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02 こま 第2パート

 客間に通じるふすまがガタガタと鳴った。ルーヤは飛び出そうになった心臓を抑え込んで身構えた。だが、開いたふすまから姿を現したのは、今朝の老人だった。ルーヤの体からへなへなと力が抜けた。

「お、おどかさないでよ……。起きたんだ、おじいちゃん」

 ルーヤは乱暴に目元をぬぐい、微笑みを浮かべた。老人は辺りの惨状を見渡しながらルーヤに歩み寄って言った。

「これは、一体何が」

「それが、俺にもわからないんだ。わかっているのは、そこの男がやったってことだけ」

「男に見覚えは」

「ううん、ない。ただ、親父の考えとかやり方とかに反対してた人なんじゃないかと思う」

 有名な神社の神主や強力な神殿の神官とは、自然に多方面に付き合いが生じるものだ。ルーヤは統率力があったばか親父の姿を思い起こした。親父はどこかでやっかみや恨みを買ってきてしまったのではないだろうか。――親父は、ばかだけど能無しじゃなかったのに。

 老人は、ルーヤのこぶしが握られるのを見た。それから、流血の跡を見せるルーヤの右目に目を留めた。

「その目はいかがされた」

「それが全然わからなくて。勝手に痛みだして、気付いたら血が流れてきてさ」

 ルーヤは困惑した表情を浮かべた。老人は一瞬だけ目を瞠ると、その喉から低い声を絞り出した。

「――内に傷負う人の子よ

   神の窓の守り子よ

   代価を払い、心に描け

   関わり深しもののすべてを

   さすれば夢は現となる――」

 老人はルーヤの肩に両手を置き、続けて言った。

「神の窓の守り子よ、肉親の死はそなたの内にどれほどの傷をつけたのか。この右目を代価にして、そなたは何を夢に描き、何を現とした」

「か、川を」

 そう言ったルーヤの声はひどくかすれていた。ルーヤは乾いた唇をなめてしめらせた。

「それから、糸を」

 ルーヤは水の糸を細部まで思い描いてみた。すると、糸は瞬く間に出現した。糸の像を頭から振り払うと、簡単に糸は消えた。ルーヤが自分の手を見つめるその横で、老人は目を伏せた。

「――北に囚われの神在り

   神、人の子の力を求む

   助けよ、と――」

 ルーヤは、驚きだか動揺だか不安だかにもみくちゃにされながら、なんとか老人の言葉を聞いていた。

 老人は北と言った。そこは神の領域とされている場所だ。人界と神界を隔てる森は神聖な場所とされ、誰も踏み込もうとはしなかった。そして、これはいたずら好きな子どもを遠ざけるための決まり文句だろうが、仮にそこに踏み込んだなら、もう二度と帰って来ることは叶わないのだと言われている。

 老人は目を開いて、そでの布を裂くとルーヤの目を手当てし始めた。

「わしは女神ヘスティアの使徒。四週前、主が邪神によって囚われた。対抗しうるは、力を持つことを許された神の窓の守り子のみ。この四週間、そなたのような子を探しておった。手を貸してはくださらぬか」

「……なあんだ、そんなこと」

 ルーヤは拍子抜けしたような表情を見せた後、にっこりと笑った。

「うん、いいよ」

 迷いのないルーヤの答えにに、老人は少々面食らったように見えた。ルーヤは笑みを重ねた。

「だって、困ってるんでしょ?」

 ルーヤは親父の守り袋を見つめた。あんな絵をお守りと称してみせたばか親父の代わりに、誰かを助けたかった。

 ルーヤの顔を見て、老人が頭を下げた。

「感謝申し上げる。では、八月二十日にヨトゥンでお待ちくだされ。他にそなたのような力を持つ子を二人向かわせる」

「ヨトゥン? 森の入口の一つの?」

「左様。最も森が浅く、すぐに神の領域に出られるとの言い伝えがある」

「うん、わかった」

 ルーヤは頷いた。八月二十日までは四週間しかない。すぐにでも村を出た方がいいだろう。

 決心を固めたルーヤの様子を見て、老人は手当てを再開してくれた。その手つきを見ていたルーヤだったが、とある問いが頭から離れなくなり、ついにそれを口にした。言いにくかったから、歯切れは悪かった。すると、老人もまた答えにくそうな顔をして、一言だけを返した。

