第三章 閑話3 〜名探偵クロル君の休息(4)〜
侍従長の話がひと段落しても、サラの心の棘はまだかすかに痛みを放つ。
もう一人、気になって仕方が無い存在がいるから。
サラは、思い切って訪ねた。
「それで……これから月巫女は、どうなるの?」
「別に、サラ姫が気にすることじゃないよ」
一気に不機嫌になるクロルを、サラはとがめるでもなく黙って見つめ返した。
月巫女の罪は、タロットカードの『月』のように曖昧。
刑事ドラマ風に言うなら、限りなくクロに近いグレーだ。
あの日、エールの体を使ってサラを襲ったのも、あくまで侍従長。
月巫女はコーティの体を使ったけれど、侍従長に望まれたことしかしていない……それが、月巫女の主張だった。
エールもコーティも、操られていた間の記憶は無い。
今までの事件についても、証拠は何一つ残っていない。
侍従長の記憶はデリートされ、魔術師長も医師長もそこまで深い事情は知らなかった。
どんなに状況証拠を集めても、少しずつ関わった人たちの記憶の断片をつなぎ合わせても、真相は藪の中。
サラが深くため息をついたとき、クロルもため息混じりに言った。
「結局あの女は、一番欲しいものを手に入れたんだ」
国王は、もうしばらくこの国に残ることになった。
“赤い花事件”と呼ばれる今回の後始末、過去の事件の再調査、リグルへの仕事の引継ぎ、侍従長のケア……なにより、危険人物である月巫女の存在。
月巫女の真名を知る国王が、今後つきっきりで月巫女を監視するという。
侍従長の件も含め責任を強く感じている国王だけに、月巫女の手を離してここから旅立てるまでには相応の時間がかかるだろう。
「もしかしたら、父様は一生月巫女を捕らえて……囚われて生きるつもりかもしれない」
月巫女と一緒に森の向こうへ旅立ち、彼女を故郷へ帰すことができるならと思ったけれど、そうはうまくいかないらしい。
一度森に染まり、そこを自らの意思で出た月巫女は、二度と森へは戻れないのだという。
まるで帰る場所を失ったかぐや姫……それとも、はごろもを奪われた天女?
自分を連れ出した男に執着するのは、仕方の無いことなのかもしれない。
だけど……。
うつむいて、首をゆるゆると横に振るサラ。
「そんなやり方で縛っても、きっと長くは続かない」
欲しいものを手に入れたように見えても、いつかその報いが必ず来るはず。
* * *
「私の世界には、こんな話があってね……」
サラは、クロルに『北風と太陽』の話をした。
今の月巫女は、北風のようだ。
国王にマントを脱いで欲しいなら、太陽にならなきゃいけないのに。
「ふーん……面白い話だね。なんか、アレに似てる。ほら、サラ姫がここに置いてった……」
クロルは立ち上がると、壁際にうず高く積まれた本の中から、薄い本を一冊抜き取った。
『たいようとつき』
それは、サラがすっきりサッパリ忘れていたことの一つ。
サラは心の中で、図書館の管理人さんに「元に戻さなくてゴメンナサイ」と謝った。
クロルは、その絵本をパラパラ捲りながら、簡単に内容を教えてくれた。
夜はくらいよ。
何も見えなくてこわいよ。
明かりがほしい。
明かりがほしい。
人々のねがいは、空にとどきました。
女神が、太陽を泉にうつしてすくいとると、太陽そっくりの丸い明かりがうまれました。
あなたは夜のやみをてらす明かりになりなさい。
その明かりには、月というなまえがつけられ、夜空にうかべられたのです。
各ページには、可愛い少女の姿にデフォルメされた、翼のある女神が描かれている。
そして、淡い水色の空に昇る真っ赤な太陽と、濃い群青色の闇に隠れる白い月。
「人々の願いに応えて女神が作った、夜の闇を照らす月……生まれたときは、もっと大きかったんだ。太陽と同じくらいに。だけど月は、明るい空にのぼる太陽を憎んだ。力ずくで追い落とそうとして、結局女神に壊されてしまった。そんな月にも少しだけ良心が残っていて、そこだけは壊れなかった。その良心が、今の小さな月として夜空に浮かんでいる。壊れたカケラは星になりましたとさ」
童話の話は、魔術師ファースが教えてくれた話と、似ているようで少し違かった。
月は、ただ嘆いていたんじゃない。
月は自分の欲しいものを欲しいと言い、女神と戦って負けた。
女神の涙は、大事な物を自らの手で壊す、そんな決意の涙だったのかもしれない。
サラは、黒剣に埋め込まれた宝石を、そっと撫でる。
この話を聞いても、サラが思うことは一つ。
月は、『北風と太陽』の太陽のように、誰も傷つかない方法を探すべきだった。
自らがより光り輝くために、努力するべきだった。
相手を無理やり変えようとするくらいなら、自分が変わる方が楽なのに……。
考えながら、サラはその結論こそが、自分の信念なのだと気付く。
どんなに過酷な状況に置かれたとしても、誰のことも恨みたくない。
