09 目隠し鬼ごっこ 第1パート
氷の内部は冷たく入り組む
迷わせ惑わせ、迷った者の内部を凍らす
惑わしの路は断ち切るが良し
ルーヤは迷宮の中に入り、ヴァフスルーズニルに向かって三メートルほどある氷の壁を拳で叩いて見せた。
「ここに壁があるじゃん! 迷路になってんの、わかんないの?」
「ああ、お前さんが空気をぶったたいてるマヌケにしか見えねぇ。ただのでかすぎる坂だ」
「……『坂』?」
ルーヤが嫌な予感と共に聞き返すと、ヴァフスルーズニルはぴんっと上を指差した。上を見上げた少年少女は、途方に暮れるしかなかった。そこには、迷路が螺旋状になってぐるぐると上まで続いているという残酷な光景が広がっていた。だが、ヴァフスルーズニルにはただの平坦な道にしか見えないらしい。
「人間はタブーってことですかね?」
ジルが言うと、ヴァフスルーズニルは肩をすくめた。
「しゃーねぇな。オレが先に上行って様子見てきてやる。仮に事の犯人がアルテミスだったとしても、相手がやつなら、森番の俺が殺されるこたぁねぇ。んじゃ、ちょいと行ってくるわ」
「えっ、ちょ、ヴァフ! そこ氷が!」
ルーヤたちには、ヴァフスルーズニルが氷に向かって突進しているようにしか見えなかったが、ヴァフスルーズニルは氷を通り抜けてしまった。
ルーヤは氷を叩いてみた。通り抜けるどころか、崩れる様子もない。ジルはしばらく考えてから、リティに尋ねた。
「姐御、この壁斬れないっすか?」
「これが実際に存在しているものなら、斬れるわよ。でも、幻影だったらたぶんムリね」
リティが現実にできる夢とは、物が切れていく夢ではなくリティが物を斬るという夢だ。たとえリティが幻影を斬る夢を描いたとしても、その対象物が現実には存在しないものなら、夢は行き場を失って現実は何も変わらないはず。
しかし、ジルはあごに指を添えて言った。
「いや、たぶん、じっちゃんの言う『惑わしの路』って、この迷路のことだ。だから、断ち切れると思う」
リティは返事をする代わりに刀を抜き、壁に向かって四角を描いた。そしてその個所に一発ひざ蹴りを食らわすと、厚さが五十センチほどもあった壁に、簡単に四角い窓がこしらえられた。リティの能力を初めてまともに目にしたルーヤとジルは、その豪快さにぽかりと口を開けた。リティは澄ました顔で窓を通り抜けると、迷路の先を一瞥して眉をしかめた。
「面倒臭いわね」
壁が三メートルもあっては、目視できるのは手前の一枚だけだ。奥にある壁が見えなければ、どのような壁をどのように斬れば良いのか、夢に描くことはできない。つまり、一気に壁を切り裂くことができない。
リティに続いて窓を通りぬけたジルは、その穴を見つめてつぶやいた。
「斬れたってことは幻影じゃないってことですよね」
「え、じゃあなんでヴァフは通り抜けられたんだよ!?」
ルーヤがくわっと目を見開くと、ジルは腕を組んだ。
「『人間だけが見て触れることができる氷が実際にある』。信じられないですけど、そういうことっしょ?」
ジルがそう言って先を見つめた、その時だった。突如迷路が歪み、景色が変わった。
それはどこかの街道だった。隅の方では何人かの子どもが――おそらく孤児が座り込んでいる。その街道の真ん中で、一人の太った男が鞭打たれていた。男の服は鞭によって破れ、背中に彫られた狼の入れ墨が露わになっていた。そして、猛烈な怒りによって男を鞭打っている人物は――
「ジル? あれ、お前?」
ルーヤジルを見上げると、ルーヤの隣にいたジルは、自身が男を鞭打つその光景を黙って見据えていた。リティは目を細めながら言葉を投げた。
「ちょっと説明してくれてもいいんじゃない?」
「……四週前の話ですよ。ほら、あっち」
ジルが目で示した。ルーヤとリティがそちらを見ると、見覚えのある黒い服をまとった老人が、街道の隅で座っている様子が見えた。
「後でオレに、ヘスティアさん救出を頼んできたじっちゃんですよ。すったもんだで足くじいちゃったんで、医者に連れてくとこだったんです。そん時に、あの太った男と会って」
