モネ あるいは睡蓮の庭―風景画家の視点で
ずいぶん久しぶりに、日曜美術館を見た。
モネの刈り穂積からはじまって、とある村へ引っ越してからの
睡蓮の庭の晩年の傑作をひとつずつ見ていった。
水鏡と睡蓮との映り込み、自然と人工の対比、モネの庭造り、日々の連作ー。
いくら描いても描ききれない水の反映の美しさ、蒼とやわらかな碧との淡いコントラストと
ピンクの蓮の落とす影。たおやかなみずのうねり。
原田マハさんが一枚ずつ解説を添えていた。
歴史的な意味、モチーフの重要性、でもそれらへの意見の視点は、画家のものではないように思えた。画家の意図を追って、つくりあげた、画家の視点を代弁したものではないような。
彼女の語り口は、美術評論家のそれであって、けして画家―とくに、風景画家ではないと思った。
画家がいかにモチーフを見つけ、いかに描き込んでいくか、その苦悩とか、ひらめきとか、喜びーそういうのを、おもに追及している方には見えなかった。モチーフの意味とか、歴史的ななにかにはくわしいかもしれないが・・
8歳のとき、母に連れられ、展覧会を見たことがある。
モネも含む印象画の、それらをとくとくとして、解説していたら、母に小突かれた。
“あなたは描くことはなにかということを理解していない。おくちをつぐみなさい”
母は風景画家だった。
”どうしたら理解できるの?“
無邪気なわたしはたずねた。
“絵を描くこと、絵を描くこと。そして、どうやって描いたかに思いをはせること。それが98パーセント、2パーセントは画家の肉筆の手紙や日記を原著で読むこと。”
“フランス語なんて読めないよ。”
“じゃあ伝記でもいいから、良い翻訳で。買ってあげるから”
モネの伝記を会場でさがした。でも、コーナーをみていたら、セザンヌの伝記にとても心惹かれた。
“これはあなたには難しいでしょう。とても地味な画家だし”
でもこれがいいの、といったらいいでしょう、といった。
何十年もあとになって、セザンヌは、彼女―母にとても影響を及ぼしている、大事な画家だと知った。
彼女はモネは好きな方ではなかったが、今の齢になって、その立場に共感できるという。
モネ、晩年の作。
白内障を患い、思うように描けない。
まず、思うように視野がうつらなかったのだろう、と母は言う。
”見えたままを描いても、ああなったと思う。とても悔しかったはず。好きで、あんな点描やラフな線ばかりを描いたわけじゃないと思う。みえなかったーそれだけね。今になってしみじみわかる気がする“
筆を再び持つことを夢見ている母。
いつか、また、おなじようにくすんだ視界で、同じように思うのだろうか。
かつて、あこがれた画家その人と同じ気持ちをー
68歳の老境の最後の大作。
その一見雑な、でも有機的にからんだ、つたのような這う素描の線の数々が、なぜかわたしには、苦悩をもってしてカンヴァスに叩きつけた、モネの遺言の気がしてならないのだ。
了