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リリアン視点です
静かな暗闇は人の心を一瞬で孤独にする。誰も中へは入り込めない。いや、入り込ませはしない。手元の黒い水晶は何をも受け入れない闇そのもの。この世に蔓延る闇は、人知れず膨らみ続ける。その無機質な冷たさが心地よい。
砂利を踏みしめる音が遠くから近づいてくる。準備が整ったようだ。
「各国が動き出した。準備はできている。」
全身黒服の大柄な男が告げる。その大きな身体は、血管が浮き出し小さく揺れている。それが意味するのは、身体が異常だということ。
「さぁ、始めよう。私が彼らの導き手となる。」
フードをかぶる者はゆっくりと動き出す。手元に転がる黒い水晶をひと撫でする仕草は、大事な物を扱うような優しさを感じさせる。
「行って参りますよ、カルルス様。」
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長い列の後ろをゆっくりと歩く私の足はまだ元気に動いている。王都を出て3週間近くが経った。ヒメラーヌ山脈に近いアース村から王都まで1ヶ月程かかっていた道のりを、近道という名の道なき道を通り目的地まで進んでいる軍団は、あっという間に道のりの4分の3まで来ていた。王都を出てすぐの頃は、夜になると力尽きてハイドさんが食事を持ってきてくれたりと迷惑ばかりかけていた。因みに、ハイドさんは王宮精霊使いなので強制参加だ。なぜ精霊を戦わせたくないハイドさんが王宮精霊使いなのかは疑問だが、聞いてもはぐらかされたので追及をやめた。それでも心強い。ティアは列の前で馬に乗りながら王子の護衛をしているし、ザックやセレーナは魔術師の団体と歩いている。数の少ない精霊使いはその後ろで、私達の後を物資や後方の騎士団が続く。たまにティアが夜に顔を見に来るが、私のようにただついていくのではなく、護衛や見回りなどの仕事もあるのでなかなか会うことはない。ザックやセレーナも8000人近い人がいる中では、会えることなど滅多にないのだ。だからハイドさんがいるだけで精神的安定を得ることができる。もし1人だったら、戦への恐怖が日に日に強くなっていただろう。
黒魔法により凶暴化した獣が現れても今の戦力ではあっという間に片付くため、順調に進行する軍団はヒメラーヌ山脈を視界に入れられるところまでやってきていた。あと数日でたどり着くとあって集団も緊張感が増し、空気がピリピリとしている。時には喧嘩なども始まり、戦いが近いことへの興奮状態が高まっている者も見て取れる。そんな空気感に飲み込まれたくなくて、私は月がとても綺麗な今夜、軍団から少しだけ離れた位置の岩場へとやってきた。
「トール、光をありがとう。ここで少しゆっくりするわ。月が見えるように光を弱めてくれる?」
「わかった。リリアン、周りは俺たちが警戒しておくからゆっくりするといいよ!」
「ありがとう。」
そう言うと、ここまで来るのに照らしてくれていた光を弱め、トールが笑顔で姿を消した。精霊達は本当に優しい。そばにいて欲しい時は姿を現し、1人になりたい時は言わずともそうしてくれる。契約しているからわかるのか、私を知り尽くしているのか、どちらにしろ優しい気づかいにホッとするのだ。私は1人じゃないと肌で感じることができる。
今日の月は満月に近く、光がなくとも暗闇を明るく照らしてくれる。暗闇は怖い。静かで真っ暗な空間は、心を鎮めてくれるけれど、マイナスな方向へと思考が勝手に進んでしまう気がする。1人では戻ることができない気さえするのだ。今、真っ暗な世界に放り出されたら、私は戦や死への恐怖に押しつぶされてしまう。旅の途中から考えてしまいそうになる恐ろしい未来に負けてしまいそうだ。
あぁ、これ以上は1人でいてはいけない。あの集団の重苦しい空気から逃げて、1人心を落ち着かせようとしたけれど、これ以上いては気持ちが落ちていくとわかる。暗闇を照らす美しい月を仰ぎ、思わず呟く。
「どうか、暗闇にならないよう照らし続けていてください。そして、私達をお導きください。」
