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こよみのうた  作者: sathor
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犯行

それから、雫は会社を休みがちになった。俺は言われるがままに、漫然と仕事をしていた。決まりきったルーチンワークを片付け、必要なんだか怪しい仕事をする。正直なところ、真面目に仕事をする気分にはなれなかった。

 俺は、俺と雫は、この処分場を潰すために動いていた。だが、それは本当に正しいことなのだろうか?

 コヨミは消えた。ヒメは住処を失った。キラは枯れた。その復讐は正当なものだと信じていた。

しかし、見原室長が言う通り、処分場は人間の生活に不可欠なものなのだ。地元住民の多くが賛同して――つまり、多くの地元住民が、あの山より人々の生活を取ったのだ。

俺はそうは思えない。コヨミたちを犠牲にして、生きることが良いとは思えない。だが、結局のところ処分場を潰したところで、コヨミたちが帰ってくるわけではないのだ。

俺は、どうしたらいいのだろう。

「タキオ君」

 半ばぼうっとしながらキーボードを叩いていると、見原室長に声をかけられた。

「はい」

「環境取り組みの件、君だけ案が出てないぞ」

「あ」

 思いっきり忘れていた。

 環境取り組み。この処分場が周辺の環境に配慮していますよ、というアピールのために行われる。例えば、処分場の建築のために伐採された森林を再生するとか、生物を保全するとか、そういった取り組みだ。今回、その案を一人一件提出するように言われていたのだが、うっかりしていた。

 大体、そんな簡単な取り組みでヒメやキラが帰ってくるわけではない。はっきり言って俺はやる気がなかった。

「すみません。すぐに提出します」

「なかなかいい案は出ないと思うが、まぁ、よろしくな」

 全くだ。すぐ思いつくようなことは他がやっているし、じっくり考えていい案が出るとも限らない。このあたりには、何があったのだろう。住んでいたくせに、思い出そうとすると思い出せない。

 コヨミ。ヒメ。キラ。……沢山の、自然。あいつらを取り戻すことは、もう、無理だ。そういえば、江戸時代の歴史があったが、大々的にPRするほどのものはない。

 結局、俺はてきとうに森林の再生、と書いて提出した。

見原室長も、そこまで期待していなかったらしい。俺の案をちらりと見ると、すぐ机の脇に置いた。そして、腕を組んで俺と視線を合わせた。

「ところで、ISOの監査の話は聞いているな」

「はい」

 ISO、International Organization for Standardization。日本語で国際標準化機構。その、監査。法令、基準類、とにかくルールを順守しているか、定期的に確認する仕組みだ。確か半年後だったはずだ。……ここでも、不正が行われないように監視されている。

「水質検査部門のEMSの調査と、不足分があった場合にはその是正をやってくれないか」

 EMS、Environmental Management System。日本語で環境マネジメントシステム。簡単に言って、当社は環境に配慮した運営をしていますよ、と証明するための手続きだ。これをきちんと整備していると認められれば、ISOから認証される。そうすれば、客観的にこの会社は正しく運営されているという証明になり、お客様から処分の依頼を受けられる、というわけだ。

「分かりました」

 俺は頷いた。壊すにせよ何にせよ、現状の確認は重要だ。

「頼むぞ」

 見原室長は俺の肩を叩いた。その手は、酷く重かった。

 まずはEMSについて勉強。見原室長と話しながら、計器や分析方法がISOの基準を満たしているか確認し、様々な手順に問題がないか確認し、書類関係を整備し、他部署と齟齬がないかを確認する。通常の業務は多少同僚に振ってもらったが、やることは山積みだ。

 そもそも俺は技術屋で、管理部門についてはよく知らない。「マネジメント」とやらをゼロから勉強する必要があった。学生時代のテスト前よりも必死で勉強した結果、気付いた事がある。

 ISO規格に定められているルールはよくできている、ということだ。会社組織が果たすべき使命を果たすために、マネジメントは存在する。加えて、仕事を通じて働く人たちを生かす。即ち、自己実現を達成させる。何より重要なのが、社会との関わりだ。社会に与える影響を処理し、社会の問題に貢献する。この複雑な関わりを、適切に管理するものがマネジメントなのだ。

 そして、素晴らしいことに、……あるいは、残念なことに、この会社のマネジメントはよくできている。やるべきことが漏れなくルール化され、やるべき人がやるべき確認をしている。

当然といえば当然だ。この処分場はこの会社が初めて建てた処分場ではない。見原室長もそうだが、他の処分場で経験を積んだ人たちが、基本的な方法を決めている。俺が手を入れられるところは法規が変更されたところか、単純なことばかりだ。……それだけ、丁寧にこの処分場は運営されている。

いい会社か、と言われれば従業員の不満は出るが、会社の体制自体は整えられている。周辺の住民や環境にも法令に定められた以上の配慮を行っている。この処分場は真面目に経営されている。処分場、という言葉からイメージされる、汚染物質をまき散らして周辺環境を破壊していくような場所ではなかったのだ。

 それを、壊すことは正しいのだろうか。



黙々と残業していると、雫からメッセージが届いた。

「二十時に家に来て」

俺は了解のイラストを送った。監査はまだ先だ。雫に会うのも久しぶりだ。俺が忙しかったせいでもあるし、雫が会社にほとんど出てこなくなったこともある。

会社帰りに雫の家に寄る。このあたりの道も、俺の腕でも運転できる程度に広くなった。

「なんか、久しぶりね。タキオ」

出てきた雫を見て、俺はぞっとした。

まずは、痩せた。もともと正常な範囲内でやや太り気味、といった程度の体形だったが、目の前にいる雫は不健康に痩せている。それに、顔色は真っ白で、目の下に濃い隈ができている。そして、何より。七分袖の袖口から覗く腕に、赤い傷跡が何本も走っている。

