6 生まれ地を背に
天幕に覆われた荷馬車が3台、鬱蒼と茂る森林の中を移動している。
荷物の正体、それは人である。
これは人の運搬をする商隊ということだ。
だが、貨客という割にはそのルートは余りにも危険だ。
彼らが今いる地点は災火竜の影響を受けて生まれたという凶暴な飛竜【スランブレラ】が直ぐ近くで生息している。
そのため、武装を施した8人の護衛が付いているが、スランブレラの戦闘能力を考えると足らないにも程がある。
スランブレラは空を飛び、人を一瞬で判別不可能にするほどの火炎を吐き出す。
身体の表皮は鉄よりも硬い鱗で覆われており生半可な霊術など弾き返してしまう。
単騎で軍の一個中隊を食らい尽くしたと言われるほどに食欲も旺盛、まさに悪夢の権化である。
そんな怪物に見つからない様に選んだ道は半ば獣道に近い有様で荷馬車が通れるだけ奇跡といえよう。
つまるところ整備は届かず仕舞いで道は荒れ放題、通りかかる人も居ない。
逆にいうと人目を気にする目的の場合は都合が良い。
では人目につくとまずい人の運搬とは?
そう、彼らは奴隷商である。
ジェグローリス大陸の各国は奴隷解放の道に歩み始めており、公での奴隷は犯罪者による労働刑という形で残っている。
しかし、身売り等のものは既に禁止されてはいるものの地下化という形で今なおこびり付いているのだ。
その奴隷商隊の荷馬車の一つ、まさに商売品である奴隷たちを載せた荷馬車の中で商品の一つとなった少女、フィアナ・ウィトロイゼは虚ろな表情で天幕の隙間から溢れる陽の光を見ていた。
彼女は最近、勃興して勢力を伸ばすウブリニエル帝国に滅ぼされたエクレア王国の近衛兵士の家で生まれた少女である。
父は訳あって隣に存在した大国【ユーブリニア】よりやってきたイルブ人であった。
まだ多くは語らなかったが、母がイス・フィエンス(この世界における人間の呼び方)なのが理由なのだろう。
父は高い生力保有量と身体能力を持つイルブ人の特徴を活かしエクレア周辺で名を挙げたメーセナーだった。
後にエクレア王族とひょんな事から縁ができ、認められて信頼された。
そんな父は役目を果たすべく最後の戦いに赴き、恐らくは斃れたであろう。
フィアナはその前にエクレアより脱出させられた。
自分も覚悟を決めていたが父母の説得の末、押し切られた形での脱出だった。
逃亡の折、王都の陥落と王族の自害の報を聞き、父母の運命を悟った。
悲しみに暮れながらも逃亡を続けたが、齢が16で心得のない少女は呆気なく捕まった。
彼女には同伴していた父の部下であった若い青年が居たのだが、その彼に裏切られる形であった。
「悪く思うなよ」
金の切れ目が縁の切れ目というもの、青年はそう冷めた顔で取り押さえられたフィアナに言ってのけたのだった。
そして奴隷という形で商人に売却されたのであった。
奴隷となったとき、自身では解呪不能な特殊な首輪を付けられたため逃亡も困難。
首輪は生力も抑制しており彼女が独学で会得していたささやかな霊術の行使も出来ず、抵抗もできない。
この先どうなるのだろうか、と自問しながら漏れる日差しをただただ眺めることしかできなかった。
――――
初めて遭遇する人間に潜在的恐怖を抱いて脱兎の如く走り抜けるアイサンスであったが思ったよりえげつない加速をしてしまい困惑している。
一気に駆けるのならばフィジカル・ブーステットは使えるのでは、と咄嗟に思いついて持久力改善重視にしてみたら思ったより効果が高い。
便利な能力であるが、基礎値から倍々になるといったイメージがあるので多用はしない方がいいかもしれない。
おまけに体力の消耗に加えて生力も消耗する上に無理矢理に身体を増強しているのだから反動の影響が大きい。
スランブムルとの戦いが終わった後、起き上がった直後の筋肉痛はかなりえげつないものであった。
あの気絶も正直なところ極めて危険な状態であったと言えよう。
スランブムルを倒し切れなかったらその時点で食われてお終いなのだから。
なので、適当に数分走った後に能力を解除して状況を確認する。
「振り切った・・・かな?」
アンライン・キャプチャーでは生物の熱源らしき反応は見当たらない。
安心したからかアイサンスの身体に若干の鈍い痛みと倦怠感が襲ってくる。
やはり反動と生力の消耗がまだ厳しいと感じる。
ただ前のように意識が吹き飛んだり、痛みが悶えるほどでもない。
『竜に殴りかかるのというにイス・フィエンス相手には逃げるか。不思議なやつだなぁお主は』