「お答えしたところで、空しいだけでございましょう」

 それだけで十分だった。ルーヤはただ、唇を噛んで視線をそらした。


 ルーヤの手当てが終わると、老人は再び目を伏せた。

「――知恵者が見張る神の森

   豪俊なる子よ、いざ向かえ

   切り開く術は力か知恵か――」

 ルーヤは首をかしげて老人を見つめたが、老人はルーヤのそのいぶかしげな顔になど目もくれずに続けた。

「――氷の内部は冷たく入り組む

   迷わせ惑わせ、迷った者の内部を凍らす

   迷いの路は断ち切るが良し


   上へのぼるは幸か不幸か

   氷柱の女神が待ち受ける

   女神の従者を溶かしうるは

   炎だけとは限るまい―――」

 それは何だと尋ねようとした瞬間、ルーヤは唐突なめまいに襲われた。ぐらりと体が傾いだことを自覚する前に、ルーヤは気を失った。頭の中では、老人の言葉がぐるぐると渦巻いていた。


 意識がぼんやりと戻って来るのを感じた。ルーヤは辺りを見渡して、そこが客間であることを認識した。奥の間に目を移すと、村の大人たちが片づけをしてくれていた。ルーヤの両親の死体はすでになく、残るは犯人の男のみだった。

 ルーヤは男の長い死体に目を向けた。ルーヤの両親とは違い、出血はしていない。そして、首に絡みついた糸を絞められたはずのルーヤもまた、血を流さずにすんでいた。ルーヤの中に疑問が生まれた。

 なぜこんな違いが生まれた? 親父と俺との違いはなんだった?

 そうだ、男が右手の糸を使ったか左手の糸を使ったかだ。おそらく殺傷力が違ったのだろう。

 では、なぜ左右で殺傷力を変える必要があった? 殺す人間と殺さない人間を作るため?

 それじゃあ、なぜ俺は殺されなかった? どうして親父と母さんは殺された?

 そこまで考えて、ルーヤはあきらめた。すべてを知っていたはずの男は死んだ。ルーヤが殺した。真相を確かめる術もなければ、わかったところで変わる現状もありはしない。

 ルーヤは頭をわしゃわしゃと掻きながら起き上った。すると、顔見知りの近所のおばさんがそれに気づいて気の毒そうな顔で言った。

「いつまで経っても灯籠に火が灯らないから様子を見に来たら……、大変だったね。明日にはお葬式もできるからね」

「あ、うん、ありがとう」

 言ってルーヤは体を起こし、首を巡らせた。

 一人、足りない。

「ねえ、おばさん、よその村の真っ黒おじいちゃん、見なかった?」

「いいや?」

「……そう」

 聞きたいことが山ほどあったのに、姿を消してしまうなんて。


 翌日、ルーヤの両親の葬儀が終わった。ルーヤは村人たちに村を出ていくことを明かした。村人たちは、明日にでも発つと言い張るルーヤをさんざん止めた。だが、ルーヤは譲らなかった。

 わかっている。親が死んですぐに村を発つなど、非常識だ。だが、大切なのはそこじゃない。

 親父はさんざんほっぺをつねってきたが、決して助けるなとは言わなかった。面倒くさそうな顔はしたが、決して怒らなかった。これでもしヘスティアが死んでしまったら、きっと、いや、絶対に親父は怒る。

 ルーヤは村人たちには多くを言わず、ただ必ず帰って来るからとだけ言い残して村を後にした。胸には親父の最高のお守りを下げている。これから、お前に効力を持たせてやるから。


 さあ こまが回った 遊んでいるのは だあれ? 回されているのは だあれ?

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