10 馬とび 第1パート
あの子はずっと馬役だ その子はずっと跳び続ける
ずらりと続く犠牲子たち その子が馬になる日は いつ?
中にいたのは、見たところ二十代半ばの青年だった。ステンドグラスから注ぐ光を浴びる彼を見て、ルーヤのみならず全員が息をのむ。それほどまでに彼は美しかった。天井にある豪華絢爛な三つのシャンデリアがひどくかすむ。
一番奥の祭壇に腰掛ける彼は、その綺麗な顔ににっこりと笑みを浮かべた。
「いらっしゃい。待ってたよ。随分派手に壊してくれたね」
ぞっと、全員の背筋に何かが走った。まるで人形のようだった。美しすぎる顔に、何の感情も無い笑みが浮かぶ。ただの仮面、作りものだ。しかしなぜだか怖ろしい。
「この一部始終について、何がわかった?」
ロキが足を組んで目を合わせたのはルーヤだった。ルーヤはへへっと笑うと、びしっとロキを指差した。
「あんたが腹立たしいことこの上ない悪い奴ってことだ!」
決して間違ってはいないのだが精細さをずいぶんと欠いている答えに、一同が冷めた笑いを浮かべる中、ロキだけが腹を抱えて笑っていた。
「キミ、おもしろいね。馬鹿だとは聞いてたけど、まさかここまでとは」
「あー、そーですよ。俺は馬鹿ですよー」
べえっと舌を出して、ルーヤはそっぽを向いた。ロキはくすくすと笑うと、ヴァフスルーズニルに笑いかけた。
「で、本当はどこまでわかったの? キミは賢いから、いいとこまでいったでしょ?」
「ま、ある程度は、ね」
ヴァフスルーズニルはロキの笑みに不快感を覚えながらも、自分たちの考えを話した。ロキは全て聞き終わると、楽しそうな表情を浮かべた。
「うん。そこまでは全部正解。じゃ、キミたちが追いつけなかったところの種明かし、しよっか」
ロキは真上を指差した。一行がそちらを見上げると、そこには巨大な狼の天井画があった。ルーヤが思わず声を上げた。見覚えが、ある。
「おい、ジル、ジルが鞭打ってた奴の入れ墨と同じじゃ……」
黙り込むジルを見て、ロキはおかしそうに、また憐れむように笑った。
「狼の入れ墨は僕の信徒である証。この入れ墨を彫ってるのは彼だけじゃない。そうだよねえ、ジル君?」
ジルはうつむいた。頭領も、他の組の幹部も、皆彫っていた。権力の証かと思っていたのに、そんなものだったなんて。……いや、違う。権力者がロキの信徒だったんだ。
ということは、とジルの中で予感が生まれた。それを口に出す前に、ロキが先に肯定した。
「キミを殺さずに生かし、常に居場所を把握できるようにしておくよう、使徒を通じてキミの頭領に言ったのは僕だよ。今日この日のために、僕のことを教えないように命じたのもね。勘が働いてもらっちゃ困るから」
ジルは思わず弾かれた。
「まさか、脱走を許さなかった理由って」
「さあね。興味ないよ」
ロキはさらりと視線をそらした。ジルは目を伏せて唇をかんだ。
惑わされるものか。頭領は、頭領という立場でジルを守ろうとしてくれていた。他の古参の組員と、ただ拾われただけで寵愛されるジルとの軋轢がある中、必死で均衡を保って。あれは仕組まれたものなんかじゃない。だって、ロキの命令にはそこまでは含まれていない。だから、組にとどめておいたのだって、あの必死な表情だって、絶対に――。
ジルの様子を見てなお愉快そうになったロキは、すっと腕を広げた。
「さて、まだ足りないんだよね、入れ墨を彫ってる人間の数。キミたちの予想通り、おじいちゃんたちも信徒だから彫ってるとして、糸使いも爆薬師も彫ってる。ああ、彫っていた、が正しいんだっけ。死んじゃったもんね」
ロキはにっこりと、悪意のひとかけらもないような笑顔を浮かべた。
