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09 目隠し鬼ごっこ 第2パート

   * * *


 ジルは老人を負ぶって街道を歩いていた。そのジルの耳に、怒鳴り声が飛び込んできた。

「この役立たずが!」

 何気なくそちらを向いたジルは、群衆の隙間から怒鳴る男と怒鳴られる女を見て息を呑んだ。

 ラルド! レイヤ姉ちゃん!

 ジルは瞬時に思い出した。組のお得意様だったラルドがレイヤを買って行った光景と、その日までにレイヤがくれた優しさと笑顔を。

 出会ったのも別れたのも十歳。一緒にいたのは一週間足らず。それでも、その一週間は大きかった。苦境に耐えかねていたジルに、自分も絶望のふちにあったはずのレイヤは優しく接してくれた。頭領以外からもらった、頭領とは種類の違う温かさ。

『大丈夫?』

 ジルに対する彼女の第一声が、それだった。

 買われていった頃よりずっと痩せたレイヤは、ラルドに何度も鞭打たれながら必死で謝っていた。レイヤの足元には小麦粉が散らばっている。馬車には同じ袋が三十ほど積まれていた。すぐに状況を飲み込んだジルは、街道の端に老人を下ろし、一言告げるとラルドとレイヤの元へ行った。

「じっちゃん、ちょい待って。すぐ終わると思うから」

 老人は無言でうなずいて、止めることはしなかった。

 ジルは野次馬をかき分けてその中心へ行き、鞭を持つラルドの腕を掴んだ。何が何でも、止めなければ。

「ちょーっといいかい、ラルドの旦那。小麦粉の一袋二袋で腹を立ててちゃ、懐の狭い男だと思われますぜ」

「なんだと?」

 ラルドは苛立ちを隠すこともなく振り返った。レイヤははっとしたようにジルを見上げた。ジルはラルドに向かって皮肉を込めて笑ってみせた。

「そんなに小麦粉が大事なら、そのぶくぶく太った体で運んじゃどうだい」

 ラルドはジルの物言いに顔を怒りで染め上げたが、ジルの顔を見てふと目を細めた。ジルの両頬には、一般人が見ても何とも思わない緋色の入れ墨があった。

「その入れ墨――、奴隷商人じゃねぇか。なんでこんな街中に居やがる」

「組をおん出された身なんですから、もうどこへ行こうとオレの勝手っしょ。旦那に口出しされたかねぇや」

「口出しだと? それをしているのは貴様の方だ! 金を払って買った道具をどう扱おうが、俺の勝手だろうが! こいつは不良品だ!」

 そう言ってラルドはジルを振り払い、鞭を放り捨て、腰の剣を抜いた。ジルは舌打ちして、再びラルドの腕をつかんだ。ラルドは、使えない奴隷を次々と処分することで有名だった。

「よそうぜ、旦那」

 止めに入ったジルの腹をラルドは殴り、続けてこめかみを殴った。反応しきれなかったジルがその場に倒れ込む。レイヤの細い悲鳴にかぶさるように、ラルドは叫んだ。

「下っ端のガキは引っ込んでろ!」

 ジルは顔をゆがめた。目が回って、身体が言うことをきかなかった。何もできず、ただ見ていることしかできなかったその光景は、悲惨だった。

 ラルドが剣を振りおろした。レイヤの肩口がばっさり斬られた。レイヤの体から大量の血が流れだした。

 ジルたちを取り囲んでいた民衆は、叫び声を上げて一人残らず散って行った。だがジルは、レイヤと血だまりを食い入るように見つめて動かなかった。

『お姉ちゃんって呼んでね』

 そう笑いかけてくれた人なんだ、あの人は。

 その人が死んだ。殺された。こいつが殺した。何年も虐げて酷使した挙句、不良品と呼んで、処分と銘打って。

 ラルドは剣を鞘に収めると、一度放り捨てた鞭を拾い、すでに死んでいるレイヤを打ちつけた。もう動かないはずのレイヤの体が、鞭の動きに合わせて血の中で跳ねた。ジルは収まりつつあっためまいの中で、吐き気をこらえて立ち上がり、ラルドを殴り飛ばした。ジルは、倒れこんだラルドから鞭を奪って左手に握った。

