7 広がる波紋
スランブリング山脈の最西部は巨大火山の連峰が聳える雄大な土地であり、標高3000を超える山々がいくつも存在している。
特に巨大なのが5000メートル超える【スランバース山】で成層火山として美しい姿と険しい環境を作り出している。
その高地において国を立ち上げた大馬鹿たちが居た。
定かかどうか不明なものの、ヴェルステリアが何らかの技術によって土木工事用に生み出したと言われている亜人種:タワイト人たちが勃興させた【ジアザシア王国】である。
彼らは暑さに強く狭いところにも潜っていけるように体格は小ぶり、されど筋力は強い。
もともとは生きていくためにスランブリング山脈の地下に【湧いて来る】といわれる鉱石資源を目当てにタワイト人が集まったのが始まりだとされている。
今はその上質な資源を使って生み出された金属加工品を、もしくは鉱石そのものを輸出して金を稼ぐ技術国だ。
とはいえ、鉱石目当てで掘った坑道にアバーストが湧き出るなどの被害が発生しており、絶えずメーセナティーの方にも依頼が舞い込む、要はお得意先だ。
良質な金属で製造された武器を目当てにメーセナーや行商、仕入れ業者が来ることも多く険しい山肌をならし、棚田のような都市は活気に溢れている。
アバーストの一大現出地点ということもあり、ジアザシア支部のオフィスは本部と遜色ない規模である。
そのオフィスの一角、多数ある応接室のうちの一室。
ジアザシア支部長を務める男、レンネルが渋い顔で目の前の男と向き合っていた。
男の名前はハンス、レンネルの若い頃からの戦友であり、初めてアイサンスと遭遇したこの世界の人間だ。
「一応、報告書は出したんだが・・・何か不備でもあったのか?」
淡々とハンスは語るが20年近い付き合いがある以上、彼はレンネルに呼ばれた理由は察しているはずだ。
「いや、特に不備はなかったが珍しい項目がああも多いとな」
頭を掻きながらレンネルはそう切り出した。
確かに、今回の定期フィールドワークは明かに異質な雰囲気があったとハンスは感じている。
前例はない、そして【何か大きな事】が動いた。そんな予感がするのだ。
「まずは新種のアバーストに関してだが・・・」
「報告書の通りだよ」
レンネルとしては何か引っかかるのだろう。
だがハンスは報告書で書いたとおりが率直な感想であった。
「10歳程度の子供の大きさ・・・俺の胸元ぐらいの大きさだな」
これは斥候を務めた女性・・・ティラサと情報をすり合わせて精査した情報だ。
流石に細かい形状に関しては彼女の力を以ってしても厳しかった。
二足歩行・・・イス・フィエンスと同じようだが少しずんぐりしているとも語っていた。
「能力開放時の【界力風】の強さが非常に強かったとあるが」
界力風、生力に押し退けられた界力が風のように押し寄せてくることからそう名付けられた現象だ。
気迫といったものの正体だと言われ、どういうわけか精神を揺さぶり、鍛えが緩ければ錯乱状態に陥る。
このためメーセナーたちは多少の界力風に耐えるための鍛錬を行っている。
「被害は幸いなかったがな」
「いや、お前に任せた新人二人はそんじょそこらの連中よりも界力風の耐性が高いはずなんだが?」
一人ははぐれとはいえ霊術士、もう一人も生力のアウトプットが独特なだけで一般人より素質は高い。
そんな二人が【体躯の大きさが強さに直結している】と言われるアバーストとしては非常に小柄な存在に制圧されたのだ。
平均的な新人だと恐らく発狂するレベルであるとレンネルは見立てている。
そんな怪物がスランブリング大洞窟に現れたとなると予兆が分かるスランブムルより圧倒的に脅威であり場合によっては討伐隊を結成しなければならないだろう。
「死んで居なければ被害は無いということさ」
飄々と言ってのけたが仕掛けられていたら間違いなくハンスは今、この場に居なかったであろう。
レンネルが引っかかっている点は【そこ】にもある。
「しかし可笑しいと思わないか?」
「・・・何がだ?」
「新種の見せた反応さ」
レンネルの記憶が正しければアバーストはたとえどんなに小柄であろうと生物に対して並々ならぬ【敵意】を持っている。
