彼女はヒロインその2、又は、臆病なピアニスト、でした。4
【夏~Voi che sapete】
「……蒸し暑い」
梅雨晴れの朝、中高等部の正門をくぐって直ぐ左にある駐輪場で、当たり前過ぎる感想を言いたく無いけど思わず出ちゃったって感じで弟が呟いたわ。
「ははは、桜花市は盆地だからねー、夏暑くて冬寒いよー」
ランニング等の朝練をこなして来たという光三朗君が、カラカラと笑いながら残酷な事実を告げたわ……冬は寒い……。
「くくっ、建物に入れば全館冷暖房完備、だけどね?」
この湿度なのにどういう訳か涼しい気な表情の栄次君が続ける。……まあ、校舎に入ればねぇ。……けど、
「……とりあえずシャワー……はあ、あんた達が夏場は三十分早く出ろって言った意味がわかったわ」
今日も今日とてガラガラな駐輪場で弟に手を振りながら私達三人は高等部校舎に向かうわ。目指すは一階のシャワールーム完備の更衣室、そこで私達は制服に着替えてこの汗ビッチョリなジャージをクリーニングに出すの。これは数少ない自転車通学者に代々受け継がれて来た秘訣なんですって。
そしてサッパリとした私達はパリッとした制服に着替え人が増えて来た校舎を登って行くわ。七階建てのここ芙蓉館の五階に一年生の教室があるの。ちなみに一階が授業に余り関わりが無い施設、二階が私達芸術系特待生用の練習室や作業スペースで、三階が三年生教室、四階が二年生教室で、六階が特別教室、そして最上階の七階が管理スペース、職員室や自治会室等があるの。
雑談しながら若者らしく溌剌と階段を登り、ついた教室は半分ほどの入りで、
「おはよー」
と、挨拶しながら入れば「ごきげんよう」や、「おはようございます」や、「おはよう」や、「はよー」と、言ったバラエティーに富んだ返答がなされるわ。普段は結構ざっくばらんな態度の子が多いことに入学当初は驚いたけど気楽にもなったの。
そして私は席につくと朝一の授業に必要なものと細々としたものをミニトートに詰め、指定バッグを教室奥のロッカーに入れる。私、指定品派なの、靴、バッグ、ベスト、全て指定品、さすがに靴下は手持ちのものとの併用だけどね。
理由はもちろん好みだから、多数派だから目立た無いって言うのもあるわね。とは言え今璃ちゃんや光三朗君みたいにカッコ可愛くアレンジしているのも憧れるわ。二人は小物の色使いが上手いのよねぇ……まあ、たまーに風紀の方々に叱られてるけどね。
で、何時も通りロッカーに入れ終えたあたりで桐生君が登校し、そしてHRぎりぎりで六崎君が現れ、
「はよー、生徒諸君、洗濯機をフル回転させて来た共働きの旦那、流先生だぞー」
「おはようございます、皆さん、庭でラジオ体操をして来た健全な方の桜花院先生で~す」
担任のアロハシャツにサンダルのるー先生と、副担任のTシャツにスラックスにトレードマークになってる白衣を羽織った覚先生が闊達に挨拶し、そしてほぼ雑談のHR──この学園の教師陣は約半数が自由人なのよ──が始まるの。これが何時もの一Aの朝の風景よ。
自由人も真面目な方も楽しんでいるのが伝わって来るとてもわかりやすい授業を受け、迎えたお昼休み。先月までは給食のある弟を除いた家族三人のお弁当を作ってた私だけどさすがに夏場は……ってことで最近は学食派、テイクアウトも出来るけれどそのまま学食で友人達と賑やかにっていうのが最近の楽しみ。
で、今日は気が合った芸術特待生女子達との華やかなランチ、高三の彫刻家、クミ先輩と同級生の舞踏家、ちーちゃんに中二の先輩で後輩な圓城寺庇護下画家の子鞠ちゃん、最後に中一のクラシックギター奏者のナナ、それに私を含めた五人で、カフェテラススペースと食堂スペースの間の柱の影でひっそりと濃い時間を過ごすの。
そこで私は、
「みんなも執行部員でしょ? 働く気無いの?」
と、生徒会の男女比率正常化をはかったわ。けれど友人達の反応は軒並みノー、しかも、
「しっかし、百合恵先輩もチャレンジャーだよね。あの生徒会に常任レベルで出るなんて」
と、顔合わせ後即、フェードアウトをしたナナに言われ、
「だよね。わたしも手伝いはしても自治会室には行かないもの」
こちらも顔合わせ後即、フェードアウトをした子鞠ちゃんに感心され、
「あたしは顔合わせにも理由を作って出なかった」
上位五人を確認し即フェードアウトをしたちーちゃんには呆れた表情で見られる始末……怒って良いかしら?