スランブリングが呆れた感じで話しかけてきた。
そしてまた知らない単語が出てきたが恐らく前後の感じからして【人間】のことを指すこの世界の言葉なのかもしれない。
「まあ腹が減っていた訳ではないですからね・・・」
人を見ても上がらなかったのは空腹感もあるがどうにもアイサンスはそれだけではないような感覚を抱いていた。
前世が人間だからって今はトカゲだ。なのに奥底から湧き上がったのは【恐怖感】だ。
スランブリングの言うとおり、たとえ諸兵科連合であったとしてもあそこまでたじろぐ必要はなかったと思う。
「人間ってほら、一度敵対すると滅ぼすまで止まらないぐらい苛烈な思考をしてる訳で」
腹いせで殺すというのは動物でもよくある事だが殲滅するまでには至らない。
殲滅するまで攻撃し続けるのは人間ぐらいなものである。
『ふむ。確かに彼らはそんな習性をしていたな。まあ俺相手だとどうしようもない感じだったがな』
確かに生きる自然災害なスランブリングさんだとそうならざるを得ないだろうとアイサンスは感じた。
台風、地震といった惑星規模の現象に対しては予知して受け流す程度が精々であった。
意思がある分、性質が更に悪いような気がしてならない。
「たとえ力が強くったって恨みは買いますからね。それがどういう形で帰ってくるかはわからない物ですよ?」
なのでなるべく関わらないか恨みを買う以上に善事をやるしかない。
敵を少数派に追い込むのは一番ベターな選択であろう。数は正義なのだ。
『そうだなぁ・・・』
感慨深そうにスランブリングが呟いた。
過去が刺さりまくってて針のむしろだろう。
「なので、戦いになる予感がビンビンしてたのでまあトンズラこいた次第で」
『む?恨みとお主が戦いを避けたことになんの関連が?』
アイサンスは戦いのことになると積極的になり過ぎるスランブリングに苦笑するしかなかった。
「最初のイメージって結構、大切なんですよ」
戦いは【何かを必ず失う】というマイナスの現象である。
これで作物が収穫できる、新生児が生まれるとかそういうプラスになることではない。
なので戦えば何かの恨みが生じるのは必至という訳だ。
初手がこれでは友好どころの問題ではない。
その時点で【敵】と識別されて討伐対象送りであろう。
そしてやってきた討伐者たちを退ければ退けるほど事態は悪化していく負の連鎖が巻き起こる。
これでは遠くない時に討ち首だ。
アイサンスは確かに強い。なにせ単騎で自分より圧倒的に背丈が大きい竜を倒してしまうのだから。
しかし、人間には【集合知】という大きな力がある。
数の力で力押しに来られると余程の力の差が大きくなければ長くはもたない。
元人間であるからこそ、アイサンスは人間の力を【恐ろしい】と考えることが出来る。
「確かに人間は貧弱なんですけど、それを補って余りある【知】と【数】があります。おまけに【持久】というのに長けている」
本気で戦うなら全て虱潰しにする覚悟が必要だ。
相手はこちら単体を潰せばそれで良い、だがこっちはそうではない。
『敵対するメリットが無いと』
「まあそんな感じです。むしろ彼らの繁栄を利用したほうがずっと楽です」
『なるほどな。イヴェリスがイス・フィエンスに近づくわけだ』
アイサンスが分からないところでスランブリングが納得していた。
恐らく激水竜と呼ばれるイヴェリスはかなり頭が切れる奴なのだろう。
「というわけで人間という【勢力そのもの】とは戦争を避ける方向で行きます」
『うーむ。確かに今後を考えればそれが正しいか』
どうやらスランブリングも納得してはくれたようだと、アイサンスは安心した。
まあ変な怪物辺りとは嫌でも殴りあうとは思うのでスランブリングの不満はそこで解消するしかないだろう。
少し休憩して生力を補充したところでアイサンスは再び歩き始める。
これだけ広いと色々な生き物が居そうなものであるが、そのような視線や気配を感じることは無い。
何かから息を潜めるようにしんとしている。
臭いの様な、何か他者を弾く【何か】が放出されてしまっているのだろうか。
アイサンスはそう思い当たるが臭いに関しては身体を洗浄するしか無いし、洗おうにも水場は見当たらない。
面倒なのは生力の圧力的なものが強すぎて【ヤバいのが来ている!】とアピールしてしまっていることだ。
自分の手を見つめるが何も見えない、時間帯として静かになるタイミングがあるのだろうか?
