第四章(5)逆転への布石
部屋を出るとすぐ、シシト将軍は冷酷な瞳で告げた。
「使者殿には、ひとまず牢でお待ち願いましょう。今度こそ本当に魔術師の援軍が来るのならば、その際には処遇を見直してもかまいません。ああ、その前に全身を調べさせていただきます」
「シシト将軍!」
無言でうつむいたままのクロルに代わり、グリードが噛み付いたが、視線一つで黙らされてしまう。
逆らうものは決して許さない……高みから見下ろすような眼光から、サラはそんなメッセージを受け取った。
シシト将軍の強さは、守りたいものがあるからだ。
彼の手では、全てを守ることはできない。
だから、切るべきところは切る。
ネルギの使者という存在は、シシト将軍の腕の中に入ることは不可能なのだ。
「私は、国王から直接命じられたのです……使者殿をお守りするようにと……」
グリードが、掠れ声で呟く。
周囲の騎士たちは、憮然とした態度のシシト将軍を前に黙りこくっていたが、戸惑いは感じているようだ。
緊張し強張った表情で、シシト将軍とサラたちを交互に見つめている。
自国の王子と国王直筆の書状、そして信頼する同僚の言葉を前に、それぞれが頭の中で落としどころを模索していた。
* * *
広い通路で立ち止まったまま、睨み合うシシト将軍とグリード、そして傍観する騎士たち。
静寂を破ったのは、クロルだった。
「……牢も、調査も要らない。彼らを解放して」
初めて聞く、地を這うような低い声。
まるで、闇の魔力が込められたような、聞くものの心を凍らせる声だった。
シシト将軍も少しひるんだようで、一度ゴホンと咳払いをした。
「……いくらクロル王子とはいえ、そのご希望には答えかねます」
「どうしても、僕の言うことが聞けないんだ?」
「クロル王子こそ、なぜそこまでネルギの肩を持つのです? 王城では魔女がらみの事件があったようですが……もしやクロル王子も、魔女の毒牙にかかって」
「――ふざけるなっ!」
いくら声を荒げても、クロルの言葉はシシト将軍の胸には届かない。
むしろ、サラたちをかばうたびに、自らの印象を悪くしていく。
このままでは、クロルも牢へ放り込まれかねない……。
さすがに周囲の騎士が止めるはず、というポジティブな希望は、シシト将軍の額に浮かんだ青筋と、下げられた口角を見るだけであっけなく打ち砕かれる。
シシト将軍は、やると決めたらやる人物なのだ。
焦りで握った手のひらがびっしょり汗ばむのを感じながら、サラは冷静にならなければと自分の心に言い聞かせた。
自分が何か発言すれば、事態は動くはず。
しかし、戦争に十分貢献したはずのクロルや、戦友であるグリードの言葉にすら耳を貸さない相手に、『敵』と見なされている自分が、いったい何を言えば良いのだろう?
「シシト将軍、とにかく一度会議室へ戻りましょう」
騎士の一人が告げたため、問題は先送りとなった。
もと来た道を歩きながら、サラは必死で考えた。
どんなに低い声を作ったところで、シシト将軍には通じないような気がする。
シシト将軍と会う前に、「黙っていて」とクロルに念を押されたのは、きっとサラが女だということを悟らせないため。
クロルの指示とグリードの懸念の意味が、シシト将軍の態度で分かった。
今ここでサラが“サラ姫”とバレたら、始まるのは魔女裁判だ。
ただ、このまま黙っていたところで、本当に体を調べられたらおしまいなのだ。
どうしたらいい……?