「……私は一月で耐え兼ねて辞めた」
とはクミ先輩、彼女は中一時、向けられる嫉妬の視線のせいで5kg痩せたそうなの……でも、
「一年なんてただの雑用係なのになんでクミ先輩の時はそんなに嫉妬が酷かったんですか?」
私も抱いた疑問を子鞠ちゃんが問い掛ける。活躍する訳でも無く諸先輩方の補助程度しかしない生徒ですら嫉妬されるとか……その頃何が……、
「……私の入学当初は覚様──桜花院先生が生徒会長だったんだ……あのお方のファンはほんと熱狂的っていうか……」
そうか……覚先生と……、
「うわー、けどわかる、今でも凄い人気だもんねぇ……私も良く睨まれるし」
飴を貰ったことを未だにねちっこく覚えられてるのよねぇ。と、頷いて見せたら、
「……百合恵のメンタルは鋼だな」
と、女子にすべきで無い評価を与えられたわ……酷く無い? ……けど……まあ、良いわ、
「っていう訳で基本、私が矢面に立つから生徒会手伝わ無い?」
分かり切った答えを得る為に私は再び要請する。もちろん返事は、
「「「「ノー!!」」」」
だったわ。
放課後のカウンセリングルームで温かなカフェオレを飲みながら私は先週のことを思い返すの。特待生向けの個人レッスンを。
「桃園さんの音には相変わらず色気が無いわね」
ピアノの担当教官である野々宮先生は私の演奏を聞き終えると恒例の感想を言ったわ。……ええ、わかってはいるの、けれど、
「……色気がどうすれば出るのか掴めません」
自覚しただけで改善されるものでも無いわ。
「あら? 何時も言っているでしょ? 恋をなさい」
彼いわく一番の近道だそう……けれど、
「……恋の仕方がわかりません」
残念なのかそうじゃないのかはわからないけど私は初恋もまだな女、恋しろと言われても……って感じなのよ。けれど、
「とりあえず適当なのと付き合ってみなさいな、まね事でもちょっとは効果があるでしょう」
野々宮先生は適当な男性の恋人を演じてみろと言う……けれど、それって、
「ものすごく不誠実で酷い行為ですよね……」
「あら? あなたぐらいの美少女の彼氏をやれるのよ? 別に構わないって連中が列をなすわよ」
……いや、たとえ相手が納得しても、
「……私の良心が……」
納得しないのよね……、
「芸の為なら男の十や二十泣かせなさい、プロを目指してるんでしょ?」
……ええ、私はプロの演奏家を……ピアニストを目指しているわ……けれど、
「ま、無理ならフィクションでも良いから……むしろあなたならそこからかしら?」
……確かに……私は恋愛もののドラマや映画すら苦手……ええ、そこからなら、
「……はい、とりあえず恋愛ドラマを見て見ます」
そしてここ一週間、ずっと恋愛ドラマや映画を見まくっていたのだけど……、
「……梅子先生……恋愛ドラマにときめけない私って情緒が無いんでしょうか?」
定期カウンセリングをしてくれている梅子先生に思わず私は問い掛ける、名作と呼ばれる作品も友人達からすすめられた作品も一切ときめきも共感も出来無かったわ……、
「あら、私も恋愛ものはときめけないわよ?」
さあ、ときめけって言われている感じがして冷めちゃうのよね、と、梅子先生はクスクスと笑いながら言うわ……でも、
「……それ以外ではときめいているんですよね?」
「ふふ、恋愛をメインとしていない作品のヒトコマや恋慕う方の言動にはね」
「……恋慕う方、ですか……」
まあ、梅子先生は恋愛中なのね……それは、それは男子生徒が号泣しそうな、妙齢の美女だし当然だけど。
「ふふ、桃園さんにはいらっしゃらないの?」
「これまで一度も……ねぇ先生、恋ってどうすれば出来ますか?」
聞いて出来るならしてみた……くは無いけど、
「あら、桃園さん、恋はするものじゃないわ、堕ちるものよ」
それって良く聞くけれど、
「……本当に堕ちたんですか?」
堕ちるって……どんな感じなの?
