07 シャボン玉
森の入り口ヨトゥン。八月二十日、午前七時。
ヘスティアが囚われてから八週、老人が現れてから四週、そしてルーヤが旅芸人と別れて三日が経った。朝の一番乗りで、ルーヤが集合場所に到着する。そのすぐ後にそこへ来たのは、ジルだった。
「すんません、もしかしてあんさん、ヘスティアさんを助けてくれって頼まれた人ですか」
ジルの声掛けに、ルーヤは肯定を表して首を縦にぶんぶん振った。そんなルーヤに対して、ジルはにこやかな笑みを浮かべて右手を差し出した。
「ジルです。ま、お互いがんばりましょ」
「うん! 俺はルーヤ。よろしくね」
ジルの手を握り返したルーヤは、ジルの左手の包帯に目を止めた。
「ねえ、その左手ってさ……」
「ああ、代償に持ってかれちゃったんですよ。左手の指はもう動かねえ。左利きだったもんで、初めはキツかったですけどね」
言い終わるや、ジルは鞭を出して見せた。左腕に、金属の腕輪のようなもので固定された鞭。その先端にはナイフ。初めて見る物に、ルーヤは叫んだ。
「うわあ! 何これ、新しい縄とび?」
認知レベルが六歳児!
との言葉を喉のあたりで食い止め、ジルははにかみながらなんとか訂正文句を紡ぎだした。
「鞭です。まあ、一応、縄跳びもどきも出せますけど」
「すごいな! 俺がそんな能力持ってたら、バンジージャンプする!」
六歳児とかどうとかという次元のお話ではないようだった。
半分呆れながらジルはルーヤの瞳を見た。その瞬間、少なからず驚いた。レイヤの目と、よく似ている。
そのルーヤの目が、ふいにジルの方を向き、にこりと笑った。
「俺はね、川の水が出せるんだ。普段は糸にして使ってる」
言ってルーヤは水糸を出した。
「左手の糸は右手に比べて殺傷力が強いから、触っちゃだめだよ」
「水の糸が切れたりってことはないんですか?」
「うん。なんでだろ、断水した川を見たことがないせいかな」
ジルが、目を丸くした様子で右手の水糸に触れてきた。ルーヤはその楽しそうな表情に、違和感を覚えた。
なんだろう、寂しさ?
しかし、ルーヤが違和感の正体を見つける前に、三人目のリティがやって来た。足音を聞いて振り返ったジルは、目を輝かせた。
なんって、美しい女の子――!
ジルはすかさずリティの目の前に滑り込み、崇め始めた。
「すげえ可愛い! 最高ですよ、姐御! こんな美人さんと行動を共にできるとか、幸せすぎる! 姉御、これからどうぞよろし――」
「あんたたち、なに?」
ジルの言葉をさえぎったリティは、あからさまに不機嫌そうな表情を浮かべ、目を点にした少年二人に対して突然抜刀した。
「邪魔するのならぶった斬るけど」
健全男子二人はそろって顔をひきつらせ、身を引いた。
「あ、姉御の発言が全然かわいくない!」
「ていうか、俺なんにも言ってないし、してないし!」
ルーヤは危機的状況を回避するべく、手をばたつかせながら必死で弁解した。
「俺たちはヘスティアを助けてくれって頼まれてここにいるの! お前もそうじゃないのかよ?」
「……よもや、こんなのと行動を共にするなんてね」
リティは深く息をついて刀を鞘に収め、さらりと言った。
「リティよ。よろしくしてくれなくても結構」
「うっ」
男子軍は一度うなったが、ルーヤはへこたれまいと、ジルの肩に手を置いた。
「こ、こいつはね、ジルっていうんだって。鞭を実体化できるみたい。で、俺は――」
さあ自己紹介、と思っていたルーヤだったが、風鳴りがして本能的に口をつぐんだ。そろりと目だけで状況を把握してみれば、リティがせっかく収めた刀を再び抜いている。切っ先はジルの喉元に向いていた。
「あんた、何者? 鞭を実体化ですって? あたしたちの力は相当の想像力を必要とするものよ。あなたは鞭を細かいところまで思い浮かべられるほど、それが傍にあるところにいた。そこが神殿とは到底思えないわね」