「文句なんて言わせねえ。あんたはそれだけのことをした」


  * * *


 ジルは四週前の自分を見つめて、静かな声で言った。

「ありゃ利己だ。わかってはいた。旦那と同じ自分勝手。それでもオレは、旦那を許しちしまうことはできなかった」

 ジルは苦い顔で四週前の自分を指差した。

「苦しませたいって思ったんだ。普通の鞭じゃたかが知れてる。そんなもんじゃない、絶望さえ覚える痛みを。そう思った時だった」

 四週前のジルの左手から血が流れ出した。代価だ。この時ジルは力を手に入れた。

「けど、あの時は力がどうのとか何にも知らねぇ。旦那を痛めつけたいって思いしかなかった。だけど、あの左手じゃ鞭は振るえない。右手も利き手じゃないから上手く扱えない。そこで、オレは腕輪ごと鞭を想像した。先端にナイフをはめた鞭を」

 四週前のジルは、その鞭でラルドを打ちのめした。ルーヤは、初めて見るジルの憎悪につばを飲み込んだ。

 やがて、四週前のジルが手を止めた。ラルドが、息を切らせながら言った。

『殺さない、のか』

『……そんな安いもんじゃねぇんだよ、命って』

 ジルはそう言うと鞭を消し、老人の元へ戻って行った。

 ラルドは傷ついた体でよろよろと立ち上がると、今ルーヤたちの横にいるジルをぎろりと睨んだ。ジルが大きく息を呑む音を、ルーヤとリティは隣で聞いた。ラルドが一歩ずつ近づいてきた。それに合わせて、ジルも一歩ずつ遠のいていった。

 突然、ラルドがジルに向かって駆けだした。ジルは漠然とした恐怖に襲われた。やっぱり、と思った。やっぱり、ラルドはジルを憎んでいた。ただジルは身体に任せて、気付けばラルドから走り逃げていた。

 ジルの名を呼んで追いかけようとしたリティだったが、ラルドとぶつかりそうになってよけた拍子に均衡を崩して倒れこんだ。ルーヤがリティを庇うように立つ間に、ジルは離れ、そしてまたも景色が変わった。元の氷の迷路だった。しかもそこにジルの姿はない。遠くで響く足音を聞いたリティは目を細めた。

「もしかして、氷を通り抜けて?」

「え? 人間には触ることができる氷なんじゃないの?」

「人間だけってくくりが、まず間違ってるのかもしれないわね」

 リティは立ち上がって息をついた。

「恐がって逃げだすなんて馬鹿みたい。悪いのはどう見ても奴じゃないの」

「リティ……」

 何かもの言いたげな顔をしているルーヤを、リティは睨み返した。

「なに」

「いや……。相手のほうが悪いから仕方がないって、リティなら割り切れる?」

「ええ、もちろん。言いたいのはそれだけ?」

「うん、まあ……」

「じゃあ、これからどうするか決めましょうか」

 あまりにきっぱりとしたリティの言い方に少し戸惑いながら、ルーヤは首を巡らせた。

「うーん、ジルが走って行ったのってあっちでしょ? とりあえず行ってみない?」

「上へ行く方向と真逆じゃないのよ。遠回りよ」

「けど、ほっとくわけにはいかないだろ。……仕方がないなんて、傷付けた側の言い訳に過ぎないんだって、俺なら思っちゃう」

「あいつもあんたも優しいのね。真似できないわ」

 そう言いつつ、リティはジルの足音が消えていった方向に自ら足を進めていった。しかし、すぐに景色が変わって立ち止まった。リティは小さく舌打ちした。

「今度はあたしみたいね」

 そこは、リティが育った鍛冶屋の裏庭だった。そこで過去のリティは爆弾を手に持つ男と対峙していた。座った体勢をとっていた過去のリティを見て、ルーヤは思わず声を上げた。リティの右足は血に染まり、膝から下を失っていた。リティは面倒臭そうに息をついた。

「あの爆弾魔にやられたのよ」

 そっけなく言い放ち、リティは縁側を顎で示した。

「ほら、あこで死んでるのがここの職人よ。あたしの育て親。名前はロウ。爆弾に刀で太刀打ちしようとしてあのザマ。無理に決まってるのに」

 リティはそう言うが、過去のリティも右手に刀を持っていた。

「これも四週前の話よ。鍛冶屋の二階、見てごらんなさい。見覚えのある服を着た翁様がいるでしょ」

「……ホントだ」

 二階の窓から、老人が裏庭を見下ろしていた。

 リティは老人を一瞥すると、突如笑みを浮かべて言った。

「よく見ておきなさい」

 ルーヤはリティを振り返り、そして身震いを覚えた。リティのその表情はおぞましくもあった。嘲笑のようにも感じられる笑みを深めて、リティは言った。

「刀で太刀打ちできないことを知ったあたしが、代償を払って力に目覚めて、あの爆弾魔を殺すわよ」


  * * *

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