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第2話 隣の神様は塩対応

バタン、と無慈悲に閉ざされたドアが、私と彼の間にあった最後の境界線だった。


私はよろよろと自室に戻り、へなへなと床に座り込む。頭が、真っ白だ。


『か、かける……くん?』


さっき、私の口からこぼれた、か細い声。

それに対する、彼の顔。面倒くさそうな色が消え、すべてを見られた子供のような、純粋な動揺。

私の神様は、隣に住む、最悪な男だった。


「……夢だ」


そうだ、これはきっと夢だ。疲れて幻覚でも見たに違いない。私はベッドに潜り込み、スマホの画面をタップした。「夜空かける 中の人」「ルミナス・スカイ 正体」。検索窓にありったけの言葉を打ち込むが、出てくるのは賞賛の記事やファンアートばかり。鉄壁の情報管理。だからこそ、それを知ってしまった自分の状況が、悪夢ではなく、絶望的な現実なのだと再認識させられた。

その夜、私は一睡もできなかった。


翌朝。非情なアラームの音で叩き起こされ、私は絶望的な現実に直面する。


会社に、行かなければならない。


そのためには、アパートの玄関を出なければならない。そこは、隣のあの男とエンカウントする可能性のある、危険地帯デンジャーゾーンだ。


アパートの集合郵便受けの前を通りかかった時、空だった102号室のプレートに、新しく『山田』という無骨なテプラが貼られているのを目にした。

神様の苗字は、山田。あまりにもありふれたその響きに、また少しだけ眩暈めまいがした。


それから数日間、地獄のような日常が続いた。

朝、ゴミを捨てに行けば、同じように寝癖をつけた彼と鉢合わせる。エレベーターで二人きりになった時は、地獄のような沈黙が流れた。私が必死に階数表示だけを見つめる横で、彼はスマホをいじるフリをして一切目を合わせない。私の心臓の音だけが、箱の中に響き渡っていた。

夜、夕食(割引シール付きのおにぎり)を買いにコンビニに行けば、彼がエナジードリンクとカップ焼きそばを買っている。目が合った瞬間、お互いがサッと視線を逸らし、別々のレジに並ぶ。その気まずさと、彼も自分と同じような食生活であることへの奇妙な親近感が、私の心をぐちゃぐちゃにかき混ぜた。


精神的に限界を迎えた私は、ついに親友のアカリに電話をかけた。唯一この秘密を打ち明けている、会社の同期だ。


「もしもしアカリ!?もうダメ、私もう無理!神様が隣にいるとか息もできない!」


『……ぷっ、ぶははははは!あんた、まだそんなこと言ってんの!?最高じゃん!』


電話の向こうで腹を抱えて笑うアカリに、私は泣きつく。


「笑い事じゃないって!完全にウザがられてるし、気まずすぎて死にそうなんだから!」


『で、肝心なこと聞くけど、その隣の山田?顔はどーなのよ。イケメンなの?』


「えっ、顔!?いや、その……別にブサイクとかじゃ、ない、けど……」


『なによその煮え切らない返事!まあ、あんたの神様なんだから、素材はいいんでしょ?だったらワンチャンあるって!』


「ワンチャンとかないから!」


アカリの無責任なエールは、今の私には毒でしかなかった。


そんな日々が続いた、ある土曜日のことだった。

チャイムの音に、私は訝しみながらドアスコープを覗き込む。そこに立っていたのは、山田だった。しかも、その手には、見覚えのあるロゴが入った段ボール箱が抱えられている。心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。


恐る恐るドアを開けると、彼は無言で、その段ボール箱を私に突き出した。

「……あの、これ」

「うちに、誤配されてた」


差出人の欄には【株式会社ルミナス・プロダクション グッズ配送センター】の文字。箱の形状からして、中身は先日予約した「夜空かける様・等身大安眠抱き枕」に違いない。よりによって、一番バレたくないブツを、一番バレたくない相手に……!


顔から火が出るほどの羞恥に耐えながら、私は震える手で段ボールを受け取った。何か、お礼を言わなければ。社会人として。アカリの言う通り、普通に。


「あ、あ、ありがとうございます、か、かけるさんっ!」


終わった。

普通なんて、無理だった。パニックのあまり、私は目の前の男の、VTuberとしてのアバター名を、呼んでしまったのだ。

時間が、凍り付く。彼の気だるげな目が、スッと細められた。


「……山田航やまだわたるだ」


地を這うような低い声。それは、訂正だった。冷たく、一切の感情を排した、事実の通告。

混乱する私の脳天に、彼はさらに追撃の一言を突き刺した。


「それと。……あんた、いつも一番乗りだよな」


それは、第1話で夜空かけるが、投げ銭をくれたファン『美咲』に言ったセリフと、全く同じだった。


バタン。


再びドアが閉められ、一人廊下に取り残される。

バレた。

VTuber「夜空かける」に、ガチ恋ファン「美咲」の正体が、完全に、バレた。


私は腕の中の段ボールを抱きしめたまま、ずるずると玄関に座り込む。せめてもの癒しを求め、箱に描かれた王子様の完璧な笑顔に頬ずりする。


だが、その笑顔に、ふと、さっきの山田航の気だるげな目が重なった。

「―――ひっ!」

私はブルブルブルッ!と犬のように頭を激しく振り、その幻影を追い払った。


私の声にならない絶叫は、狭いアパートの部屋に木霊した。

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