手紙
最近はめっきり気温が下がり、朝起きるのも寒さで辛くなってきた。
いつものように城の鐘が鳴り、モゾモゾと布団から出て窓を開けると、吐く息が白かった。
「は〜とても寒いわ!」
軽く伸びをして気合いを入れると、急いで着替えていつもの仕事を始める。
部屋を出ようとすると新入りの子ネズミがチョロリと顔を覗かせた。
「おはよう!今日も何かあればよろしくね。」
通じているとは思っていないが、いつも会うたびに話しかけてしまう。
寂しいのかしら、などと笑いながら、駆け足で階段を降りていく。
顔を洗い、朝食を作りながら食べ、継母の部屋をノックしたあと、温かい飲み物を入れ、起きそうにない義姉たちの部屋へ入り、ベッド傍の机にカップを置く。
そのまま外へ郵便を取りに行くと、友人のマリアと、以前使用人だったモリーからそれぞれ手紙が届いていた。
あとは役所と銀行から継母へ一枚ずつ。
封もされているし、自分宛ではないため中を覗くことはできないが、以前トーマスから聞いた話が頭をよぎった。
「憶測で物事を考えるのは良くないわよエラ。」
私はそう呟くと、友人からの手紙を開けた。
「木枯らしが吹く今日この頃...
私の最愛なる友人エラ。
お元気ですか。先日はお手紙ありがとう。
お手伝いをしてくれるネズミなんて、まるで絵本の世界のよう!
とても利口なネズミさんたちに私も会いたいわ。もちろん貴方にもね!
ところで先日王家主催の舞踏会に招待されたので行ってきたの。
第一王子のブライト殿下、初めてお目にかかったのだけれど、とても紳士的で素敵な方だったわ!彼には婚約者がいないそうだけれど、彼の婚約者はきっと愛らしくて素敵な方なのだと思うの。
私の友人のことを聞かれたので、貴方のことを話したわ。
いつか一緒に舞踏会へ行きましょうね。
ご自愛ください。ではまた。
貴方の最愛の友人マリア。
って、自分のことを最愛の友人だなんて、普通言わないものよ。」
くすくすと笑いながら、大好きな友人が手紙を書いている様子を想像する。
街で会って以降、手紙でしかやり取りはしていないが、いつか以前のように茶会でも開きたいものだ。
それがいつになるのかはわからないが。
「あとはモリーからね...」
質素な封筒の封を開けると、簡素な手紙と、紙が数枚入っていた。
「あら、新しいレシピだなんて。」
我が家の使用人時代の手帳の間に挟まっていたのだそうだ。
確かに冬に食べた記憶のある料理ばかりだ。
「懐かしい...」
ペラペラとめくっていると、するりとレシピとは違う大きさの紙が落ちた。
「何かしら。」
拾い上げると、お父様の名前と口座番号が二つ載っていた。
「これ...!」
裏を見ると、トーマス、とだけ書かれていた。
おそらく以前話していてくれた遺産のことだろうか。
結局あれ以降彼と会う機会はなく、遺産の話はないものとして考えるようにしていたが、具体的な内容が送られてくるとなれば話は別だ。
お金のことはどこへ確認をしたらいいかわからなかったが、この口座のある銀行へ行けばきっと何か教えてもらえるだろう。
私は封筒をポケットの中へ大事にしまうと、継母宛の手紙は彼女の部屋へ急いで置き、午前の仕事を終わらせた。
そのまま昼食を作り終えると、玄関ホールから「買い物へ行ってきます!」とだけ声をかけて、急いで街の銀行へと向かった。
風は冷たかったが、空は快晴で、爽やかな冬晴れの日だった。
だが、そんな天気とは裏腹に、現実は残酷であった。
「申し訳ありませんが、そちらの口座はすでにミランダ・サリドーリ様の名義に変更されております。」
銀行員からの無慈悲な返答に思考が止まった。
ミランダ、継母の名前である。
彼女が既に手続きを終えていたというのか?
