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こよみのうた  作者: sathor
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はじめまして、さようなら。

――タキオはキラちゃんのこと忘れちゃうの?

コヨミの言葉が頭の中で響く。

聞いた時はあり得なさ過ぎて冗談にすら思えなかった言葉が、凄まじい現実味を帯びて襲い掛かってくる。コヨミや、ヒメ、キラは変わらない。あの山の自然は、ずっと何も変わらないと思い込んでいた。すべてが失われた今、振り返ってみるとそう思い込んでいたことこそが悪い冗談のようだった。

俺たちが忘れてしまえば、本当にキラは消えてしまう。虫かごで育てられているヒメボタルが死んでしまえば、雫の家で植木鉢に植えられているキンランとギンランが枯れてしまえば、ヒメとキラにまた会える可能性はゼロになる。……本当は、もうゼロなのかもしれないが、そう信じたくはなかった。

俺が、できることは何だろう。

もっと、季節を忘れないように。もっと、ヒメボタルや、キンランとギンランの世話ができるように。

答えは、自然と絞られていった。

転職しよう。

もっと田舎に。できれば、実家の近くに。

漠然と持っていた考えが、一気に具体化していった。

繁忙期を終えると、俺は転職活動を始めた。しかし、転職サイトをうろうろしても、なかなかいい転職先は見つからなかった。そりゃあそうだ。あんなド田舎に転職先なんざあるはずがない。

そして、ある時。

俺は、見つけてしまった。

俺の実家からほど近い、産廃処分場。……元、俺たちの遊び場だった山に造られている、産廃処分場。その、オープニングメンバーの募集を。

最初に感じたのは、恐怖だった。ついにここまで進んだのか、と。あの山は壊されてしまったが、まだ産廃処理施設は稼働していない、という妙な安心感が、砕かれた。

次に湧いたのは、喜びだった。やり返せる、と思った。

外部から、産廃処分場を潰せる段階は過ぎてしまった。周辺住民との合意の上で建てられたのだから。現状で手っ取り早いのはなんらかの不祥事を起きることだろうが、外部から社内の不祥事を洗い出すのは難しい。だが、中からならば。中から見れば、何らかの問題を見つけられるかもしれない。……あるいは、わざと問題を起こすことだってできる。

 雫にそれを話すと、雫はにやりと笑った。見たことのない笑い方だった。

「いいじゃない。Remember Pearl Harborね」

「リメンバー・パールハーバー?」

「知らないの?第二次世界大戦のときの、アメリカ軍の合言葉。卑怯にも日本軍が奇襲したパールハーバーを思い出せ、日本を倒せ、復讐だ。ってね」

「へぇ。……なら、俺たちはリメンバー・コヨミ、ってとこか?」

「語呂が悪い。Remember our Natureでどう?」

「俺たちの自然を思い出せ、か。悪くないんじゃないか」

「でしょう?」

 俺は履歴書と職務経歴書をさっさと書き上げて、処分場を運営する会社に送りつけた。



滝本央(おう)(せい)。環境技術室への配属を命じる。励むように」

「はい」

 習ったばかりの敬礼をして、俺は辞令を受け取った。真新しい安全靴が、真新しい床に当たってキュッと音がした。

 ここはアンジョウ環境株式会社中渓管理型最終処分場。……元、俺たちの遊び場だった山にできた、産廃処理施設だ。俺と雫は、その処分場のオープニングメンバーとして採用された。理系学部卒の俺は技術職に。雫は、事務職に。

 俺はともかく、雫も就職したのには驚いた。新卒で採用された会社を半年で辞めてから、雫は女にのみ許される家事手伝い、ってヤツで実家にいた。たまに近くの小さな農産物店の手伝いをしていた程度だ。それがハローワークに行って、派遣ではあるがこの処分場の事務職を勝ち取ってきたのだ。

 当然といえば当然かもしれない。

 コヨミたちを失ったのは、雫もなのだから。

 真新しい白い建物から、埋立地を見下ろす。そこには、変わり果てた山の光景が広がっていた。自然の森は失われ、敷き詰められた遮水マットが一面に広がっている。その周りは造成された桜並木が並んでいる。ぽつぽつと咲いている桜の花が、白々しい嘘のようだった。西側からは産業廃棄物が搬入される道路が伸び、俺の目の前の道路を通って、検査場に運ばれる。そこで異常がないか確認され、遮水マットの上に埋め立てられる。俺がいる建物は、水処理施設だ。産業廃棄物を通って流れてきた雨水などは、遮水マットの上を滑って、いったん貯水槽に貯められる。その後、この水処理施設で処理され、基準を満たせば川へと放水される。

