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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

大エド裏仕事セイノシン

作者: IDEI

コンセプトは 夜の八時に始まって 八時四十分に大立ち回り 八時五十分にわはは、と大団円 って感じがいいなぁ と思って書き殴った 短編です

時代考証はでたらめ 江戸幕府での身分制度とか棒給とかもでたらめです

暴力表現、残酷表現、性の表現もありあり(まぁ、ぬるいけど) なので 十五歳以下は極力見ない方が良いかも知れません あとは つまらなくとも文句は言わないのがお約束です(ここ大事)

 ここは異世界。

 ムサシの国のおエドというトクガワ様の幕府がある土地だ。

 土地の中心はおエドの城が聳え立ち、その周りを御武家様たちの屋敷がひしめき合ってる。ひしめき合ってる、とは言っても、一つ一つの屋敷が馬鹿でかいんだけどな。屋敷の周りを一周するだけで、線香一本が燃え尽きちまう程だ。線香一本じゃのんびり出来やしないんで、やるなら泊まりが一番だけどな。

 そして御武家様の屋敷の外側に庶民の家がある。とは言っても、お城に近いほど幕府関係の建物が多いし、御用商人の立派な店が建ち並ぶんで、本当の一般庶民は一番外側の畑との境界に近い場所なんだけどな。そして一番多いのが長屋だ。一般的なのが四畳半ぐらいの板間に草鞋を履く程度の土間が付いて一家族で住むってのが多いな。まぁ、ピンキリだけどな。

 そんなおエドには百万に近い人が住んでる。本当に狭い所にひしめき合ってるとしか言い様がない。なのに、立派に町として成り立ってやがる。


 それも全て魔具のおかげよぉ。


 魔具ってのは、魔法の道具って意味だ。今時、誰だって魔力っていう力は持ってやがる。昔は誰も持っていなかったってぇ話だから、けっこう不便してた様だがな。それで、魔力があっても魔法ってヤツを使えるヤツが少ないらしい。

 貴重なモノだとかでどうすれば良いのかを出し惜しみしてやがるんだ。

 でも、まぁ、その魔法を使えるヤツが造った魔具ってのが売り出されて、おエドの住民は魔法を使える様になったってわけだ。

 あー、どっちかというと、持っている魔力を使える様になっただけか。本人が魔法を使っているわけじゃねぇ。


 でもよう。

 火打ち石から火起こしをしなくとも、刀の柄ぐらいの棒を突き出して魔力を込めるだけで火が出るって方が便利だし、魔法を使っているって気にもなるよな。

 煮炊きには魔具は割に合わないんで、薪だの炭だのを使わないとならないのは同じなんだけどな。

 火だけじゃなく、魔力を込めると水が出続ける急須とか、扇がなくとも魔力を込めれば風が吹いてくる扇子なんてのもある。


 一般庶民向けに売っているのなんてそんなもんだ。使い続ければその内魔力を込めても使えなくなってしまうしな。

 だいたい、火起こしの魔具で一年から二年弱で交換が必要で、使えなくなった魔具を買い取る商売をしているヤツに売れば、いくらかにはなるらしい。あまりにボロボロだと買い取り拒否って事になるみたいだけどな。

 まぁ、そこら辺は割れた茶碗とかと同じ様なもんだ。


 高級品だと、魔力を込めると墨が出続ける筆とかあって、書き物をしている連中なら誰もが欲しがるモノらしい。


 そこまでは、そういう感じで良い道具、ってわけなんだが。中には魔力を込めると刀身にこびり付いている脂を消し去って、綺麗な水がうっすら浮き出るような刀の魔具があるらしい。戦国時代なら便利なモノだっただろうが、合戦の無いトクガワ様の世では、斬り殺す事が好きな狂人を生み出しかねない。刀を持つなとは言わねぇけど、手間暇掛けて刀を手入れするぐらいの状態が一番良いと思う。

 幕府もそんな感じらしくって、刀の魔具は取引禁止品に指定されてる。

 もっとも、幕府の御武家様の間では刀の魔具が人気だ、ってのもおエドの衆は皆知ってるけどな。


 他にも禁止品指定された魔具はあるけど、ほとんどは問題が出て来てから対応、って感じだな。


 魔具が出始めたのはノブナガ公の頃、ってんだから、長いのか短いのか微妙な所だな。だからか、どうにも中途半端な感じがしやがる。

 奉行所も取り締まりの条例を作っているっていうし、オオオカ様も魔具での罪に対しての罰の規約作りに忙しいそうだ。


 この世にどんな危険な魔具が有るのか知れねぇけど、そのうち大事になりそうな気配がヒシヒシと忍び寄っている感じだ。


 ま、そのためにおいらがいるんだけどな。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 ここはおエド。ウエノのお山にあるカンエイ寺のお膝元。まぁ、ちょっと北に上がると田んぼか寺しか無いような辺鄙な所なんだけどな。

 簡単に言うと田んぼと武家屋敷と寺の隙間に町人の小さな家だとか長屋だとかが建っている静かな田舎だ。


 時は亥の刻。町の門は閉まり、ただでさえ人の行き来が無い場所なのに、おいらたち以外の人間はいない。


 夜中だしな。


 おいらはいつものごとく、茶屋の二階から声を掛けて、夜鳴き蕎麦のタケを呼び止め、茶屋の前で蕎麦を手繰っている。横には置屋から呼んだハルがいる。


 本当にいつもの事だ。


 この時間だと茶屋に賄いを頼むのも気が引ける。普通の待合茶屋だと丑の刻ぐらいとかお天道様が出るまで店を開けているのが当たり前だけど、ここは表向きは茶の葉を売っている葉茶屋という名目だ。ま、元は待合茶屋だったんで空いた部屋を有効活用している、ってだけだけどな。


 単においらが贔屓にしているから融通が利くってのもあるけどよ。


 でだ。おいらとハルはタケの出してくれた具だくさんの卓袱しっぽく、かけそばの事だ、を三十文で注文して食っている。ハルの分もおいらが出すから六十文だな。


 本来のタケの蕎麦屋は具のしょぼい卓袱を十六文で出している。昼間に店を構えている蕎麦屋で食うと二十四文ぐらいなんだが、夜鳴き蕎麦だと十六文以上は食い逃げするとかで、エドの衆もとんだ野暮な事をするもんだと嘆いている。


 エドの衆なら粋じゃないとなぁ。


 食い終わった後は、タケが商売中に集めた城下町の夜の噂話を聞く。

 たいていは何処の店のボンボンがやらかした、とか、御武家屋敷の女中が居なくなった、だのの醜聞だ。しかも、面白そうに色を付けているのがほとんどだ。まぁ、おいらもその色の部分を楽しんでるんだけどな。


 だが、今晩の話はちょっと違うようだ。


 タケは蕎麦や味噌つゆなどの鍋が収まった両天秤の灯りの魔具を操作して、普段の三割程度に落とした。


 「ワイが聞いた話ですが、イマドの寺の近くだと言う事です」

 「アサクサイマド? ヨシワラのすぐ北じゃないか。ここから近いぞ」

 タケの雰囲気に声が震えたじゃないか。畜生め。横に居たハルもおいらの腕を抱きしめていやがる。

 「ええ、それに遭遇した男もヨシワラ帰りだったって話です。まぁ、チャッピキを値切ったようですが」

 「粋じゃねぇなぁ。遊女も命張って客取ってるっていうのになぁ」

 「ええ。ワイも、値切るぐらいなら土手に行けとか思いましたわ」

 「だよなぁ。で?」

 「店出た後、なんと土手を歩いていたらしいですわ」

 「目的は夜鷹か蕎麦か」

 「どっちでしょうねぇ。土手を歩いている時に、前から人影が近づいて来たそうで、夜鷹買いの野郎かと避けようとしたらしいです。そして、相手が急に走って近づいて来て、いきなり袈裟懸けにズバッと」

 「な、なんでぃ。辻斬りの話かい」

 「ええ。その時までは。その男は確かに胸元を刀でズバッとやられた感触を感じて、その場に倒れて気を失ったらしいですが、日が出る頃に気がついたようです。見ると、胸に血の跡がべったり。着物も袈裟懸けに切れていたそうです」

 「ああ? 胸をバッサリやられて血がべっとり。だが生きてたんだ?」

 「ええ。胸には傷跡が残っていたらしいですが、まるで古傷の様だったと」

 「解せねぇ。元々あった古傷ってわけじゃ無さそうだし、斬られてすぐに傷が治るわけも無し」

 「それで近場の御用聞きの所に行ったらしいですが、男の狂言だろうとなり、追い返されたそうです」

 「まぁ、当然って感じだな」

 「それで、その男は長屋に帰ったんですが、次の日になっても出て来ない、ってんで、隣が様子見をしたら、その男が死んでいたそうです」

 「古傷が開いたか?」

 「いえ。傷の所の肉が盛り上がって、まるで人の顔のようになっていたとか」

 「の、呪いか?」

 俺の言葉にハルの抱きしめる力が増した。あ、ちょっと、それ以上はヤバい。折れる。

 「判りません。ですが、その話が広まってすぐに、二八や夜鷹が場所を変えたようです」


 そこまで話して、タケは灯りの魔具の光を戻した。


 「この話は、その逃げてきた二八から聞いたんで」

 「商売敵じゃねえか。縄張り取られんぞ」

 「そこは当然、締めてきやしたが、逃げてきた、ってのは本当のようでした」

 「土手の夜鷹をアテにして来る野郎を相手にする二八蕎麦の言う事じゃ、御用聞きでも動かねぇかぁ。でもよぅ、辻斬りとしては調べるんじゃねぇのか?」

 「それが可笑しな事に、斬られてはいない事になってるらしいです。同心の方からは医者を調べて似たような病が無いかを聞き取れと」

 「病扱いか。判らねぇ話じゃねぇが、どうもすっきりしねぇなぁ。その辻斬りが持ってた刀ってのが、そういう効果のある魔具とかいうのは有りそうじゃ無いか?」

 「あー、ワイはそういう出回ってない魔具については明るくないんでぇ」


 タケの味噌の蕎麦は旨いんだけど、喉が渇くのがいけねぇ。おいらとハルはタケに礼を言ってから茶屋の二階に戻り、薄っぺらな布団を被って置きっぱなしにしてあった酒を飲む。やっぱ、酒のアテにタケの所で出している天麩羅を貰ってくるべきだったか?

