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愚かな王太子の婚約破棄宣言は全て計画どおりです

作者: 沢野みら
掲載日:2026/04/08

「おい!」


 貴族学園の馬車寄せに、品のない呼び声が響いた。イザベラの前を歩いていた何人かが振り向いたが、自分が呼ばれてないと分かれば、またすぐに歩き始める。


「おい、待て!」


 さらに続けられた不遜な声は、先ほどより大きく耳を打った。イザベラとの距離がどんどん縮まっている。しかし振り返るつもりはない。イザベラの名前は「オイ」ではないので。


 馬車寄せは、学期末試験を終えて帰宅する子女でごった返していた。イザベラが使用するのは高位貴族専用のロータリーで、少し奥まったところにある。その入り口を守る騎士のところまで行けば、逃げ切れるはずだ。


 しかし、あとは角を曲がれば……というところで、後ろから名指しされてしまった。

 

「無視するな、イザベラ!」


 はぁっと溜め息を吐きたいところを堪えて、イザベラは微笑みながら振り返る。この国唯一の王子であり、イザベラの婚約者でもあるメイソンが、目を吊り上げながらこちらへ向かってきた。その後ろには、取り巻きが五人と、小柄な女が一人。


 ──息を切らして、はしたないこと。


 心の中で蔑みながらも、イザベラは優雅にカーテシーを披露する。この男の顔を見ることも、頭を下げることも嫌で急いだというのに、捕まってしまった。


「ご機嫌麗しゅうございます、王太子殿下」

「おい。なんで呼んだのに止まらなかった。不敬だぞ」

「申し訳ございません。私を呼んでいるとは、存じ上げませんでしたわ」

「ったく、愚鈍めが」


 頭を下げたまま、イザベラはぐっと歯を食いしばる。嫌味にも気付かない愚鈍に愚鈍と言われることは、なかなかにこたえた。しかし……この関係も、あともう僅か。そう思えば、この屈辱にも耐えられる。

 それに、負の感情を見せる方が彼に喜ばれることは経験済みだ。ただひたすら心を殺して、時が経つのを待つのが得策。


 久しぶりに学園へ来たというのに、散々だ。

 普段のイザベラは公務で王宮に詰めており、学園に来るのは試験の時だけだった。王宮ではメイソンが近づこうとすれば、イザベラが代わりにこなしている王太子の公務を渡す流れになっている。だからこそ彼は、王宮では近寄らず試験日を狙ってここへ来たのだろう。人の多い時間に、人の多い場所で、ただイザベラを罵倒するためだけに。

 実にいい性格をしている。


「ねぇ、メイソン様ぁ。走って喉乾いちゃいました〜」

「ああそうだな、デイジー。早く済ませて城下町の店で涼もう」

「やった〜!」

「殿下、我々もお供させてください」

「いいだろう。今日の試験は、お前らのおかげで助かったからな」


 頭上で繰り広げられる聞くに堪えない会話がひと段落したところで、やっと「顔を上げろ」という許可がおりた。

 淑女の微笑みを浮かべているが、イザベラの目に滲む侮蔑は隠しきれない。周りの子女からの目も厳しいというのに、愚か者たちはそんなことにも気付かないようだ。


 不機嫌な様子から一転して、女の肩を抱きながらニヤニヤしているメイソンは、得意げに鼻を鳴らした。


「おい、今度の舞踏会はデイジーと出る。心しておけ」

「……かしこまりました」

「デイジーには、俺の色に合わせたドレスも送ってある」

「そうなのですね」


 メイソンに肩を抱かれているデイジーは、七日前にメイソンのデビュタントを祝う夜会でデビューした、テイラー男爵家の庶子だ。その翌日に学園へ入ってから、急速にメイソンとの距離を縮めているとは聞いていた。なんでも夜会で「運命を感じた」とか。

 

 メイソンが彼女と舞踏会に出れば、婚約者のイザベラが困るとでも思ったのだろう。しかし、彼女へのドレスを発注した時から、こちら側は全てを把握している。特に出る必要があるものでもないし、公務を理由に休むだけだ。