明らかに無理やり浮かべている笑顔が痛々しかった。

「雫……」

俺は、それ以上何も言えなかった。

「こっち、来て」

ふらりと雫は歩き出した。幽霊のような足取りで、俺には現実とは思えなかった。

雫の家の裏庭に出る。そこには、沢山の虫かごが並べられていた。キンランとギンランが植えられていた植木鉢とプランターは、雫と俺で既に片付けた。

ぽつりぽつりと、その中で光るものがある。処分場の工事が始まったころに、俺たちがかき集めたヒメボタルだ。

そう、今はホタルの時期なのだ。仕事にかまけて、すっかり忘れていた。

「……ヒメは、生きてるの」

そう言って微笑んだ雫は、虫たちの明かりに囲まれて、まるで異世界の生き物のように見えた。

その時どんなリアクションをしたのか、俺は覚えていない。ただ、思い出したことは確かだ。処分場の白い壁と遮水マットに覆われた土地に慣れすぎて、忘れかけていた。ヒメボタルが光る世界が、俺たちの現実だったということを。それを処分場が壊した。壊れた現実の残り香が、ここに残っている。

コヨミ、キラ、それからたくさんの生き物たち。……そして、雫も。多くの犠牲の上にのうのうと立ってはいられない。

Remember our Nature.

それが何も生まないとしても、俺たちは復讐すると決めたのだ。

それから、俺は通常の仕事に、「本来の目的」を加えた。

ISOの監査はいいタイミングだ。ここで不正をしていることが明らかになれば、会社に大きなダメージを与えられる。しかも、周りの環境への被害はなくて済む。コヨミたちが暮らしていた土地をこれ以上汚さずに、処分場を潰すことができるかもしれないのだ。

俺は考えた。

ルールや書類はすでに十分に整備されている。そもそも変更には上司の承認が必要なので、また見原室長に見つかるだけだ。現場の作業の変更を通達するのは簡単だが、別な処分場から移動してきたベテラン層はその変更がおかしいと気付くだろう。

俺の権限だけで変更でき、致命的な不正となるのは何か。

探りながら仕事をしているうちに、俺は気付いた。計器のプログラムだ。

見原室長は計器のプログラムまで確認しない。というか、システム系の知識がないのでできない。現場は、明らかな異常値が出ない限り気付かない。社内システムエンジニアもいるが、個々の計器までチェックする余裕はない。というかそれをチェックするのは俺の仕事だ。計器のシステム。そこは、俺だけの領域だった。それでも、ISOの監査官は計器の基準値をチェックし、不正と判断するだろう。

笑えることに、俺がそうやって仕事以外のことをやっていても、周りからの注意は受けなかった。俺がプログラムを書いていることは珍しくないし、その中身まで見ている社員はいなかった。

そうして、俺はプログラムを完成させた。

監査の直前となった日曜日、俺は雫を訪ねた。寒い朝だった。いつの間にか緑に輝いていた木々の葉が落ち、茶色い樹皮をさらしていた。

雫に会うのは久しぶりだった。たまにメッセージを交わすことはあっても、会うことはなかった。あの、ヒメボタルの夜から、俺は雫に会うのが怖かった。処分場を潰すと決めたのに、迷っていた俺の怠慢を雫は責めているように思えた。……実際のところ、それが真実かどうかはわからない。聞いてすらいないのだから。ただ、俺がそう感じていることは確かだった。

だが、今日は違う。胸を張って、雫に会える。

出てきた雫は、あの時と変わらなかった。不健康に痩せた身体、真っ白な顔色、目の下の隈。腕の傷跡は、長袖に隠れて見えない。

「準備ができたんだ。行ってくる」

雫は黙って動かない。俺は、踵を返した。背後で、雫が泣く声が聞こえた。

車を走らせる。冬枯れの山々を抜けると、処分場が見えてくる。改めて見ると、真っ白に塗りたくられた壁は風雨にさらされてくすみ、奇妙に周囲に溶け込んで見えた。

社員証をかざして門を開け、社内に入る。いつも通り作業服に着替えて、水質検査室に向かう。すれ違った誰もが、俺を不信がらなかった。単なる休日出勤に見えるのだ。

俺は水質検査室に入り、計器にパソコンを繋いだ。パスワードを入力し、完成したプログラムをインストールする。完全に手順通りの方法だ。ルール違反となる可能性があるのは更新記録だが、そもそも更新記録を残すルールを作ったのは俺だ。記録しない方法は把握している。

このプログラムは、分析手順には影響を与えない。というかそんなところは計器メーカーの仕事で、俺が触れる領域ではない。俺がいじったのは、その後だ。出てきた数値が法令の範囲外になったとき、警報が鳴るシステムになっている。ここをいじって、検出する物質の異常値となる数値を、かなり大きい値に書き換えた。こうすれば、残るのは「設定された異常値を出していない」という記録だけで、「法令に定められた異常値」が出た可能性が否定できなくなる。本来排出してはならない汚水を排出してしまった「可能性」が出てくる。更新記録がないために、いつからそうなっていたのか証明する手段はない。

「可能性」とは恐ろしい言葉だ。環境団体や近隣の住民にとっては、「可能性がある」というのは、それが起こった、に近い意味合いになる。ましてや、監査で無視されるはずがない。

後は、「不正」がばれた会社がたどる末路を、ただ追うだけだ。俺はいつの間にか口角が上がっていることを自覚した。


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