見えないわたし
雪の解け始める初春、わたしはこの世界からいなくなった。
理由は覚えていない。
幽霊になったわたしの姿を見つけられる人は誰も居なくて、わたしは何で成仏せずに留まっているのかも分からなかった。
やり残したことがあるわけでもない。
だから何となく、生きていたころのように朝に家を出て、自分の教室に向かった。
わたしの席には笑顔で映る私の遺影と、どこかから摘んできたのだろう一輪の白い花。
「ねえ、みぃちゃん」
みぃちゃんは、声を掛けたわたしに気付くことなく、後ろの席の子と話し始める。
わたしはその様子に肩を落とした。
幽霊が見えちゃうからお墓や病院には近づかないって言ってたのに。
親友なんだから嘘はつかない。
そう言ったのに、それこそまったくの嘘だったんだ。
幽霊なんだから、勉強なんてする必要ないのに、わたしは学校から出ることなく、ぼんやりと授業を最後まで聞いていた。
周りが机をくっつけてお弁当を食べるとき、わたしの机だけがぽつりと取り残されて。
わたしの時間だけが、この世界で止まってしまったかのような、寒々しい感覚がした。
いや実際に止まってしまったんだろう。
幽霊になってしまったあの日から、わたしの時間は止まったまま動いていない。
遺影の中の自分の笑顔が辛くて、わたしは写真立てを机の上に伏せた。
学校が終わった後も、みんなが仲良く一緒に帰る中で、わたしにだけ誰も声を掛けることも、目を向けることもない。
まるでイジメられてるみたいだな。
そう思って、笑おうとしたけど笑えなかった。
いるのにいないも同じなんて、あまりに寂しすぎる。
わたしは一人で教室を出て、帰り道を歩いた。
下校時間の通学路は賑やかだったけど、いくつかの分かれ道を進むうち、だんだんと同じ学校の生徒の姿は減っていく。
家が近くなってくると、同じ学校の生徒はみぃちゃんしかいなくなっていた。
みぃちゃんは信号の前で止まって、スマホをいじり始める。
みぃちゃんの首には、私と色違いのお揃いで買った淡い色のマフラーが巻かれていた。
わたしは自分の首に触れたけれど、そこにあの大事なマフラーはない。
幽霊のわたしは寒くなんてない。それに、わたしのマフラーは私が幽霊になったとき、使えないくらいに汚れてしまったから。
もう少しで追いつきそうだったけど、わたしは少し離れた場所で足を止めた。
車が行き交う横断歩道の前で、急いでいる様子の1人が1歩前に出る。
信号が青になったと勘違いしたのか、みぃちゃんは信号を見ることなく、つられるように前に進んだ。
危ない。
そう思って声を掛けようとしたけど、私の声はみぃちゃんには届かないんだと気づく。
わたしはみぃちゃんに走り寄って、遠ざかる背中に思い切り手を突き出した。
どんっ、恐ろしい音が響いて、私は思わず目を閉じる。
真っ暗な中で、キィと車が急ブレーキを踏む音だけが強く耳に残っていて……。
間に合わなかったんだ、そう思った。
私が生きていたら、こんなことにはならなかったのに。
生きていたら、危ないよって声を掛けて止められたのに。
車に跳ね飛ばされただろうみぃちゃんを見る勇気は出なかった。
でも、みぃちゃんも幽霊になったら、きっとわたしのことを見つけられる。
罪悪感と、喜びとが心の中で渦巻いていた。
みぃちゃんはわたしを恨むだろうか。
彼女が車に轢かれた時には、すぐ後ろ手の届く場所にいたのに、私は助けられなかった。
わたしを恨んで、憎んで、そして罵ってくれるだろうか。
足元の影の上に、赤黒い色が広がっていく。
「みぃちゃん、わたしに、気づいて……」
かすれた声は、冷たい風に溶けて響くことなく消えて行った。