第三章 閑話 〜名探偵クロルの事件簿(8)〜
左耳の耳たぶから下、約10cm。
今朝鏡で何度もチェックした、赤くなっているであろう場所をいったりきたり、指先でなぞるサラ。
その正面では、魔術師長に支えられたエールが、何かを求めるように自分の左胸に手を当てている。
サラはエールから視線を外し、右手を包帯の上へ移した。
包帯は、ずいぶん薄汚れてしまった。
戻ったらすぐに取り替えなきゃ。
砂埃にまみれたこのドレスも着替えて、足にできた豆に絆創膏を貼ろう。
先にお風呂に入らせてもらった方がいいかもしれない。
「……っく……」
すぐ隣から、うつむき肩を震わせ、小さくしゃくりあげるルリの声が聞こえる。
ルリの悲しみが伝播したのか、サラの胸も自然と熱くなる。
自分がこの手を痛めて、無我夢中で飲み込ませたあの白い粒を……クロルは“毒”だと言った。
なぜ、気付かなかったんだろう。
あの白い粒を手にしたとき、なぜ……。
きつく握り締めた左手の傷が悲鳴をあげても、サラは右手の力を抜かなかった。
* * *
広場は、沈黙に包まれていた。
葉ずれの音も、小鳥の鳴き声も聞こえない。
ときおりしゃくりあげる、ルリの声だけが唯一の音。
「ルリ……」
サラとルリの間に立つリグルが、片腕で肩を支え、もう片方の手で髪を撫でる。
固く無骨な手のひらでルリの頭をぐりぐりと。
そのたびに、ルリのシニョンがどんどん崩れていくけれど、リグルの手は容赦無い。
見ているだけで、その手の温もりが伝わってくるようだ。
微笑ましい光景に心を満たしたサラは、再び正面のエールを見た。
エールの隣へ、手前に座り込む人物へと、視線を移していく。
魔女を見つけたかった、エール。
エールに協力しようとした、魔術師長。
偽の薬を渡した、医師長。
偽の薬を作らせた、侍従長。
彼らは闇の魔術の被害者でもあり、闇を確かに広げていく加害者でもあった。
自分や、自分のテリトリーのことしか考えない……そんな彼らがこの国を動かしていたのだ。
やはりこの国は、想像以上に病んでいるのだと、サラは悟った。
だから、砂漠の国になかなか勝てない。
砂漠の民が憧れてやまないオアシスには、水も緑も溢れているというのに……。
足りないのは、闇をかき消す強い光。
「――ルリ! 泣くな!」
突然、リグルが叫んだ。
目の中に入れても痛くないほど可愛がっている妹に、初めて浴びせた叱責。
息を呑んだルリは、驚きを隠さないまま、自分の肩を抱く大好きな兄を見上げた。
降りてくる鋭い視線と、肩に込められる強い力に、声を失い瞬きさえも忘れる。
「お前も、王族だろう。しっかり見るんだ。そして、考えろ」
ルリの瞳にまとわりついていた涙が、淡いピンクの袖で拭われた。
横に居たデリスに「ありがとう、もう平気よ」とささやくと、ルリは少し足を開き、ヒールの踵で土を踏みしめて立った。
エールの代わりに誰かが呼び起こした風の精霊が、ルリの結わえた髪の後れ毛をなびかせ、スカートの裾をはためかせる。
口紅もお化粧も取れてしまったけれど、その姿は充分可憐で、眩しかった。
「すまん、クロル。続けてくれ」
ルリの肩を離したリグルが、太い両腕を胸の前で組みながら、クロルに言う。
二人の顔をチラッと横目に見たクロルは、軽く手を上げて応えると、再び目の前の標的を捉えた。
「……では、侍従長。あなたに贖罪のチャンスを与えよう。ああ、そこにいる医師長もね?」
クロルの声に、高齢の医師長はヒィッと細い叫び声をあげた。
彼は、エールに特別な薬を処方していた人物。
侍従長の隣に座り込むと、神の審判を待つがごとく、両手を組み合わせ額に押し当てた。
「君たちが悪いのか、それとも他に誰か」
「――私です!」
侍従長が顔をあげ、となりに座り込む医師団長をかばうように腕を広げたそのとき。
ザクリ、ザクリと、土を踏みしめる音。
音のする方向へ視線をさまよわせる侍従長は、泥に汚れた黒いブーツの靴先を見つける。
そのまま視線をゆっくりと上げ……歩み寄る人物と視線が絡む。
「何をしたのか、言え」
一切飾ることの無い、冷徹さを露にした声。
クロルの脇に立ち、自分を見下ろすのは、彼が愛してやまない偉大な英雄王だった。
* * *
侍従長は堰を切ったように嗚咽を漏らし、両目から涙を溢れさせた。
「国王様……どうか、私をお裁きください」
侍従長は胸をかきむしるようなしぐさをし、嗚咽を堪えながら途切れ途切れに語る。
「私はただ、あなたの世の栄華を、いつまでも見守っていたかったのです……本当に、馬鹿なことをしました」
侍従長の手が、国王の足元へと伸ばされかけ……自嘲と共に引かれる。
今にも指輪が落ちそうなほど、皺が寄りやせ細った指。
まるで汚らわしいものを見るように、自分の手を見つめると、侍従長は笑った。
それは、確かな……狂気。
「全ては私の判断……責任は、全て私に!」
「――待てっ!」
国王が叫ぶより一瞬先に、侍従長は自らの手に嵌めていた指輪の宝石を飲み込んだ。
うめき声1つ立てず、グラリと体を横に傾け、土の上に倒れ伏す。
青い芝生の上に、侍従長の口から漏れ出した体液が広がっていく。
とっさに駆け寄った国王が侍従長の体を強く揺すりながら、目の前で呆然と立ち尽くす医師長に「早く解毒剤を!」と怒鳴りつけたとき。
彼らの背後から、天高く昇る太陽とは違う、もう一つの眩しい光が差し込んだ。
↓次号予告&作者の言い訳(痛いかも?)です。読みたくない方は、素早くスクロールを。
またヒキを作ってしまいました。すみません。この話は次回でひと段落です。犯人懺悔で自害……ベタです。この話の中に、何個ベタは入れられるのだろうか。できればシチュエーションは崖の上が良かったのですが。関係ないけど、弾丸ジャ○キーという芸人さんの『崖の上のホリョ』というネタが好きです。それにしても、今回は一切楽しい展開が無かったなー。ルリちゃんとリグル君を、ちょっとだけ成長させてみたくらいでしょうか。泣いてあやしてという依存関係から、それぞれ殻破って大人の階段ちょっとずつ上ってく……そんな描写がもうちょっと上手く書ける人になりたいです。今は勘弁してください。改稿時にはもうちょいマシに……と言いつつ、書き終わったら力尽きる気も。
次回、一応クライマックスというか、ひと段落です。その後に後日談があって、第四章へ入っていきます。クロル君にもちょっぴり成長してもらわねば。