「大丈夫だよ。心配しないで」
サラの隣を歩いていたクロルが、サラの頭にポンと手を乗せた。
さすがに、クロル王子のことは蹴り飛ばせないのか、サラはぐりぐりと頭を撫でられ続ける。
開かれた会議室のドアをくぐっても、サラの頭には温かい手のひらが乗せられたままだった。
乱暴なようで優しい手つきに、サラは思わず鼻をスンッと鳴らした。
「それにしても、まいったなあ。計算が狂った……」
劣勢を感じさせない、明るい声。
サラは「何が?」と聞きたくて聞けないもどかしさに、唇を噛み締めた。
シシト将軍も、騎士たちも……そこにいた全員がクロルの独り言の意味をはかりかね、怪訝な面持ちでその美しい微笑を見つめる。
「もう少し、早いかと思ったんだけど」
「――てめぇ、クロルっ!」
一人の大柄な騎士が、息を切らせながら会議室へ飛び込んできた。
* * *
砦の騎士たちは、呆然と立ち尽くし、二人の王子の攻防を見守る。
「なんなんだ! 俺に何の恨みがあって、こんな目に!」
「遅いよリグル兄ー。もう一時間は早いと思ったのに、体なまってるんじゃないの?」
「バッ……ふざけんなっ、俺はっ、もう丸一日寝ないで馬かっ飛ばして……」
そこまで言って力尽きたのか、顔から滝のような汗を流したリグルが、ガクリと膝を折った。
「それにしても、この部屋まで一人で来たの? すごいね、その嗅覚」
「バカ、俺は、鼻だけは良いんだ……サラ姫の匂いが、分からないわけが……」
唐突に漏らされた、自分の正体。
騎士たち同様、目を丸くして事態を見守っていたサラが、思わず息を呑む。
一度床に崩れたリグルが、蛙のように大ジャンプして、サラの目の前に詰め寄った。
「――サラ姫! 無事だったか!」
「はっ、はい……」
「なんだこの手枷は! ふざけるな! 俺のサラ姫になんてことを!」
クロルが「リグル兄のじゃないよー。僕のだよ」と呟く中、リグルはサラの手を縛っていた縄を、腕力のみで引きちぎった。
縄の切れ端が遠くへ飛んでいくのを、サラは真っ白になった頭で見送った。
気付けば、目の前にやんちゃな少年のようなリグルの笑顔があった。
「サラ姫……良かった」
「メロス……」
サラの言いマチガイにも気付かず、どさくさでサラに抱きつこうとしたリグル。
そのデカイ図体と、涙ぐむサラの間に、ニュッと太い腕が伸ばされた。
「おい、俺のも頼むわ」
「てめー、カリム……」
嫌悪感丸出しで、はしたなく舌打ちするリグル。
サラが呟いた「騎士……」という単語をキャッチすると、リグルはガバッと頭を下げた。
「すまん、カリム殿! 今の態度は騎士としてあるまじきものであった!」
サラにするよりは、瞬間的なパワーが足りなかったらしい。
何度目かのトライの後、ようやくカリムの腕の縄を引きちぎったところで、リグルは再び電池切れし床に両膝をついた。
クロルが「だれか癒してあげてよ」と告げると、硬直していた騎士たちが慌てて動き出す。
そして……シシト将軍も。
「リグル王子……あなた様まで、このような場所へいらっしゃるとは……?」
シシト将軍の態度は、クロルへのそれとは明らかに違った。
人間的な情をはっきりと感じられる、ごく親しい家族を労わるような口調。
先ほどまでは、人を見下し威圧するだけの冷酷な君主に見えたシシト将軍が、今はなぜだか普通のオジサンに見える。
息を切らせたリグルは、騎士服のズボンから一枚の紙を取り出して、皆に見えるように高く掲げた。
ちょうどサラの目の前に突き出されたそれには……。
『リグル兄へ。忘れ物しちゃったから届けに来てね。ただし一人で来ること。もし父様とエール兄に見つかったら、サラ姫は僕の嫁にします。あ、僕が居なくなってから二日後の夜に出発するようにね。詳細はデリスに言ってあるからよろしく』
ふうっとめまいがしたサラは、横に居たカリムに支えられる。
「なんでわざわざ、二日後にっ?」
「だってリグル兄なら、ここまで一日で来れちゃうしさー」
「途中で追いついてもいいだろう!」
「んー、それじゃ面白くないし」
クロルは、困惑を隠せずにいるシシト将軍に、天使のような笑みを向けた。
「おかげで、楽しませてもらったよ……シシト将軍の本音が分かってさ」
顔面蒼白となったシシト将軍と、開いた口が塞がらない騎士たち……そして、カリムの胸に背中を預けたままこめかみを抑えるサラ。
カリムは「どーでもいいけど、俺便所行きてえ」と、無表情で告げた。
↓次号予告&作者の言い訳(痛いかも?)です。読みたくない方は、素早くスクロールを。
シリアスムードが一転、ギャグへと転がりました。本当にこの話は……だんだん自分でも何を書きたいのか分からなくなってきた。とにかくサラちゃん、ピンチ脱出です。すべてはクロル君の手のひらの上で踊る、鏡の中のマリオネットたち。でも、負傷兵を見たときのリアクションはリアルなやつですが。トランプで言えば、シシト将軍はキングのポジション。基本は誰も敵いませんが、リグル王子というジョーカーがあった……ということですね。頑固ジジイ&孫という関係にも似ております。孫に勝てるジジイ無し。関係ありませんが、作者はなぜか『孫』という演歌が好きで仕方ありません。サラちゃんにもときどき演歌や時代劇などの渋いボケさせてますが、今回は正統派に『走れメロス』で。
次回は、自由を手に入れたサラちゃんに活躍の場を用意しました。あまりここでモタモタしてられないので、スピーディに行きますよっ。