「ええ、うっかりと底なしのに」
ニッコリと笑いながら梅子先生は続ける……底なし……って、怖いわ。……けど、スッゴく幸せそうな笑顔よねぇ……、
「何処で堕ちることが出来るんでしょうね……」
見てるとこちらもうっかりと、そんな風に笑えるなら良いか、って思っちゃうわ……怖いけど、
「ふふ、貴女が貴女の王子様と出会うまで、それはわからないわ」
……色気獲得の見通したたず……ね。
……本当のところ、堕ちたくないけど。
「じゃあ俺と付き合う?」
二年トリオが修学旅行中で平均身長がグンと下がっている自治会室で、適当な男と付き合うことを奨められたと話したところ、アイスを食べに行く? レベルで軽く栄次君が提案したわ。もちろん答えは、
「ありえない」
よ。
「んー、デートごっこするとかなら相性ピッタリだと思ったんだけど」
「……つまり私に付き合ってほしい場所がある訳ね?」
「正解! 『外』の駅前にパフェ専門店が出来たんだけど内装がパステルでね……付き合って?」
「了解……土曜で良い?」
「うん、ありがとう」
この会話からもわかると思うけど私達二人は結構頻繁に出掛けてるのよ。いまさら恋愛ごっこしても色気獲得には繋がらない。
「……二人で菓子食いに行くのにデートじゃないのか?」
「「うん、恋愛的には見れないから」」
若干元気の無い桐生君の疑問に私達は間髪を入れず答えるわ。
「性格の悪い男とは付き合え無い」
「フワフワ系な美少女は好みじゃない」
互いに甘味同盟としては付き合えるけどね。
「ん~? 栄次君の好みってどんな子~?」
若干もさっとしている覚先生がのほほんと尋ねるわ。恋愛不要を公言している栄次君の発言だから興味をそそられたのね。そして、それは私もで、
「フワフワ系じゃないなら優菜先輩みたいなクール系?」
と、人が悪い質問をしたわ。
「いや、残念ながら……んー、そうだね……何系で言うなら……スパイシー系かな?」
人が悪い笑顔を桐生君に向けた後、栄次君が答える。
「……? スパイシー系?」
「うん、一昔前の少女マンガとか、女子向けゲームのライバルの顔立ち」
「………………ああ、釣り目でプックリ唇な美女系か~」
………………、
「それ、私もツボだわ」
「うん、俺もツボ~」
すかさず私と覚先生がいいね! と、同意する。私は自分がフワフワで甘甘な顔立ちだからキツメの美少女が好みなのよねぇ。
「うん、うん……あれ? だったら今璃ちゃんとか好みど真ん中じゃないの?」
服装や言動で可愛い系な印象の今璃ちゃんだけど顔立ちはかなり辛口なのよねぇ。
「んー、顔立ちは眼福だけど……性格が被ってるし……そもそも……ああ、うん、無いね」
……うん、まあ今璃ちゃんは小悪魔女子だものね……じゃあ、
「カウンセラーの梅子先生は?」
大きな釣り目、プックリ唇、そして超ナイスバディ! まさしくスパイシーでゴージャスな美女!
「ああ、そういえばあの人も…………うん、性格のフワフワキラキラで全然辛く見え無いね……初恋の人に似ててすごく癒されるけど」
……………………!?
「「「「「はっ初恋!?」」」」」
自治会室全体が驚愕したわ。だって!?
「お前に初恋!? そんな人間らしい時代があったのか!?」
「しかも梅子先生に似ている人!? つまり性格の良い人を!?」
ありえない! この人格破綻者と初恋の甘酸っぱさがイコールしない!
