10 災いの残り火
鳥のさえずりと程よく冷たい風が草木を擦らせる音、そして自身が出す音しか聞こえない森の中を8人の護衛用メーセナーたちを連れた馬車が進む。
護衛たちの表情は非常に強張り、緊張が漂っている。
「ホント此処は不気味っすねアニキぃ・・・」
護衛用の馬車で抑えめの声でスキンヘッドの男、が護衛隊のリーダーも務める男に話しかける。
彼も本来は明るい性格なのだが、ここ二週間ほど緊張が続く旅で相当まいっているようだ。
「まあ、並の連中が近づいたらダメだと統括のお達しが来る場所だからな・・・」
平静を装ってるリーダーの男も内心ではこの依頼を請け負ったことに後悔している。
最初は行商隊の護衛だと聞いたが若干、不審な点があった。
目的地はアデリーラ皇国のセストラリア海を臨む都市であるファーウムだ。
しかしルートが明記されていないし、出発地点が旧エクレア王国の交通要所であるカズーム。
そこから北上する、と言うことはスランブリング山脈に沿って東に迂回する極めて危険なルート、通称【あの世への道】を否応もなく通るというものである。
不気味な亜人国家であるユーブリニアを掠めるのはもちろんのこと、界力溜りがあちこちにあってアバーストが大発生しているホットスポットとしても有名。
極め付けは絶対に会いたくないアバーストの第一位に君臨する怪物、スランブレラの生息域がある事だ。
幸い、今のところアバーストに遭遇はするも対処可能なレベルのものが大半であった。
一応、彼らは会うとアンラッキーとされるアバーストであるゲルゲン(ヒグマのような獣)にも戦える戦力を持っているかなり腕の立つメーセナーのパーティーである。
ただ、軍の一個隊を一方的に食い尽くしたとされる逸話を持つスランブレラのような存在には厳しい。
空を自在に飛び、鉄をも溶かす火炎を吐くそれに勝てる道理などなく遭遇して戦うとなるなら高確率で死ぬ。
ある事情から先立つものが必要となり、前払いは最初から高いものだったこの依頼を受けることとした。
結果として半分犯罪をかつがされたのと極めて危険なルートの護衛というとんでもない内容だったが倒したアバーストから剥ぎ取った皮などの素材はほぼ融通され、遠征用の備品調達をする際にも半分ほど負担したりと中々羽振りのいいことをしてくれた。
恐らくウブリニエルからの脱出も兼ねているのだろうがそうここまでメーセナー相手に気遣う依頼主はまあ居ない。
それを差し引いても失敗と判断せざるを得ない。これを機にパーティーを抜ける奴も現れるだろう。
「悪いな。金に目が眩んだばかりに」
自嘲からだろうか、リーダーからそんな言葉が思わず出てきてた。
「滅多なことを言うんじゃねぇよアニキ・・・依頼人に聞こえたらまずいでっせ」
スキンヘッドの男が心配そうに声を掛けてくる。
全員が緊張の連続でまいっている中、これは失敗とリーダーは思い至った。
「そうよ。貴方らしくないわ」
馬車の奥から女性の声がする。
彼女は珍しい霊術師メーセナーの一人だ。
数年前の大規模なアバースト討伐の時からの縁でパーティーに加わっている。
「そうだな…早いとこ終わってほしいものだぜ」
頭を掻きながらリーダーは独り言ちた。
既に危機が迫っているとも知らずに彼らは半ば朽ちた林道を進んでいく。
――――――
日が昇り、アイサンスは起床すると再び樹海の中を探索し始める。
生力の異常消耗をスランブリングが治した結果なのか寝起きはとても清々しいものであった。
とはいえ身体があちこち軋むような痛みは多少あったが。
「なんだかあのでっかいミミズをはっ倒した時みたいだなぁ…」
それよりマシではあるが同じ痛みなのは変わりない。
ちなみに無茶をしたのかスランブリングはまだ眠っている。
何となく察したアイサンスは早く彼が起きれるよう適度に補給をしながら移動する事とした。
その日は時間に余裕があったためか順調に獲物の確保ができた。
今回は鳥をメインターゲットにして狙ってみることとし、投石での狙撃なら行けるクチかと考えたためだ。
昨日のこともあり、力の入れ具合は考えてみたものの結果は思ったより上がらなかった。
投石に辿り着けば一撃必殺であったが威力が高すぎてただの石ころなのに標的を爆砕してしまって困ったほどだ。
そもそも狙撃点に着く前に悟られて逃げられる事が多く、歯がゆい思いをするほうが多い。
幸いに数回の失敗で最適な塩梅を見つける事ができたものの、食事に適する状態なのは一羽ぐらいのものだった。
今回は血抜きも周りを警戒しながら行った。
そもそも血抜き自体、野外で行うのは憚るべきなのだが美味しく頂きたいという欲望が大きく上回ってしまった。
本来なら命を優先して多少臭くとも何もしないで頂くのだが肥えた舌の欲求には逆らえなかった。
「美味いなこの鳥」
野生種なのに、ストレス少なく育てられたブロイラーみたいな肉厚、汁、味。
相変わらず適当に男気焼きしただけなのに何故か美味しい。
「網とかあったら焼肉が出来るんだけどなぁ…」
ふと、タンなどの焼肉を思い出してしまう。
この肉は美味しい。だが美味しくなるために育てられた肉には負けてしまう。
「いかんいかん。贅沢は敵、贅沢は敵だ…!」
帝政ドイツの如く、アイサンスはその煩悩を追い払う。
たとえ上を知っていても今は幸福のグレードは落とすべきである。
野生種でこの味ならもう大満足するべきであろうと納得するしかない。