 こちらが動じないことに不満げな視線をよこしてきたメイソンだったが、良いことを思いついたとばかりに彼の口元が醜く歪む。


「舞踏会といえば……俺の誕生夜会にアルバートは来なかったな。お前、ついに見捨てられたか」


 唐突に出されたその名に、腹の底から怒りが湧いてくる。どの口で彼を語るのか。


 アルバートはメイソンの従兄弟で、王弟の息子だ。イザベラは幼い頃からアルバートと婚約していた仲で、五大公爵家と大公家という立場ながら、政略ではなく相思相愛で婚約していた。


 しかし一年前、メイソンが自身の婚約者であった隣国の王女を突き飛ばす事件が発生して状況が変わる。転倒した王女の足に傷が残り、婚約破棄はもちろん、莫大な賠償金を払うこととなった。王家は財政難に陥り、それでも賠償金を払いきれない事態。


 それを立て直すために王家が目をつけたのが、イザベラのミッチェル公爵家だ。五大公爵家で年頃の娘はイザベラしかおらず、しかも自領の鉱山は資源が潤沢。

 婚約相手が大公家というのも、王家にとって都合が良かった。いつも王家の尻拭いをしてくれる王弟であれば、王家に逆らわないと算段を立てたのだろう。


 王命でイザベラたちの婚約を解消させ、アルバートを借金の担保として隣国へ送ることを、国王が勝手に決定してしまった。そして「瑕疵がついたイザベラをもらってやる」という名目のもと、またもや王命でメイソンと婚約させたのだ。

 

 アルバートの優秀さを妬んでいたメイソンは、相思相愛だった婚約者を奪ってやったと鼻高々だった。自分たちの愚かさが何を生むのかを知りもしないまま、メイソンはイザベラに会うたびアルバートを貶める発言をしては、こちらの反応を見ては喜んでいる。


 一年もそのやり方に付き合っていれば、表面上の対処は簡単だ。今回も微笑みを浮かべたまま華麗にやり過ごせば、胡乱な目でこちらを観察していたメイソンが「つまらんな」と独りごちた。


「響かぬ玩具に、構っている時間も惜しい」


 デレデレしながらデイジーを見つめる顔は、見るに耐えないだらしなさだ。扇子を広げ、不快であることを示す。しかしメイソンは意に介することもなく、こちらへ人差し指を突きつけてくる。


「おい、お前との婚約は破棄する」

「うふふ。イザベラ様ぁ。王家はミッチェル公爵家よりも、うちの商会を選んだのよ」

「そういうことだ。俺はデイジーと婚約し、テイラー男爵は伯爵に陞爵する」


 なんて事のないように言い放つメイソンと、その男にしなだれかかって優越感に酔うデイジーに、ざわりと周りの子女からどよめきが起こった。


「殿下は何をお考えなのだ」

「公爵家の財力に男爵家が勝てるわけないわ」

「ほら、一年前にも……ねぇ」

「陞爵だなんて、職権濫用よ」


 口々に話す周囲に、イザベラはちらりと目を走らせる。騒いでいるのは、事情を知らない中立派や王妃の実家であるモリス公爵家の寄子家くらいだ。

 イザベラと同じく冷ややかな目で見守っている子女は、ただ静かに事の成り行きを傍観していた。沈みゆく泥舟がどちらかを、彼らは理解しているのだ。


「公爵家の鉱山は枯れたらしいな。これからはテイラー男爵家と手を組む。もうお前らは用済みだと、公爵にも言っておけ!」


 こちらが流させた偽情報を、声高にメイソンが嘲笑った、その刹那──。


「……これはこれは。子女の集まる場で、品性を欠く言葉を聞くことになるとは驚きました」

 