 そんな話をしながらハルの胸に手を伸ばす。

 「柔らけぇのは良いが、もうちっとデカくなら……」

 ハルに耳たぶを囓られ、最後まで言えなかった。てやんでぇい。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 町と町の間にある田んぼばかりの風景。道は有るし日のある内は人通りも疎らではあるが無い事も無い。そんなごく当たり前の場所に一つの廃寺がある。手入れされていない庭は草木が乱れ、井戸には蜘蛛の巣に掛かった虫の死骸が干からびている。

 町と町の間であるため、夜中でも人の通りはある事はあるが、月明かりでも無い限り、提灯の灯火だけでは心許ない。廃寺には当然のごとく一切の灯りも無いので、周囲は暗闇という無の空間。


 そこに『ギャー』という叫び声に似た音が微かに響いた。

 周囲は完全な暗闇。人の気配も無い。当然灯りも無いので、もしも誰かがその音を聞いたとしても、獣の出したモノとしか認識しなかっただろう。もしくは気のせいにして、その場をとっとと立ち去るはずだ。


 周囲は誰も居ない暗闇。時折、虫の鳴き声や蛙の声がする程度。


 なのに、時折念仏のようなうなり声が響く。


 それも当然。


 廃寺に見えたそれは、地下にかなりの空間がある一種の工房だった。


 「むぅ。治ったように見えるのは一晩ほどだったのか」

 金糸の刺繍の入った頭巾を被り、顔を隠したそれなりの身分と判る男が報告を聞いて唸った。その後ろには、その報告をした山伏風の衣装を着た男がいる。

 「理屈は合っていたはずなのだがな。だが、目覚めて一日は動き回っていた事は確認している。今はあの男と同じ処置を施し、同じようになるかの実験をしている所だ」

 「同じ処置では同じ事なのだろう? 少しは違う要素を入れたらどうなのだ?」

 「同じ結果であっても、それはそれで意味はある。一体何が拙かったのかを突き止める事が肝心だ」

 「言いたい事は判るがな。もみ消すのに人を使ったのだ。もう手間は掛けられぬぞ?」

 「ご安心を。今は完全に掠って、ここで結果を見る方針に変えている。もみ消す手間もそうは無いはず」

 「手間を掛けさせるなよ」


 山伏の案内で頭巾の男が更に地下へを降りる階段を下った。

 そこには、猿ぐつわを噛まされ手足を縄で縛られた男が二人、同じ様な女が二人いて、血まみれでのたうち回っている。


 「ずいぶんと苦しがっているな?」

 頭巾の男がそう評した。そして、それを聞いた男が修行僧風の男から報告を受ける。

 「既に一度死にかけたようだ。あの男はその段階で死んだが、ここにいる者たちはその過程で更に処置を施された者たちだと言う事だ」

 「ほう。更に先というわけか」

 頭巾の男の声を切っ掛けにしたのか、四人の苦しんでいる男女の様子が一変した。一度静かになったと思った瞬間に、体中に瘤が出来始め、それがどんどんと増え、膨らんでいった。

 「な、なんだ?」

 「せ、拙僧にも…」

 他にいた修行僧風の男たちもうろたえている。その間に四人の男女は、縛られた手足をそのまま取り込んだ肉の塊になっていった。

 最終的に、四人の男女はそれぞれ一メートル半程の肉団子に変わり果て、それで一切の動きを止めた。


 その後、その地下の中にある一室に移動した頭巾の男は、時を開けて結果の報告を受けていた。

 「では、アレはあのままで生きているのか?」

 「うむ。一つは土に埋める心算で切り刻んではみたのですが、切る端から傷が埋まり、血も流れぬ始末」

 「人としての意思は?」

 「それが皆目と。あれはただ生きているだけの肉の塊と同様だと」

 「むぅ。それでは意味は無いのぉ。死んでいるのと同じか、それよりも下の哀れみを感じるな」

 「うむ。だが、アレはアレで調べ尽くす事に意味はあるらしい」

 「おぬしの言う事は判るのだがな。だがそれは私には意味が無い」

 「うむ。心得ている。求めているモノは違わぬよ」


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 ハルを置屋に帰したおいらは、朝一番で開いた湯屋で湯に浸かっている。

 「やっぱ一番風呂ってのは気持ちが良いねぇ」

 ちゃんと、湯に浸かる前に身体を洗ったぞ? かけ湯もそこそこに湯に浸かるヤツがいるから、そういう時は頭にくる。粋じゃ無いよなぁ。ここは男と女で部屋が別れている湯屋だ。男女で別れていない湯屋も多いが、そういう所だと、朝っぱらは女としっぽりやった男ばかりなのが気に食わねぇ。まぁ、中にはこれから大事な催しのために身体を清める、ってヤツもいる事はいるんだがなぁ。そういうヤツには男女で別れている湯屋をお勧めしたいが、何故か近い所か安いとこへと流れるらしい。粋じゃねぇよなぁ。


 まぁ、粋ってのも金が掛かるモンだがな。


 さっぱりしたおいらは茶屋に戻り、一人でぐっすり眠る事にしている。帰りしなに買ってきた饅頭を葉茶屋の娘に差し入れする事も忘れない。これが粋ってもんよぉ。


 目が覚めたのはお天道さんが天辺から少し傾いたぐらいか。大体午の刻を過ぎたぐらいだな。午の後だから午後、ってヤツだ。もう少し経てば八つ時になって仕事している連中も一服入れる頃合いになる。いい塩梅じゃねぇか。


 まずは情報収集。顔見知りの御用聞きの所に顔を出す。

 「よう。相変わらずシケた顔してやがるな」

 「いきなりの挨拶がそれかよ。で、どうした? 俺ぁこれから見回りに出る所なんだがな」


 ここはセンソウ寺から川を渡ってすぐの本所の北側。ミト様のお屋敷が近い長屋に住む御用聞きのデンスケを訪ねてきた。御用聞きってのは、酒屋の注文取りじゃなく、岡っ引きの事だ。岡っ引きってのは同心が小遣い渡して飼い慣らした元チンピラの事だな。他の町じゃ御用聞きに所場代取られたり、単にカツアゲされたってのも多い。だがまぁ、裏のモンにしか判らねぇツテってヤツもあるんで、あまり真面目じゃ無い御用聞きにでも小遣い渡す同心が減らないそうだ。


 世知辛いねぇ。


 「見回りとか言って小遣いせびりじゃねぇのかい? あんまり巫山戯てると後ろに手が回るぞ?」

 「うるせいや。俺ぁ、そんなケチなマネはしねぇっていつも言ってんだろうが。で、今日はどうしたよ」

 「おう。シタヤの辻斬り事件って言やぁ判るか?」

 「判るかよ。町一つ挟んだ向こうじゃねぇか。それに辻斬りなんて噂も入ってねぇよ」

 「ちっ、使えねぇ」

 「うるせいや。一体何処でそんな噂を聞いてきたんだ?」

 「ヨシワラからシタヤの土手あたりを縄張りにしている二八かららしいな」

 「なんでぇ。オチはムジナだったってか?」

 「かもな」

 「ちっ。つまり確かめてこい、ってか。いつも人使いが荒いんだよ」

 「御用聞き相手でも嗅ぎ回るのはのはなぁ。派手にやり過ぎるとおいらが消されちまう」

 「判ったよ。俺も闇に葬られるなんてのは御免だからなぁ。で、詳しく話せや」


 おいらは夕べ、夜鳴きのタケから聞いた話を伝えた。


 「おいおい。マジでムジナなんじゃねぇだろうな?」

 「ムジナなら有り難てぇんだよ」

 「そりゃあ判るがよぉ」

 「なに、御用聞きに噂を確かめに来た、とかでかまわねぇよ」

 「判った。で、噂が本当なら赤でいいのか?」

 「それで頼むぜ」


 赤というのは、おいらへの報告に、赤い折り鶴を長屋の門に引っ掛けておくという合図だ。何しろおいらはお天道さんの有る内に動く事が少ないんでな。


 デンスケと別れて、おいらはミヤト川の土手を歩いている。ミヤト川ってのは、アサクサの東を流れている、スミダの村に隣接している川だ。

 まずは現場を見ておこうとか思ってな。七つ時を回った頃だから、そろそろ仕事を上がる連中も出てくる。すると夜鷹も現れ始める、って感じの頃合いだが人っ子一人いねぇ。ちょっと時刻が早かったか? まだヨシワラも開いて無いんだから、やっぱ早かったんだろうな。

 それでも、お天道さんは傾き始め、橙に染まり始めてる。もう、頃合いなんだがなぁ。


 「やっぱ、二八も夜鷹もこの辺りから逃げたってのは本当だったか」


 土手自体はそんなに長くねぇ。ほとんどは藪ばっかりだ。まぁ、その藪に紛れて夜鷹がゴザ広げてるんだけどな。

 上手くすりゃ噂の辻斬りってのが拝めるかと思ったが、暫くはこの辺りには出そうもねぇ。ネギシの方からウエノの方を回るか、今日は諦めてハルでも呼ぼうかと考えていると、前から町娘が一人歩いてきた。

