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立ち向かう勇気

その日も練習中に篤志が発言することはほとんどなく、いつも以上に沈黙したまま解散となった。美里が気を使って話しかけたり蒼空も訝しく篤志のことを見ていたが、篤志も自分の感情を制御できず気まずい空気をどうすることもできなかった。

 心の中でもやもやした気持ちを抱えながら歩いていると、他愛もない話をしていた美里が「そう言えば」と努めて明るく話題を変えた。

「篤志の曲はどう?進んでる?」

「……いや、全然」

 嘘だった。本当は七割近く完成に近づいている。しかし、蒼空のあの曲を聞いてしまったあとでは、どんな曲を作っても自分レベルの腕では恥ずかしくて披露できないというのが率直な気持ちだった。今まで人との争いを避けてきた篤志にとって、立ち向かわなくてはならない劣等感というのは初めてで、抜け出す方法も向き合う方法もわからない。だからこそ、残念そうに「そっか……」と呟いた美里に向かって、半ばやけくそで言ってしまったのは未熟な精神であるがゆえだった。

「そうだ。あの曲も蒼空に任せたらいいんじゃないかな」

「え?蒼空に?」

「うん。だって初めて作った曲があの完成度だし、美里だって安心して任せられるだろ?」

 そう言って隣を見ると、さっきまで一緒に歩いていたはずの美里はいなかった。振り返ると数歩後ろで立ち止まり、悲しそうに篤志のことを見つめている。

「どうした?」

「それはこっちの台詞だよ。どうしたの?」

 美里がどうして泣きそうなほど顔を歪めているのか分からず、篤志は返答に窮した。それでもその場を何とか穏便におさめようとわざとらしいほどの笑顔を美里に向ける。

「別に俺はどうもしないよ。美里の方がどうしたんだよ?」

「どうもしないなら何でそんなこと言うの? 私は篤志に頼んだんだよ?」

「そうだけど……でも蒼空の方が作るの早いし、完成度も高いしバンドのことを考えたら……」

「何それ!」

 それまで悲しそうに篤志のことを見つめていた表情が一変した。その目はもう悲しみではなく怒りで満ち溢れている。

「わかった。蒼空の上達が早いから? 何でも器用にやっちゃうから? 嫉妬してるんだ」

「ち、違うよ! 今後の練習のことを考えたら……」

「違わないよ! 篤志は逃げようとしてるだけだよ」

 今の状況を的確すぎるほどに表した言葉は篤志の胸を容赦なく突き刺した。蒼空に対する劣等感と嫉妬。どす黒く不快な感情から逃れるために、篤志は蒼空と同じ台から下りたのだ。

「本当にバンドのことを考えてるなら」

 静かに切り出した美里の顔を見る。美里はしっかりと揺るぎない熱を持った目で篤志を見つめていた。

「この曲は篤志が作って」

 短い沈黙が流れた。反発する意思はなかったが、それでもまだ頷くには迷いがある。

 先に口を開いたのは美里だった。

「自分が自信を持っていたものを後から来た人に追い越されるのは悔しいよ。でもだからこそ負けるもんかって頑張るんじゃないの? そうやって切磋琢磨するから上手くなるんじゃないの?」

 篤志は何も言えなかった。美里の言うことは痛いほど正しかった。

「そうやって上手くなることから逃げたら後悔するよ? 好きなことなんでしょ? 今やめたら絶対に後悔するから」

 美里は篤志の答えを待った。篤志は俯いたまま何も言わない。痺れを切らした美里は堪えきれず叫んだ。

「好きなら逃げるな!」

 篤志は驚いて顔を上げた。説教をしていたはずの美里が不安そうに見つめている。

「待ってるから、篤志の曲。いつまでも待ってるから」

 それだけ言い残すと、美里は呆然と立ち尽くす篤志の横をすり抜けて去って行った。

――好きなら逃げるな!

 美里の言葉が篤志の頭の中で木霊する。立ち向かったところで勝算はあるのか、自分が傷つくだけで終わるんじゃないか。そんな葛藤が繰り返される。

 やがて篤志は何かを決意したようにしっかりと前を向くと、肩にかかったギターケースの紐をしっかりと握りながら一歩踏み出した。

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