その時、後ろの草が音をたて、草陰から人影が出てきた。思わず身構え、臨戦態勢に入る。が、月明かりに照らされ映し出された人を確認して、その姿勢を解く。
「何をしている。」
「…ヴェルモートさん。」
彼の銀色の髪が月の光を反射してキラキラと幻想的な輝きを放ち、茜色の瞳は宝石のように光る。整った顔の持ち主である彼は、一瞬この世の者ではないように思えるほど美しく見えた。そんな彼に飲み込まれかけて、慌ててこたえる。。
「1人でこの様なところにいては危険だ。」
いつものように不機嫌そうな顔で話す彼を見て、どこか安堵する。あぁ、これは現実であると。そんなことを思う自分が可笑しくて笑そうになるのを必死に堪える。なんせ彼は今、私を心配してくれているのだから。
「すみません、あまりにも月が綺麗なので。」
本当はあの空気から逃げてきました、など言えない。彼は様々な責任を負いながらこの場にいるのだ。私の小さな悩みなどを話して迷惑をかけたくないし、あんなに啖呵を切って戦に出たいと言ったのだから、なんとなく言えない。というか、頼もしいと言われた評価を下げたくない。だから、ありきたりな理由をつけた。そんな私の真意を知ってか知らずか、私のその理由にただ、そうか、と頷いた。
「確かに今宵は雲もなく美しいな。」
そう言って月を見上げるヴェルモートさんが1番美しいと思う。なんか女子力さえ負けている気がするんですけど。ただぼーっとヴェルモートさんを見つめていると、視線を下げた彼と目があった。それだけでドキリとする。こんな状況なのになんて私は呑気なのだろうか、と呆れてしまう。
「心配するなとも恐れるなとも言わないが、生き延びる事だけ考えていろ。お前を守りたいと思いながら共に戦う者がいることを忘れるな。」
これは、私を心配して言ってくれているのだろうか。その言葉で一気に安心感が身体中に広がっていく。本当に彼は欲しい時に優しい言葉をくれる。私を気にかけてくれていたのかと勝手に期待してしまう。だめなのに、聞きたくなる。これ以上聞いたら戻れないのに、聞きたい。
「ヴェ、ヴェルモートさんも……そう思って、くれますか?」
あぁ、聞いてしまった。恥ずかしさと返答への恐怖で顔が上げられない。返答次第では私はどん底だ。というか、なにを私は期待しているのだろう。あり得ないことを期待している。私に少しでも興味を持ってくれないかと期待している。彼の地位や容姿、実力、全てが私は不釣り合いな相手で諦めなきゃといつも思っているくせに。言ってから後悔する。先ほどの有頂天な自分を呪ってやりたい。そんな私の馬鹿な質問にヴェルモートさんは…
「もちろん思う。ウィリアム様も、部下も、みんな出来ることなら守り抜きたい。」
……。ですよねぇ。肩の力が抜け、緊張も飛んでいった。期待していた方向ではなかったけれど、自分も含まれていたことで精神的ダメージも軽減できたし、これでよかったのかもしれない。聞いた私が悪いよ、そうだよリリアン。気が抜けた顔の私を不思議そうに見つめるヴェルモートさんを見て、なんか吹っ切れた。気付かれていないだろう今は、この戦の時までは、彼のことを密かに想っていてもいいだろうと。
「ありがとうございます。そうですね!みんなが無事帰れるように頑張りましょう!」
心から思ったその言葉を笑顔と共に伝える。言葉にすれば叶いそうな気がする。それくらい気持ちが軽くなった。あの空気に帰っても、今なら耐えられそうだ。ここでヴェルモートさんに会えてよかった。
「あぁ、そうだな。」
なんだかちょっと呆れが混じったような柔らかな笑顔が返ってくる。また彼に心を掴まれてしまったけれど、今はそれでいいと思えるから、少しだけだけど幸せな気持ちに浸ってもいいよね。
「見回りしていたんですよね?すみません、足止めしてしまって。私は1人で帰れますから、お仕事戻ってください。では、失礼します。」
私は温かい気持ちを持ったまま、軍団の中へと帰った。
残されたヴェルモートはもう一度月を見上げ、小さく息を吐く。
「別に見回りではないが…月に話しかけていたあいつに引き寄せられてしまったか。本当に不思議なやつだ。」
その数日後、私達は目的地であるヒメラーヌ山脈へとたどり着いた。ついに世界の抱える闇との戦いが始まるのである。