 こんな時刻にこんな場所にいたら夜鷹と勘違いされるぞ。そう声を掛けようかと娘を見ると、何故かおいらを睨むような、それでいて泣き出しそうな顔でおいらに近寄ってくる。なんか、恨みを買うような事したっけかな? 娘に対して何かするような野暮な事はしてねぇ筈だが、その知り合いとかだとちと判らねぇ。

 そして、娘がおいらの前に来て言った。


 「ちょ…、ちょいと、そ、その、お、おにいさん、遊んでかないかい?」


 おいらはあんぐり口を開けて呆けちまった。


 場所を変えて、見通しの良い河原に二人で腰掛ける。そして話を聞いた所、金が要るらしい。

 「若ぇし、見目も悪かぁねぇから、夜鷹になんなくともヨシワラ遊郭にでも身売りすれば、夜鷹よりも稼げるんじゃねぇか?」

 「えっと、よく知らないんですけど、身売りするには女衒を通すとかで、悪い女衒にかかると身売りの金も満足に受け取れないとか…」

 「ああ、そういう話も聞くなぁ。それだったら、ごく普通に店とかで働いたらどうだ?」

 「わたし、文字も読めないし、金勘定もほとんど…」

 「それぐらいだったら店が教えるだろう。何だったらおいらが口利きしてもいいぜ」

 「そ、それじゃ足りないんです。おっかぁを医者に診て貰うには…」

 「あぁ、そういう事かい。でもなぁ、今のおめぇさんを見ていると、おっかさんがどんだけおめぇを可愛がったのかが良く判るぜ。その可愛い娘が、自分のために身を売っただなんて、おっかさんも聞きたくねぇ話だろうぜ」


 江戸の医者なんて、金持ちの道楽みたいなもんだ。町人風情に用立て出来る金子じゃ一服の薬さえも貰えやしねぇ。おっかさんがどんな病を患ったかは判らねぇが、娘一人の身売りの金じゃ、良くて一回、診察がされるかどうか、って所だな。

 「後ろ暗ぇえ所じゃ無く、まっとうな所で働いて、その金でおっかさんに美味いもんでも食って貰った方が喜ぶんじゃねぇのか?」

 「でも、おっかぁが…、おっかぁが死んじまったら、わたし…」


 こりゃ、テンパっちまってるな。表向きは落ち着いている様でも、内心は何も考えられないほど慌ててやがる。


 「いいかぃ? 夜鷹ってのは男と情を交わす商売だ。つまりはだ、子作りって事だな。一発で出来るかどうかは運次第だが、一発あたり十六文から二十四文ぐらいが相場だ。つまりは蕎麦一杯ぐらいの稼ぎにしかならねぇ。だから稼ごうと思ったら一晩に三人以上とやらなきゃ意味はないな。でだ、一晩六十文は最低。たいていの夜鷹は五人、六人と交わるらしいや。そんだけやってりゃ、出来るモンは出来ちまう。産むとなったら夜鷹仕事はできねぇし、堕ろすとなっらた命がけだ。堕ろそうとして死んだ夜鷹の話なんぞ、当たり前すぎて話題にもならねぇ。つまりはよ、夜鷹ってのは先がねぇ商売って事だ。そんな事に自分の娘が、ってなったら、おっかさんは喜ぶと思うかい?」


 いけねぇなぁ。つい説教臭くなっちまった。娘には言ってねぇが、たいていの夜鷹がヤクザモンに抱えられて、所場代だの用心棒代だのを払わされてる。二十文の稼ぎがあっても実際に手に出来るのは十文以下ってのもザラだ。


 「それによう。町医者でもたいていは診て貰うだけで二分は要るって話だ。それに薬を貰おうとしたら最低でも一分。結果、三分は要る。文に直せば、だいたい三千文ぐらいだ。それでも名医なら良いが、藪だったら適当な診断に適当な薬になるらしいや。特に町人が診てくれって無い金集めて来た時なんざ、マジにそんな適当なあしらいらしい」


 おいらの横で娘が泣いている。ちきしょうめ。どうしようもねぇ話には本当にどうしようもねぇ。


 そろそろ日が沈む頃合いだ。この娘がどういった道を選ぶのかは知らねぇが、おいら一人には何も出来ねぇ。いや、何人集まったって出来ねぇモンは出来ねぇ。


 「おう。そろそろ帰らねぇと、おっかさんも心配してんじゃねぇか?」


 おいらの声に娘が力なく立ち上がる。娘も単に身を売るだけじゃ少しも良い方に転ばないってのは判ったか? 判らなくとも、人の生き様にグダグダ口を出すのも野暮ってもんだ。

 そしてこの娘を住んでる所まで送ってやるべきかと悩んでいる時にそいつが現れやがった。


 黒い着物を着た浪人風の男が居た。俯きかげんで俺たちを見ている。そしてゆっくり左右を見回し、ニヤリと笑いやがった。


 ヤバい! あの目は人を殺し慣れている目だ。


 「おう! 浪人さん。おいらたちに何か用かい? それとも、今噂になっている辻斬りかなんかな?」

 おいらの辻斬りって言葉に反応したのは、おいらの後ろにかばっている娘だけだった。あの浪人。そういう事を言われても気にもしないってわけかい。しかも、平然と刀を抜いて前傾姿勢をとりやがった。

 同時においらたちに向かって斬りかかってくる。


 早ぇ! しかもおいらが避けると後ろの娘に当たる軌道で斬りかかって来やがった。て、てやんでぃ!


 おいらは既での所で、懐に入れた手ぬぐいを振り回し、辻斬り侍の目元を隠した一瞬で、脛を蹴り上げてやった。ちと、肩口を切られたが、掠り傷だ。だが、次の手がねぇ。だがよう、場所が河原だった事がおいらに味方した。ちょいとしゃがめば丁度良さげな石がゴロゴロしてやがる。拾った石を手ぬぐいの真ん中ほどに収めて、手ぬぐいを二つ折りにする。それを振り回せば立派な武器だ。振り回した勢いで投げても良い。


 「どうやら本当に辻斬りだったようだな。するってぇと、古傷が盛り上がって死んだ男の事にも関わっていそうだな」

 「……ふむ。実験には使えそうも無いな」

 「実験だとぉぉぉ?」


 そしてまた斬りかかってくる。それを振り回した手ぬぐいの石で牽制しつつ、もう片方の石を投げつける。


 どうにも粋じゃねぇ、格好の悪い戦い方だけどよぉ、死んじまったら元も子もねぇ。おいらは手ぬぐいの石を振り回しながら小石を拾い直す。


 「嬢ちゃん。何処の娘か知らねぇけどよ、逃げて御用聞きでもお役人でもいいから、このことを伝えてくれねぇか」

 「で、でも…」

 「おいらは何とか時間を稼いでとんずらすっから心配すんな」

 「ふん。逃げられると思うてか」


 浪人のその言葉と同時に、草むらから二人の修行僧風の男が立ち上がった。やべぇ。辻斬り浪人一人だけなら逃げ切れるかもと思ったが、他にも居やがったのか。奴さん、実験とか言っていたから、そういう集まりの何かに雇われたってわけだ。

 なるほど、生かして帰すわけもねぇな。

 だとすると、どうする? 川に飛び込んでもミヤト川はそんなに深くもねぇ。あの連中が水に濡れるぐらいで躊躇するわけもねぇしなぁ。


 万事休す。本気でどうしようもねぇ。


 っと、その時に、右手の草むらで草を踏む音がした。


 「む? 他にも居たのか」


 辻斬り浪人が驚いている。草むらから出て来たのは、こちらも浪人風の若い男だった。ボリボリとざんばら髪を後ろで纏めた頭をかいている。


 「あー、辻斬りって事で、コレを知らぬ存ぜぬとすると、拙者の信条に反するので、助太刀させて頂きます」


 なんとも頼りない物言いだなぁ。

 「にいさん。腕は立つのかい?」

 「はっはは、実は一番安かった竹光しか持っておらぬよ。しかも、銀紙さえ貼ってないのでなぁ、あまりに情けなくて抜くのも躊躇っておる」

 「万事休す。おいらの命も短かったなぁ…」

 「はっはは。拙者も出来れば出て来たくは無かった」


 そのおいらたちの会話を聞いた辻斬り浪人と修行僧から緊張が解けるのを感じた。ちきしょうめ、余裕じゃねぇか。


 「拙者がその刀の男の相手をいたす。貴殿は坊主の方を頼む」

 「おいおい、勝てそうも無いんだろう?」

 「なに。元々死ぬしか無かった事が、生き残れるかも、にはなったと思えばいいのではないか?」

 「まぁ、確かになぁあ!」


 おいらの台詞の最後の所で辻斬り浪人が斬りかかってきた。それを手ぬぐい石で打ち払いつつ、竹光の男と位置を入れ替える。しまった。坊主と位置が逆だ。おいらは娘を抱えて川縁へ下がり、追ってきた坊主をその場所で待ち構える。


 でもなぁ。修行僧の格好をしていてがたいも良いのに、喧嘩慣れしてねぇんでやんの。手ぬぐい石を振りかぶって殴りかかりながら投げつけた石で体勢を崩してよろけてやがる。そこに追い打ちを掛けて振り回した手ぬぐい石で殴ると、あっさりと悲鳴を上げて下がりやがった。

 まぁ、この手のヤツはこっちが引くと追い打ちを掛けてくるだろうから、足の一本でも折っておかないとしつこく纏わり付いてくるだろう。

 と言う事で、おいらが一旦引いたのを見た坊主が足を踏み出した瞬間を狙って、その膝小僧を正面から踏み抜いた。


 膝が反対側に曲がって、悲鳴を上げてのたうち回ってる。


 その間にもう一人居た坊主は狼狽えているだけだ。本気の殺し合いをした事ねぇんだな。自分が傷つかない状況なら人を平気で殺せるが、自分が殺されるかもとなったら腰が引ける卑怯者ってわけだ。初めから殺し合いの現場に出てくるなってぇの。


 一人を動けなくさせたおいらは調子に乗る事もせず、慎重にもう一人を眺める。その一人は懐から短刀を取り出すと、慌てて鞘を振り落とした。


 おいらは石ころだけ。自分は刃を持っている、と言う事に安心したんだろうな。少し落ち着きを取り戻してやがる。だがなぁ、短刀と石ころじゃ、使い方次第で石ころの方が強いんだぜ?


