1 生誕
(冷たい・・・)
ふと気がつくとひんやりとした感覚と倦怠感を感じる。
これは【冷たい】と【疲れた】だ。
同時に【身体】の中央部に独特の温かみがある。
寒い日に起きる恒温動物特有の防衛反応だ。
生存に直結する内臓を守るために体温を中央部に集めるための機能。
ただ、腹のほうにも冷たい感覚が広がっている。
どうやらうつ伏せで倒れているようだ。
【腕】と【脚】の感覚はある。
手を握ったり開いたりで感触を確かめる。
(四肢は・・・動くな)
妙に短いような気もしなくは無いが動くのなら満足。
しかし病院のベッドの上に居るはずなのに【うつ伏せ】という状態なのは解せないない。
普通は仰向けのはずなのだ。
身体を拭くにしても、呼吸をするにしても仰向けのほうが何かと都合がいい。
というか病院だったら普通に白い天井とかが目に見えるはず。
しかし目の前は真っ暗な闇に閉ざされている。
確実に面倒なことに巻き込まれたと思い至って大きく溜息をこぼした。
ドクンッと一瞬、胸が何とも言えない内側から跳ね上がるような感覚が走り、思わず驚いてしまう。
その直後、大きく吐いた息にあわせるかのように壁が波紋のように淡い蒼白い光が滾々と放たれた。
それはドーム状に広がり、視界が生まれる。
岩の中に広がる摩訶不思議、幾何学的な空洞。
そう、言うなればこの形状は洞窟という奴だ。
なるほど、床はガタガタの岩肌で冷たい空気が支配しているのも通り。
冷たい、となると意外とそこまで深い洞窟というわけではなさそうだ。
それなりの地下になればマントルも近くなり100メートル下がるごとに3℃上昇していく。
まあでも日本の延々とエスカレーターで降りる深い地下鉄でも40メートルとかなので100メートルという世界は思ったより深い。
しかし、ここはなんなんだろうか?蒼白く石が光っているのも不思議だ。
状況を把握するため周りをきょろきょろしていると蒼白い光が一瞬ではあるが一際輝く場所があった。
恐らく、鏡のように透明度の高い物質と光を反射する物質が層を成しているのだろう。
これで自分の今の姿が分かる。
ただ今の姿を確認するというのは、怖さというのを感じている。
少し周りを見ただけでも自分が【人間】――この場合はホモ・サピエンスと呼ぶべきか、とは明かに感覚が違うのだ。
手を見つめると【記憶】の中にある人間の手とは異なる特徴がある。
物を掴む機能と精細な作業を成し遂げる指はある、だがそれらは人とは思えない程ごつい。
爪もなんだか猫の爪がごつくなったような、明かに熊とかそんな感じに思えるような爪である。
だが熊という存在ではないだろう、何故なら尻がちょっと重いし毛深くも無い。
若干ながら尻に引きずる感覚があるのでこれは【尾】という物なのだろう。
(本来の鏡より悪いだろうけどなんとなく分かるはず・・・)
淡い光の中なので少し分かりづらいが判別は可能だ。
若干突き出した顎、人と比べれば少し横にある目、鋭めの歯・・・これは。
「・・・・トカゲやん」
そう、若干人の構造も混じってはいるがトカゲだ。
「トカゲやぁあああああああああああん!」
思わず叫んだ。
ホモ・サピエンスのように流暢な言葉を発することができることから喉の構造の時点で大きく異なるものの外見はトカゲである。
「嘘だろお前、何でよりにもよってトカゲなんだよ!」
しかも、なんかちまっこいし妙な丸みがあってカッコいいとかいうよりカワイイ、悪く言うと間抜けさを感じさせる容姿だ。
そら前世の自分だってそこまで秀でる容姿ではなかった。
イケメン男子が集うような芸能事務所に入れるほど良いとは思っては無い。
「だけどさぁ・・・」
もうちょっとカッコいい感じにならないか、と愚痴りたくなる。
思考が若干漏れてしまうのは生前の悪い癖ではあったがそういうのは引継ぎで欲しくはなかった。
独り言で済ませられるこんなじめっとした洞窟で助かったといえば助った。
まあ考えても仕方ないか、と気持ちを切り替えてまずは記憶整理から始める。
恐らく自分はあのトンでも容姿の怪しい奴の牛刀ズドンで死んだのだろう。
心臓に突き刺さった光景は覚えている。
「いや思い出したくないなこれ、早く忘れたほうがいいな」
げんなりとしつつ自称、元片沼駿太のトカゲは洞窟探検を始めることとした。
あそこは一通り見たが何もなく、光る石とひとつだけある出口の穴があるぐらいだ。
しかし蒼白い光というのは少し不安を感じてしまう。
もしこれが【チェレンコフ光】ならば完全にアウトである。
そうじゃないことを祈るしかない。
―――――
踏みしめて歩いているが皮が厚いのか、裸足であってそれほど痛みを感じない。
歩く、手にある蒼白い石が唯一の灯火だ。
歩く、歩く、歩く・・・ひたすらに、ほんの少しの情報も逃さないよう神経を尖らせながら歩く。
かくて2時間ほど真っ暗な一本道の洞窟を歩いたが出口の気配は一向に感じ取ることができなかった。
「何だこれ・・・どんだけ長いんだよこの洞窟」
最初からこうなるのは何となく察しが着いた。
どこに何があるかまったく分からないからしょうがない。
しかし、このままだと何れ空腹とカロリー不足で動けなくなってそのまま餓死である。
「嫌だなぁ・・・」
それだけは阻止したい。
