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言語化するのが下手だった

私は言語化するのが下手だった。


たぶん同世代の周りの人間よりも。どんな環境下においても。

自分の頭の中にある感情や意志を言葉にすることが苦手だった。



「言語化」という単語自体、知り得たのは社会人になってからの話だった。


きっかけは覚えていないがたぶん社会で生きていく上で必要に迫られたのか、あるいは迫られて失敗した結果の後悔の産物として巡り合ったのか、定かではない。


その結論はさておくとしても、私は社会人になってから己の言語化能力の低さという足枷で自身の歩みを遅くし、時には躓かせ、日によっては叱責を受け、ある時は心身を壊したりしてきた。


どうして自分の思っていることが上手く人に言えないのだろう。

言えたとしても正確に伝わらないのはどうしてだろう。


社会に出て、20代に突入した人間にしては情けない話だった。






―――





そんな言語化という壁について考え続けてきたのが20代のフラッシュバックと言っても差し支えない。


幸い私はこの思案に付き合ってくれる優秀なカウンセラーの先生に巡り合い、時にはアドバイスを貰い、時には鋭い指摘を受けながら、己を顧みてきた。


その中で、そもそも内省を言語化するにあたっては二つの要素が必要であることに気付いた。


一つは「自分の意志や感情を明確に持つこと」。

もう一つは「それを筋道立てて説明する能力を鍛えること」。


どうやら己の人生にはこれらが欠けていたらしいと気付いた私は、なぜ欠けたまま大人になってしまったのかを振り返ることにした。




そして非常に残念な宣告をせねばならないことが序盤で判明した。

まず、私は自分の意志や感情を持つことがそもそも下手だったのだ。


感情を持たない人間? それはロボットなのか?

その問いは半分正解であり半分不正解である。


私にはちゃんと自分の意志があった。

これをしたい、これはしたくない、これは嫌い、これは好き。


ただ、その感情を周囲から規定されたとある決まりが塗り替えていった。

その規定から来る病の名を「良い子症候群」と呼ぶ。


私は良い子であれと育てられた。

どこに出ても恥ずかしくない人間になれと躾けられた。

それが出来なければ叱責を受けた。


至って普通のことを書いているように思えるかもしれないが、私は元来の内向的な性格と臆病な気質からそれをかなり深刻に受け止めたらしい。


良い子じゃないと怒られる、親の機嫌を損ねる、怒られている自分は絶対的に悪い存在、悪い存在である自分に価値はない。

私は良い子にしていないと生きていけない、見捨てられる。


その強迫観念が私の感情に蓋をした。

自分の持っていた感情や意志を「親が求めてくる良い子の概念にそぐわないから、こういった感情は持っていてはいけない、持っている自分は悪い子なのだ」と自制した。自分の感情をあやふやにし、良い子らしい感情に塗り替えた。


その中で自分自身から生まれていたはずの感情はどんどん希薄になっていった。そして感情を抑えることが当たり前になった。


たぶん小学生の頃が一番酷かったと思う。

元々内向的な人間が学校生活を送る時点でいささかのハードルがあり、そこから帰ってきたら親に監視される(は言い過ぎか)生活、習い事もあるので心が休まる暇はほとんどなかった。




そういえば習い事で一つ大きなトピックがあった。

小学生の頃は毎週日曜にスポーツの習い事をしていた。朝から夕方まで丸一日運動に励む、健康面から言えば褒められるべき習慣だった。


それを始めた理由はなんとなく興味があったからなのだが、私にはまるで向いていない、あまりにも不向きすぎる世界だと気付いたのはしばらく後だった。


典型的なスポ根系の雰囲気、厳しい上下関係、少しでも失敗すると檄が飛ぶ練習、周囲の同世代の子供達の活発で覇気溢れる様子―― 内向的で気の弱かった私にはとても付いていけなかった。


その間違いに気付いてからも私はその習い事をやめられなかった。

途中で辞めれば親に怒られるから。中途半端で意志の弱い子供と認定され、良い子ではなくなってしまうから。


一番大きな事例として習い事を上げたが、学校行事で○○をすると決まった時も苦手な立場に嫌とは言えなかったし、親に出かけると言って連れていかれる時も断れなかった。出かけるのも辛いのに。



その傾向は中学校に進学しても続いた。

当時都会から田舎に引っ越したことで急に治安の悪い(こんな言い方で失礼かもしれないが明らかに都会よりも野蛮で人の心を踏みにじるタイプの子供が多かった)環境に放り込まれ、自分を守るために必死になった。


本心を隠して周りに同調し、悪目立ちしないように、馬鹿にされないように、いじめられないように、自分の心を必死に覆い隠して表面を取り繕いながら過ごした。その環境で自分の意志と感情はもはや靄のようになってしまったのかもしれない。



幸い高校は偏差値の高めの進学校に入ったこともあり環境は改善したが、相変わらず良い子症候群に囚われる日々が続き、その反動からか一人暮らしの大学時代は怠惰を極めた。できるだけ人と関わらずに四年間を過ごした。


そんな人間に自分の意志と感情をしっかり持って社会に出ろなんて無理な話で、「学生時代に気の弱い子をいじめていた奴が大人になって幸せそうに暮らしている」という言説にもある種納得してしまう節がある。他人をいじめる=犯罪行為に及ぶ方がよほど自分の意志に忠実に行動しているわけだ。(皮肉な話である。)





