彼女はヒロインその2、又は、臆病なピアニスト、でした。5
夏休み、レストランから出た私は吹き付ける風の冷たさにマフラーをしっかりと巻き付ける。
そう、私は南半球はオーストラリアに居るのよ! そして、
「じゃあ、散々大自然を満喫したところで……歌劇場に出発だ!」
高校生の孫がいるようには見えない若々しいお祖父ちゃんが高く手を挙げ高らかに宣言するわ。
八月初旬の今、私達がオーストラリアに来たのは祖父母の経営する設計事務所の一週間の社員旅行に便乗したから。前半の三日間は自然遺産やスキーで大自然を満喫、で、後半は歌劇場等の建築鑑賞と買い物等でまったりと、っていう日程。
当然ピアニスト志望の私としては今日の夜の歌劇場内のコンサートホールでのピアノ協奏曲がメインイベントなのよ。
「そういえばここのオケのコンマスって日本人だっけ?」
クラシックに興味が薄い弟が聞きかじりらしい知識を言うわ、でも不正解、
「コンマスじゃなくてコンミス、日本トップクラスの実力派の美人ヴァイオリニストの真壁佳奈さんね……学園のOGらしいわ」
そうなの! 歌劇場の常任オケのコンミスは学園の先輩なの! 今年で退団なさるみたいだけど……凄いわよね!
「……へぇ」
若干テンションがおかしい私を弟は冷めた目で見るわ……別に良いでしょ!
「……ああ、早く音楽に溺れたい」
って、思って言うぐらい……ん、駄目?
コンサートは月並みな感想だけど非常に素晴らしかったわ。フランス出身の円熟の名ピアニストが同郷作曲家の華やかな協奏曲を洒脱に軽やかにそれでいて深く演奏、それを引き立てどこか競い合うようなオーケストラ……ああ、本当に、
「至福の時間だったわ……」
「……姉ちゃん少しキモい」
コンサートが終わって直ぐは私同様夢心地だった弟だけど一夜明けホテルのレストランで朝食中なのに未だに夢心地の私にかなり呆れ顔。……わかってるわよ……もう現実に帰還するわ。
「……で、今日は町並みを鑑賞しながらお買い物だっけ?」
「そ、百合ちゃんに似合う服、婆ちゃんがなんでも買ってあげるから」
現実に帰還し肥えた舌には物足りない紅茶を一口飲んで私が予定を確認すると、祖父同様に若々しい、婆ちゃんとの一人称に違和感ありまくりのお祖母ちゃんが答えてくれたわ。……でも、
「今買っても半年ぐらいクローゼットの肥やしね」
「ふふん、お洒落な女は季節を先取りするものさ」
そんな風に穏やかに家族と事務所のみなさん朝食を摂っていると、
「大ニュース、大ニュース!」
と、一人遅刻の朝の弱い事務員女性、愛宕さんが賑やかにやって来たの。
「あら、どうしたの?」
お祖母ちゃんが冷静に尋ね、空いている席を奨め、お茶を差し出す。愛宕さんはそれを飲むと、
「あの! 昨日のコンサート! あの超美形モデルの岸元一宏様が来ていたらしいのよ!」
周りがざわめく、けれど、私としては、
「あー……そうなんですか……」
セーフ! って感想、後、双子へのお土産どうしよう、とかね、
「百合ちゃん反応薄っ!? えー、いくらイケメンに食傷気味でも『日本一男前な男』には反応すると思ったのにー!」
いや、まあその、
「見ようと思えば大学部に行けば見れますし……」
そして会いたいと思えば弟達がおもしろ半分で紹介してくれるでしょうね、
「あ! そうかー、百合ちゃんの学校の先輩かー……じゃあリアル一宏様ってどんな感じ!」
「いえ、その……見ようと思わなかったので……見てません」
……接触したく無いの。
「あら、私は見たことがありますわ。顔がちっちゃくて脚が長い……まあ、お兄様の方が素敵ですけれど」
「うん、亜衣ちゃん、君は少し黙ってようね……ええと、かー君は見たことある?」
大学部で働くお母さんは見たことがあるそう、で、何時も通りの旦那馬鹿発言、慌ててお父さんが止めたのはギアが入ると長いから。で、大学の図書館に入り浸っている弟に水を向けたわ。
「うん、何度か……まああれはかなりの美形だよね……学園ではそこまで目立たないけど」
