第三章 閑話 〜名探偵クロルの事件簿(5-2)〜
氷の王子クロルがねめつけるという緊張感の中、クーリッシュで氷結な生ビームをダイレクトに受けてしまった庭師の男が、おずおずと手をあげる。
と同時に、もう1人つ手が上がった。
「クロル、俺も実は少し、気分が優れない……」
サラのすぐ傍にいたエールが手を上げながら、クロルに近づこうと歩き出した。
とっさにその腕を掴んだサラに、心配無いというように、エールは心臓の位置を軽くトントンと叩いて笑みを向ける。
あの時とは違う、強がりや自嘲ではない……しなやかな強さを感じる笑みだった。
サラは、右手の力を抜いた。
* * *
結局この探検には、広間に集まっていた臣下たちの半分近くがついてきてしまったので、誰がどこにいるやらさっぱり分からない。
それでも、人の頭越しに指輪のついた細い手ばかりが見えれば、違和感は強まる。
パラパラと手が上がるのは……ほとんどが、魔術師だった。
「じゃあ、気分が悪い人たち、こっちに集まってー。元気な人はこっちね!」
クロルは、まるで夏恒例の高校生クイズ大会のように、この団体を2つに分けた。
お花畑側にいるのが、健康グループ。
通り道側にいるのが、不健康グループ。
もちろん、健康グループの中にはサラも含まれている。
サラの両隣には、リグルとルリ姫、その隣にはデリス。
国王と月巫女も、クロルの立つ高台から一番離れてはいるものの、健康な側に来ているようだ。
時は午の刻。鶴翼の陣。
向かい合う敵の軍……ではなく、不健康グループの顔ぶれを、サラはじっと観察した。
人数的には、今回のお散歩ツアー全体の1/4程度だろうか?
魔術師達の黒っぽいローブで占められる中に、文官や医師、侍女がチラホラと混じる。
さすがに屈強な騎士たちは1人も居ないようだ。
一匹狼のように、1人だけ群れから離れたクロルは、高みから全員を見渡す。
整然と並び対峙する2つのグループの片方に、クロルは次の質問を投げた。
「じゃあ、元気な皆さん、彼らをみて何か気づくことはあるかな?」
サラの隣に居たリグルが、声を上げた。
「そりゃ、すぐに分かるぜ? あいつら痩せすぎだ。もっと食って運動しないとダメだ!」
この先もし俺が国王になったら……と演説を始めかけるリグルをまあまあと宥めて、クロルはくるりと逆側を向く。
エールたちの居るグループに、もう1つ質問を。
「気分の悪いところで、考えさせて申し訳ないけど……君たち、いつからそんなに痩せ始めたの?」
痩せ細った魔術師たちは、隣近所と相談しはじめる。
内気な人物が多いのか、ヒソヒソと意味を成さない声が漏れるだけで、誰も意見を言わない。
エールは自分の中で回答を得ているようだが、やはり理由を慮っているのか、眉根を寄せて口をつぐんでいる。
どうやらクロルのことが相当苦手らしい魔術師長も、憮然とした表情で黙り込んだままだ。
サラは、先ほどまでの楽しいお散歩タイムを思い出していた。
強まる日差し、やわらかい土の匂い、そして芳しい花の香り、そして……人いきれと、緊張。
楽園の姿は、まったく変わらないのに。
ほんの少しの時間で、なぜこんなにも雰囲気が変わってしまったのだろうか……と。
* * *
ジリジリとした日差しに目をやり、額に浮いた汗を拭いながら、クロルは唐突に叫んだ。
「サラ姫っ!」
「――ハイッ!」
いきなり矛先を向けられ、先ほどのリグルよりも早く鋭く、手を上げながら返事をするサラ。
クロルは、ビビリまくりなサラのリアクションにニヤつきつつ、話を先へ進めていく。
「この前、サラ姫がエール兄と2人でここに来たときのこと……前半は、覚えてるよね?」
「うっ……うん」
後半は、覚えていない。
いや、思い出したくない……。
サラは、なんとなく左手がズクンと痛みを放ったように思えて、胸の前で両手を重ねた。
まるで無垢な乙女が祈りを捧げているかのようなサラの姿に、周囲の緊張は少し和らぐ。
「エール兄が、体調を崩す前に、何かキッカケは無かった?」
サーモンピンク色の妄想に陥りかけるサラを、かろうじて現世に留める質問。
思い出したくない部分をごっそり削って、サラは唇を尖らせながら思案する。
サラの視線は、記憶をたどるようにクロルの元へ移っていく。
あのときは、2人でまずあのベンチへ座ったんだ。
少し会話して、そのときはまだそれほど……発作の兆候のようなものは無かったように思う。
エール王子が倒れたのは、その後すぐだった。
確か、あれは私が……。
「エール王子が、私がうっかり足から飛ばした靴を拾ってくれて……」
高台の上から、見事に転がって行ったシンデレラの靴。
冷徹な仮面をかぶった王子さまが、心底愉快そうに笑いながら拾って、わざわざ履かせてくれた。