「そんな...!ではもう一つの口座は?」
銀行員はぱらぱらと紙をめくり確認をした。
「こちらはサリドーリ家当主の者のみ確認が可能な口座となっております。お客様、サリドーリ家の当主である書類や証明書等はお持ちですか?」
「サリドーリ家当主の書類、ですか...?」
そんなものなど持っていない。
母からの形見は全て奪われるか捨てられてしまった。
父からは相続や遺産の話は全く聞いておらず、どこかにそういった書類があるなど、過去に聞いたこともなかった。
継母なら何か知っている可能性はあるが、私に教えてくれる可能性は限りなく低い。
言葉に詰まった私に、銀行員は淡々と説明した。
「ええ。例えば代々家系へ伝わる家紋印や、家系図、前当主からの命名書などです。詳しくは役所の方へお問い合わせください。」
「わ、わかりました...。」
では、と窓口前から去っていく銀行員の後ろ姿を見送った後、少し離れたところにある役所へと向かった。
天気は快晴なのに気分は完全に雨が降りそうなほどの曇天だ。
案の定、数十分ほど待った役所の人からの返答も、銀行員のものとはさほど変わらなかった。
「現在サリドーリ家のご当主は一時不在となっております。」
「一時不在、ですか?」
「はい。前当主マルス・サリドーリ様はどなたにも当主引き継ぎの手続きをしていなかったため、現時点では一時不在の処理をさせていただいております。」
一時不在があまりピンときていないが、当主が誰もいないということなのだろうか。
「しかし、貴族としての対応に免除はないため、仮ではありますが、現当主としてマルス様の奥方であったミランダ様へ一時権限をお渡ししております。」
「では今ミランダ様が現当主、という位置付けなのでしょうか。」
「左様でございます。」
継母ミランダが全ての権利や権限を握っているのかと思っていたが、まだそこまではいっていないようだ。
彼女が現当主の代わりというなら、役所や銀行から郵便物が届くのも頷ける。
では、父と血が繋がっている私は当主になれるのではないだろうか。
「あの。」
「はい。」
「先ほど前当主のマルスより引き継ぎがなかったため、ミランダ様へ権限が一時移行していると仰いましたよね。」
「ええ。」
「血が繋がっている実の娘を当主にすることはできないのでしょうか。」
すると彼は眉を八の字に曲げ、残念そうな顔した。
「申し訳ありません。我が国では女性の当主は認められていないのです。」
「え、そうなのですか...?」
「はい。先ほどミランダ様を一時的な当主とお伝えしたのもそ、のためでございます。」
まとめるとこうだ。
この国では女性は当主になれない。
前当主から引き継ぎがあった場合のみ、無期限で当主として全ての権限を得ることができる。
しかし、女性の場合、配偶者を持った時点で、当主の座は配偶者の物となる。
また、引き継ぎ等がなく当主がいなくなった場合、一時的に当主の現妻がその権限を譲り受ける。
しかし、こちらは引き継ぎがないため、期限は当主がいなくなってから5年後とされる。
原則5年経過までに妻は新しい配偶者を持ち、当主の座を新しい夫へと譲り受けなければならない。
もし5年以内に配偶者を持たなかった場合、資産は全て国に没収され、女性は修道院に、男性は騎士団への入団が義務付けられている。
「そう、ですか...。」
「大変申し訳ありませんが、この国の法律上どうすることもできないのです。」
「...はい、かしこまりました。ありがとうございます。」
私は力無く微笑むと、ぺたりぺたりと役所の外へ歩いて行った。
思っていた以上に時間が経っていたのか、陽が傾き始めていた。
一つ目の口座の方は、サリドーリ家の資産の口座なのだろう。
家の資金なので、父が亡くなった後に半自動的に継母の名義になるのは理解ができる。
二つ目の口座の方は、当主でないと確認ができない、とのことなので、おそらく父個人の口座だったのだろう。
名義が変更されていないとなると、継母もこの口座の存在は知らないのかもしれない。
だが、父からの当主に関する情報は何もなく、この国の法律により、私が当主になれる可能性も限りなく低い。
継母は義姉たちと過ごす時間が圧倒的に多く、再婚の兆しは今の所ほぼ見られない。
彼女たちは花嫁修行に躍起だが、父が亡くなって以降は私は全くそういったことをさせてもらえていない。
私があと数年で結婚する可能性もかなり低いだろう。
また、先ほど役所の人に聞いた法律の話も、全く知らなかった。
この国では女性への教育は不要な物とされ、教養として音楽、詩歌、裁縫のみが許されていた。
そのため上記3つは人並みにはできるが、他の知識は皆無だった。
「今の私って、知識もなければお金もないってことなのかしら。」
思わず乾いた笑いがこぼれ、白い息が出る。
あたりはすっかり暗くなっていた。
今から帰っても夕飯の支度には間に合わず、三人にはしばらく文句を言われるのだろう。
ああ、冷気がつんと肌に当たって痛い。
気づけば、すでに父が亡くなってから2年が経過しようとしていた。