拷問好きのアスフェロちゃん
たとえ目隠しをして連れてこられたとしても肌で感じ取れるような死臭漂う拷問室に、甲高い絶叫が響き渡った。
絶叫はどす黒く重い空気の室内をそれでも高速で反響する。
次に聞こえたのは、万人の吐き気を催す不快音。
ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ。
聞いたものの耳にこびりついて離れない肉の音。
ぶち、ぶち、ぶち。
力任せな繊維の千切れる音。
奏でているのは他でもない、アスフェロと言う少女だった。
この場で、目を覆ってしまうような惨劇が繰り広げられていた。
「そうそう。まずは爪を剥がすところからだよね」ペンチが爪の先にかかるのを見て、にやりとアスフェロの顔が歪む。
アスフェロは拷問が好きだった。大人がセックスを楽しむように、アスフェロは拷問を楽しんでいる。
過去のアスフェロにとって、最大の至福はシュークリームを頬張る時間だった。しかし現在では拷問の時間に置き換えられている。
甘味を求める少女の可愛らしい欲望は、どす黒い赤色に染められたのだ。
拷問の面白さに気づいたのは十歳の時。
秘密組織の幹部の娘として、とある拷問に立ち会ったのがきっかけだった。
噴水みたいに吹き出る血を見る快感。
一生消えないだろう傷を残す快感。
脳が痺れる快感。
その魅力に憑りつかれて以来、アスフェロは組織でもそういう担当で通っている。アスフェロ自身、自分はこの時間のために生まれてきたんだと思っていた。
十歳の頃から現在までの五年間に、アスフェロは計七回の拷問を経験したが、どれも刺激的で濃厚な時間だった。
これが記念すべき八回目だ。期待と興奮で息が荒くなる。
一方、運悪くそんなアスフェロの相手をすることになったマリンは、あまりにもあんまりな理解不能を前に、ただただ絶句するのみだった。
「あっは! 指先がぜーんぶ真っ赤! もう猫の手ができないね」
「ぅ……」
アスフェロの恐怖感しか与えてこない笑顔に、マリンが呻く。
マリンは、もう二十年以上も裏の世界で生きている。これまでに様々な畜生と対峙してきて、どんな事態にも恐れない胆力を身に付けていた。
しかし、さしものマリンでもここまでイカれた人間の相手をするのは初めてで、正直に言えば、正視に耐えなかった。
なぜ血を目の前にしてそんな風に笑えるのだろう?
アスフェロはマリンの様子に構わず続けた。
「爪を剥がしたから……そうだねぇ。むき出しの肉に針を突き立てるのがいいかなぁ。
……あ、指一本につきノルマ十本なんてどう? あは」
アスフェロの言うことを想像してしまったのか、マリンはますます青い顔になる。
しかしマリンの表情とは反比例して、アスフェロの表情は喜色に染まっていく。
「あ~! そんなことしたらまるで針刺しだね!
そうだ、この際手の付け根をそこの鋸で切り落としてさ、本当に針刺しに使うってどう? ナイスアイディアだと思わない?
さっき言ったみたいに爪を剥がしたところに刺してもいいし、手の甲にびっしり刺すのもありだと思う。
普通に便利だし、お洒落で面白そ~!」
アスフェロは息を荒げ、ハイテンションで捲し立てた。
「ね? だからいいよね? 手を切り落としても。ああでも、針を刺すのは手を切り落とす前ね、じゃないと意味ないし!」
意味、と口にした後で、アスフェロははたとこの拷問の意味――目的を思い出した。
拷問とは痛みを与えることが目的ではない。痛みは手段であって、本来の目的は痛みで以って相手から情報を引き出すことだった。
つまらないことを思い出し、少し興が削がれる。
「……あなたの拠点と、仲間の名前を教えなさい」
冷たく沈んだ声。
「…………」
答えは返ってこなかった。両者の間に冷たい空気が流れる。
アスフェロはそこら辺にあまり興味がなかったので、態度をけろっと変えて再びハイテンションに戻った。
「まあ、そんなのはどうでもいいんだ!」
アスフェロにとって大事なのは拷問と言う行為なのであり、そこに含まれる意味などはどうでもよかった。
苦痛。それが拷問におけるアスフェロのすべてである。
とはいえアスフェロの事情は周りには関係ない。拷問によって情報を引き出すことは課されたノルマであり、そのノルマをクリアするためならどんな無茶でも体に刻み付けるのが拷問だ。もしも反抗的な態度を取られたならば、さらなる苦痛を与えるのが定石である。
よってこのやり取りでアスフェロの拷問はさらに激しさを増すこととなった。
それはアスフェロの利害とも一致するが。
「う――あ! あ! あ! あ! ぁあああああ! ひぎぃぃいいいい! い、い、い!」
この悲鳴の間に行われた一連の流れを説明すると、こうなる。
まず手に取ったペンチを指先に振り下ろす。勢いよく飛び散る血肉。
