初めてのセッション
――家近いんだ?じゃあ30分後にここに集合ね
言われるがままに篤志は自分の家からギターを持ちだすと、美里の待っている公園に向かっていた。何でこんなことに、という気がしないでもないが、思わぬ形で美里と接点を持つことができたので断ることもできず言いなりになっている。とりあえず弾くだけ弾いてみて、あとは適当に理由をつけて何とか逃げよう――そんな算段を付けて、篤志は美里のもとに戻った。
「よかった! 来た来た」
美里も強引に誘ったことは自覚しているようで、篤志が来たことに安堵の笑みを見せた。そしてすぐさま屈んで篤志のギターケースを食い入るように見つめる。
「中学の時に買ってもらった初心者用の安いやつですよ」
期待されても困るので先に触れてからケースを開ける。3年ぶりに陽の光を浴びた青いボディが鮮明に色を放つ。3年間たっぷり弾きこんですっかり手に馴染んでいるそれを持ちあげると、美里から感嘆の声が漏れた。
「弾きこんでるねえ」
照れくささから反応に困り、篤志は特に答えることなく手近なベンチに腰をおろしてギターを構えた。
「バレンシアの”夏色の奇跡”って知ってますか?」
「もちろん」
篤志が提案したのは誰もが知っているフォークデュオ、バレンシアのメジャーデビュー曲。今もカラオケでは定番と言えるほど根強い人気を誇るので、ギターを弾くほとんどの人が一度は演奏すると言っても過言ではない。
美里が頷いたのを確認して、篤志は軽くギターを鳴らした。外で、しかも人前で演奏するのは初めてなので指が震える。何度か深く呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
「2小節の前奏を入れますね」
それだけで美里は篤志の意図を理解して、目を輝かせながら何度も頷いた。もしも尻尾が生えていたら激しく揺れていたに違いない。
美里も準備ができたのを確認して、篤志は弦を弾いた。緊張はしていたが、何度も練習した曲は体が覚えていて、勝手に指が動く。
前奏が終わり美里の歌が入った瞬間、篤志は鳥肌がたつのを感じた。
外で演奏する解放感も、美里の歌が上手いのもそうだが、何よりも自分の演奏に誰かの歌声が入り込むことで、命が吹き込まれたような感覚に包まれた。1人で弾いているだけでは感じたことのない、曲が”生きている”という感覚。譜面通りではなく、美里の声に合わせて曲は表情を変え、篤志もそれに合わせて弾き方を変えていく。
最後まで演奏を終えると、近くで聞いていた人が拍手を送ってくれた。初めての観客だった。
「ありがとうございます」
笑顔で対応する美里の後ろで、篤志は愛想良くすることもできずただ静かに頭を下げた。しかし、心の中は今までに感じたことのない充実感でいっぱいだった。自分の演奏が初めて人に認めてもらえたことが嬉しかった。
美里が振り返って言う。
「あんなに謙遜するから本当に酷いのを覚悟してたのに、上手いじゃん!」
誉められるのに慣れていないので、篤志は反応に困って視線をそらした。美里もそんな篤志の反応には慣れたもので、勝手に話を進めていく。
「ギターを始めてどのくらいなの?」
「中学の入学祝いでもらってからだから……丸3年ぐらいです」
「丸3年? もしかして高校1年生?」
なぜか美里は目を丸くして驚いていた。わけがわからず恐る恐る「そうですけど……」と肯定すると、美里は呆れたため息とともに「なーんだ」と声を発した。
「同い年じゃん」
「え?」
今度は篤志が目を丸くする番だった。てっきり高3ぐらいだと思っていたので、予想外のことに能もなくオウム返しになる。
「だから、私も高1なの。タメなんだから敬語はもういいよ」
まあ、タメでなくてもバンド仲間なら敬語なしにしようと思ってたんだけど、と美里が微笑む。そして改めて篤志と向き合うと、強い意志のこもった目で見つめる。
「じゃあ改めて言うね。村上くん、私とバンドを組んで」
篤司は自分の手の中にある相棒を見つめた。初めて誰かに認められた喜びと自分の演奏に命が吹き込まれた感動が、篤志の決断を後押しする。
顔を上げると目の前では凛とした表情の美里と目が合った。ここで断れば本当にこれっきりの関係になってしまうが、バンドを組めばまだまだ美里と一緒の時間を過ごすことができる。
初めて沸いた自分の力を試してみたいという欲求と、美少女とお近づきになりたいほんの少しの下心が篤志の背中を軽く叩いた。篤司は美里の視線を真っ向から受け止めると、今度は躊躇うことなく頷いて見せた。
「ほんと? やったあ!」
美里が相好を崩したかと思うとガッツポーズを空に向かって高く突き上げた。普段の大人びた雰囲気から一転して、無邪気にはしゃぐ様子に篤志は自然と保護者のような気分で微笑んでいた。
「そうと決まれば、すぐに練習を始めよう! 善は急げ、一秒だって無駄にしていい時間はないからね。
明日の放課後に、またこの場所でどう?」
「いいよ。明日は特に遅くなる用事もないし、4時ぐらいにはここに来られると思うよ」
「オッケー。じゃあ明日は4時にここに集まって、今後の方針と曲を選びをしよう。いくつか選んでくるから、村上君もやりたい曲を考えておいてね」
「わかった」
明日からの練習を約束して、篤志は寄るところがあると言う美里の背中を見送った。
見慣れた街並みが、夕暮れの橙色が篤志を優しく包み込む。いつもと変わらない風景の中で、篤志の運命は確実に動き始めていた。