受け止められることは、なるべく柔軟に受け止めて、皆が傷つかない最善の方法を選びたいのだ。
「なんだか童話って、奥が深いね……」
「うん、そうだね。おかげで僕も今、イイコト気付いちゃった」
「何?」
「北風じゃなく、太陽にならなきゃってこと」
クロルは、サラの顔の前に手を差し出し、人差し指を一本立てた。
「僕は、サラ姫のために頑張るよ。とりあえず、体鍛える。あと、サラ姫が自然に頼ってくれるような大人になる」
照れるでもなく、皮肉るでもなく、淡々と告げるクロルの声。
少し声変わりが始まったのか、ハスキーで心地よいトーン。
サラの表情が映りこむくらい真っ直ぐに、決して逸らされない視線。
「だからそのときまで……僕のこと見ていて欲しい」
少し照れたように頬を紅潮させ、太陽のように明るい笑顔を浮かべるクロル。
サラの体は熱くなり、耳の先まで真っ赤に染まった。
弟みたいに思っていた、年下の可愛い男の子……そのレッテルが、音を立てて剥がれた気がした。
きっと彼は、英雄と呼ばれる人に負けないくらい、素敵な大人になるだろう。
望まれるのが、その姿を見守ることなら……。
「うん、分かった。見ててあげるね」
呟いたサラは、クロルの熱い手を取ると、もう一つ教えてあげた。
「私の世界で、約束はこの指じゃないの。小指の方……」
鈴の鳴るような声で、指きりげんまんを歌うサラを、クロルは目を細めて見つめていた。
* * *
その後、しばし『針千本の針の形状』について、クロルと不毛な議論を交わしたサラ。
「そろそろ、行かなくちゃ。パーティの準備もあるし」
おトイレにも行きたいし。
今日も、美味しいインスタントクロル茶を飲みすぎてしまった。
椅子から立ち上がると、お腹がちゃぷんと音を立てる。
「そうだ、また忘れちゃうとこだった。これ返さなきゃ!」
サラは、テーブルの上に置かれたままの『たいようとつき』を手に取ろうとした。
その手に、クロルの手が引き止めるように重ねられる。
怪訝に思うサラを見上げる、クロルの瞳がキラリと光った。
クロルは……なにやらいたずらを思いついたらしい。
またもや口の端を吊り上げる、怖い笑顔を浮かべている。
「サラ姫……今日の僕に、何か変なことはなかった?」
「変って、いつも変だよ?」
さりげなくヒドイことを言うサラに、クロルはムッとした表情を返す。
先ほどまでの怖い笑みは消え、いたずら実行モードへチェンジ。
「このことも、昔からうすうす気付いてたんだ。でも、認める勇気が無かった」
サラの手をそっとどかすと、クロルは絵本を自分の手のひらの上にのせる。
腕をまっすぐサラの方へ伸ばすと、ふわりと絵本が浮かび……。
立ち上がったサラの目の高さで一瞬止まった後。
――消えた。
「はい、お片づけ完了! ちゃんと元の場所に戻ったみたい。心配なら確認してくれてもいいよ?」
「なっ……な、なに、これ……」
「何って、闇の魔術?」
パニックでとろけた脳みそがちゃぷんと音を立てるサラに、クロルはさも料理の手順を語るがごとく、淡々と解説した。
「なんでかはワカンナイんだよね。侍従長が、僕のこと“物質移動”の練習台に使ってたからなのか、魔女が次の器候補として呪いをかけてったからなのか、試しに月巫女の薬飲んでみたせいなのか」
「なっ、なんでそんな、大事なことを、今さら……」
「僕も今さっき自覚したから。潰した紙コップが、勝手に消えちゃったんだよ。びっくりしたなー」
クスクスと笑いながら立ち上がると、サラの耳元に唇を寄せてささやいた。
「僕のこと、ちゃんと見ててね? そうじゃないと……ハリセンボンじゃ、済まないよ?」
思わず鳥肌が立つような、ハスキーで魅惑的な音色。
そのとき、サラの心に強烈な北風が吹きぬけたのだった。
↓次号予告&作者の言い訳(痛いかも?)です。読みたくない方は、素早くスクロールを。
第三章、やーっと終了! ほのぼのネタはいずれ番外編で……。しかしこの閑話は次章に入れるか迷ったのですが、入れなくて正解だったかも。かなりのボリュームになってしまいました。第一章と同じくらいかも……長いです。とりあえずクロル君「逃げちゃダメだ」ってことで、一歩大人にしてみました。絵本の話も拾えたし、クロル君の才能もキラキラ(?)させられたし、ハラグロっぷりも……まあこんなもんで勘弁してやってください。次回から第四章『女神降臨』スタートです。また新たな展開に入ります。起承転結の転ですね。旅の道連れは、領主館でくすぶってるアノヒトとー、王城からも一人、引率のオトナも一人。なんかRPGでパーティ人数制限あるとき、誰連れて行こう的なワクワク感が。
次回、まずは出発前のサラちゃん、サプライズパーティでプロローグ。意外な人間関係が判明して、本人もビックリな展開に。