 どうでもいい、と思う。その水が流れていく先はコンクリートで固められた水路で、そこで何が生きているわけでもない。近隣の上水道は整備され、ここから流れ出す水を直接飲む人はいない。遮水マットで仕切った先に、昔暮らしていた生き物たちはいない。

 俺は深呼吸した。

 俺の仕事は、この水処理施設を統括する環境課の業務だ。書類の整備やら設備の管理やら、現場の連中がやりたがらないこと全般が担当らしい。なんにせよ、どれほどの仕事を任せてもらえるかは、室長の信頼次第だろう。まずは、まじめに仕事して信用してもらうしかない。

「おーい。ミーティング始めるぞー」

 事務所に声が響いた。事務所にいたメンバーが、ばらばらと集まってくる。事務所、と言ってもそうなる予定の部屋、というだけで、机やら棚やら段ボールがごちゃごちゃと置かれた部屋にすぎない。今入ってきたばかりの人物が、俺たちの人数を数える。

「全員いるな。私が室長の見原伸輔だ。以前は別な処理施設で働いていた。施設のスタートアップは初めてだが、まずは運用が安定するまで慎重に進めていきたいと思う。よろしく頼む」

 見原室長が敬礼すると、その場にいた全員――といってもたったの五人だが―――が敬礼を返した。

「じゃ、自己紹介から始めようか」

 こうして、俺の第二の会社員生活が始まった。

 その日は、事務所の整理やらなんやらであっという間に過ぎていった。オフィスらしい形になった事務所を眺めて、皆で満足する。書類棚のファイルは空のものばかりだが、いずれ重要な書類群で埋まっていくだろう。いかにそれに関与できるようになるかが、俺たちの目的に大きく影響する。それから、あいさつ回り。どこに何があって、誰が担当していて、なにをしている設備なのか。正直覚えきれないが。

 操業開始にはまだ間があるので、この日の業務はこれで終わった。見事に17時退社である。うーんこのホワイトっぷり。大変素晴らしい。定時退社なんて何年ぶりだ?上司にさっさと帰れなんて初めて言われた。

 実家、というか住民票も移したので自分の家に帰ると、母親が満面の笑みで迎えてくれた。

母親にとって俺の転職は願ったり叶ったりだ。自分の子供が帰ってくる、ということだけでなく、足を悪くした父親がこなしていた仕事の労働力としても。無駄に広いうちの自家用畑の管理と、家事とをダブルでこなしていたのは正直尊敬する。だがそれは、優先順位の低い放置することで達成されてきたことだ。埃まみれの倉庫と化していた俺の部屋の掃除、農機具庫や古くなった家財の整理整頓と廃棄、果ては電球の付け替えやら風呂掃除まで俺に振られる仕事は多かった。会社の仕事に余裕があるうちはやりますがね。

 翌日から、俺はとにかく真面目に働いた。見原室長の指示に従って、ひたすら設備の動作点検をしていく。なんせ初めて扱う設備ばかりで、カンが働かない。とにかく見原室長の指示をブレイクダウンして現場に伝達し、現場から上がってくるデータをまとめる。それから、管理記録だ。このご時世、こんな設備があります、では誰も納得しない。その設備が正常に稼働し、維持されているかどうかを証明する記録が必要となる。さらにその記録をきちんと管理するルール作りも必要である。人間の社会は実に複雑だ。やるべきことは山積みだった。

 正直なところ、どれが会社を潰す「仕事」に繋がるのかよく分からない。会社の仕事であるからには、どれも会社にとって必要で、潰せる要因にはなるのだろうが。

 着々と廃棄物の受け入れ態勢が整い、俺の残業時間も伸びていった。家の仕事は二の次になり、母親の息子が帰ってきた喜びも減ってきたようで、ハンバーグの出現頻度が減った。誠に遺憾である。