 おいらは手ぬぐいを二つ折りにした端を判らないように持ち替える。そして、振り回しながら狙いを定めて、手ぬぐいの片方を放す。で、石は勢いよく吹っ飛んでいった。二人目の坊主の顔に向かって。

 吃驚して体勢を崩した所に踏み込んで、腹に膝を入れてやった。そして倒れた所で、足の上に飛び乗ってやった。おいらの体重がしっかり伝わるように、膝をしっかりと伸ばしてな。


 まぁ、簡単に折れるもんだよなぁ。


 これで坊主からは逃げられる。問題は辻斬り浪人の方だ。


 ざんばら髪の浪人は竹光を鞘ごと振り回して辻斬り浪人の刀を捌いてやがる。あのにいさん、刀が本物だったら辻斬り浪人よりも強かった筈だ。しかも何度も竹光の鞘を腹にねじ込んでいる。あの辻斬り、腹に何か仕込んでやがるな。

 ざんばら髪のにいさんの方も気づいているらしく、小手狙いに見せかけての頭狙いに切り替えている。だが。


 「ちぇすとー!」


 ざんばら髪が気合いを入れて面を狙う。辻斬りの方も判っていたらしく余裕で受けた。が、その瞬間、竹光の鞘が砕けた。鞘の中には言っていたとおりの竹光。いや、ありゃ、ただの竹の棒だなぁ。その一瞬の後、砕けた鞘の破片に気をとられた一瞬の間に、竹光の柄を辻斬りの手の甲に叩き付けた。


 辻斬り浪人は刀は落とさなかったが、手をかなり痛めたようだ。そしてざんばら髪のにいさんが俺を見る。

 判った。

 この隙に逃げよう、ってわけだ。

 おいらは娘を強引に背負うと、川下の方へと走り出した。その後ろをざんばら髪のにいさんが付いてくる。辻斬り浪人たちは諦めたのか、すぐに見えなくなった。


 そして今、おいらは必死で息を整えている。人一人を背負って五町も全力で走るなんてするもんじゃねぇ。背負っていた娘っ子も息を荒げてふらふらだ。

 「ここまで来ればいいだろう。では、拙者はこれにて」

 命がけで戦って一緒に逃げてくれた浪人さんが、それだけを言って別れようとしやがった。世話になったおいらたちから礼の一つも言わせない気だな。何とか呼び止めようと荒ぶる息を押さえ込もうとしていると、背中を向けた浪人さんがその場でいきなり膝をつきやがった。どこか斬られていたのか?

 「は、腹が減って、もう動けぬ…」

 本日二度目の呆け顔をしちまったい。すっとこどっこい。


 場所を変えて、町に入った所でやってた二八蕎麦の屋台で蕎麦を手繰る。浪人さん、娘っ子も一緒だ。当然おいらの奢りだ。コレが贅沢ってもんよ。

 で、浪人の話を聞いた所、藩が潰れて根無し草になったって事らしい。簡単に言っちまうとそれだけなんだがな。実際はいろいろあった様だが言うつもりは無ぇようだ。まぁ、良くある話っちゃ話だなぁ。

 食い終わった後は、娘っ子に飯屋で握って貰った飯を渡す。

 「コレをおっかさんに食わせてやりなぁ。でだなぁ、まっとうな仕事なら良い口入れ屋を知ってるからよ。そん時ゃよ、ミト様のお屋敷の近くにデンスケってぇ御用聞きが居るから、そいつを訪ねてくんな。おいらに当たりを付けてくれるぜ」

 「はい。有り難うございます」

 礼は言っちゃ居るが、気落ちしたままだ。おっかさんの命は諦めろと言っている様なモンだからなぁ。そして娘が歩き出そうとした時。

 「あいや、娘子、待って頂きたい」

 ざんばら浪人が娘っ子を呼び止めた。

 「なにか?」

 「う…む。コレは、その言い難いのであるが」

 「お? にいさん、この娘に気があるのかい?」

 「そうでは無い。だが、少し秘密にして欲しい話があるのだ」

 「本当に気があるんじゃないのかい?」

 「下手をしたら罪人となりて、投獄される危険もある」

 「おいおい。物騒じゃねぇか」


 そこで、ちょいと田んぼの方に入った。もう夕餉の時間ぐらいだから人通りは無いな。

 「実はな、拙者、武士として殿に仕えておったのだが、内密で魔法士としても勤めておった」

 「ほう? 魔法士さんかい。そいつは良い稼ぎを貰っていたんじゃねぇのかい?」

 「いや。内密なのだ。実は拙者、治癒士なのだ」

 「なら、普通の魔法士よりもいい稼ぎだろう? なんで内密なんだ?」

 「え? いや、あれ? 幕府からご禁制の通達が回ったであろう? あ、武家の者しか知らぬか? いやいや、庶民全てにお触れが出ていた筈だが」

 「ああ、出てたけどよぉ。アレって、治癒の魔具を作る事を禁止する、ってぇのと、研究とやらをする事を禁じたお触れだったはずだぜ?」

 「え? え? だ、だとすると、拙者と殿は…」

 「どっかで聞き違いがあったんだなぁ。アレってよう。治癒の魔具を作る段階で実験と称して、無情が行われたのが原因だぜ。その証拠に、エドのお武家様たちは最低一人は治癒の魔法士を抱えているぜ」

 「そんな。拙者……」

 「まぁまぁ、この娘っ子のおっかさんをにいさんが診てやろうってんだろ? いい話じゃねぇか」

 「ほ、本当ですか?」

 「は、はは、拙者に出来る事だけであるが、尽力しよう」


 そしてがっくりとうな垂れるにいさんと共に娘っ子の住む長屋に向かった。その途中、にいさんと話すと、治癒の魔法士とはおおっぴらに出来ないって事で、普通の武士として訓練を繰り返していたそうだ。そして、仕えていた殿様やその家族の身体を診るため、密かに鍛錬を繰り返していたらしい。それから浪人になって別の仕官先を探していたが、治癒士である事を告げる事も出来ず、何件も門前払いの憂き目を見ていたそうだ。おいらたちと会った時は、路銀も尽きて、空腹を紛らわすために河原で寝ていた、ってんだからなんとも言いようがねぇ。おかげで娘っ子のおっかさんを診て貰えるんだからな。普通に治癒士に診て貰うなんて、町人には土台無理な話だ。町医者でさえ二分、三分は金がかかるのに、治癒士だと十両、二十両の金が掛かる。


 「おっかぁ。ただいま」

 娘の長屋は畳で言ったら三畳ほどの広さの板の間だ。畳なんか無ぇけどよ。

 「にいさん。一応、声は落とそうや。長屋の壁なんてふすま紙も同然なほど声を通すからよ」

 にいさんはしっかりと頷いてくれた。長屋の娘が治癒士を連れてきたなんて、変な疑いを掛けられちまう。波風は立たさない方が得ってもんだ。おっかさんの方にも指を立てて静かにするように合図して、にいさんが板間に草鞋を脱いで上がる。おいらは土間で腰掛けるだけ。

 娘っ子が小声で安心するように言っているが、おっかさんの方は顔が青いままだ。あ、具合が悪くて青いのか。ありゃ、かなり危ないんじゃねぇか?

 にいさんは寝ているおっかさんの横に座り、まず合掌して精神統一を始めた。そして何やらブツブツ言ってる。おいらが知っている魔法士も似たようにするんだが、魔法を使うのに決まった文言とかは無いらしい。要は自分をその気にさせる必要があるって事だ。じゃねぇと普段から魔法が飛び出すとか、使いたい時に出せないなんて事もあるってぇ話だ。

 兄さんの精神統一が済んだらしく、その両手の先が白っぽく光ってやがる。その光る手をおっかさんの頭から足の方までかざして動かし、何度か往復した後に腹の上で止まった。にいさんが腹の上で手をかざしたまま動かなくなり、おっかさんの息づかいが少しだけ乱れる。


 ここはにいさんに任せた所だから、何も言わずに終わるのを待つ。


 そしてしばらくそのままの状態が続いたが、次第におっかさんの様子が楽になっている様に見えだした。青い顔も次第に紅を指したようになってきた。


 「これで、悪い所は無くなった筈だが」

 息を吐いたにいさんが肩の力を抜いて呟いた。おっかさんも娘のただいまの挨拶にも苦労していたのが信じられないほど回復している。起き上がって自分の腹を押さえて、何度も確かめてやがるが、その顔からきっちり治っているのが判る。


 このにいさん、実はとんでもねぇ治癒士なんじゃねぇか?