 イザベラの後ろから呆れ声が上がった。

 王族の色である金の髪をなびかせながらやってきたのは──王弟の息子である、アルバート。その後ろには、王宮騎士が十名ほど控えている。


「なっ! お前! いつ戻ってきた!」


 メイソンの言葉を無視して、アルバートがイザベラに頷く。その柔らかな笑みに、イザベラは確信した──これまでの苦労が、報われたのだと。


「ベラ、絡まれて災難だったね。今すぐ王宮へ行こう。書類は全て、揃えてあるから」

「ああ、アル……そうね。早く署名したいわ」

「そうだろう? だから迎えにきた」

「まぁ、ふふふ」

「……お、おい! お前ら、俺を無視するな!」


 二人で微笑み合っていたら、邪魔者が口を挟んできた。しかし、面倒ごともこれで終わりだと思えば、笑みを保っていられる。


「お久しぶりですね。ですが、邪魔しないでいただきたい」

「貴様! 人質の分際で偉そうに! 衛兵! コイツを不敬罪でひっ捕らえよ!」


 真っ赤な顔で怒鳴り散らすメイソンが、アルバートの連れてきた王宮騎士たちに指図を出す。しかし、彼らが動くことはなかった。主はもう、変わっている。


「不敬なのは、どちらだろうね」


 アルバートが目配せするだけで、騎士たちは迅速にメイソンを取り囲んだ。


「な、なんだ⁉︎」

「ヒッ……」


 メイソンが指示を出す姿をうっとり見つめていたデイジーが、一変して青ざめながら後ずさった刹那──騎士がメイソンの肩を押さえ、強引に地面へ膝を突かせた。


「な、何をする貴様ら! 父上に言って、処刑させるぞ!」


 メイソンは抗おうと必死に身体を捻ったが、鍛えられた彼らに敵うわけがない。更なる抵抗に、メイソンの腕は捻り上げられ、そのまま地面へと押さえ込まれた。


「ぐああぁぁっ! は、はなせぇ!」


 メイソンの醜態に、周りの子女が息を呑む。しかし、イザベラとアルバートは動じることなく、石畳の砂利にまみれたメイソンの顔を冷ややかに見つめた。


「……残念でしたね。貴方頼みの『父上』ですが、賠償金の支払い不履行により、先ほど強制退位となりました」

「もちろん、王妃であった方も……そして貴方も、すでに王位を失っておりますわ」

「……、……は?」


 メイソンは暴れるのをやめて、呆然とこちらを見上げた。暴れたせいで顔が傷ついているが、それを気にする余裕など、もはや彼にはないだろう。


「もしかして……あの契約のこと、忘れていらっしゃるのかしら?」

「貴方がエイブリー王女殿下に怪我をさせた件で結ばれた、賠償に関する契約ですよ。王家が払いきれずに、負債となったでしょう」


 アルバートと二人で、周囲にも聞こえるように言葉を重ねた。ざわり、と空気が揺れる。今さらながら、真実を知った子女も多いようだ。


「貴方も契約書を読んで署名したはずです。たしか……『賠償金は王家三名の歳費からのみ支払うものとする。期限は王太子メイソンのデビュタントまで。これを過ぎると王家三名の王位は剥奪されるものとする』と記されていましたよね」