それから腕の肉を上から下へとペンチで三回毟る。
次に一番上の傷にペンチをぐりぐりと押し付けて、下に引いていく。三つあった剥き出しのピンクが一つの裂傷になる。
最後に裂傷を指で三回つついて、先ほどの悲鳴が生まれた。
「はぁ……はぁ……えへへ。楽しぃ~!」
拷問とはなかなか体力のいる遊びだ。アスフェロはへとへとになりながら、しかし恍惚とする。
「君も楽しい?」
当然ながら返事はない。この状況を楽しめるのはアスフェロだけだ。
アスフェロは普段から、どうしてこの楽しさを誰も理解できないのか不思議に思っていた。
飛び散る肉。飛び散る血。飛び散る命。
どれも尊い光景だ。
それなのに人はいつだって、アスフェロの拷問趣味を知ると信じられなものを見るような目になった。気持ち悪いとアスフェロを遠ざけた。異常だ変態だと罵った。
とりあえずこの特異な趣味が実益も兼ねているのでアスフェロは組織の所属を許されているが、そうでなければ今頃一体どんな風に排斥されていたのだろうか。時折そんなことを考える。
まあそれはそれで面白そうだとも思うけれど。
とにかく、アスフェロは今までに一人だって理解者を得ることができなかった。
だからアスフェロの問いかけになんの反応もなかったところで、アスフェロは何一つ困らないし思うところもない。
「まああたしが楽しいからそれでいいよね」
他人がどう思おうが関係ない。
アスフェロはそう結論付ける。
「ところでさ、こんな処刑方法を知ってる?」突然アスフェロの語調が変わる。「牛の鋳造に人を閉じ込めてさ、火で熱してじっくり殺すって処刑。なんてったかなぁ。えーっと、……まあ名前なんてなんでもいいけどさ。人間の考えって本当に面白いよね。よくこんなやり方思いつくよなぁ。あのね、鋳造内部の温度が高まるとね、中の人はあまりの灼熱に叫び声をあげるんだけど、その声が外に響くまでに、鋳造の構造で絶叫が牛の声に似たものに変わるんだって。それってさ、もう端から衆目にさらす目的で作られてるじゃん。観客を沸かすためのパフォーマンスじゃん。芸が細かいよなぁ。ただ苦痛を与えるだけじゃないんだぜ」
マリンはそんな話を聞きたくなかった。
アスフェロの場違いに黄色い声を聞いているだけで吐いてしまいそうだった。
「まあようするにフライパンに蓋をして何か焼くのと同じ感じかな。あたしも一度試してみたいんだけど、さすがにそんなことさ――がっ!」
マリンはそんな話を聞きたくなかった。
だからアスフェロの頬を思いっきり殴り飛ばした。
首を痛めるほど勢いよく横向きになったアスフェロは、その顔をゆっくり正面に戻して、口の端から一筋の血を垂らす。
にやり。
「あは。いいよそういうの。あたし好きだなぁ。やっぱり拷問の相手は気が強いやつじゃないと。でも、あたしが今まで相手にしてきた子たちはね、みんな最後には酷い顔になっちゃったんだけど……さっ!」
ペンチで顔面を殴る。
「ペンチってさ……万能だよね。さっきそうしたみたいに抉ったり毟ったり潰したり押し付けたりできるし、その上殴ってもそこそこ効果があるんだよ。拷問にペンチは必須アイテムだね」
一家に一個、大型ペンチ。陽気なメロディでそう口ずさんだアスフェロの表情は狂気そのものだ。
――しかし、十分後。
アスフェロは失望する。
「ねえ、もうちょっと張り切ってくれないかな?」
苛立ちを隠さずに、アスフェロは言った。
そう、アスフェロは現在苛立っている。
自分の相手をするマリンの、あまりの手応えのなさに。
アスフェロとしてはもっと激しくもっと凄まじい拷問を望んでいるのだが、肝心の相手が呼吸を合わせてくれなかった。相手がノってくれない拷問は、いくら変質趣味のアスフェロと言えども楽しめるものではない。
先ほどまで高かったテンションも次第に下降していき、今ではいっそ相手を殺してしまおうかと悩んでいる次第だった。
「うーん」
どうせつまらない拷問。
すでにアスフェロは飽き飽きしている。このまま拷問を続けても、面白いことは何一つとしてないだろう。
しかし久しぶりの拷問。
こんながっかりな内容でもアスフェロにとってはまれにしか経験できない遊びである。こんなに早い段階でやめてしまってはあまりにももったいない。
「うーん……あ!」
そこでアスフェロは思い出した。
昨日、同じ組織に所属する同僚のスガルが言った一言を。
『明日のおやつはシュークリームな。楽しみにしておけよ』
思い出してからの行動は早かった。
アスフェロは自らを縛り付ける鎖を力任せに引きちぎり、椅子から立ち上がった。そして、慌てて応戦しようとするマリンを手近にあった鋸で斬りつけると、おもむろに倒れる彼女の頭を踏みつぶして、つまらなそうに言った。
「君に拷問されても、あたし全然感じないや」