洞窟の奥深くに居る動物なんて居ないので食料確保も無理だ。
何かの拍子で洞窟に流れ落ちてそのままそこに適応するなんて普通では難しい。
ということは一刻も早く外に出ないといけないのだが。
外から吹く風も無いためかなり深いのは分かる。
あるいは、乾いてしまった地下水脈の成れの果てなのだろうか?そうなると出口は絶望的になる。
溜息を吐きながら片沼は座り込む。
意識が芽生えていきなりこれでは何の意味も無いではないか。
「あ~も~どうすりゃいいんだよクソッタレめがぁ~」
先の見えない探検に思わず弱音を垂れ流す。
泣きたくなってくるが泣いていたってしょうもないと無理矢理に奮い立つ。
深く溜息を吐いた後、飛び起きて頬に軽く平手を打ち込む。
「よし、行くか」
思いのほか足は痛くなってない。
この身体は意外と頑丈そうだ。
なら少し無茶をしても大丈夫だろう。
道は一本、ならばそこを歩くしかないのだ。
と更に4時間ほど彷徨ったが、むしろ下のほうへ向かっているように感じた。
だが道なりはこれ一本道で分岐点は無かった。
「なんにしても、進むしかないよねぇ・・・」
どうにも良くない予感を抱えつつ進む。
地下に下っている影響かドンドン洞窟内の温度が上がってきているような気がしてきた。
硫黄のような臭いはしないので火山の中というわけではないとは思うが気力を蝕まれる。
トカゲになったからか多少はマシなのだがやはり堪えるものは堪えてしまう。
戻るべきか、と頭の中を過ぎるが戻ったとしてもあるのは何もないあの空間だけだ。
生存はこの蒸し暑い洞窟を一刻も早く抜ける事が確実である。
まさに死中に活を求む、最悪なことこの上ない。
「溶岩でも流れてるところがあるのかなぁ・・・」
この上なく想像したくないことであるがもしその場合、通路みたいなものが有っても詰みであろう。
その付近でも数百度の高温帯が形成されており、息をするだけで肺が焼かれるのだ。
呼吸困難に陥ってそのまま窒息死コース、進めなくなったらそれで餓死確定。
後は穴でも掘るしかないが・・・地表に上がるために掛かるコストを考えると恐らくは途中で餓死すると思われる。
そもそも道具もなしで硬い岩盤染みた洞窟の表面を見れば手で掘るという選択肢が馬鹿馬鹿しい。
願わくばこの先が通れますように、と祈りながら進む。
そんな切なる願いを嗤うかのように熱気は更に強くなっていった。
進めば進むほど熱は強くなり、滴る汗の粒も不安感と共に大きくなっていく。
さらに一刻が過ぎた頃だろうか、手にしていた石が輝きを失った。
徐々に薄くなっていったため多少はマシだったがそれでも光源を失えば闇に閉ざされる。
「やべぇ・・・詰んだかこれ?」
視覚は非常に重要な情報源である。
しかしそれは可視光線が無ければ意味の無いものだ。
さすがの片沼駿太も前世で真っ暗な洞窟の中を歩くとかいう経験はしていない。
蝙蝠や海洋調査船の地形探知用アクティブソナーみたいに音を鳴らして地形を把握するという芸当はできない。
熱気とかあるから赤外線とか見れたら楽になるかなぁと思ったが当然ながらそんな都合の良いものなんかあるわけない。
効率は落ちるが足元の感触を頼りに進んでいくしかないだろう。
また餓死への道に一歩近づいてしまった。
――――
それからも、速さは目に見えて遅くなったが進み続けた。
暑い。
吐き出す息がかなり熱い。
熱気は更に強くなり、むせ返りそうになる。
ドンドン事態は悪い方向へ転がっていく感覚だ。
「本当にマグマが流れてるところに繋がってそうだ・・・」
意識も半濁しており、暗闇もあって恐怖と焦りが大きくなっていく。
本当に付いていない。
前世以上に現世は付いていないようだ。
生まれて直ぐに死ぬというのは自然界ではありふれた光景である。
変な洞窟の中に放られるように生まれたのなら、この蒸し焼きになって死ぬという状況は当然の帰結なの
かも知れない。
ふざけるのも大概にして欲しいところだ。
それでも歯を食いしばって歩く。
歩かなければ出口に辿り着かない。
だが、心は既に折れかけている。
「ダメだなこりゃ・・・」
ついには上り坂になって負担が大きくなったところで膝を折った。
身体はまだ行けるが心が持たなかったのである。
一向に蒸発しない汗がダラダラと流れ、熱い息を吐き出す。
熱中症に近い症状が現れている。
ごろんと、ごつごつとした地面に大の字で寝転がる。
暗闇しかないこの洞窟で人知れずに死んでいく。
「嫌だ・・・」
死にたくない。
命あるものとして当然の欲求を強く思ったときであった。
薄く、だが鋭い赤い光が目に入った。
「・・・・?」
朦朧とし始める意識の中、すがり付く様にその光が指す方向に向かう。
まるで蛾みたいじゃないか、と自嘲する。
歩くこと数分で光の源に辿り着いた。
「――――」
突然広くなった空間と周りを淡く照らす赤い光。
その空間の中央に座するのは光と共に熱気を吐き出す紅色の半透明の岩の塊。
ルビーとかそういう宝石に該当するような美しさをかもし出している。
だがひとつ残念な事実がわかった。
出口ではないということだ。
宝石になんか構っている余裕はない。
大きく溜息を吐いた後、歩き出そうとした時であった。
『ほう・・・こんな所に客人とは・・・また珍しい』
雄大そうな声が頭の中に響き渡った。