 そして、ついに。

 最初の廃棄物が、この処分場に運び込まれた。

 どんよりと曇った日だった。昼間だというのに仄暗い中、展開検査場に降ろされた。俺を含めて、集まった職員たちがそれを見守っている。所長が拍手を始めた。俺たちは、それに倣った。

 その帰り、俺は管理棟に立ち寄った。管理棟は廃棄物管理の事務的な手続きをする建物だ。所長や営業、総務などの仕事場でもある。

 総務の事務所を覗く。雫はいない。

「北澤さんは?」

 うーむ、名字で呼ぶのはなかなか落ち着かない。

「給湯室だと思いますけど」

「ありがとうございまーす」

 給湯室を覗くと、確かにそこに雫がいた。インスタントコーヒーを淹れながら、何かをいじっている。普段はゆるい恰好をしている雫が、事務員の制服をきちんと着こなしているのはなんだか新鮮だ。

「雫?」

「わっ」

 びくっ、と雫の体が跳ねる。

「タキオか……びっくりさせないでよ」

「お前がぼーっとしてたんだろ。どうかしたのか?」

「どうかしたって……」

 雫は手を握りしめた。その手の中には、藤蔓でつくられた古びたリースが握られている。

「もう、作れなくなったんだな、って」

「ああ――それ、もしかして昔コヨミたちと作ったヤツ?」

 雫は目を伏せた。大切な思い出に触れるように、指先で柔らかくリースを撫でる。

「……もう、戻れない」

 雫は唇をかみしめた。

「今更だろ。工事が始まった時点で、終わってる」

「そうだけど……まるで、死体の上を歩いてる気分」

「死体の上?」

「そ。コヨミに、キラに、それから、たくさん。たくさん。森に生きてた、みんなの死体の上」

「キラは死んでないだろ」

 あの時掘り出したキンランとギンランは、雫の家の庭に植えた。栄養剤も与えているし、俺は育っているものと思い込んでいた。あのキンランとギンランが枯れなければ、キラは死んでいない、とも。

「ううん。枯れちゃった」

 俺は、息を呑んだ。

 キンランとギンランの人工栽培は極めて難しい。それでも。キラの力があれば育つのではないかと。たとえ消えてしまったとしても、キラは俺たちのために力を貸してくれるのではないかと。そんな都合のいい夢を見ていた。

 翌日、俺は雫の家を訪ねた。

 雫の家の裏庭には、プランターと植木鉢、虫かごが並んでいた。プランターと植木鉢で生きているのは、小さな雑草ばかりだった。その上に、枯れたキンランとギンランが覆いかぶさっていた。

 雫は黙って立っている。

 キラの言う通り、土と草を集めた。それらを均等に、植木鉢とプランターに入れた。栄養剤も渡した。水は、雨が降らなければ雫がやっていた。……植物を育てる、そのためのことはすべてやったつもりだった。

 俺は、目を閉じた。

「キラ……」

「うん」

 俺は目を見開いた。

「キラ!?」

 目の前には、枯れたキンランとギンランの花冠を被った少女が立っていた。その姿を透かして後ろに並ぶ植木鉢とプランターが見えている。

「うん」

 俺は立ち尽くすしかできなかったが、雫はキラの前に跪いた。

「キラ……キラ……!!ごめんね、ごめんね……全部枯らしちゃった……」

 雫はキラにしがみつこうとしたが、その手はキラを通り抜けた。キラは小さく笑った。

「ありがとう」

 いつもとは逆に、キラの小さな手が雫の髪を撫でた。

「あのね、あたし、消えたくなかった」

「知ってるよ!!だから、ごめんって……」

 キラは首を振った。

「そうじゃないの。あたし、わかった。しずくと、タキオが、一生懸命お世話してくれた。だから、いいの」

「いいって、そんな!」

「いいの。あたし、二人に会えた。二人が大好き。その二人からとっても愛されてる。それって、すごく幸せじゃない?」

 キラは微笑んだ。

「幸せを感じながら消えられるって、素敵でしょ?」

「キラ……」

「だから二人も笑ってね?」

 そう言って笑うキラは、これまで見たどの姿よりも美しかった。そして、そのまま、キラは消えていった。

 雫は泣き笑いの表情だった。俺が、どんな顔をしていたのかは分からない。笑おうとした、それだけは事実だ。


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