現代科学の限界
科学の力は、人間の理想は、真に人間を救えますか?
いつの日か、自動人形に心を埋め込む――僕はそんな科学者になりたい。
食事が終わるとお母さんは食器を片付けてくれる。
僕だってそれくらい自分で出来るのにお母さんは、
「これが私の勤めでございますから」
いつだってこの一点張り。
そこが自動人形らしいといえばらしいのかもしれないけど……。
キッチンから、スポンジが食器を擦る音が聞こえてくる。キュキュッ、というそれがとても心地良い。
規則的に聞こえていた音が止むと、今度は食器を洗い流す水音が聞こえてくる。
どこの家庭にもあるであろうこの時間が、僕は何よりも好きだった。
それには、僕が孤児であったという事も、お母さんが自動人形であるという事も、忘れさせる穏やかさがある。
全ての音が止まった時、僕は意を決してお母さんに声を掛けた。
「お母さん、僕の名前を呼んで」
何度願い、叶わなかったか分からないこの想い。恐らく今日も叶わないであろう事を分かっていながらも、僕は口にせずにはいられないんだ。
お母さんはゆっくりと振り返り僕を見ると、静かに口を開いた。
あぁ、この口の形は。
「畏まりました、ご主人様」
やっぱり――分かっていたけど、僕は思わず項垂れた。
従順だけど感情の起伏がなく、唯一人の相手にしか表情を見せない、自動人形の性に。
そして……僕の名前が、未だにインプットされていない事に。
「お母さん、僕は科学者になるよ」
僕にはさっきのお母さんの言葉を、初めて放たれた日から、抱いていた夢がある。
「さようでございますか」
サファイアを思わせる蒼い瞳は冷たいままで、声も相変わらず機械的。だけど、それでもいいんだ。
いつか僕がその瞳と声に、温もりを与えるから。
僕の夢――それは、自動人形を開発した者を越える科学者になり、彼女達に心を与える事。
現代科学ではそれは未だ不可能。けれど科学は日々進歩している。
その事はもしかすると彼の者の意にはそわないかもしれないし、必ずしも成功するとも限らない。
けれど時代は確実に変わって来ている。二十一世紀でなら失敗したであろう事も、二十二世紀である今、そして今より先の未来では成功するかもしれない、そう僕は信じている。
「お母さん、いつかきっと、心をあげるからね」
「畏まりました、ご主人様」
返ってくるのはいつも通りの言葉。今のお母さんには、きっと僕の想いは理解されていないだろう。
科学で心を造る――それこそ禁忌であり、非科学的だと非難を受けるであろう事は、容易に想像がつく。
けれど限界に挑戦して、いつの日かその想いが叶うなら。また、僕と同じような境遇の子供達の願いが叶うなら。
僕にとって、それ以上幸せな事はないんだ――。