 「では、拙者はこれで」


 にいさんが草鞋の紐を結びだした頃には、おっかさんと娘っ子が泣きながら土下座して感謝してやがった。指を立てて静かに、ってして無かったらどんな声で感謝を叫んでいたか判らねぇや。


 「じゃ、大事にな」


 って事で男二人で外に逃げ出した。


 「にいさん、すげぇ腕の治癒士だったんだなぁ」

 「拙者、他の治癒士を知らぬのでなんとも言えぬのであるが」

 「どうやって修練してたんだい?」

 「山に入って、シシ相手にだ」

 「なるほど。それで、あのおっかさんはどんな病だったんで?」

 「おそらく、腹を何かに強くぶつけたのであろう。内腑が酷く傷ついて腐っておった」

 「そいつを直したのかぁ。にいさん、仕官するつもりはあるかい? とっておきを紹介できるぜ」

 「誠か? 拙者贅沢は言わぬが、心から尊敬出来る殿に仕えたいと所存する」

 「そ、そいつは一番の贅沢かもなぁ」


 おいらはにいさんに湯屋、髪結い、飯代、宿賃という名目で一分を渡した。こんなに貰えないと言っていたが、にいさんを紹介出来ればおいらにも小遣いが入るから問題無いと言っておく。実際、このにいさんを紹介出来れば小判一枚ぐらいの褒美は出そうだ。そう言ってやれば安心して受け取ってくれた。あ、両替屋は開いているか? この時刻ならギリギリか? 近場の両替屋に駆け込んだ所、店じまいしている最中だった。ギリギリだったぜい。


 両替の両替料が八十文。袋代と併せて百文にまけさせて、一朱金が三枚に文銭が二百枚。両替屋ってのはぼりやがるぜ。

 おいらの顔見知りの宿屋を、実際に顔を見せて取り次いで、二、三日を目処に身なりを整えておくように言って別れた。


 今日は疲れたぜぃ。いつもの茶屋にしけ込んで、置屋のハルを呼んで貰う。これからもう一丁疲れるわけだ。べらんめい。


 また夜中にタケを呼んで蕎麦を手繰る。

 タケの話だと昨日の噂以上の事は出回っていないそうだ。代わりに武家屋敷が騒がしくなっているらしい。なんでも魔法士がかき集められているとか。

 嫌な予感がしやがるぜぃ。

 その後はハルには悪いがぐっすりと眠らせてもらった。明日は朝からその武家屋敷を回って見る必要がありそうだしな。ハルの温もりを感じながら眠るのも、たまには乙ってもんだ。


 翌朝。ハルを帰した後にいつも通り湯屋で清めて、その足でとある武家屋敷を訪ねる。


 おいらとの関係を知られないように、行商の振りして背中に荷物を背負って表門の門番に声をかける。

 「入り用だと承りました荷物をお届けに参りました。裏の木戸に声をお掛けください」

 門番が頷くのを確認して裏の通用口に向かう。そして「承りモンをお持ちしました」と声を掛けるとすぐに木戸が開く。木戸を開けてくれた女中の案内で勝手場の横で草鞋を解く。しっかりと足濯ぎをされて上がり、奥座敷に通された。

 十二畳の座敷の真ん中に用意された座布団に正座で待つと、程なくおいらの本当の上司が現れた。

 しっかりと頭を下げお辞儀をする。こういう時は上役の許可が無い限りは頭を上げないのが作法だぜ。

 「これ、セイノシン。そのような態度はするでない」

 「いえいえ、おいらは下らねぇ町人風情。お武家様に顔を見せられやしやせん」

 「ふぅ。よいよい。また無駄な言い争いになってしまう。顔を上げてくれ」

 「へい」

 「しかし、良い所に来てくれた、というか、さすがはセイノシンと言うべきか」

 「何か、ありやしたか?」

 「うむ。まずは…」

 おいらの上司が明るい障子の方を見ると、障子に人の影が出て来て、一度だけ頷き、下がって消えた。あれは、聞き耳を立てている変な輩がいない事を確認したわけだ。

 「真に内密であるが、上様がご病気になられた」

 「もしや、御殿医やお抱えの治癒士では埒があかず、方々の武家屋敷に治癒士を派遣するようにするほどでやすか?」

 「! そ、そこまで読むか。正しく、今、城は混乱中よ。さすがはセイノシン」

 「それで、上様の病のほどは?」

 「我らは親衛隊であるから伝えられたのだ。まずはそれを重々承知して欲しい」

 「へい」

 「実はな、上様の足に瘤が出来たのだ。それが日ごと上様を苦しめている」

 「嫌な予感が当たりやがった」

 「セイノシン。何か知っているのか? 心当たりがあるのなら話せ」


 そこでおいらは夜鳴き蕎麦のタケから聞いた話から、昨日の辻斬りまでの話を一気に伝えた。


 「今の所、与力や同心に、どんな関わりがあるのかははっきりしやせん」

 「うむ。それらはこちらで調べよう」

 「こいつは裏仕事となりますね」

 「そうだな。同心まではこちらで対処しよう。それ以外は全て葬れ。あらゆる魔具の使用を許可する」

 「承りました」

 「それとな。これはセイノシンに言う事では無いのだが、上様の病気を治せる者を探し出してはくれぬか? 武家に抱えられた治癒士でも今の所さじを投げる始末でな」

 「あー、なんと言いますか、それなら一人、試して欲しい者が居ります」

 「どれほどの者なのだ?」


 さらにおいらは夕べの娘っ子のおっかさんに施したにいさんの手腕を伝えた。


 「腐った内腑をそれ程素早く治したというのか。今まで聞いた事が無いほどだな」

 「へい。おいらも目を疑いやした。ですので、一度そちらで試してみてはと思いやして」

 「うむ。早速手配いたそう。取り次ぎはキヌに任せる」

 「おキヌですか?」

 「どうした?」

 「いや、なんか、ハルとおキヌは妙に仲が悪いような気がしやして」

 「はっはっは。そうだな。まぁセイノシンの所為だな」

 「はぁ?」

 「はっはっは」


 なんかはぐらかされた。こんちきしょうめ。


 そしておいらは魔具の使用許可の木札を受け取り、行商の振りしてお屋敷を後にする。その後向かったのは魔具の取り扱いを仕切る奉行所。ここにも大っぴらに入るのは拙いんで、奉行所に隣接している民家に入り、隠し扉で奉行所の屋敷に入る。後は勝手知ったる奉行所ってな事で、堂々と歩く。すれ違う与力や同心もおいらをなんとなくは知っている様で、声も掛けてこない。

 そしてお奉行の居る部屋に行き、木札を見せると一本の鍵を渡される。

 そこでまた一人で突き進み、奉行所の奥に設置された鍵付きの部屋に入る。そこには棚がいくつもあり、多くの魔具が書類と共に保管されている。書類ってのは綴じられているのもあれば紙一枚のものもあり、謂われや巻き起こした騒動なんかが記されている。その中に、書類が置かれていない魔具も幾つかある。

 その中の一つ。鉄で補強されている小手を手に取る。

 いつもおいらが使っている魔具だ。実はおいら専用に作られているんだが、裏仕事の御用が無い時は奉行所預かりになっている。こいつを預かれりゃここにはもう用は無ぇんだが、なんでか、一本の刀が目に入って離せ無ぇ。


 柄も鍔も鞘も黒一色の太刀だ。今まで、何度もここに来ているが、この太刀があるのは気付かなかった。それとも、つい最近ここに預けられたのか? この太刀についての書類も無いので謂われも判ら無ぇ。この部屋にある魔具についてはお奉行にも聞くわけにもいかねぇから、判ら無ぇものは判ら無ぇ。

 まぁ、こいつはおいらが持つには宝の持ち腐れ、って感じだし、長物過ぎて持って行けやしねぇから置いていくしか無いんだがな。

 って所で、まただ。

 なんでかおいらの後ろにあった真っ赤な巾着袋が気に掛かりやがる。

 たぶんこいつも魔具なんだろう。一応、書類が一枚置かれている。読むと。

 『魔具なりしも、用途も所作も不明なり。要再調査』

 使えねぇ! 何のための書類だよ。

 っと、巾着袋を手に取ってみる。へぇ、中に握り飯が入ってるのか。

 ってなんで判るんだよ。

 巾着袋の口は閉じてるじゃねぇか。っていつの握り飯だよ。腐ってるだろ。

 誰も居ない部屋で一人でツッコミをかけまくるとは思わなかった。

 おいらは巾着袋の口を開いて中を覗き込む。お? 中が見えない。だが、確かに巾着の中に握り飯が入っているのは判りやがる。なんでだよ。おいらは手が汚れるのを諦めつつ、巾着袋の中に手を突っ込んだ。握り飯を出してみるために。すると直ぐに手に握り飯の感触が帰ってくる。おいらは勇気を出して、そっと腕を引き抜き、握り飯を取り出した。

 って、なんで炊きたての飯を握りました、って感じでホカホカなんだよ。

 まん丸に握られているが、腐った様子も無ぇ。匂いも飯の独特の匂いだ。酸っぱい匂いは全く混じって無ぇ。

 「どういう事だよ」

 巾着袋は取り出す前と変わら無ぇ。そこそこの大きさの握り飯なのに、巾着袋の重さも膨らみ加減も変わらない。

 「つまりはそういう魔具って事か?」

 おいらは手に持った握り飯を再び巾着袋の中に戻す。けっこうすんなり入りやがった。更に、おいらが持ち出そうとしている小手を巾着袋に入れようと…。あ、巾着袋の口より小手の方が若干デカいや。って、吸い込まれた! おいらの小手!