ジルはしばらくリティの鋭い眼光を受けていたが、じきに観念して息を吐いた。
「オレ、捨てられてたところを奴隷商人の頭領に拾われて、そのまま組織の元で育ったんですよ。五週前に追い出されましたけど」
もともと、人を鞭打つなんて仕事は嫌いだった。それに、拾い子だからという理由だけで頭領から大事にされていたジルは、妬みを向けられることもよくあった。だから、ずっと昔に自分から逃げ出したことはあったのだ。しかし、そんなジルを連れ戻したのは、組の中で唯一ジルを思ってくれていた頭領その人だった。どんな大一番でも動じないあの人が――狼の入れ墨を背中に彫った、あの雄々しい頭領が、額に汗を浮かべて息せき切っていた。必死でジルを探していたことが嫌でもわかった。ジルはこの時、もう逃げ出してはならないことを悟った。
今回の追放は、ジルのちょっとしたヘマがきっかけだった。ジルは他の組員に袋叩きにされていた。それを頭領は助けてくれて、殺処分ではなく追放処分にしてくれた。好待遇もいいところ。本当は喜ぶべきなのだが、素直に喜べなかったのは、たぶん頭領と――父親と二度と会えないという寂しさのせい。
などというところまでは言わずに、ジルはリティを見つめて微笑んだ。
「さ、ご理解いただけましたか、姐御」
リティはしばらくジルの顔を見つめた後、刀をおろした。隠していることはあるかもしれないが、嘘を言っている顔ではなかった。無論、確固たる根拠などない。女の勘だ。
次にリティはルーヤに目を向けた。
「で、そちらの眼帯さんのお名前は?」
「俺? 俺はルーヤ」
「どんな能力をお持ちなのかしら」
「ああ、水を糸にして操れる。糸は丈夫だし、切れ味も良くて」
そこまで言ってしまってから、言わない方が良かったかもしれないと思い至った。しかし、時はすでに遅い。
「切れ味のある糸? そんなものと、どうやったら触れ合えるのかしらねえ」
リティが再び刀を持ち上げるそぶりを見せる。ルーヤは慌てて手を振った。
「いや! 俺はただの馬鹿だから! ただ単に、そういう糸で攻撃されたことがあるってだけ! 糸が水なのは家の近くにでかい川があったから!」
「……ああ、そう」
嘘など到底つけそうにない単細胞だった。
一段落したところで、今度はジルが問いかけた。
「姐御は?」
「あたしも捨て子で鍛冶職人に拾われたから、神の窓とはあまり縁がないの。ま、近くの神殿へはしょっちゅう刀の奉納に行ってたけど」
「能力は?」
「なんでも斬ることができる。お望みなら、大岩でも川でも斬ってあげるわよ」
ジルが顔を青くした一方で、ルーヤは顔を輝かせた。
「すごいな! リティがいれば向かうところ敵なしだ!」
「……あんた、馬鹿って言われたことあるでしょ」
ないわけがない、と顔の全面に書いたリティに、ルーヤは素直にうなずいた。
「むしろ代名詞」
「相当ね」
正真正銘の馬鹿だ。そう断じる一方で、リティはちらりとルーヤの瞳を見た。
偏見がなく、物事を素直に受け取って、その感性で判断する。未知の神の領域では、それが重要になってくるかもしれない。諸々の判断はこいつを中心にするか、とリティが考えをまとめたと同時に、ジルが言った。
「『リーダー』、かな」
「へ?」
すっとんきょうな声を出したルーヤに、ジルは微笑んだ。
「そう呼ぼうと思って」
「別に好きに呼んでくれて構わないけど、なんで?」
「リーダーの馬鹿が救世主になると思ったもので」
リティと同じ思考をたどったジルの言葉は、ルーヤを怪訝に思わすことも不機嫌にさせることもなく、ただ喜ばせた。
「そんなこと言われたの初めて!」
こうして、単純馬鹿をリーダーとした一行が神の森に足を踏み入れた。
たくさん出会ってぶつかって 壊れることもあるけれど たまに合わさって大きくなる
生き残ったシャボン玉 さあ 陣取り鬼ごっこを始めよう