つい数年前まで自分はそれと相対していたから余計に不思議と感じざるを得ない。
問答無用で襲い掛かってくるはずのアバーストがイス・フィエンス相手に逃げた。
種にもよるがアバーストは決して逃げないで戦い続ける。まるでそれが抗えない宿命であるかのように、だ。
「ああ分かってるさ。俺もずっとそれが気になっててな」
ハンスもどうやらそのことについて思うところがあるようだ。
「恐らくだが、俺たちは先に見つかっていたと思う」
ハンスは顎に手を当てながらそう語った。
正確にはアイサンスが視界に捉えたのとハンスら一行がアイサンスを捕捉したのはほぼ同時であったが。
「だが行動を起こすまでにかなり時間を使っていたのが気になってな」
普通のアバーストなら敵を察知した瞬間、戦意を跳ね上げて切り込んで来るものであり、射程圏まで【待つ】という考え方を彼らは基本的には取らない。
亜人の括りに入れられているアバーストの一種【グリク】は【待ち】を使うがやはり血気盛んな連中が向こう見ずに切り込んでくることが多い。
「・・・・こちらをどうするか迷っている様にも見えたな」
「迷った?」
レンネルがハンスの出した推論を復唱する。
「迷う、か。アバーストらしくないな」
「あぁ・・・アレはアバーストと断定するのは危険だ」
少し間をおいてハンスは報告書には書かなかったひとつの可能性を伝える。
「【四竜】や【回遊竜】に近い存在だと思うよ。俺は」
この世界で遥か太古より空に住まうという【回遊竜】。そして彼方の天空より降り立った【四竜】。
それら大いなる存在と並ぶ者が新たに現れたとなると世界が大きく動く、とレンネルは確信する。
「嵐が来そうだな」
「悪いな。断定が出来ないから伝えるかは最後まで迷ったんだがお前と話して整理がついた」
厳しい表情をしながらハンスはそう言った。
無用な混乱を生みたくないという思慮からであろう。
確かにこれから忙しくなりそうだ、とレンネルは重く溜息を吐いた。
アイサンスが洞窟を脱してから三日が経過した昼のことであった。
―――――――
時間の針を少し戻そう。
ところ変わり、アイサンスの方はというと美しい光景にうっとりするのも切り上げて森へ向けて出発した。
途中で喉が渇き始めたことに気付いたが、飲料水を【グラビング・フェノメノン】で出力させることによって解決はした。
ただ、あまり乱発できない量の生力を磨耗するので多用は避けなければならない。
そしてもうひとつの問題である【空腹】に関しては【能力】だけで自己完結することが出来ないでいる。
という訳で何か食べれるものがあるだろうと森に向かっていたのだが。
「・・・・いざ見るとすっげぇこええな」
真っ暗な洞窟とは趣が変わった中途半端な暗さと草木による視界不良、鳥や虫と思わしきさえずりなどの環境音が敵対者の音を掻き消す。
ぶっちゃけ飢え死にしかない洞窟から狩られる危険性がある樹海に変わっただけで死に至るリスクはむしろ増えているような気がしてならないアイサンスである。
『ふむ、小さい者たちからの視点からだとこの緑の下はこのように映っていたのか・・・』
アイサンスの中に潜り込んだ住民、スランブリングは先ほどから目に付くものに関心の声を上げてばかりで知見を期待するのは無理だ。
前世は典型的インドア派なアイサンスにとって森の生活は完全に未知への回帰であり、不安要素の塊でしかない。
「でも餓死はしたくねぇな・・・」
『まあお主ならそう問題にはならぬとは思うがなぁ』
スランブリングは終始、楽観的に語るが物差しがスランブムルだけである以上、アイサンスは不用意な遭遇を避ける思考にどうしても傾いてしまっている。
しかし空腹は待ってくれず、僅かながらその主張を始めた。
代謝を起こすだけで体はカロリーを消費するのだ。いずれ補給は必要になる。
「いくかぁ・・・」
不安だらけであるが何とか踏ん切りをつけてアイサンスは鬱蒼とした森の中へ突き進んでいった。
―――
さて、森というと豊かな生態系が思い浮かべ食糧が結構あると思われがちだがそう中々問屋は卸してくれないのが実情だ。
茸や種子植物の種は基本、毒があって考えなければたちどころに食中毒を患って命を落とすであろう。
