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美里のわがまま

 翌日、HRが終わると篤志は誰よりも早く教室を出た。何か新しいことを始める高揚感と、美里に会えるという楽しみが篤志の足を急がせた。

 篤志の家はポート南駅から徒歩10分圏内にある。篤志は一度家に戻ると自分の部屋に直行し、鞄をベッドの上に放り投げた。代わりにギターケースの紐に肩を通す。

 篤志の両親は共働きのため、夕方のこの時間帯は帰っていない。静かな部屋を篤志は慌ただしく後にした。

 集合場所に指定されていた広場に辿り着くと、聞き覚えのある歌声が聞こえてきた。邪魔をしては悪いと思い、美里には気づかれないようにそっと近づいていく。すると、気配を感じたのか、美里は歌うのをやめて振り返った。

「もう来てたんだ?」

 篤志が尋ねると、美里は恥ずかしそうに「待ちきれなくて」と言って笑った。美里の表情を見てうつったように篤志の頬が火照る。女子と――それもクラスにいたら男子の大半がファンになりそうな美少女と一緒にいる環境にはまだ慣れない。当の美里は篤志の胸中を知るはずもなく「そうだ!」と言って持っていたノートを篤志の前に広げて見せた。

「今後の予定。オリジナル曲を3曲とコピー曲を3曲用意して、あっちのステージで披露するの」

 そう言って美里は公園の奥の方を指差した。木々が壁になって見えないが、その向こうには少しひらけた場所があり、そこには扇形のちょっとした屋外ステージがある。

「ステージって公園のステージ広場のこと?路上じゃないんだ」

 何気なく口にした篤志の言葉を聞くなり、美里の表情がみるみる曇っていく。

「路上はけっこう規制が厳しいし、オリジナル曲だって増やさなきゃいけないからけっこう時間がかかりそうなんだよね」

 唇を尖らせて言うが、篤志は引っ掛かるものを感じて首を傾げた。

「時間がかかりそうって……なんか急がなきゃいけない理由でもあるのか?」

 まだ結成したばかりのバンドが一朝一夕に路上ライブをできるほど上手くなるなど端から思っていない。そんなことは先に路上ライブをしていた美里の方が理解していると思っていた。

 篤志としては大したことを聞いたつもりはなく、美里からも普通に回答が返ってくるのを期待していた。美里は一瞬顔が強張ったかと思うと、いつものはっきりした物言いとは正反対に視線をそらして「ちょっとね」と言葉を濁した。

「あそこの広場だったら文化祭の練習とか言えば使えそうじゃない?曲数もそんなになくたって大丈夫そうだし……」

 再び篤志に向き直るといつもの明るい顔で強引に話を戻す。不自然極まりなかったが、篤志にそれ以上詮索する度胸はない。主導権を握った美里は、そのまま話を進めた。

「とにかく!半年後にはあそこのステージに立って発表するからね!路上だって諦めたわけじゃないわよ。曲数を増やして一年後には路上ライブするからね」

 そう言って美里は腰に手を当てると、右手でステージの方を勇ましく指差して宣言した。返事は?と聞かれて反論できるはずもなく、篤志も大人しく頷く。その返事に満足すると美里はさっそく次の議題へと進めた。

「じゃあ、さっそく曲を決めないとね。まずはオリジナル曲。1曲は昨日歌ってた曲を使おうと思うんだけど、どう?」

「いいよ」

 美里が作ったというあの曲は篤志も好きな曲だったので異論はなかった。篤志の了承を得ると美里は嬉しそうに曲名に丸をつけた。そして、ノートのページをめくりながら今度は不安そうに切り出した。

「あともう1曲はこれを使いたいんだけど」

 そう言って美里が見せてきたページには、彼女のかわいらしい字で歌詞が書いてあった。字面だけ見ても、未来に向かって飛んで行けそうな、そんな光に満ち溢れている詞だ。

「いいんじゃないかな。どんな曲? 歌ってみてよ」

 すぐに返事があるかと思いきや、美里はすぐには口を開かなかった。美里が何も言わないのでノートから顔を上げると、小さな声で「ないの」と美里が呟いた。

「この詩にはまだメロディーをつけてないの。だから……」

 そう言って美里は篤志を見た。似たような流れが昨日もあった気がする。嫌な予感がして篤志は無意識のうちに身構えた。

「この曲は村上君が作って?」

「へ?」

 篤志の呆けた顔もお構いなしに、美里は篤志の手を祈るように両手で握った。その澄んだ黒い瞳に吸い込まれてそのまま頷きそうになるのを自制して、篤志は何度も首を横に振る。

「いや、俺には無理だよ」

 美里が顔を上げて首を傾げる。

「作ったことはないの?」

 そう言われて篤志は逡巡したあとに「……あるけど」と白状した。そして慌てて前言を打ち消すように空いている手を横に振った。

「でも、全然よくないから! 作るとかホント無理!」

「村上君の”よくない”は当てにならないからなあ」

 美里は嬉しそうに口元をにやつかせて、篤志の周りを1周した。そして正面に戻ってくると、下から覗き込むようにして篤志を見上げる。初めて会った日と同じあの上目づかいで篤志を見つめていた。

「作って?」

 もはや美里の上目づかいは、彼女が世の中を渡っていく上で本能的に身に付けた処世術なのかもしれない。”本能的に”というのは、彼女が意図的にやっているとは思えないほど自然な振る舞いで仕掛けてくるからだ。彼女のこの必殺技に勝てる男などいるのだろうか。

 心の中では嫌だと言っているにもかかわらず、篤志の顔は勝手に縦に動いていた。

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