「まあそうですね」
「…………ん?」
愛宕さん達事務所のみなさんはキョトン顔、
「……うちの学園……顔面偏差値も高いので……」
『日本一男前な男』と並んで遜色無い美形がちらほらいるのよねぇ……同級生の王子系とか、副担任の貴公子系とか、大学のお兄さんな美人系とか、ね。
「まあ、僕が目立たないレベルで美形が多いって感じだよ!」
国内ではもちろん、こっちでも道行くみなさんの視線を集める美少年な弟が胸を張って言うわ。……すると、
「「「「「あー」」」」」
と、みなさんご納得。……うん、なんだかんだでみなさんも美形慣れしているわ。
愛宕さん情報では長男さんはテレビの撮影でこっちに来ていて、お母様の師匠である夕べのソリストに挨拶がてらコンサートを聞いていたのだとか、で、
「でも残念なことにうららと逆に今日から自然の方の撮影なんだってー……」
つまり、
「サインとか……昨日のニアミスがラスチャンだったのー……」
…………ファンだったのね、愛宕さん、じゃあ、
「サインならツテでゲットできますよ?」
「マジか!? えー、百合ちゃん凄いねー……お願いします!」
「任されました」
追っ掛けるって言われたら怖いもの。
「フユさんお菓子とか食べます?」
帰国し空港の預かり所で私達一家は荷物を交換し、そしてそのまま飛行機に乗り、空港近くの駐車場に置いておいたバンに乗り込み、そのまま寝てしまった後部座席を苦笑しながら見て、私は運転手役に任命された可愛そうな最年少の男性──来年三十路だけど──フユさんに話し掛ける。私は乗り物に弱いから助手席が定位置なの。
「んー、ガムある?」
「はい、甘いので平気ですか?」
「うん、ありがとう」
ちなみにこのフユさん、実はかなりの男前、濃く甘い顔立ちのスタイルの良い長身美形で、多分モデルでも食べて行ける人。けれど、十年近く前、お祖父ちゃんが設計した図書館に行き、その建造物に惚れ込み、通っていた一流──らしい──大学を辞め、弟子入りしてきた熱い人、東京出身らしい彼は、
「ビックな男になるまでは帰らない!」
と、ずっとこの田舎町に居る。そのくせ酔うと一見美少女な弟の写真を見せたがり……まあ、面倒な人、だから美形でも隣で平気なのよねぇ……うん、そう私残念美形なら平気だわ。……誰とは言わないけど同級生達の……うん。
で、フユさんの運転でお祖父ちゃんが設計した自宅兼事務所兼下宿に着き、家族持ちの人達と別れ、暫しバタバタと空気の入れ換えとか洗濯とかをしてやっとお茶を飲み一息入れたら……お盆の準備に取り掛かるわ。
私達は二つ並んだ仏壇に手を合わせる。お祖父ちゃんの両親と妹さんの位牌がある左の仏壇。お父さんの両親とお兄さんの位牌がある右の仏壇。桜花市に行く時に持って行こうか、って話が出たけど夫婦を離すのも、ってずっと一緒なの。
赤の他人だったお父さんとお母さんが『兄妹』になったのはお父さんのお兄さんとお祖父ちゃんの妹さんが結婚したから。けれど、その結婚式後に風邪気味だったお母さんとその両親である祖父母、そしてお母さんがとても懐いたお父さんを置いて出発したクルーズは……帰って来ることは無かった。
その後遺産やら保険金やらで揉めた父方の親族に呆れ、お祖父ちゃんがお父さんを引き取ったり、まだ籍を入れて無かった二人を並んで供養する為にお墓を移したりとごたごたしたらしいけど、去年まで私達一家は仲良く暮らしていた……でも、
「…………百合ちゃんは向こうに居て良かったのよ? みんな百合ちゃんが辛い思いをすることは嫌なんだから」
「平気、平気、まあ、なるべく出歩きたくは無いけど……お盆だもん」
お祖母ちゃんが優しく気遣かってくれる、けれど私は強がるわ。
……あの程度の相手から逃げるのはプライドが許さないから。
説明すると、去年まで私はずっとコンクールに出たことが無かった。だってずっと『先生』に止められてたから、でも私より実力が無いって誰でもわかる子が出ると聞き、私は『先生』に尋ねたの。
──なんで私の挑戦を阻むのですか?