ジルはそちらを見つめた。四週前のジルと男の傍らには、女奴隷の死体があった。
「や、やっと着いた……。ちょっと長すぎこの坂」
ヴァフスルーズニルはぜーはー言いながら最上階に辿り着いた。目の前には細かい彫刻が施された氷の扉がある。さて、この先にいるのは、思いこんだ女神か思いこまされた女神か。
「おーい、入るぜー」
ヴァフスルーズニルはノックの後、その部屋に入った。その瞬間に対面したのは、氷の女神ではなく氷の矢。危うくかわしたヴァフスルーズニルは、部屋の主であるアルテミスを睨んだ。
「いきなり危ねぇじゃねーか、こんのや……ろ…?」
女神を野郎呼ばわりしたヴァフスルーズニルだったが、その宮の主が部屋の隅に鎖でつながれているのを目にして思わずぽかんと口を開いた。
「……お前、アルテミスだろ? なんでつながれてんだ? もしかして趣味?」
そんなわけあるか、と突っ込んでくれる者はいなかった。アルテミスはその端麗な顔を憎悪に歪め、奥歯をぎりぎりと鳴らした。
「貴様もわたしを愚弄する気か!」
言うや否や、アルテミスは氷の矢を次々と作りだして飛ばしてきた。ヴァフスルーズニルは慌てて床に伏せてそれをかわし、声を裏返させた。
「はっ? ちょぉい! ワケわかんねぇし! オレは森番のヴァフスルーズニルだっての!」
「なぜ番人がここにいる!」
「下にいる連中がおもしろいから着いてきたんだよ!」
言いながらヴァフスルーズニルは、自分のセリフに半笑いだ。眼帯クンに似てきたな、オレ。
だが、問題はアルテミスだ。よくわからないが、外敵と勘違いされているらしい。ヴァフスルーズニルは彼女の思い込みが強いことを承知の上で、それでもなお彼女の正義感に賭けて立ち上がり、矢をかわすのをやめた。すると思惑通りに、頬をかすった一本を最後にアルテミスは矢を止めてくれた。
「どうしたのだ」
「いいや、オレに反撃の意思なしって分かってもらいたいだけ」
「森番、か。何百年も森を守ってきたのだったな。いいだろう、一時的に信じてやる」
よし、助かった。日頃の行いが良いと得をする。
ヴァフスルーズニルは息をつくと、どこから話したものかと頭をかいた。この分だと、アルテミスはヘスティアを捕らえてはいない。このことに関して色々聞きだしたいが、それはルーヤたちがここに来てからの方が良いだろう。というわけで。
「とりあえず、下の迷路消してくれねー? オレには見えねえんだけど、あんたに会おうとしてる連れの三人が迷路があるって言ってるんでさ」
「却下する」
「即答ですかアルテミスさん。ちょっとくらい悩んでよ」
「あの迷路の氷は、血の匂いのする者を惑わす。その『連れ』とやらが氷に阻まれたということは、どこかで人を傷付けているということだ。そんな奴等とは会わん」
アルテミスの言葉に、ヴァフスルーズニルは片眉を吊り上げた。
「血の匂い? オレも人間撃退で結構やっちゃってるけど?」
「自らの意志ではなかっただろう」
「つまり、あんたの氷の迷路は、自分の意志で誰かを傷付けた存在の前にのみ現れるってことか。……あー、まあ、ヘイキヘイキ。あいつらはいたって人畜無害」
カッコ金髪嬢は微妙カッコ閉じる。
「確証がない」
「んもー、つれないったらありゃしない。じゃさ、迷路についてちょいと教えろ。オレがなんとかするからさ」
すると、アルテミスは番人などになんとかできるはずがないと思ったのか、すんなりと話し始めた。
「あれは対象を二重で惑わす。一つは迷路として、もう一つは鏡として」
「鏡?」
「そうだ。映しだされる幻影とは、対象者が血を浴びたときの記憶であり、それに対する対象者の思いでもある。対象者の近くにいる者もその幻影を一緒に見ることとなるがな」
「おぉ、敵は自分ってか? 趣味がよろしいこって」
ヴァフスルーズニルは誤魔化すように軽い調子で舌を出して見せた。
一番やばいのは、入れ墨かな。
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