念のためにアイサンスは息を潜める要領で気配を消せないか試してみる。
するとどうだろうか、ゼリー状のものを啜るように自分の身体の中へ何かが戻って行く感覚がした。
これで迷惑な存在にはならなくなっただろうか、とアイサンスは訝しむ。
流石に潜在的に追い払っていた厄介ごとが来る可能性を彼は失念していた。
幸いにして、そう懸念するような出来事は起きなかったが。
―――――
それから更に洞窟を歩いて数時間が経った。
少し動物の声が聞こえたりもしてきたがどこか遠くで響く程度であり遭遇するような展開にはならなかった。
それの他に喜ばしい変化にも出会えた。
風を感じるようになった、つまり出口が近いのである。
歩みが少しづつ早くなり、早歩きとなり。
気がつくと目を劈くように光が飛び込んだ。
まさにそれは出口から差し込む光である。
そこからは一気に駆け足で光に目掛けて走る。
風はドンドン強くなり、ちょっとした強風になった。
向かい風ではあるがアイサンスの勢いは止まらなかった。
どこか、植物を感じさせる香りも鼻をくすぐる。
「うっ!」
出口に近づくとアンラインキャプチャーが真っ白になる。
光線が過剰に飛び込んできているのだ。
思わずアンラインキャプチャーを停止させてフィールドスキャナーの独特のデジタル調の世界になる。
今までと違って周囲にある空間が爆発的に広がった。
上は際限なく広がり、横も読み取れる範囲に壁が無いことを示すように上へ伸びる線が無かった。
つまり。
今度はフィールドスキャナーを解除する。
するとデジタル調の視界が消え去り、一気に視覚が捉えている情報が流れ込む。
フラッシュが目の前で焚かれたかのようにアイサンスは呻き声を上げながら目を瞑る。
その反応はまるで母胎から出て初めて自身で呼吸して泣き叫ぶ赤ん坊に良く似た反応であった。
生まれてからほぼ暗闇の洞窟を彷徨い続けたのだから目が慣れていないのか、と思い当たりと感覚過敏の痺れを覚えながらアイサンスは徐々に瞼を上げていく。
目のほうが直ぐ慣れたのかしっかりと瞼を上げることができた。
「――――」
目の前に映ったのは広大な青々とした樹海。
その先には若干ながらも海に見える蒼が伺える。
ここは辺り一帯を展望できる高所であった。
大洞窟の出口、かつて四竜が激突した【爆心地】に形成された淡水の【海】が作り出す独自の世界の側だ。
「・・・・・ついに出れたのか」
アイサンスはその事実を溢れかえる感情のせいで逆に呆然としながら感じ取った。
『・・・あの戦場も樹木が生い茂る豊かな土地へと変わったなぁ』
もう一人の住人もまた、995年ぶりに見た大地の姿を見て感慨深く呟いていた。
ようやくアイサンスは自身が生まれた洞窟―――この世界の住民が【スランブリング大洞窟】と名付けた場所から外へと飛び出すことが出来た。
彼の旅路は新たな段階を踏むこととなったのである。
まさかのインフルエンザで執筆が遅れてしまいました。
申し訳ございません。