「力に目覚めるには素質が重要なんだけど、それを確固たるものにするためには『内に傷負う』必要があってね。みんな、あの忌まわしき一件で意志を強固にしたでしょ。でも、僕には予知能力もないからね。仕組ませてもらった」
ずっと目を付けていた素質のある子どもたち。良い具合に育ったのを見て、ヘスティアを監禁し、アルテミスを拘束した後、ロキは使徒と連絡を取り、奴隷商人の頭領とラルド、それから糸使いと爆薬師を呼びださせた。しばらくして、全員がそろったとの使徒の返答があると、ロキはまず頭領に言った。
『今までジル君の素質を潰さないままに育ててくれてありがとう。これから彼には北に来てもらわなくちゃいけないから、自由の身にしてあげてね』
次は使徒三人に命を下した。
『あの子たち三人の屍に到着してもらっても意味がないから、おじいちゃんたちは預言を与えて、死なないようにしてやること』
それから、とロキは続けた。使徒と信徒は格が違う。主を同じとする者ならば、使徒は己の存在を他に強く示すことも可能だ。それを利用してこういう遊び方はどうだろう。
『おじいちゃんたちは絶対にあの子たちから離れちゃだめだよ。おじいちゃんのいる所があの子たちのいる所だから、ラルド、糸使い、爆薬師は、おじいちゃんのところにめがけて行って、とにかくあの子たちに衝撃を与えてくること。いいね?』
ラルドと糸使い、それから爆薬師は初めから捨て駒だった。よほど運がない限り生き延びることはできないだろうと思っていたし、実際二人が死んだ。それに対して何かを思うつもりもないが。
ロキは一度肩をすくめてから、ルーヤたちにゆっくりと歩み寄った。
「後はキミたちの予想通り。早くに犯人が僕だと気付かれると番人さんに阻止される恐れがあり、犯人が分からないとここへの到着が遅くなる。だから、僕が犯人だと知る手がかりがあるアルテミスのところに寄ってもらったんだ。まさか迷路を作ってくるとは思わなかったけどね」
「一つ聞かせてください、ロキさん。なんでそこまでして、オレたちに来てほしかったんですか?」
「簡単なことだよ。キミたちの力が欲しかったんだ。僕、自分の今のキャパに飽きちゃってね」
ジルの問いかけに、ロキは表情を崩さずに答えた。
「『神社の子どもは特別』でね、キミたちみたいに力に目覚めることがあるんだ。でも、ただの人間が力に目覚めちゃうと結構ムカつくんだよね。子どもはより神に近いからもっとムカつく。それを知った人間は、後継ぎが十五歳になるまでこの力については教えないことにした。力の存在を知ると、使えるようになりたいって思いが素質に作用して、目覚めやすくなるから。さらに、万が一力に目覚めた後でも祟られたりしないよう、毎日朝から『掃除』をして機嫌を取った」
ロキの視線は明らかにルーヤに向けられていた。ルーヤは守り袋に手を触れ、唇をかんだ。ロキは笑って続けた。
「でも、そうやって目覚めた力でも、子どものは定着しきっていないから、神様なら引っぺがして自分の力として使えるようになるんだよ。僕が僕の手でキミたちの魂をもぎ取れば良いだけ。今から殺してあげるから」
一同が命の危険を察して息をのむ中、ルーヤだけが近づいてくる元凶を睨みつけ、押し殺した声で言った。
「本当にそれだけのために、こんなことやらかしたの?」
返された答えに、悪びれは何一つ含まれていなかった。
「うん」
「ばっかじゃないの!」
ルーヤはばっと顔を上げて、ロキに掴みかかろうとした。それをヴァフスルーズニルが止めた。
「まー落ち着けよ、馬鹿ガキ。感情丸出しにしてると、どう付け込まれるかわからないぜ」