 って巾着袋に手を入れると直ぐに小手が手に触れ、簡単に引き出す事ができた。

 「判ってきたぜ」

 おいらはまた小手を巾着袋に入れ、更に気になっていた黒太刀を入れてみた。

 「入っちまったぃ」

 巾着袋の大きさも重さも変わら無ぇ。こいつは使い勝手が良さそうじゃねぇか。だが危険な魔具だな。ご禁制の品を極秘裏に運び放題じゃねぇか。こいつにどれだけのモンが入るかは知れねぇが、こいつ一つでエドの町をひっくり返す事も出来そうだ。


 そして、黒太刀を巾着袋から取り出そうとした時にクラっと来やがった。


 こいつは覚えがある。魔力が減った時に感じる脱力感だ。

 おいらの小手も、使いすぎると力が抜けて立てなくなるし、場合によっちゃ気を失っちまう。この巾着も使うには相当の魔力が要るみたいだな。

 ある意味、当然と言っちゃ当然だな。魔具は便利なほど魔力を使う。書類に不明だと書かれていたのも、調べた役人の魔力が足りなかったってわけだ。なら、一応は危険は少ないのかも知れねぇ。魔力のあるヤツはそれだけで危険だしな。

 まぁ、あまり世に出せる魔具じゃ無い事は確かだ。


 だがおいらは使うぜ。


 おいらは小手と一緒に使っている十手の魔具も巾着袋に入れる。この十手、魔力を込めた分だけ他の魔具の魔力を打ち消すという優れモンだ。こいつなら普段から使っても問題無いと言う魔具なんだが、形が十手なんで、形式でもお奉行の認可が必要なのは他の十手と同じだ。御用聞きが持つ十手も、普段は奉行預かりで事があった場合にのみ、お奉行の許可で持ち出せるわけだしな。


 おいらは巾着袋を懐に入れて、部屋を出て、しっかりと錠を施した。そしてお奉行のところに行き、跪いて頭を下げてから鍵を返す。そのお奉行にいる部屋を出るまで無言で。おいらの仕事は無かったことになるから、全て言質はとられない様にしないとならないからな。


 隠し通路から裏の家に回り外に出る。一応、人の目が無い事は確認済み。世の中には人の目を避けるための魔具もあるらしいが、今、おいらの前には無いから関係ねぇな。通りに出ると、エドの町はいつもの有様。いろんな商売の者が歩き回ってやがる。あれは棒手振、あれは灰買い、あれは紙くず買い。皆、逞しいこった。

 アレは魔具買いだ。ちょいと声をかけてみるか。

 「おう、にいさん、商売はどうだい?」

 「へい、毎度。どんな魔具ですかい?」

 「いや、ちょいと聞きたいことがあってな」

 そう言って十文ほど渡す。

 「へい、なんでしょう?」

 「魔具について、ここんとこ、何か話に出てないかってな」

 「そうでやすねぇ、魔具を作る職人が行方知れずになっている、とかですかねぇ」

 「おいおい、そいつは大事じゃねぇか」

 「いえいえ、行方知れずになっても二、三日で帰ってくるらしいんで、どこかで酔い潰れてるんだろう、って話ですが、本人たちが何も覚えて無いって事で、化かされたって言われてますねぇ」

 「本人たち? 何人もかい?」

 「おいが聞いた所、三カ所の魔具屋で三人とか四人とかって話でしたねぇ」

 「そうかい。ありがとな」

 礼を言って、さらに十文渡す。それだけで魔具買いの男はほくほく顔で歩いて行った。


 どうやらなり振り構わずにやってやがるようだ。魔具屋を回って見るか考える。おそらく、その連中が魔具屋を出入りするヤツを張ってるのはちげぇねぇ筈だ。そこにノコノコ顔を出すのも有りだろうか? 逆に魔具屋を調べ始めたら警戒して手を引くかも知れねぇ。与力か同心に手を回せるヤツなら、少しは頭が回るはずだ。ならどうやっておびき出す? 昨日の河原に行くのも逆効果かもなぁ。いかにも取り調べしてござんす、って感じになるだろう。

 「いけねぇや。煮詰まっちまった」

 こういう時は頭の切り替えが必要だな。魔具屋には顔を出さず、仏さんの方を調べてみるか。そう言えばデンスケに頼んだ話がどうなったか結果を聞いて無ぇ。


 おいらは本所の方面に向かうためアズマ橋を目指していた。っとその時に見知らぬ浪人さんに声をかけられた。

 「ここで会えるとは、良かった」

 「はて、どちらさんで?」

 「あれ? 判りませぬか? ああ、髪結いして来たから」

 「髪? ああ、昨日のざんばら!」

 「そうです。そう言えば名乗ってもいなかったであるな」

 「確かに。おいらはセイっていうケチな町人よぉ」

 「セイ殿か。拙者はシンザエモンと申す」

 「シンさんか。よろしく頼むな。で、丁度良い所で会った。実は昨日の口利きの件なんだが、一度力を見てみたいとなってな。試しになるが、気にならなければ力の披露をお願いしたいんだが」

 「既にそこまで話が出来ていたとは感服モノであるなぁ」

 「まぁ、腕にもよるが、かなり良い所に仕官出来そうだぜ。そう思って頑張ってくれるとおいらも嬉しいや」

 「承知した。出来る限りの力を披露しよう」

 「ありがてぇ。で、今日はどうする?」

 「湯屋と髪結いは済ませたので、腰の物を何とかしようと思ってな。まぁ、竹光しか手に入らぬが、せめて銀紙ぐらい貼られたモノにしたくてなぁ」

 シンさんの言葉に、懐に忍ばせた黒太刀を思い出した。しかし、アレは刀の魔具だ。裏の仕事以外で出すわけにもいかねぇ。

 「仕官の話が整えば準備金ぐらいは出るだろうから、それから用立てればいいか。後は着物は損料屋で借りれば」

 「あー、その損料屋なのだが、拙者でも貸してくれるだろうか?」

 「あ? ああ、最低でも長屋住まいじゃ無いと貸してくれない所があったなぁ。たいていは大家から損料屋が紹介されるから大家っていう後ろ盾があるからなぁ」

 立派な着物だったら、なおさら持ち逃げの危険があるから、しっかりした保証人を求めるだろうなぁ。

 「せめて古着でも着られるモノが有ればと思って、古着屋を訪ねようと考えておったのだが」

 「この界隈だったらヤナギワラドテだな。いっちょ、見物に行くかい?」

 「おお、案内して貰えれば助かる。エドの町には不案内でなぁ」

 「おいらも乗りかかった船だ。きっちり最後まで付き合うぜ」


 と言う事でカンダ川まで降りてきた。ここの柳はなかなかに立派で、エドの名所にもなっていた、……はず。だったよなぁ?


 まぁ、とにかく、おいらたちは古着屋を回って程度の良い着物が無いか探して歩いた。しかし、何と言うか、程度の良い着物はそれなりにいい値段がしやがる。出して出せない額じゃねぇけど、出来れば出したくない程度には高い。まぁ、町人が着る着物じゃ無く、お武家様が着る着物なんで、それなりにするってのは判るんだけどよぉ。こりゃ、古着屋を回るよりも質草で流れたのを探した方が、値段は張るが程度が良いかも知れねぇ。

 そんな事を話しながら土手を歩いていたら何故か周りに人の気配が無くなった。まぁ、例え昼日中であろうと、川の土手沿いなんだから人の行き来が無い瞬間もあり得るだろう。珍しい事態に遭遇したって事で、あとで話のネタにでもしてやろう。

 「なんて思ってた時代もありやした」

 目の前には昨日の辻斬り浪人。そして後ろには修行僧が三人。なんと昨日足を折ってやったヤツが二人ともいやがる。

 辻斬り浪人は既に刀を抜いて構えてやがる。しかも淡い光が出ていやがるから、何らかの魔具らしい。しっかりと御禁制の物ってわけだ。修行僧の方も六尺はありそうな棍を持ってやがる。こいつも淡く光ってやがるから、魔具なんだろうなぁ。

 「昨日の仕返し、ってわけだろうが、堂々と御禁制の刀を振り回す、ってんだから、それなりの覚悟は出来てるんだろうな?」

 おいらの煽りにも動ぜず辻斬りが斬りかかってきた。昨日のように手ぬぐいを使うのもいいが、今回は金物も持っている。おいらは懐から巾着袋を取り出して、中から十手を抜き出す。それをシンさんに渡した。

 「シンさん。こいつを使ってくれ。長物じゃ無ぇがシンさんなら使えるだろ」

 「かたじけない。っと、コレは魔具であるか。なるほど」

 上物の魔具は、使うために魔力を流すと、どんな力があって、どう使えば良いのかが判る。この十手もそうなるから、シンさんが魔力を流しただけで使い方が判ったのだろう。

 これで、刀の魔具を持った辻斬りはシンさんに任せる事が出来る。おいらは棍を持った修行僧三人の相手だ。

 カンダ川は人の手で切り開いた川だ。だからか、川岸でも手頃な石は転がっていない。おいらは無手で修行僧三人の相手をする事を覚悟する。

 おいらはまず、三人の内の一人に密着し、懐に飛び込んでチマチマと殴ったりひねったりと翻弄する。やつら、自分たちの身長よりも長い棍を持ってやがるから、手の届く距離だとどうしようも無ぇようだ。普段から使い慣れてるわけじゃ無く、偶にか、コレが初めての使用なのか、得物の使い勝手を判って無ぇ。ならおいらにも勝機はある。顔を殴ったり、腕をひねり上げながら足の脛を蹴飛ばしていくと、なぜだか大きくよろけやがった。それを好機と、ヤツの持っている棍を掴んで大きくひねり回すと棍から手を離した。それをがっつりと握って奪う。

 一度距離を開いて、紺を振り回す。ちょいと重いが頑丈そうだ。まぁ、こういうのは柔い方が良かったり固い方が便利だったりと、使い手を選ぶんだがな。おっと、中に仕込んだ魔具の所為か、重心が可笑しな事になってやがる。なるほど、だから使い慣れないヤツは懐に入り込まれたりするわけか。握って魔力を通しても、どういった所作をするのか判らねぇ。どうやら武器としても、魔具としても三流所のモノらしいな。

