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リリアン視点です
薄暗い洞窟の中、水の滴る音と足音のみが響き渡る。薄っすらとトールの照らす光が足元を映し出す。ジメジメとした空気がやけに重たく感じて、前へ進むのを躊躇しそうになるのを耐えながら、奥へ奥へと進んで行った。すると突然ヴェルモートさんが立ち止まる。
「この先に人の気配がする。光を消してくれ。」
小声でトールに頼むと、すぅっと光が消え、辺りは真っ暗になった。少し暗闇に目が慣れた頃、手に温かな感触がする。その鍛え上げられた温かなものがヴェルモートさんの手だと気づくのに少し時間がかかった。こんな場面なのにドキドキと心臓が速まるのがわかる。そんな気持ちを必死に落ち着かせている私の気も知らず、平然とした声のヴェルモートさんが手を軽く引いた。
「行くぞ。」
「は、は、はい。」
上ずった返事にヴェルモートさんが振り向いたようだが、暗闇なので顔まではわからない。暗闇でよかった…顔を見られたら、もう会える自信がないわ。きっと見えなくて危険だから手を握ったのだろうけど、これなら繋がない方が落ち着けるような気がする。そんなこと言えないけど。
手を繋がれたまま奥へ進むと、小さく淡い火の明かりが見えてきた。
「明かり?」
「明かりの横に人影があるな。」
「人影…ほんとだ。」
ヴェルモートさんの指摘で目を凝らせば、1つの人影を見つけることができた。薄っすらと浮かぶ人影が動く。気づかれたか、と身構える。
「…誰だ。」
やはり気づかれていた。隠れるのをやめ、岩陰から姿を現す。
「騎士様と…少女かな。よくここを見つけたな。」
「私はエレントル王国騎士です。貴方は何者でしょうか。」
「それはそれはご丁寧に。俺か?俺は、誰なんだろうな。名前は捨てた。いや、捨てさせられたが正しいかな。」
男とヴェルモートさんの声だけが洞窟の中に響く。その異様に落ち着いた会話が、この空間とのズレを露わにし、不気味さが増していく。ただ相手が私達の味方ではないことは感じられた。声に含まれる嫌悪感が伝わってくる。大切な場所に勝手に入られた事を怒っているようにも感じる。しかし1番感じる大きな違和感、それは、ここに1人でいることだった。仲間であろうみんなは戦場にいるというのに、我関せずという態度でここにいる。だからと言って、敵ではないのかと聞かれれば、敵であろうと答えるしかない。
「あなたはなぜここに1人でいるのですか?」
「なぜ?それは行く必要がないからだよ、お嬢さん。」
馬鹿にしたような声で返される。それが妙に腹が立って声を張りあげる。
「あの集団はあなたの仲間でしょ?」
「仲間じゃない。ただの駒さ。」
「…こ、ま?」
この男は狂っている。あんなにたくさんの人を駒呼ばわりするなど、おかしいとしか言いようがない。絶句している私を背に隠すようにヴェルモートさんが前に出る。
「お前が黒幕か。なにが目的だ。」
「紳士的な騎士様はいなくなったのかい?まぁ、いいか。目的?そりゃ世界を崩壊させる、それだけだ。」
「世界を崩壊させるだと?そんなことできるはずがないだろう。」
落ち着いた声で話しているが、内容は酷く恐ろしい。世界を崩壊させるなど、何を考えているのだろうか。男の足音が響き、火の近くに寄った男の姿が見えてきた。深くフードをかぶる人。顔は見えないが、真っ黒な出で立ちは、それだけで恐怖心を煽る。
「崩壊など簡単だ。あいつらを見ただろう。それぞれが過去に大きな傷をおい、その過去を抱え込んで負の感情に染まりきったんだよ。俺が何もしなくても、自分の生み出した魔毒で黒魔法に堕ちたんだ。自我を忘れ、心に抱く負の感情の思うがままに暴れている。あはははははは!」
