少女のお願い
篤志の通う北條高校は県の学力向上進学重点校に指定されている。当然のことながら、生徒たちの学力も授業の内容もレベルが高い。
一方、部活動も盛んで、全国大会や県大会で好成績を修めている部も多数存在する。勉学だけでなく、課外活動を通じて豊かな精神を育む、という教育方針がしっかり現れていた。
篤志も入学当初は部活に所属しようと見学してみたが、元来の人見知りがたたってどの部にも溶け込めそうになかったため断念した。
HRが終わると、鞄を肩にかけて1人で教室を出る。クラスでも見事に人見知りを発揮していて、一緒に帰ったり部活の見学に行く友達もまだ作れていなかった。
教室を出て少し歩いたところで、篤志は誰かに呼びとめられた。
「村上君! 帰っちゃうの?」
振り返って確認すると、声の主は同じクラスの北島浩二。昨日、軽音部を見学したときに初めて言葉を交わした。浩二もどちらかというとクラスの中では目立たないタイプで、話をしてみると気の合うところが多かった。
不安そうに尋ねてきた浩二の言いたいことは予想がつく。今日も軽音部に行くに当たって篤志にも来てほしいのだ。だが、女子にモテたくてバンドを組んでいるような部員ばかりの軽音部に入る気は更々なかった。見学に来ている1年生もチャラそうな生徒ばかりで、この中でバンドを組まなくてはならないのかと思うと入部する気はなくなった。
「うん。俺、部活は入らないことにしたから」
「そっか……」
残念そうに俯いた浩二を見て少し心が痛んだがどうしようもない。浩二と2人で入ったところで、2人だけ浮くのは目に見えている。
「北島君はどうするの?」
「俺は……もう一回見学に行ってから決めるよ」
「そっか。じゃあね」
そのまま篤志は浩二に背を向けてその場を離れた。こういう付き合いの悪いところが友達の少ない原因だと分かりつつも、なかなか直そうという気にはなれなかった。
ポート南駅で下車し、篤志はふれあい公園を歩きながら昨日の出来事を思い出していた。美少女を不良から助ける、などという漫画の主人公のような役割を自分がする日が来ようとは思いもしなかった。もう部活にも入らないことにしたので、あんな時間にこの公園を通ることはない。つまり、漫画やドラマの主人公のようなイベントはもう起こらない。
自分の淡い期待を否定しながら歩いていると、ちょうど少女を助けた広場にさしかかった。都合のいい展開など起きるはずがない、とわかっていながら、篤志は未練がましく広場を覗いてみて目を疑った。
遊んでいる小学生の好奇の視線を受けながら、それを全く気にせず凛と立っている少女がいた。横顔だったが、先ほどまでその姿を思い出していたせいか、その少女が見覚えのある人物だとすぐに分かった。何かを歌っているようだったが、よく聞こえないので少しずつ近づいてみる。歌声がよく聞こえるところまで近づいたが、篤志の知らない歌だった。その声もメロディーも耳に心地よく、篤志の心に深く染み込んでくる。
気がつけば篤志は立ち止まって少女の歌に聞き入っていた。
最後まで歌いきったところでようやく少女は篤志の存在に気づき、嬉しそうに笑った。
「また会ったね」
先ほどまで会いたいと思っていたにもかかわらず、けっきょく本人を前にすると上手い返しが浮かばない。篤志は日頃の人付き合いの悪さを呪い、なんとか「そ、そうですね」とどもりながら返した。
「昨日はありがとう」
少女は篤志に向き直ると頭を下げた。篤志は慌てて顔の前で勢いよく手を振り、気にしないでほしいという意思を示す。
「そういえば、駅前広場ではやらないんですか?」
話題を変えようと話を振ると、少女は悲しそうな表情を篤志に向けた。
「許可がいるって言われちゃって……仕方がないから、ここで歌ってるの。明るい時間なら大丈夫かと思って」
無理やり笑顔を作ってはいるが、声色は明らかに残念そうだ。勧めた身として篤志は少し心苦しかった。
せめてこの場の空気を明るくしようと、篤志は話をさっきの歌に戻した。
「歌、上手いですね。さっきの曲とかすごくよかったです。何ていう曲なんですか?」
「今歌ってたやつ? あれはね、私が作ったんだ!」
少女は弾けるような笑顔でそう言うと、自慢げにスカートのポケットから歌詞カードを取り出した。女子高生らしい可愛い字で書かれた歌詞は、少女の雰囲気がそのまま反映されたような爽やかで前向きな内容だった。
「いい曲ですね。譜面とかないんですか?」
篤志が尋ねると、少女は困ったように笑って
「……譜面はないの。私、楽器は弾けないから」
「そうなんですか……」
譜面があればギターで弾いてみたいと思っていたので残念に思いながら、篤志は歌詞カードに再び目を遣った。すると「あ!」と突然少女が声を上げ、篤志の手を掴んだかと思うと無理やり広げた。
「え!? 何ですか!」
驚いて手を引こうとするとより強い力で引っ張られる。戸惑いながらも篤志は抵抗をやめて少女の様子をうかがった。少女はしばらく篤志の手の平や指を隈なく観察すると、「見つけた」と呟いた。
「君……そういえば、名前を聞いてなかったね」
「む、村上篤志です……」
少女はようやく視線を篤志の手から顔に戻した。顔には満面の笑みを浮かべ、手は握ったままだ。
「私は芹沢美里。村上君、君、ギターやるの?」
「え? まあ……」
戸惑いながら答えると、美里は顔を輝かせて篤志に詰め寄った。整った顔が近づき、篤志の鼓動が一気に速くなる。
「お願い! 一緒にバンドをやって!」
何を言われているか理解できず、篤志は目を見開いたまま数秒の間固まった。脳がその意味を理解すると、篤志は慌てて勢いよく首を振った。
「いや、無理です! アコギだし! 趣味でやってるだけなんで、全然上手くないし……」
「アコギでもいいよ! 聞かせて!」
「はあ?」
次々と発せられる無茶ぶりとも言える提案に、篤志は敬語で話すことも、美少女を相手にしていることも忘れて顔をしかめた。それでも美里は怯まずに話を勝手に進めていく。
「上手いか下手かはスカウトマンの私が決めることだもの」
「そう言われても……」
断ろうとする篤志に美里は顔を近づけて下から覗き込む。狙っているのかいないのか、必殺・上目づかい。
「お願い」
美人でかわいい女の子に、上目づかいで頼まれて潔く断れる男がこの世にいるのだろうか。少なくとも女子に免疫のない篤志がそんなスキルを持っているはずもない。
断る術を失った篤志は頷くしかなかった。