 メイソンの表情が一瞬強張る。しかしすぐに、いきり立ちながら叫び返してきた。


「な、何を言っている! あれは、お前が……ミッチェル公爵家が、肩代わりしたはずだろ! そのために、わざわざお前を婚約者にしてやったんだからな!」


 所々で声を裏返すほど必死な声は、しかし、反感を買うだけだった。周囲の空気が一気に凍る。


「なんて身勝手な……」

「恩を仇で返すとは」

「公爵家を利用しただけなの?」


 冷ややかな視線が突き刺さっても、メイソンはそのことにすら気づかない。どこまでも利己的な男だった。イザベラは扇子で隠された口元に、不敵な笑みを浮かべる。


「あら……おかしなことを仰るのですね」


 敢えて明るい声を出す。それが常識であると分かるように。


「我が家が契約したのは『国政運営費』のみ。貴方がたの『歳費』に支払い義務はございません」

「……は? 歳費……?」


 言葉の意味が理解できないのか、メイソンが間抜けた顔で目を白黒させた。イザベラは扇子の先でゆっくりと、メイソンの隣に震えて立つデイジーを指し示す。


「例えば……そちらの令嬢に贈ったという、舞踏会用ドレス。それから、先ほど仰ってらした城下町での豪遊費」


 後ろの方で小さくなっていた取り巻きたちの身体がビクリと跳ねた。まさか巻き込まれるとは思わなかったという顔だ。


「それら全て、本来は賠償金の返済に充てられるべき歳費から支払われるべきものですわ」

「……っ、じゃあ、全部……あれは全部、負債に充てられるはずの金だったってことか⁉︎」


 メイソンの顔から、みるみる血の気が引いていく。自分の足元が底なしの泥沼だったことに、今さらながら気付いたらしい。


「左様ですわ。貴方がた一家が私的な贅沢に歳費を注ぎ込んでいたから、賠償金の返済は一向に進まなかった……そうですわよね、アル?」


 イザベラが視線を送ると、アルバートは涼しげな笑みを浮かべながら頷いた。


「そうだよ、ベラ。私が大使として窓口を務めていたが、微々たる額しか送られてこなくてね。向こうの王宮では、随分と肩身が狭かったよ」

「大使⁉︎ 嘘を言うな! 人質だろうがっ!」


 メイソンが形相を変えて、喉を震わせながら吠える。しかし、アルバートは眉一つ動かさず、小さな溜め息を吐いた。まるで聞き分けのない子どもを相手にしているかのように。


「人質などと言っているのは、貴方がた一家だけですよ」


 どちらが正しいか、分からせる威厳がアルバートにはあった。

 

「元国王陛下が己の頭を下げたくないからと、交渉に向かわせたのは誰だかお忘れか? 実の子を人質に差し出すような真似はしません」

「でも、おかげでアルは何の縛りもなく、あちらの王宮で王太子教育ができたんですもの。今となっては、元国王陛下に感謝しなくてはね」


 イザベラが追い打ちをかけるよう快活に告げれば、アルバートも「確かにな」と、微笑み返してくれる。お互い離れているあいだ、並々ならぬ努力をした。それを労り合うように。


「そんな、お前が……王太子など……」


 惨めたらしく震えだしたメイソンに、もはや威厳など一切ない。メイソンがアルバートに勝てるものは、地位だけだった。それすらも、もう失ったのだ。

 その現実を受け入れたくないのか、メイソンは頭を振り乱しながら暴れだす。


「は、嵌めたな! お前らは王家を陥れた! このっ、犯罪者どもめ!」


 自尊心をズタズタに引き裂かれたメイソンは、正気を失ったように金切り声で叫んだ。そんな無様な男に、イザベラはゆっくりと首を横に振る。静まり返った空気のなかで、冷ややかに告げた。