って、で、『先生』の答えは、
──お嫁さんになるのにコンクール優勝なんていらないでしょう?
だったわ。
その時の『先生』の顔が怖くて直ぐに帰り両親に訴え、お父さんとお祖父ちゃんが代わりに聞きに行き、詳しく聞き出した内容は、
──彼女曰く、私は彼女の、地元の名士、県議員の妻である彼女の息子の、大学を出て父の秘書をしている十歳上の男性の、妻になることが決定していた。らしいわ。
で、優勝なんてしてプロを目指されたら面倒だからコンクールに出さなかったとのこと。
それから不愉快な噂が流れたり、その家とライバル関係にある家の一つ上の先輩と婚約したことになったりと……まあ、私の評判はしっちゃかめっちゃかになった訳、で、淳司おじ様の二度目の──実は中学入学時に一度目があったの──勧誘にのって上京──東京じゃないけど──した訳なのよねぇ。だから、
「絶対、一人で出ちゃ駄目だからね!」
弟まで過保護になる訳よ。
「でも暇ー」
家事をしたりピアノを弾いたり映画を見たりと三日間はそれなりに楽しく過ごしていた私だけど……もう限界、
「普段は一日一回は出歩いてるもんねー、姉ちゃんは」
散歩とかしてピアノに向き合わないで演奏を練る時間が欲しいのよねぇ、
「……翔馬、どこか付き合ってぇ……」
「んー、別に良いけど、どこ行くの?」
……んー、どこでも……あっ、
「インターハイ見に行こう!」
たまたまつけたテレビ中継はバスで三十分の場所、そして今日は、
「うちの男バスの試合が二時間後だわ」
選手の友達はいないけど女子マネの友達はいるのよね。
「……まさか地元校ととは……」
しかも色々あった一つ上の先輩の高校。……だから、
「視線が痛いわぁ」
「……ちゃんと調べて来ようよ」
もちろん応援するのは城生院学園。うん、凄い陰口を叩かれるでしょうね。
「ま、別に良いわ……それよりも……」
あっ、
「せっちゃんヤッホー」
「え、百合恵!? どうしましたの、こんなところで」
ジャージ姿の友人を見つけ、挨拶したら、かなり驚かれたわ。まあこんな田舎だものね。気軽に応援には来れないもの。
「ふふ、地元ここらなのよ、で、お盆で帰省中、あっ、これは弟の翔馬、翔馬、友人のせっちゃん」
軽く事情を説明し、弟を紹介したら、
「……あれ? もしかして双姫会員の……」
「ああ、はい……殿下もお元気そうで」
なにやら知り合いらしい会話に……、
「双姫会員? 殿下?」
って、何かしら?
「ああ、それはですね……」
「桃園さん、こんなところで何しているの?」
和やかな雰囲気を切り裂くように、せっちゃんの説明を遮って声を掛けられたわ。声の主は取り巻きを引き連れた少女、彼女は中学時代の同級生、地元では、イイトコのお嬢様……あー、面倒ねぇ、
「……何って、お盆だから帰省してるの」
とりあえず正直に話すわ。けれど当然、
「まあ、あんな恥知らずなことをしといて良く帰って来れたわね」
ま、こうなるわよね……色々あった二人も例によって例のごとしでイケメンなのよ。
「あら、祖霊を大切にするのは素晴らしいことですわよ? それよりもあなた方も我が校の応援を? 地元の方かとお見受けいたしますが……」
不穏な雰囲気をものともせずにおっとりとせっちゃんが同級生達に話し掛ける。……うーん、格の違い、
「え、あの?」
「百合恵の昔のご友人かしら? わたくし今の友人の仙谷と申します」
「え……あら、はじめまして仙谷さん? ……あの、桃園さんとは余り親しくしない方が良いわよ? 実は彼女こっちで」
「あらぁ、初対面の相手に自己紹介もしないで意見をするなんて……まあ」
「え、あの?」
「それより……もうすぐ試合が始まりますが……応援してくださるの?」
ニッコリと笑うせっちゃんはさらりと彼女達を退けたわ。……うーん、格の違い、ね。
「……で、わたくしは圓城寺の白姫様と桐生の紅姫様の公認ファンクラブ『双姫会』の会員ですの」
「で、その双姫会内での僕のあだ名が『道化王子』それで殿下って呼ばれてるんだ」
せっちゃんを手伝い、応援グッズや飲料を配ったり、全力で恋人を応援するせっちゃんにニヤニヤしたり、でも普通にダブルスコアよね? って、呆れたり──もちろんベスト4の常連の城生院が勝っている──しつつ観戦をし、ハーフタイムになって漸く説明の続きが聞けたの。
「で、さっきの追い払い術、白姫直伝のですよね? お見事です!」
わあ、あれはあの黒髪美少女の得意技なのねぇ。
「いえ……本当は紅姫様の『で?』の一言で追い払う。ができたら宜しかったのですが……」
!? 何それ!? 凄くカッコイイわ!