男の不気味な笑い声が広がり、寒気を感じる。
「この世界は負の感情で溢れている。ちょっと刺激するだけで魔毒にやられるだろう人だらけだ。世界の崩壊など、すぐ近くに転がってるんだよ。お前らが倒したあいつらだって、元はそこら辺にいる奴と同じだ。理不尽な辛い過去に負けただけだ。お前らだって紙一重の存在だろ?」
その言葉は悪魔の囁きのようだ。私は否定しきれないから。家族が襲われた時の盗賊への憎しみを消しきれていない私もまた、刺激されれば堕ちてしまう存在かもしれない。あの私が倒した人達と変わらない。そんなことを考え出すと止まらなくなる。
「俺はこの世界に見切りをつけた。崩壊しかけているのなら、俺が壊し尽くしてやる。」
「どうしてそんなことを…」
壊れかけているから壊すなんて、おかしい。それが世界なんて勝手にも程がある。でも、自分を不幸にした人を恨むのと、自分を不幸にした世界を恨むのは同じなのかもしれない。恨む相手がいればいいのだ。ましてや、心が壊れかけているのなら尚更誰でもいいのかもしれない。相手を庇護する自分がいるのがわかる。気持ちがわかるから、認めてしまいそうになる。
「どうして?君はもうわかっているみたいじゃないか。俺は許せないだけさ、家族を殺したやつを、助けてくれなかったやつを、そして、そんな奴ばかりのいる世界を。」
「…許せない?」
「こんな世界なくなればいいんだ!どうなろうと構いはしない。」
だんだんそんな考えが羨ましくさえ思える。あの悪夢から、ずっと抱いている憎しみから解き放たれる。それは甘い誘惑なように私の中に入り込む。悩むのは嫌、この苦しみから解放されたい、そう心のどこかに隠していた気持ちが現れてくる。
無意識に足が前に出る。今、私を止められる者はいない、そんな気にさえなる。もう一歩踏み出そうとした時、後ろに引っぱられ、強く抱きしめられた。
「行くな。」
「…」
洞窟の中で冷え切った身体が温かさに包まれる。意識が戻ってくるように、身体の中心からじわじわと温かなものが広がっていく。肩の力が抜けると同時に、包んでいたものが離れていった。
「お前は過去と向き合うことが出来るだろう。これからも共に生きたいと思う人がいるだろう。惑わされるな。逃げるなんて考えるな。」
「ヴェルモートさん……はい、逃げません。すみません、引き止めてくれてありがとうございました。」
ヴェルモートさんが軽く笑ったのが暗闇の中でもわかる。もしかしたらヴェルモートさんもまた、緊張していたのかもしれない。お互いが息を吐き、自分を取り戻す。
「あぁ、もう少しだったのに。邪魔すんなよ。」
手に持つ黒い水晶を弄びながら、先ほどとは違い、気だるそうに男が話す。
「なんだと?」
「だから、邪魔すんなって言ったんだよ。もう少しで堕とせそうだったのに。」
先ほどとは違う男の態度に驚愕する。まさか…
「私を堕とすための演技?」
「まぁ、名前を奪われたのも、世界がなくなればいいと思ってるのも事実だが、許せないとかじゃないなぁ。そう言えばお前がのってくるかと思ったんだけどさぁ。」
「どうして…」
先ほどと同じ質問だが、意味が違う。どうしてこんなことをしているのか知りたいんじゃない。もはや何をしたいのかわからないのだ。
「そんなの簡単だ。めちゃくちゃに壊したい、それだけさ。あはははははは!」
その狂った笑い声が洞窟の中に響き渡る。この男があの集団を作ったことに間違いはなさそうだ。どうやってと聞けば、負の感情を抱く者を少し刺激しただけだと答えるだろう。苦しむ人を堕とす、それはこの男にとっては駒を増やすだけの事なのかもしれない。それがとても恐ろしい。この男は狂っている。そんな男からどうやって世界を救えばいいのかわからない。私達は、ただ響く笑い声を聞いているしかなかった。