「私たちは嵌めたわけでも、陥れたわけでもありませんわ。ただ……見捨てたのです」


 扇子を閉じたイザベラは、貴族としての威厳に満ちた視線で汚れた男を見下ろした。


「私たち五大公爵家は、国に忠誠を誓っておりますわ。そしてその一環として、王家の適性を見極める役割も担っていることは、ご存知のはず」


 凛とした声が、馬車寄せに響き渡った。ここにいる子女は、国に五つしかない公爵家の重要さをよく知っている。


「貴方がたは忠言を厭い、国政で間違いを繰り返した。さらに、そのたび大公家に尻拭いをさせてきましたわね」


 誰が悪いのか分からせるよう、全ての過ちをつまびらかにする。


「王の器ではないと、議会で判断を下そうとした矢先……あの事件が起きた。この一年は政権交代の準備期間でしたのよ」

「そんな、そんなことっ、祖父上が……っ、そうだ! モリス公爵家が許さんぞ!」


 最後の望みに縋るように、メイソンが鬼気迫る顔で唾を飛ばす。しかしもう、逃げ道は塞いであった。


「モリス公爵家は五大公爵家でありながら私欲にまみれ、国財を横領しておりましたの。現在は処分が決まるまで、謹慎中でございます」


 周りから小さな悲鳴が上がった。おそらく、モリス公爵家を寄親としている家だろう。


「な、なんだそれは……。ならば、誰が俺を支えるのだ! 俺は……俺の王位はどうなる!」

「王家とは、民と貴族の忠誠あってこその象徴。周りの目をご覧ください。貴方を敬う者が、一人でも残っておりますか?」


 騎士に無理やり立たされて、メイソンは初めて周りを見渡した。馬車寄せにいる子女は皆、もはや驚きなどを通り越し、王子の愚かさに呆れ果てた視線を送っている。


「お、俺、は……お前より、隣国と……そう、エイブリーは俺に、惚れている! アルバートより、サモルデ王国と良い関係を作れる!」


 怪我をさせた隣国の王女に縋る姿は、一層哀れだった。アルバートが心底軽蔑した目で、メイソンを睨めつける。


「はっ、残念でしたね。王女殿下はむしろ、貴方を憎んでおいででしたよ。衛兵、連れていけ!」

「わああああ! 嫌だぁあ! 俺はこの国で一番偉いんだああぁぁ‼︎」


 アルバートの一声で、メイソンは騎士に引きずられながら高位貴族用のロータリーへ連れていかれる。

 その際に隣に居たデイジーの腕に触れたが、デイジーは弾かれたように彼の手を振り払った。運命だと甘えていた男を、ゴミ箱に捨てるような手つきで。


「ア、アルバート様ぁ……っ!」


 デイジーは膝をつき、涙を浮かべながら縋るような瞳でアルバートを見上げた。頬を赤らめて上目遣いをするその姿は、かつて多くの男を虜にしてきたお得意のものだろう。


「私は……私は騙されていたんですぅ! メイソン様に無理やり……っ。本当は、貴方のような凛々しいお方にずっと憧れていましたの! どうか、私をお助けくださいませぇ……!」


 馬車寄せに、乾いた失笑が漏れた。メイソンが連行される横で、即座に乗り換えようとするその厚顔無恥さに、周囲の子女も呆れている。

 捉えようとする騎士を目で制したアルバートは、汚い虫でも見るかのような視線を彼女に落とし、ふっと口角を上げた。


「随分と、おめでたい頭をしているね。テイラー男爵家の庶子、だったかな」

「え、ええ……っ! その……爵位しかない家などより、役に立ってみせますわ!」


 威勢の良い声に、イザベラはアルバートと視線を交わしながら、吹き出しそうになるのを耐えた。彼も同じように、可笑しくて仕方がないように目を細めている。


「いやだわ。我が領地の鉱山は、枯れてなどおりませんのにね」

「え……」

「偽情報に踊らされるとは、実に浅慮だね。ああ、そうそう……テイラー男爵は王家と組んで、公爵家を飲み込もうと画策した罪で取り調べ中だ」


 デイジーは、時が止まったかのように固まった。乗り換え先として縋った相手が、破滅へと手招きしていることに気付いたのだろう。


「身の程を知らないというのは、実に恐ろしいことですわ。ガラクタを拾い上げて、優越感に浸っていらしたなんて」

「全くだよ。さあ、自分の家がどれほどの罪を犯したか、牢の中でゆっくりと考えなさい」


 アルバートの冷酷な宣告に、デイジーの顔が白色に変わる。彼女が何か叫ぼうとした刹那、背後に控えていた騎士たちが、容赦なくその細い腕を掴み上げた。


「嫌ぁぁ! 離して! 私が悪いんじゃないわ! 全部メイソン様が……っ!」


 メイソンと同様に泣き喚く姿を、イザベラは最後まで見なかった。差し出されたあるあの腕に、そっと自分の手を重ねる。


「……お疲れ様、ベラ。もう、あんな者たちのために心を削る必要はないよ」

「ええ、アル……やっと、終わったのね」


 二人で見つめ合っていると、周囲の子女が次々と貴族の礼を取り始めた。彼らはこれからの王太子と婚約者が誰であるか、正しく認識したようだ。

 それに応えるように、学園に在校しているイザベラが、軽く手を挙げた。


「皆さま。元王太子による横暴な振る舞いによる被害は、こちらでしっかり対処いたしますね」


 こそこそと隠れていた取り巻きたちに、視線が集まる。メイソンの威を借りて好き放題に振る舞ってきた彼らは、これから積み上げた悪行への清算をしていかなくてはいけない。蛇に睨まれた蛙のように固まる彼らに背を向け、イザベラは空を見上げた。