「落ち着いていられるかよ! 俺なんかよりあいつのほうがよっぽど馬鹿ガキだぜ! 力が欲しかった? そんなことのために一体何人死んだ!」
ロキは自分の髪をいじりながら、面倒そうな口調で言った。
「だってどうせ人間でしょ。ほっといても死んじゃうし」
「だから皆楽しもうと必死に生きてんだろ! 神様なら気付けよ! 俺ら、生きんのに必死なんだよ!」
ルーヤたちの四、五メートルほど先で、ロキがぱちくりと立ち止まった。ルーヤはその阿呆面にたまらなくなって、守り袋を引っ掴んでロキのいる方向に投げ見せた。それは、ロキとルーヤのちょうど真ん中くらいに落ちる。ロキはきょとんとそれを見下ろした。
「なにこれ」
「あんたが奪ったもんの全てだよ!」
だが、ロキは興味なさげに目を伏せた。
「汚い袋」
「そうやってお前は表面しか見ない。これに何がどんだけ詰まってるか考えもしない! 確かに人間なんて『どうせ死んじゃう』よ! けど、限りがあるから皆笑って生きようとしてんだろ。俺たちもそうだし、死んでいった奴らだって! それがわかんないなら、お前は正真正銘の大馬鹿だ!」
もう誰もルーヤを止めなかった。止める必要もないと思った。
一方のロキは笑みをはぎ取ると、低い声でつぶやいた。
「無知な人間が僕を馬鹿呼ばわりするの。むかつくね」
「無知だろうがなんだろうが、生き物の生きる意味も考えないお前よりましだね」
ルーヤが右手の水糸を出した。ロキの口角がぴくりと動いた。
「弱いくせに生意気。弱い者は弱い者らしく、強い者の糧になればいいのに。自然淘汰なんて言葉は人間が生んだものでしょ」
「ああ、ロキさん。オレ、その言葉キライなんですよ。確かにオレたちは弱い。だけど、弱い者には弱い者なりの生き方がある。知ってるでしょ、霊長類の中でオレたちの祖先は圧倒的に弱かった。だからこそ、道具を使うことを覚え、二足歩行をはじめて、なんとか生き延びようとしたんです。弱さを受け入れて進んでいく強さは、強者の比じゃないですよ」
ルーヤにならい、ジルも鞭を出した。ロキは子どもたちを卑下して笑った。
「キミたち、悔やんでないの? ただ命令されて動いただけの可愛そうな人間を、キミたちは傷つけたり殺したりしてるんだよ?」
「優しさも甘えも、とっくに捨てたわ。今生きているのはあたしたちなのよ。エゴの塊になろうが何になろうが、今生きているあたしたち自身を生かし続けることがあたしたちの義務。もちろん、どうやって生きてきたかは忘れないわ。でも、今を見失うなんてバカなことをする気はないわね」
そしてリティも抜刀した。完全に戦闘態勢に入り、ルーヤは糸をロキに向かって放った。ロキはルーヤの想像力が追いつかない速さで動き回り、糸に捕まることはなかったが、ルーヤはロキを追いかけるように糸を放ち続けた。そこに、挟み打ちをするようにリティが滑り込み、リティの斬撃をかわしたロキに向かってジルも鞭を振るう。ロキは祭壇まで飛び退り、その真上のシャンデリアに飛び移った。
「やっぱ、ムカつくね」
すると、ヴァフスルーズニルが盛大に笑った。
「そりゃあ、こいつら馬鹿だからな」
ロキがヴァフスルーズニルに怪訝な顔を向けると、森番は笑みを深めた。
「報酬はない、命の危険すらある。なのに、ただ助けたいからってだけで、この三人はここに集った。そんな馬鹿みてぇにまっすぐな人間相手に勝てると思ってんの、神サマ?」
「神の下僕の森番が何言ってんの」
「こいつらの馬鹿がうつったっつってんだよ」
言うと、ヴァフスルーズニルは指の関節を鳴らした。ロキの顔がゆがんだ。笑っている形だったが、にじみ出ているのは違う感情だった。
「ずたずたにしてあげる」




