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【短編小説】新宿ラビリンス脳髄駅

掲載日:2025/12/22

 小田急ペテルギウス線はようやく南南東新宿を発車すると、その古びた車体を軋ませながらレールに沿って曲げながら走った。

 俺が煙草を投げ捨てて樹脂サッシの窓を閉めると、ボックス席の向かいに座った女が文句を言った。

「早くない?外の景色、まだ見てたいんだけど」

「見るものなんかねえよ。空気も悪いしな」

 女はため息をつきながらレンズが3つあるサングラスをかけて、それでも油と雨で汚れた窓の外を眺めていた。


 スピーカーがひび割れた音で何かを言った。恐らく次が終点だとかってやつだ。

 複雑に絡み合う線路は次第に高架を降っていく。確かペテルギウス線の駅は地下15階かなにかだ。

 クロモリの車両とカーボンの車両、それに木製の車両が連結されたパッチワークの様にガタガタのペテルギウス線が全身を痙攣させながらホームに入線する。

「揺れるわね」

「お前の縦揺れよりマシさ」

 フン、と鼻で笑った女は確かに縦揺れが激しかった。



 地下の駅は水浸しで、ペテルギウス線はざばざばと水を押し退けながら止まった。

 詰まった排水溝の工事はここ何年も止まったままで、もしかしたらこのホームは水没してしまうかも知れない。

「降りるぞ」

 女を促してボックス席を発った。

 振り向いて忘れ物がないか見たが、そもそも何か持って来ていたかを思い出せなかった。

「何を見てるの?」

 女が不思議そうに訊く。

「おれの未来さ」



 湿ったホームに誰かが勝手に強いたカーペットは黴臭く、アングロ・サクソンが来日して最初に感じる印象そのものと言った感じだった。

「あれはなに?」

 まだ三眼レンズのサングラスをしたままの女が指差した先で、どこかから入り込んだ大陸人が蛙を釣っているのが見えた。

「自活してるのさ、俺やお前と違ってな」

 それを厭味と思ったのか、女は不機嫌になって

「ねぇ、新宿なのに改札は無いの?」

 もう出たいと言った。



 本当のことを言ったものか迷って、おれは嘘をつくことにした。

「まぁペテルギウス線だからな。いちいちキセルなんて捕まえてたらそっちの方が手間だ」

 実際に乗る時に幾ばくかの金を払ってるんだしな、とかつて改札だったゲートを撫でながら歩く。

「だから線路があんなに水浸しなのね」

 呆れたように女が言う、その通りだ。

 刺激臭の塊になっている灰色をしたホームレスと、それを無いものとしている不良外国人の偽造人権を扱う露天商、それに不法移民たちが新宿駅地下15階のスペースで生活している光景が広がっている。



 すでに厭になった女が不安そうに腕を絡めた。

「この駅はいつもこうなの?」

「90年代ほどじゃないさ」

 ここが段ボールのハウスの迷宮だった時代なんて知らないだろ?と笑ったが、女は興味が無さそうに真っ赤なチューブトップの位置を直した。

 滅多に女が歩くことが無いからか、それを見たホームレスたちの眼光が鋭く光った。

 今夜、この女はホームレスたちによって100通りの犯され方をする。



 だが実際に女が汚れる事は無い。

 それは虚無な穢れで、俺や女には全く関係の無い疲労と倦怠でしかなかった。奴らの祈り、願いは叶えられない。



 別に腹は減っていなかったが、黴臭さに肺どころか脳みそまで侵されそうな気分になった。

 仕方なしに大陸人の露店でやたらに安い焼き鳥串を買って噛むと、きつい香辛料が気分を和らげてくれた。

 焼き鳥とは言うものの、どうせそこらで釣った蛙だ。

 さっき見た光景が浮かぶ。



「それで、いつになったらここから出るの」

 俺の腕にしがみついたまま、女は退屈そうな声で訊いた。

「さぁな、お前を抱く気になったら出られるのかも知れない」

「じゃあずっと無理ね」

 俺は不能だった。

 女の欠落では無く、過剰を美しいと思える瞬間があるかも知れないと思っていたが、どうにかなる気配が無い。

 俺の願いや祈りも叶わない。

 女の縦揺れは遥か昔の記憶だ。



「どうしてここへ来たの?」

「池袋や渋谷よりはマシだからさ」

「なにが?」

「田舎モンもガキもいねぇ」

 それを聞いた女は鼻で嗤うと「だからあなたはここから出られないのよ」と言って俺の腕から離れた。


 女の匂いが遠ざかる。

 その女がしている三眼レンズのサングラスに、無数のホームレスたちに犯されたり、その後に大陸人の屋台で吊るされて切り取られた肉片が串に刺さって売られている景色が見えた。

「じゃあ、ここで」

 もうひとつのレンズには、俺と幸せそうに笑っている景色が映っていた。

「さようなら」

 俺は女の目を正面から見た事が無いなと考えて、それが全ての理由だったんだろうと結論付けた。

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