「……ねえ、みんな俺のこと血が通って無いとでも? 淡い憧れや初恋ぐらいあるよ」
……え、いえ、君の今までの言動から……うん、まあ良いわ。……じゃあ、もしかして、
「あらぁ、じゃあ梅子先生にぃ、ラブ?」
「言ったでしょう? 淡い憧れ、初恋ですって……うん、恋愛では無く憧れでしたね」
春かと思ったけど栄次君はレイラ先輩のからかいを苦笑しながら否定、どうやら初恋は恋愛未満の可愛らしいものだったらしいわ。
「……ええと、光三朗、それ本当か?」
未だに信じられ無いのか明石君が片割れに尋ねるわ。……まあ、確認したいわよね?
「ホント、ホント、それにその人俺の初恋の人でもあるんだー」
軽く保障した光三朗君が爆弾を落としたわ。……え、つまり?
「……双子の美少年を手玉に……魔性の美女かしら?」
アズミ先輩が目をキラキラさせるわ。もちろん私も、
「ううん、普通の優しいお姉さん。ちっちゃい頃近くに住んでいて俺達兄弟の面倒を見てくれたんですよー」
「ええ、善良で平凡で信心深い女性でした」
……………………、
「……つまり君達も子供の時分は普通の男の子だったんですね」
「……だから、みなさんの俺達兄弟の印象って……いえ、良いです。そうですよ、木嶋先輩、初恋は普通なんですよ」
近所のお姉さんに淡い憧れの初恋、か。
「……なんでそこまで歪んだんだお前ら」
桐生君のポロリと零れた言葉に密かに深ーく頷いたわ。
「酷いなー、ま、とにかく梅子先生は無いよ。話してると浄化されるから」
アイデンティティー死んじゃうよ。と、笑う栄次君……ええと、
「……邪悪さが主体って自分で認めるって」
君ホント異常よね……。
「どうしてそんなに百ちゃんは恋愛が嫌いなのー?」
独り身の生徒会メンバーでの昼食で、私は光三朗君にそう聞かれたわ。私が知り合ってからの三ヶ月で既に三度目の破局報告に辛辣な感想を言ったからだけど……、
「私としては十数回も女の子に裏切られて、まだ恋愛にポジティブな君の方が謎だわ」
今回の破局の原因は彼女の二股、で、前回が借金の申し込み、で、その前がストーカー紛いの付き纏い……女運が悪すぎるわ。
「だって何処かで俺のヒロインが見つけられるのを待ってるんだよ! 落ち込んでなんていられないよ!」
……ヒロインねぇ、
「……ヒロインとか夢を見る乙女? あれな子ばっかりに引っ掛かってる現実を直視しなさいよ」
「うっ、だってちょっと良いなーって思ったら逃げられたくないじゃん」
「ちょっと良いなー、レベルで付き合うから面倒な目に合うんじゃない」
まあ、性格があれな、現在豆鯵の南蛮漬け定食を食べている片割れが、チャッチャと処理するから大事にはならないんだけど。
「ううっ、だってその時を逃したら二度と会えないって思ったら……とりあえず付き合っとこうって……学園の子達とかはじっくり観察して違うってわかるから付き合わないけど」
彼は歴代彼女達は全員ナンパでゲットだそうよ……正直、
「ナンパに即乗るような子が好みなの? 趣味合わないわー」
私が男だったら選ばない。むしろ避ける。
「……いや、そういう子が好みじゃないけど」
「ん? じゃあどんな子が好みなの?」
「真面目で努力家で照れ屋さんな子!」
…………………………、
「じゃあナンパにのって来た時点でアウトじゃない……」
真逆でしょ?
「だから何時も長続きしないんだろ? 本気じゃないって相手にも伝わるから」
私達の会話を呆れたように聞いていた明石君が海鮮丼とミニたぬきそばを片付け、クリームあんみつに取り掛かりながら本質をつく発言をする。彼はコミュ力のある理系の良い男友達、性格が似てるからワンクッションが必要だけど、
「……ああ、じゃあ彼女達を責められ無いわね……うん、光三朗君が悪いわ」
「……知ってます……」
自覚があってもどうにも出来無いのね……うん、気持ちだけはわかるわ。
……最低だなぁ、って感想は消えないけどね。