―――




そしてもう一つ欠けていたのは「筋道立てて説明する能力を鍛えること」である。これも前の話に関連するのだが。



私は自分の意志と感情を明確に持てていなかった。

つまり説明する道順の先のゴールすらはっきりしていなかったのである。それでは説明もクソもない。論外なのだった。


また、良い子症候群の特徴として大人の言うことに従うことで安寧を保つというのが挙げられると思うのだが、これもまた思考停止と同義であるので、それを繰り返していては論理的に説明する能力など育つはずもない。



あと、これが良い子症候群の特徴なのかどうかは知らないが座学の成績は良かった。特に文系科目の成績。


現代文、古文、地理、日本史、世界史、英語。

こういった所謂文系に割り振られるであろう科目は基本暗記である。


授業も、小テストも、試験も、果てはセンター試験も(今はもうセンター試験じゃないんだっけ?)、大概は暗記である。暗記すればなんとか乗り切れるものがほとんどである。つまり論理的思考・数学的思考は枠外。


そして自分で物事をじっくり考えて理解していく数学や理科系の科目全般はとにかく苦手だった。どれだけ考えてもわからない。暗記でなんとかなる部分は暗記で乗り切るけど。(余談だが私はこういった数学恐怖症から文系に逃げた人間である。)




そういえば先程の習い事の話に戻るが、結局それは6年生の途中で辞めた。

いよいよ苦痛が耐え難いレベルに達したのである。ペンギンは鳥類だから空飛べるよね?と言われながらできもしない飛行訓練を5年間も延々と続けさせられたレベルの苦痛である。そして周りの飛べる鳥たちと比較される。


その時に指導者側の担当者と辞める理由について喋った。

私は相手から投げられた「練習が辛いか?」という質問に対して何も答えられずただ首肯するしかできなかった。自分がどうして辛かったのかを言語化できず、ただ単純に目の前の事象である「練習が辛い」に仮託するしかできなかったのである。



今思い返せば本当に何も言えなかったんだなと当時の自分を慰めたくなる。

そして今なら明確に答えられる。


「初めはこの競技に興味があって自分でもやってみたいと思って始めました。ですが続けていくうち、私が本当に好きだったのは自分がプレーすることではなく競技の様子を観戦することの方だと気付いたからです」


「このクラブは皆さんもっと強くなろうと向上心を持って活動しておられますが、私は明らかにこの競技を楽しむことの方に最初から主眼を置いていました。その点でも自分のやりたい活動とは違うことがはっきりしたので、自分にとっても、そして周りの皆さんにとっても、この選択は有意義なものと考えます」


「また、ご存知の通り私は内向的な性格の持ち主であり、この場所の厳しい空気の中でどうしても委縮してしまい、自分自身を卑下してしまう節があります。そういった私の気質の面を考慮しても、自分がもっと元気に暮らすためには他の場所が向いているであろうと感じました」


当時の自分がこれだけ言えればどんなに良かっただろうか。

無論、12年程度の人生経験と良い子症候群の狭間でこんな発言ができるわけもなかった。自分自身の内省などできるはずもなかった。



この能力は中学、高校、大学と進学を続けても一向に成長せず、むしろ人と関わるのが苦手であるという盾を作って引きこもって暮らしていたせいで退化していたとすら思える。


そして退化させてきたツケをその一身に受け、恐ろしいまでに心身を壊したのが社会人1年目の終わり頃だった。


無論他にもその理由はあるし、明らかに他責すべき事項も存在する。

だが最終的には自分に返ってくる。


今までの自分がしてこなかったことが、できていなかったことが、社会というどうしようもなく自立を求められる世界に出たことで自身へと跳ね返ってきた。


そして言語化という道を進まなければ、この先多くの同じような壁にぶつかることも想像できた。その瞬間が、私の人生に言語化という存在が大きくその姿を見せた時だったと思う。







―――






私は言語化するのが下手だった。


たぶん同世代の周りの人間よりも。どんな環境下においても。

自分の頭の中にある感情や意志を言葉にすることが苦手だった。




では、今はどうだろう。

下手なまま生きているのだろうか?



いや、少しは上手くなったと思う。

蔑ろにしてきた自分の意志を徐々に明確に持てるようになってきた。

抑え込んできた自分の感情を今までよりは大事にできるようになった。


そして自分の心と向き合い、その本意を探り当て、自分が苦しまずに生きていくための道を模索できるようになってきた。


本来であれば多くの人が社会に出るまでの間に通ってきた道を今更歩いているのは情けない気もするが、一生スタート地点の後ろで突っ立ったままよりは良いだろう。




もうすぐ十の位が変わる。


社会的な責任も変わる。自分の心身でも決して容易に操れないような危機に遭遇することも増えるだろう。生活もきっと変わっていく。



こんな人間が、冷たく厳しい社会でまだ生きていけるだろうか?


怖いし、不安だし、恐ろしくもある。

けれど言語化するという武器を手に入れた自分ならば、まだ戦えるかもしれない。幸運なことにこの武器は心身を破壊されない限りは永続的に扱える。


ではこの小さな武器をもって、世界という名の戦場をもう少し先まで歩いてみるのだ。自分というちっぽけな人間の力で、行けるところまで。





という話を気まぐれに書いていきます。

よろしく、お願いします……? あれ、誰に向かって挨拶してるんだろう……丘の上から思考を放り投げるだけなのに……とりあえずぽいーっとな!

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