、サラの頬を打った。
「――っ!」
「あなたに支配の魔術が効かないのは残念だ。しかし別の方法で、従わせることはいくらでもできる。なるべく傷をつけたくないんですよ……言うことを、聞いてもらえませんか?」
シシトの砦で、キースに打たれたときとは比べ物にならない痛みが走った。
唇の端が切れ、口の中に苦い血の味が広がる。
固い指輪が当たった部分が、また青痣になったかもしれない。
指を触れて確認することもできず、サラは鈍い痛みから意識を逸らした。
↓次号予告&作者の言い訳(痛いかも?)です。読みたくない方は、素早くスクロールを。
苦しいシーンです。今までで一番のピンチ。人質取る悪人が一番嫌いじゃー。時代劇でも……こんなとき、やしち、おぎん、とびざるが居たら、こっそり皆を助け出してくれてて、知らぬは悪代官のみという痛快な展開なのですが、残念ながらそうは問屋が卸さねえのです。まあ、この悪役魔術師も可哀想な人ではあるのですが……この世に根っからの悪人なんてもんはいねえってこった。しかしここまで“悪よのう”になったら、落としどころが大変。あまり人に死んでほしくないんだけど……はー。さて第四章に入ってから、サブタイトルがだんだん短くなってきました。タイトルつけるの、本当に苦手です。改稿時(すでに無期延期)には、その辺ももうちょい考えよかな……第一章のノリで……ああ思い出したくない。
次回は、第四章の終盤に入っていきます。サラちゃんのピンチもうちょい続きます。すみませんっ。でもピンチの後にはチャンスあり……。