 まぁ、無手よりはマシだ。

 おいらが棍を持って距離を空けたから、他の二人が同時に掛かってくる。それをおいらが叩き落とし、懐に飛び込んでから棍で顎を跳ね上げる。もう一人が突いて来たから今顎を跳ね上げた野郎の背中に回って、野郎を盾にする。その脇の下から棍を突き出せば、胸元に一気に棍がめり込んだ。と、同時に棍の魔具が反応した。その途端、胸を打たれた野郎が気を失って倒れた。一応、命はあるようだな。なるほど。棍だから、捕縛が目的の魔具ってわけだ。殺すつもりなら槍で良いわけだし、なかなか理に適ってやがる。


 シンさんの方は、長物相手に十手でやや押している感じだ。十手は刀を挟んで押さえるか、刀そのものを折ることを目的にしている。だから、辻斬り浪人は小さく撃ち込んでは直ぐに刀を戻すという戦い方をしてやがる。振り回したり撃ち込んだりして来れば一気に制圧出来る十手だが、距離をとってチマチマやられると手こずっちまうのが難点だな。それに、辻斬り浪人はかなり腕が立つ。もしもおいらが十手で相手をしていたら、数手でおいらが負けていた。シンさんが居てくれてホントに助かったぜぃ。


 おいらは顎を跳ね上げて朦朧としている修行僧の腹に棍を打ち込み、魔具の魔法を発動させて気絶させた。

 残りはおいらが魔具を奪った修行僧一人。その一人が、先に気絶したヤツの持っていた棍を拾い、構えていた。そしてじりじりと辻斬り浪人の方に寄る。

 「やれ!」

 辻斬り浪人が修行僧に一言を投げつける。すると修行僧は凄く嫌そうな顔をしながらも懐から千枚通しの様なモノを取り出した。何かを企ててやがるな、と、おいらが向かうのを辻斬り浪人が牽制してくる。その間に千枚通しを持った修行僧が、気絶している修行僧の腹に千枚通しを突き刺しやがった。そして、もう一人の気絶している修行僧の腹にも同じように突き刺す。ただそれだけなのに、突き刺した修行僧はフラフラになってやがる。アレも魔具で、かなりの魔力を使うモノってわけだな。

 と、気絶していた二人の修行僧の様子がおかしい。千枚通しを突き刺された腹がぽっこりと膨らんでやがる。

 それが。……え?

 なんと、身体全体まで膨らんで来やがった。

 おいらがそれに狼狽えて下がると、千枚通しを持った修行僧の所に辻斬り浪人が駆け寄り、千枚通しを奪うとその修行僧の肩に突き刺した。驚いた顔と、絶望した顔が混じったような顔を見せていたが、この修行僧も膨らんで行きやがった。

 シンさんも驚きつつ、おいらの方に下がってきた。


 丸い肉の塊になりつつある修行僧三人の向こうに辻斬り浪人が回り混み、そして、辻斬り浪人は逃げ出して行った。


 やられた。


 あの辻斬り浪人が、おいらが夜鳴き蕎麦のタケから聞いた話の犯人か、その関係者であるのは確実になったわけだが、その被害者を残されて逃亡された結果になった。おいらはこの事件を闇から闇に葬るのが仕事なんだが、その犯人兼被害者の修行僧をこのまま放置する事も出来ない状況だ。だから後を追うことも出来ない。


 おいらは残された肉団子を見ながら途方に暮れちまった。


 「セイ殿」

 シンさんがおいらに声をかけてくる。

 「この者たちをこのままにするわけにも行きますまい」

 「ああ、出来れば闇に葬りてぇ所なんだが、早くしないと人目に晒しちまうからなぁ…」

 「訳ありのようですが、ここは一つ、拙者に試させては貰えませんか?」

 「試す?」


 おいらの疑問を余所に、シンさんは十手をおいらにつっ返して肉団子の方へと進んだ。そして、跪いて両手を合わせて精神集中を始める。あの肉団子を相手に治癒魔法を使う心算か。


 シンさんが両手を淡く光らせながら肉団子にかざすと、肉団子が徐々に小さくなって行った。

 「や、やるじゃねぇか」

 そして、あと少しで元通りか、ってぇ所でシンさんがかぶりを振った。

 「遅かった」

 なんでも、治癒魔法は生きている状態でないと意味が無いらしく、肉団子になった修行僧は治癒の途中で息絶えた、と言う事だった。シンさんは更に二人目の治癒に向かい、この二人目も途中で息絶えた。そして三人目は、ギリギリだったが、なんとか生きて治癒を終えた。

 「救えたのは一人だけだったか」

 シンさんは残念がっているが、おいらからしたら大健闘だ。


 死んだ修行僧二人はカンダ川に放り込み、生き残った一人を肩に担いで走り出す。確か、この辺りに空き家を装ったおいらたちの隠れ家の一つがあったはず。戸の四隅に赤い紙の破片が破れ残っている、ってのが目印だ。一応中を伺い、誰も住んでいる様子が無いのを確認して滑り込む。


 「ここなら二、三日は身を隠せる」

 そう言って、何も無い土間のかまどの奥を調べる。そこにはカ六号とうっすらと記されている。この番号が、ここの場所を示す符丁ってわけだ。

 「すまねぇなぁシンさん。巻き込んじまって」

 「巻き込まれたのはセイ殿も同じであろう?」

 「まぁ、そうだけどよぉ。おいらは、こういうおエドの大事を、裏からもみ消すのが仕事でなぁ」

 「なんとなく、そうではないかと感じておった。拙者にもその心根は感じておるよ」

 「すまねぇ。まぁ、他言無用を貫いて貰えれば、別にシンさんに無理させるような事は無ぇから安心して欲しい」

 「それは良かった。拙者、少し怖かったであるよ」

 その言葉で、何故か笑いが出た。おいらの不甲斐なさで良い人を巻き込んじまったなぁ。

 「ついでと言っては申し訳無ぇが、しばらくここで、その坊主を見張っててくれねぇかい? 応援を呼んで来ねぇとならねぇんだ」

 「判ったが、どのくらいかかる?」

 「早ければ一つも掛からねぇ筈なんだが、すまねぇ、おいらが戻るまで見張ってて欲しい」

 「まぁ仕方ないな。承知した。拙者も乗りかかった船だ。拙者が用済みになるまでは付き合おう」

 「ホントにすまねぇ。あと、ここは空き家って事になってるから知れねぇ様に頼む」


 そしておいらは走った。おいらの上司の所へ。裏木戸から入るが、今はおいらの上司が不在らしい。なので手練場になっている広間に通されると、おいらの同僚が三人ほどいた。そこで、事の成り行きを話し、生き残った一人の尋問と、カンダ川へ落とした修行僧二人の仏をきっちり処理して貰うように要請する。そこで尋問用に二人が。一人が仏の処理と連絡用になると言うことで直ぐに帰ることが出来た。


 「早かったであるな」

 「実はなぁ。この件。シンさんが最重要人物って事になってる」

 「せ、拙者がか?」

 「ああ、肉団子になっちまった坊主を治癒出来ただろう? だから奴らの無情の対抗処置に使えるってわけだ」

 「な、なるほどぉ。だが、そのぐらい、他の治癒士でも可能なのでは?」

 「おいらが知る限り、シンさんがこのおエドで一番の治癒士だぜ」

 「………」


 そして二人の同僚による尋問が始まるが、あまり人に見せるモンじゃ無ぇって事でシンさんはおいらと一緒に空き家を出る事になった。


 「セイ殿はこれからどうするのだ?」

 「シンさんはどうでぃ?」

 「拙者は先にも言った通り、着物を用立てるぐらいしか考えていなかったが」

 「そうか。着物は、まぁ、おいらの仕事の上役様に願えば何とかなるだろうなぁ。たぶんなんだが、おいらたちが用立てても、変えさせられちまうってのがありそうでなぁ」

 「それ程であるか?」

 「ああ、おいらの役割は、シンさんを無事にその上役の下にお届けする、ってのもあるんだ」

 「なにやら大事であるな」

 「まぁ、それ以上は現場でな」

 「判った。この身、セイ殿にお預け致す」

 「はは、そう畏まった………、って程でもあるかもなぁ。悪りぃ、今は詳しくは言えねぇ」


 おいらとしてはシンさんには宿に戻って大人しくしていて欲しいんだが、無理に閉じ込めるのも心に悪い、って事で、どうしようか迷ってる。魔法士ってのは心のありようが力のありようとまで言われてるからなぁ。


 「じゃあ、おいらは御用聞きのデンスケってのに頼み事をしてっから、それの結果を聞きに行くのに付き合ってくれっか?」

 「御用聞き?」

 「ああ、岡っ引きの事なんだが、他では目明かしとか手先とか言われているヤツよ」

 「それなら聞いた事がある。拙者が知っているのは目明かしに刀を与えたモノだったが」

 「エドじゃぁ、十手でさえ、事が起きねぇと持てねぇんだけどな」


 つらつらと歩きながら話していく。おエドの生まれじゃないと、この辺りの話は食い違っちまうからなぁ。


 で、デンスケの住む長屋に到着した。長屋の門を見ると、赤い折り鶴が引っかかってやがる。まぁ、当たり、ってのはおいらたちも身に染みて判ってはいるんだけどなぁ。


 一応デンスケに詳しい話が聞ければと長屋を覗く、と、デンスケの部屋が黒い水をまき散らした様な惨状だった。

 「む、これは、刃傷沙汰であるか?」

 ちきしょう。おいらは何を呆けてやがったのか。しっかりと血の匂いがしてやがるじゃないか。

 「やられた!」

 おいらは部屋を飛び出し、長屋を眺める。すると、長屋の他の住民が顔を出した。

 「デンスケは?」

 おいらの問いかけに、何人かが河原の方向を指さす。

 「ちきしょうめぃ!」

 おいらは走った。実際、アテがあったわけじゃ無ぇけど、アマト川の方にデンスケが居ると信じた。そして河原を彷徨い、その先にデンスケを見つけた。


 「デンスケ!」

 おいらの呼び声にデンスケは反応しない。手遅れか? デンスケの顔は死人のように真っ青だ。でも微かに息がある。でもよぉ、今にも止まりそうだ。

 「ここは拙者が」

 「え?」

 気がつけばシンさんが居た。デンスケの長屋からおいらは頭に血が上っちまって気がつかなかったが、シンさんがおいらの側にずっといたらしい。そしてデンスケの横で精神集中して淡い光をデンスケにかざす。

