食い違い
亮也とは、例の25分コースをよく歩いた。
洗い立ての私の髪をさらっと撫で、「まだ冷たいね」と無邪気な笑顔を投げかける様は、パレスチナ問題や憲法改正について理論立てて語るときの姿からはかけ離れていると言ってよく、私はいつも意表を突かれる。公園前の掲示板に貼られているゲートボール大会の案内が、街灯の光を浴びて不気味な存在感を醸し出していた。
「静寂って、尊いものね」
公園の古びたベンチに腰かけ、はるか上空に浮かぶ球形を見つめながら、誰にともなく呟く。
「そうだねえ」
亮也も、独り言のように呟いた。
「こうして私たちを癒している今、静寂はどんな気持ちでいるのかしら」
視線はそのままに、でも今度ははっきりと亮也に向けて言った。
「気持ち…?」
意表を突かれたかのごとき口調だった。
亮也が次の言葉を発するまでに生じた7秒ほどの沈黙の中、私は亮也をもう以前のように愛せないことを悟った。
「ごめん。わからない」
亮也が持論を述べられず「わからない」と言うのを、私はその時初めて聞いた。
「静寂を擬人化するとは、なかなか斬新だね」
そう言って笑う亮也に、やっとの思いで微笑を返した。本当はそんな冗談、少しも面白くないのに。どうしてこういう時に限って、曖昧にはぐらかすのだろう。
亮也が誠実ですばらしい男であることは、それでも少しも変わらない。だからこそ、正直にわからないと言ってくれたのだろう。私の思想や質問は、言わば独りよがりな他人には理解しがたいものであるのだから。
そう考えると、亮也の対応は冷静だったのかもしれない。私は、でも私が考える静寂に対して、もっと深く切り込んで欲しかったと思う。たとえ分からずとも、理解しようとして欲しかった。亮也がなぜそうしてくれなかったのかわからなかった。
しかし、自身が考える静寂とは異なり、私はそんな亮也の冷静さを受容できなかった。
その日の夜気は痛いくらいに冷たく、生乾きの髪をつんざくようにすり抜ける感触は、いまでも身体に染み付いている。