「……さて。騒がしてしまったけれど、行きましょうか。王宮でやることが山積みですもの」

「そうだね。これからは私もこっちで、ベラと共に励むよ」


 アルバートが優しく微笑み、イザベラをエスコートするようにその肩を抱き寄せた。


 一年前、引き裂かれたあの日。絶望の中で誓い合った奪還。

 慣れない公務とその膨大な量に、何度も心が折れそうになった。そんな時に心の支えだったアルバートも、離れた場所で将来のために励んでくれていた。

 その努力が、これから実るのだ。



 初夏の風が、イザベラの結い上げた髪を優しく撫でていく。隣を歩くアルバートの手の温もりを感じながら、足を踏み出した。


 空はどこまでも高く、澄み渡っている。

 イザベラたちの前には、これまでよりもずっと広く、輝かしい未来が広がっていた。




 ◇




「ベラ、今いいかな」

「まぁ……また抜け出してきたの?」


 お決まりのセリフを携えて、アルバートが少し疲れた笑みを浮かべながらイザベラの執務室に入ってきた。しかしイザベラと目が合うと、その表情がふっと緩む。

 毎日時間を見つけては会いにくる彼に、イザベラも公務の疲れが癒された。


 視線を合わせたまま近づいてきたアルバートが、躊躇うことなくイザベラの手をきゅっと握ってくる。離れる前より確実に多くなった触れ合いに胸が高鳴り、イザベラは誤魔化すように口を開いた。


「決まったのよね。新しい公爵家」

「うん。まだ寄子貴族の調整が終わってないけどね」


 モリス公爵家の代わりが、今日の議会で侯爵家から選定された。厳格で実務家な家系だ。今回のことで、腐敗した貴族はしっかり入れ替えることができた。

 その一端であるモリス公爵家は、横領罪で鉱山での労働が決まっている。王位を失ったメイソンたちも公爵家に身を寄せていたが、賠償金の未払いのため、隣国の鉱山へ連れて行かれることが決定した。


「じゃあ……彼らは向こうへ旅立ったのね」

 

 学園でのあの日以来、イザベラは彼らに会っていない。アルバートもだ。会えば罵ってくることは分かりきっていた。不敬罪で処刑させないためである。

 

「それが……メイソンは、未だに周りを困らせているらしい」


 アルバートが聞いたところによると、隣国行きが決まった知らせに、彼は「やはりエイブリーは俺を求めている」と勝ち誇っていたというのだ。

 アルバートが最後に掛けた言葉は忘れてしまったのだろう。王女の言葉で、彼らが一番過酷な鉱山で働くことになるというのに、馬鹿は死なないと治らないものらしい。


「……もう、どうでもいいことだわ」


 イザベラは自らアルバートの手を握り返し、過去を振り払うように微笑んだ。嬉しそうに目を細めたアルバートが、顔を覗きこんでくる。


「そうだろう? だから疲れた私を癒してくれないか、ベラ?」

「なっ……アルッ。こんなところで……」


 ギュッと逞しい腕の中に閉じ込められて、頬に熱が集まってくる。少し胸元を押してもビクともしない。


「大丈夫。皆は気を利かせて二人きりにしてくれたよ」

「……もう、強引なんだから」

「君を奪われてから、どれほど私が嫉妬に身を焦がしていたか……ベラ、もう離さないよ」


 耳元で囁かれる低く甘い声。

 イザベラはもう、抗えなかった。そっと目を閉じ、その温もりを心ゆくまで受け入れる。


 窓から差し込む夕陽が、寄り添う二人の姿を長く、色濃く石床に映し出す。重なり合ったその影は、確かな絆の形を成していた。



 愚か者たちが去り、静寂の戻った王宮に、新しい時代の足音が確かに聞こえ始めていた。





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