 頼む。間に合ってくれ。

 元はと言えばおいらが持ち込んだ案件だ。それがおいらじゃ無く、デンスケに掛かる何ざ許せねぇ。


 「命の綱は繋ぎ申した」

 シンさんが言ってくれた。ありがてぇ。

 「だが、血を多く失っておる。ゆっくりと快方に向かうようにしないといきなり命の綱が切れてしまう事もある」

 「わかった、が、どうすればいい?」

 「拙者の少ない経験では、水を欲しがるが、水を与えると何故か綱が切れてしまう」

 「そ、そいつは難しいんだなぁ」

 「粥や瓜などの水気の多いモノを与えて、落ち着くまでは水を直接は飲まさないぐらいしか知らぬ」

 「判った。とりあえずそれでやってみる。ああ、シンさん、有り難うよぉ」


 そしてまた、おいらは人一人を担いで走る事になった。デンスケの長屋に戻すわけにも行かねぇから、カンダの空き家に向かう事にした。シンさんには後を付けてくる者が居ないか診て貰いながら移動した。


 ドタドタと空き家に入ったら、尋問をしていた同僚たちが浮き足立っちまったい。

 「すまねぇ。おいらが調べを頼んだ御用聞きが斬られちまった。なんとか命は繋いだが、ここで落ち着かせてくれ」


 肩から力が抜けた同僚に手伝って貰って、なんとかデンスケをゴザの上に寝かせた。横目に見ると、土間の方で呻いている肉の塊があるが、今はどうでもいいや。


 それからすったもんだとやり合って、気がつけば日が傾きかけてやがるぜ。


 「お、俺は生きているのか?」

 それがデンスケの第一声だった。

 「てやんでぃ。ここが地獄の底に見えるのかってんだ」

 「ああ、セイの字がいるんなら地獄だなぁ」

 「言ってやがれ、このすっとこどっこいが」

 ちきしょうめ。なんでか、目の前が揺らぎやがる。


 飯屋に行って、同僚やシンさんの分も含めて夕飯を買ってくる。デンスケの分は粥だ。一応揚げたての天麩羅も買って、精を付けて貰おうと思ってる。


 そしてデンスケの話では、デンスケの雇い主である同心がデンスケを斬ったようだ。つまりはその同心が取り込まれていると言うわけだ。そいつの方はおいらの同僚が裏から消す事になった。そして、元肉団子の修行僧の尋問から、敵がイマドの廃寺を目くらましに使っているのが判った。



 「皆様方、ようござんすね」

 おいらの声が空き家に響いた。


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 「うぬ。早くせぬか。上様の病が治るか、それとも、酷くなるか。そのどちらになっても我らの破滅なのだぞ」

 「判っている。だが、治癒の術は人が使ってこそ上手くゆくのだが、魔具に落とし込むとなにゆえにか不具合を起こす事の原因が判らぬのだ」

 「まったく、アキムラの派閥の出しゃばりでこのようになってからに。あの者らは始末したのであろうな?」

 「間違いなく」

 「ならば、後は我らが上様の病を治せば、我らこそが御殿薬師の位を得るのだ」


 「なるほどなぁ。それがお前さんたちの望みだったというわけかい」

 「な、何者だ!」


 「天下太平おエドの町で、太平乱す悪逆非道。世の乱れには恨みが纏う。恨みを絶てとのお上の願い。裏の仕事で全てを消し去る。引導渡すぜ受け取りな」


 「ぐわっ!」

 おいらの口上が終わると共においらの同僚たちがなだれ込む。今回、シンさんも一緒だ。そしてシンさんには黒太刀を渡している。その黒太刀は、普通に抜くとただの竹光なんだが、魔力を込めると魔力の種類で様々な魔法の刃を竹光自身に纏うという不思議な刀だ。しかも、シンさんは治癒の魔法だけじゃ無く、火の魔法や水の魔法にまで精通してやがった。つまり、望めばとんでもねぇ熱を持つ刃を刀として振る事も出来るし、水の刃で弾き飛ばす事も出来るというトンでも刀ってわけだ。普通は使いこなせねぇが、シンさんだけが使いこなせる。刀自身がシンさんを選んだって感じだな。


 おいらの同僚も次々に地下に降りてくる。狭ぇんだがそれをモノともしない動きで叩き切っている。


 おいらの前には刺繍の入った頭巾を被ったお武家らしき男とかなりの力を持っていそうな修行僧が一人。こいつは一人ではちょいと厳しいか、と思ってシンさんを見ると、あの辻斬り浪人と切り結んでやがった。

 おいらは両手にはめた小手を握り込みしっかりと手に馴染ませ、魔力を注ぎ込む。


 同時に修行僧が掴みかかってくる。その手を取って力比べだ。おいらの小手はおいらの力を増やしてくれるんで、当然鍛えてきたであろう修行僧の手も握りつぶせる。こいつらは闇から闇に葬らねぇとなら無ぇから、手加減せずに握り込んで、文字通りに握りつぶした。修行僧がウシガエルが潰されたような声を上げて蹲ってる。そいつの頭を掴んで強引に立たせ、お武家の方に放り投げる。

 このお武家も闇に葬る。

 おいらたちは上様直属の親衛隊の裏組。このお武家がどんな偉い役職だろうと関係無ぇ。闇から闇に葬るから、問題自体起こらねぇってわけだ。

 お武家が慣れ無ぇ脇差しを抜くが、素人同然のへっぴり腰。脇差しの刃そのものを小手で握ってへし折る。

 お武家は腰を抜かしてへたり込むが、それでも逃げようと後ずさる。周りを見ると、既に騒動は収まり、刀を収めたシンさんもこちらを伺っていた。そこへおいらの同僚の一人が三つ折りされた一枚の紙を差し出してきた。それを開いて読む。


 「高家旗本ニイヤマサンザエモン」

 おいらがそう言うとお武家が驚いた顔をさらす。更においらは小手に魔力を通すと、小手に握られた紙が燃えて無くなった。

 「そう言った者は、この世に存在しなかった」

 おいらの言った意味が判ったのだろう。お武家の顔が絶望に染まる。

 「閻魔様がお待ちだぜ」

 おいらは右手にお武家の首、左手に修行僧の首を握り、二人を強引に立たせ、そして小手に入れた力を増す。

 ゴギュ。

 おいらの手の中で二つの命が消えていった。


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 後日。

 「御殿医だぜ? どうして断っちまったんだい?」

 「あそこまで上の方とは思わなかったであるよ。拙者にはとても敷居が高すぎるのでなぁ。もちろん呼ばれればいつでも伺うのは吝かでは無いのだが、常にあそこでは、ちと息が詰まりそうでなぁ」

 「息が詰まるってのは同感だがよぉ」


 シンさんは上様の元へと登城し、見事に瘤を治しちまった。シンさんによれば命を削る肉の塊らしく、放っておけば全身に回って苦しみながら死んでいく運命だったそうだ。シンさんでも一度では治しきれないと言う事で、毎日の施術を十日間繰り返してようやく終わりを告げた。

 まぁ、初めの一回で上様の痛みも苦しみも無くなったんで、上様にしてみればあまり意味の無い九日間だったらしいが、痛みと苦しみが再び起こると言われたら大人しく施術を受けていたそうだ。

 そして御殿医に採用、となった所でシンさんは断りを入れちまった。

 さらにおいらの上司に雇い入れを頼む始末。おいらの上司は、上様の親衛隊。表向きの仕事は上様が外に出る時の身辺を守る事だ。だから上様の大事に駆けつける事が出来る状況は御殿医よりも勝手が良い、ってんで採用されちまった。追加で、おいらの方の仕事も手伝わせる、ってなって、普段はこうやってエドの町をプラプラしてるってわけよ。


 「それにしても八百石だってなぁ。そこらの与力なんざ太刀打ち出来無ぇな」

 「報償もあったが、それでもいろいろ取り揃えるのでほとんど無くなってしまったがな。暫くは御方の屋敷に間借りという事になり申す」

 「まぁ、おいらの仕事は、事が事だけに、そうしょっちゅうあるわけじゃ無ぇからなぁ。せいぜい、表の仕事で手柄立てるしか無ぇなぁ」


 シンさんの腰には魔具の黒太刀がぶら下がってる。この黒太刀は使う者を選ぶらしく、シンさんが魔力を通さない限りは単なる竹光に過ぎない。シンさんの御身はかなり大事な扱いになってるからか、おいらの上司も黙ってれば判らないだろう、っと言うのを遠回りで諭しやがった。同時においらの小手も巾着袋込みで持っていてもいいとなった。便利は便利なんだが、少し懐が重くなった気がしやがるぜ。ちなみに十手の方は許可を取らないと奉行所から持ち出せない。

 今は修行僧たちが持っていた棍の手直しを頼んでいる所だから、普段使いとしては十手よりも棍の方を使う事になるかも知れねぇな。


 「よお、セイの字。今日もブラブラしてやがるな」

 「なんでいデンスケ。病み上がりなんだからしっかり寝てやがれ」

 「与力様が変わっちまったんだ。グズグズしてっと小遣い減らされちまうよ」


 今日もおエドは良い天気だぜぃ。




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