一羽頂いたところで大体、日が真上の近くに昇っていた。
時間を使いすぎたと感じたアイサンスはフィジカル・ブーステッドを作動させ、距離を稼ぐこととした。
スランブリングの調節がうまく行ったのか、以前より力みを少なく発動させることが出来た。
これなら、長時間のマラソンもできるだろう。
『かあ~。よー寝たわぁ』
一刻ほど樹海を走り回っていると内側から響く独特の声がした。
スランブリングが起きたようである。
「おはよースランブリングさん。昨日はどうも」
『おう、思ったより寝てしもうた・・・お、早速使っておるな。どれどれ』
直ぐにアイサンスが能力を使っていることに気づいたのかスランブリングは確認しだした。
「かなり立ち上がりが楽になりましたよ」
『そのようでなによりだ。こちらでも生力の磨耗が減っているのを確認したぞ』
どうやらアイサンスの消耗はやっとまともなレベルになったようだ。
なにをしたか、というアイサンスの質問にスランブリングは露骨に無視を決め込んでいるのでやはり危険なことをしたのだろうと憶測するしかない。
『まあ、これで存分に俺の使っていた能力を伝えられるな!』
嬉々とした声色の不吉な言葉がスランブリングから聞こえた。
モルデフィソン、とは恐らくアイサンスが【能力】と認識しているもののことだろう。
「え、何ですか? まさかのスパルタ教育スタートですか?」
『スパルタが何を示してるかさっぱりだが、これからお主には奮起してもらわなければな!』
思わず聞き返してしまったが案の定な結果にアイサンスは頭を抱えた。
「それって全部戦闘関連ですよね…?」
『無論だ』
この脳筋ドラゴンめ、とアイサンスは内心悪態を吐く。
私生活に使えそうなものは期待していなかったが能力のバリエーションが増えることはアイサンスにとって悪い話ではない。
手札は多ければ多いほど良い、色々なことに言える基本原則である。
『くくく、何から教えていこうか』
ああでもない、とスランブリングは何やら思案し始める。
どんな地獄の釜が開くか、と戦々恐々しながらアイサンスは樹海の中を突き進んでいった。
――――――
快調なおかげか、アイサンスの進んだ距離はこれまでと比べて格段に増えた。
時折、背の高い樹木によじ登っては自分が出てきたであろう山脈を背にして何とか見える海を見つける作業を挟んでも昨日よりも進んでいた。
「走るのがこんなに気持ち良いなんてなぁ・・・」
走っている最中に仕留めた鳥を捌きながらアイサンスは呟く。
今日は早めに野営の準備をするべく燃料の木材を確保したり加工を心がけた。
この辺りの野生生物は人の狩りを受けていないのかスレておらず警戒が薄い。
不用意に近づけば逃げられるのは変わらないが長距離からの狙撃に無警戒なので力加減が分かった今では獲りたいだけ獲れるだろう。
それはそれでこの猟場がヘタってしまうので匙加減が重要であった。
『これで手入れの重要性は理解できたかな?』
「痛感する次第です・・・」
スランブリングのその言葉はアイサンスに深く沁みた。
とはいえやり方が良く分からないのも事実でまずはそこから教わりたい。
その旨を伝えると知識を披露する趣味人のようにスランブリングはあれこれ教えてくれた。
身体を巡る腺に生力を包み込ませ、できている傷にパテでも埋め込むというイメージでやるとあっさり【手入れ】とやらができた。
『教え甲斐があるか無いか分からん』と贅沢な愚痴をスランブリングが零す。
元々身体が分かっているような挙動だったのでアイサンスとしても不気味に思いつつも利益になっているので取り合えずスルーすることにした。
気持ちを切り替え、焚き火をしようとした時であった。
「・・・・?」
突然、周りの雰囲気が変わった。
正確に言うと鳥のさえずりやその他生き物の合唱がピタリと止まり、しんと静まり返ったのである。
こういうのは何かの凶兆が始まる時である、と古今東西決まっている流れだ。
アイサンスは作業を止め、全神経を尖らせて警戒する。
『・・・・・右か』
唐突にスランブリングが呟き、アイサンスは右の藪の中に目を向ける。
しかし、そこには何もいない。
何もいない―――と声を上げようとした瞬間、空に黒い影が走った。
翼を広げ、何か巨大な存在がアイサンスの真上を通過したのだ。
「なん―――!?」
木陰の合間から一瞬、長い尾と横に伸びる翼のようなものが見えたがはっきりと確認する前にそれは飛び去った。
「なんだありゃ・・・?」
アイサンスは呆然としながらそれが過ぎ去っていった方向を見ながら呟いた。
『・・・俺の漏らした生力を食って肥大化したなんかだろう』
忌々し気にスランブリングが語った。
「げ、スランブリングさんの不始末ってやつですか」
『そういうことになる。全く面倒くさい』
若干、嫌みっぽくアイサンスは突っついてみたが思いのほかスランブリングは真面目に受け止めてしまった。
察するに彼としてもあの存在は厄介なモノらしい。
「・・・・追いかけますか」
串に刺した鳥肉を【グラヴィング・フェノメノン】で焼きながらアイサンスは飛び去った方向に向かって走り出した。
『・・・悪いな。頼むぞ』
どうやらスランブリングは自分の我がままに付き合ってもらったと考えたようで謝ってきた。
スランブリングの懸念を確認するのもそうだが、それとは別にアイサンスは妙な予感が過ったのである。
アレを放置しては色々と不味い、そう漠然とではあるが確かな焦燥感が渦巻いたのだ。