「いや、あれは姫様以外じゃまず無理ですよ」
………………いや、
「うちのツートップと優菜先輩ならできる」
むしろ、
「優菜先輩が伝授した可能性もあるわ」
姉妹だもの。
「……ああ、確かに」
「……何それ、高等部のお姉様方怖い、姫様なら可愛いけどお姉様方なら怖い」
私の発言にせっちゃんが頷くと弟は戦々恐々とするわ。私が最大の障害は優菜先輩って、教え込んだおかげね。ふふ、
「君も情報に怯えるが良いわ」
せっちゃんに聞こえないよう耳元で言うと、弟は涙目で睨みつけるわ。
ふふ、愛い奴ね。
その後のお盆期間はピアノの息抜きに応援をはしごしたり、双子と会ったり、その時栄次君に偽装恋人をしてもらったり、と、色々あって、私は落ち込む暇も無く地元で過ごしたわ。……けれど、
「やっぱりグランドピアノは良いわぁ」
自室のグランドピアノを弾くと帰って来たって思えるの。
「……もう、完全にこっちが『ホーム』になっちゃった」
「ふふ、良いことじゃん。……じゃあ更に落ち着く為に恋人を」
「作らない」
弟は可愛いけど、私に恋愛させたがるのは……、
「ウザい」
私、当面恋には堕ちない予定なの。
だって全力回避中だもの。
夏休みが終わり、新学期。双子達にザ、オーストラリアってお土産を渡しながら私は、彼らの兄についての、弟の情報を思い返す。
弟は言った。
「で、岸元一宏さん。この人は一番姉ちゃんにとって安全かな? 一番幸せにしてくれてたし」
ん? と、さらに問うと、
「んー、一番付き合う率が高いのがこの人。で、何時も何時も姉ちゃんが幸せそうにピアノに邁進……まあ、目立つ人達の中で誰がオススメか? って聞かれたら迷い無くカズ兄さんを推す……僕にも優しい兄さんだったし」
だから、会わないように心がけたわ。書籍もCDもDVDも豊富な大学の図書館には決して行かず、双子から誘われた敬愛する静留様のコンサートも涙を呑んで断り、近所への買い物はなるべく周囲に気を配ったわ。
だって、
心も脳も魂も叫んでいる。
──彼に見つかったら最後だって。
夏休みのヒトコマ
「このキャラ君に似ている」
祖父ちゃん家の居間で小遣いかせぎのアプリを作っていると、オペラのDVDを見ている姉ちゃんに何処かからかうように言われた。画面には少年が貴婦人に切々と歌っているシーンが映し出されてる。僕が辛うじてタイトルを知っているそれの何と無く聞いたことのある歌だ。
「……はあ……ん、この歌手女性?」
何が言いたいのかわからず映像をぼーっと見ていると違和感を覚え、姉ちゃんに確認する。
「そ、いわゆるズボン役ってやつね。メゾソプラノの歌手よ」
ふーん、と思いながら歌詞を追うと……、
「……あざと……姉ちゃんの僕の印象ってこんなん?」
少年は貴婦人に純粋さアピールをしつつ恋を乞うていた。……いや、否定は出来無いけど。
「まあね、君の方が一途で粘着的だけどあざとい感じは重なるわ」
その後、姉ちゃんからこいつが次作で貴婦人との間に子供まで作ったと聞いて、
──やるな。と、思ったのは人格が疑われそうだから内緒です。