そこらの木に実っていた種を噛んだ瞬間にひどく渋い味が広がり、吐き捨てざるを得ないアイサンスのように馬鹿を見る羽目となる。
「くそぉ・・・意外に食い物がないな・・・」
種子に関しては時期も悪いのだろうとアイサンスはぼんやりと考えるが、答えを得るには情報が少なすぎた。
森の中に居るのか、はたまた標高が高いからは判然としないが少し肌寒い気温であり、緑で彩られてることから夏か春かを考えている。
しかし【四季】が存在するのかも分からないので一旦この考察は保留するしかない。
「生き物を狩るのが一番確実なのか・・・」
しかし、森とはいえそう巡りあう訳ではない。
草食動物のフンや獣道を見つける、という知識はあるが【方法】は分からない。
精々、生活の痕跡を見つけることに意識を振る選択肢を手に入れる程度だ。
下に注意しつつ危険生物の兆候も考えて彷徨うこと数時間、もちろん釣果はなし。
「参ったな・・・」
小腹の主張は徐々に大きくなってくる一方だ。
そして日没のことを考えて寝床の確保も重要である。
最悪、ご飯は我慢することも考慮しなければならない。
人間の場合であるが水は一週間だが飯は一ヶ月は持つといわれている。一日ぐらいは我慢できるだろう
巨大なミミズみたいな怪物を平らげたのに空腹感が襲ってくるのが些か早いようにアイサンスは感じる。つくづく不思議な身体だ。
不思議というと、アイサンスの前世とは違う点がこの世界ではいくつもある。
まずは【時間】だ。正確に言うと【日照時間】と言うべきか。
体内時計が全くあてにならない身体とはいえ、既に数時間が経過したと考えるべきなのにお天道様は地表にはあまり近づいていない。
明かに地球と日照時間が違う。全体的にゆったりとしているがそれはそれで恒星の放射線を浴びる量が増えるので地球と比べると大変であろう。
まあ、変なトカゲに変わってしまったアイサンスには関係のない話だが。
『ふむ・・・生力の出力が少し不安定になっているな』
意識の隅でいろいろとぼやいていたスランブリングが唐突に話題を振ってきた。
どうにも空腹感が襲ってくる疑問に対する回答のようである。
「不安定ですか?」
『少し無理が祟ったようだな。小さな淀みがあちこちにできておる』
小さな淀みというのはいまいちアイサンスには判然としないが病気や疲れといったバットコンディションのことであろうと考える。
スランブムルと戦った時ほど能力は使っていない筈だが知らず知らず身体に負担が掛かっていたようだ。
身体的不調だが自覚症状が紛らわしいことにアイサンスは若干の恐怖を覚える。
「というか、どうして俺の不調とかが分かるんです?」
適切なアドバイスをするスランブリングに疑問をぶつけてみる。
正直なところ、そこまで察しのいい奴とは思えないからだ。
『いま、非常に失礼なことを考えていそうだな。まあ簡単に言うとお主の身体を・・・言語記憶から拝借するに【モニタリング】している、と言うべきか』
「げ、四六時中見張られているのか」
『やることが無いからな。それにお主と俺は今や運命共同、体調不良で病死など認めんわい』
少し注意しようと考えるアイサンスにスランブリングはどこか誇らしげに語っている。
しかし病死は認めない、というのはいいのか悪いのか判断が付かない。こういう時はポジティブに捉えるのがいい、と言い聞かす。
人の好意にどこかネガティブなことをねじ込んでしまうのが悪いところだ、とアイサンスは内心で溜息をつく。
「自家発電もできないのかぁ・・・」
『何を言っているんだお前は』
この身体になって一切ムラッけを感じないのに飛ばし記事をしたら突っ込まれるアイサンス。
どうやら滑ってしまったようだ。ガサツな性格をしているのに意外と下品なネタは好ましく思っていないのか。
「なんでもないですよーだ」
『うーん?まあ、飯よりも身体を休めるのが今は重要かもしれぬなぁ・・・』
スランブリングの助言も相まってアイサンスは寝床を探すことにした。
日没までどのくらい掛かるかは分からないが早めに見つけるに越したことは無い。
このとき、アイサンスはひとつ失念をしていた。
自分だけが腹を満たすべく行動しているわけではない、という最初に考えた懸念をだ。
すみません。だいぶ遅れました。