でも、まさか……。
「私の、足のニオイがっ?」
「飛ばしたって、どこに?」
サラの推理にかぶさった、クロルの冷静な質問。
青ざめかけたサラは、一気に赤くなりながら自分の足元を見やる。
「ちょうど、このへんかなあ」
サラは、今まさに自分が立つ花畑の傍を指した。
ありがとうと笑うクロルは、満足気にうんうんと何度もうなずいた。
「――エール兄、みんなを楽にしてあげて?」
もう全て分かったというように、エールは一度鋭い目つきをすると、無詠唱で魔術を発動した。
全員が、思わず顔を背けるほどの……強風。
城の側から吹き付ける風は、充満していた花の香りを吹き飛ばしてしまった。
* * *
赤い花がゆらりと風に揺れ、重そうに頭を垂れる。
エールは、手のひらを真っ直ぐサラたちの方へ伸ばしたまま、日差しの熱を奪い去らない程度の微風を送り続けている。
このくらいの魔術なら楽勝なのか、花の香りが消えたせいか、青白かった顔には生気が戻っていた。
ホッと息を漏らしたサラは、再びクロルの行動に注目する。
「ところで、庭師に聞きたいんだけど、この赤い花……なんて花?」
サラも含め、全員の視線が花畑へ向けられた。
サラ自身は、この世界の花に詳しくないので当然分からないが、特別目立つような特徴は無さそうな花だ。
形や大きさとしては、チューリップに近いのだけれど、より花弁が多く平たい。
赤く大ぶりの花の合間に見える白や黄色は、別の種類の花で、もっと1つ1つが小さく群れている。
例えるならば、赤いドレスの派手な女豹集団と、その影に隠れるワンピースの少女たち……。
もしくは、貴族婦人の集うパーティと、その合間でせっせと働く多数の侍女。
「あの、オレ……ワタクシにも、良くわからないのですが……」
遠慮がちに答えるのは、背中を丸めた初老の庭師。
白や黄色の小さな花は、この国でよく見かける雑草の一種だと言った。
サラに向けたのと同じように、ありがとうと笑ったクロルに、庭師の男は汗だくでうなずく。
きっと彼が女性だとしたら、墓場まで大事に抱えていくだろう、完璧王子なキラキラ笑顔。
庭師でさえも知らない、不思議な花……。
サラが再び斜め後の花を見つめようとしたとき、クロルの低い声が響いた。
「この中に、誰かいるんじゃないかなー。この花が何だか知ってる人。さ、正直に手を上げて……?」
それまでとは違う、地の底から発せられるような、凄みのある声色だった。
言葉に込められた悪意が、その場の温度を下げ、全員の心を瞬時に凍らせるような。
それでも、名乗り出る者は現れない。
クロルの視線は、ある一点に向けられる。
花畑の右隅、クロルからもっとも遠い場所に居る、1人の人物を。
「あなたには、もう分かってるよね……月巫女さん?」
サラも含め、ここに居る全員が一斉に彼女を見た。
国王の立派な体躯に隠れるように佇む、儚げな1人の美女。
銀色の美しい髪は、太陽の光に負けているためか、純白に近い色に見える。
彼女は、人の心を持たない女神。
クロルの問いかけにも、強すぎる視線にも、我関せずとばかりに透明な視線を投げ返すだけ。
そこに人の色を加えられるのは、たった1人の人物。
「――月巫女」
国王が、斜め後ろの月巫女を見下ろしながら、ただ一度名前を呼ぶ。
その瞬間、彼女の体がぴくりと震えるのが分かった。
ローブに包まれた彼女のか弱い腕が滑らかに持ち上がり、力なくしおれた手のひらは何かを指し示すように人差し指が立ち上がっていく。
これから、審判の時が来るのだ。
サラは、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
↓次号予告&作者の言い訳(痛いかも?)です。読みたくない方は、素早くスクロールを。
ゴクリ……と、また変にヒキを作ってしまいスミマセン。とりあえず赤い花の秘密はちょっとだけ解明。予告通りとはいえ、チマチマ進んでおりまする……。サラちゃんの小ボケでなんとか空気を軽くしつつも、どよんとよどんでいる広場。そのうちスッキリ靄が晴れますので、もう少々お待ちを。分かりにくいとこ補足です。午の刻は、お昼12時のことです。鶴翼の陣は、文字通り鶴が翼を広げたような形。戦国シュミレーションゲーム好きにはお馴染みの陣形ですが、作者はこの手のゲームで全国統一できたためしがありません。どんな陣でも負けます。戦闘中に武将がどんどん「討ち死に!」って報告されて、総大将ほうほうのていでピューと逃げるの繰り返し。人生全てそんな感じですが、細々と生きております。
次回は、赤い花の謎解明編……つか、いろんな謎をジャンジャンバリバリ解明していきたいです。