初めての買い物
ネズミたちを洗った後、ようやく私は買い物へ出かけた。
家の敷地が広いため、他の民家まで少し距離がある。
馬車道の横を少し緊張した面持ちで歩く。
お父様が亡くなって以降買い物に行く気力がなく、最後に買い物へ行ったのも1年以上前のことだ。
それに加え、一人での買い物も初めてである。
勝手がわからないため、何か大変な間違いをしてしまったらどうしようか考えていた。
もし仮に何かの間違いで捕まってしまった場合、今の家族は助けてくれそうにない。
こんなことを誰かに話せば「そんなことはありえない」などと笑われそうだが、私はそれほどまでに緊張し、不安に駆られていた。
もうしばらくあると、最初の隣家が見えてきた。
だんだん人とすれ違うようになり、話し声も聞こえてきた。
人の量が増えて、喧騒も大きくなってきた。
「着いたわ...!」
街ほどではないが、たくさんの人が買い物をしている。
色々と見たいものはあるが、まずは必要な食料品から見ていくべきだろう。
食料品が並べられているお店の前に立つと、気の良さそうな恰幅の男性がにかりと笑った。
「いらっしゃい!何かお探しかい?」
「いえ、その何があるのか見たくて...。」
突然話しかけられ、素直にそう返す。
買いたいものはあるが、欲しいものを全部買っても到底持って帰れないだろう。
今すぐ必要なものと、そうでないものを選り分け、持てそうな分だけだとどのくらいになるのか...。
などと考えていると、次のお客さんが来たのか、店主は隣の人の対応をし始めた。
「いらっしゃい!いつものかい。」
「ええ。あとはこれと、それと...」
私とは違い、テキパキと食材を選んでいく女性を観察していると、ぱちりと目があった。
「あ、ごめんなさい。」
慌てて目を逸らすが、彼女はまだこちらをじっと見ている。
「えっと、どうかされましたか...?」
おずおずと聞き返すと、彼女の目がだんだんと大きくなる。
「あの、突然失礼致します。お嬢様...?」
そう言われ、再度顔をみると、以前屋敷で働いていた使用人のモリーだった。
「モリー!どうしてここに?」
「お嬢様こそ、どうしてここへ?」
1週間ぶりではあったが見知った顔の再会に思わず喜びを隠せない。
とここで、店主がわざとらしく咳払いをした。
「ごめんなさい。お代を。」
「毎度。」
店主はお金と商品を交換し、先程と同じ笑顔で答えると、次の客を接客し始めた。
私は決めきれなかったため、モリーと一緒に一旦店の前から離れる。
「モリー、元気?」
「はい、すぐに新しいお屋敷で働かせていただくことになりどうにか...。お嬢様は...。」
お元気そう、と言いたかったのだろうが、以前の格好とは似ても似つかない私に、彼女は思わず口を噤んだ。
さすがに荒れた手や、エプロンのついた作業着、埃で汚れた髪の毛など、こんな状態でお嬢様だと言われても誰だって信じ難い。
「私も元気よ。」
私は彼女の手を握り、にこやかに微笑むが、彼女の顔は心配そうなままだった。
「なにか、困っていることはありませんか?私にお嬢様のことをお助けできませんか?」
モリーは手を強く握り返すと私にそう尋ねた。
詳しく聞こうとはしないが、大方私の状況に想像がついたのかもしれない。
彼女の善意を嬉しいと思いつつ、何か助けてもらえることはないか少し考える。
「そういえば、私、最近家事を始めたの。それで、」
「お嬢様が!?どうして...。」
モリーが大きく驚いた。
なぜそんなに驚くのか不思議思いつつ、諦めの表情で微笑む。
「みんながいなくなってしまったんだもの。私がするしかないわ。」
そう答える私に、モリーは「お嬢様...。」と呟いた。
「それでね、家事のことがなーんにもわからないの。何か教本とかどこかしまってあったりする?」
「教本ですか...。たしか先代の使用人のメモ書きが台所にあったと思います。ただの紙束にまとめられたものですが、私はそれを読んで行っていました。」
「紙束...。」
そういえば先程開けた小銭の入っていた箱の中に、紙束があった気がする。
時間がなくて読まなかったが、それのことかもしれない。
「確かにあった気がするわ。ありがとう。読んでみる。」
「他にはなにかありますか?」
「そうね...」
私は今の保管庫の現状を説明し、買うべきものや、買い物の仕方、お店などを聞いた。
「ありがとう。とても助かったわ。」
「いいえとんでもございません。私にできることがあればなんでもします。かつての使用人との伝手も残っています。何かあればすぐに頼ってください。」
あと、とモリーはメモに何かを書き、私の手に握らせた。
「今の私の住所です。何かあればこちらへ連絡をしてください。私はいつでもお嬢様の味方です。」
そう言うと彼女は大きなカバンを持ち直し、足早に去っていった。
もしかしたら、時間がない中私のために時間を割いてくれていたのかもしれない。
私は、先程モリーから教えてもらったお店で、教えてもらった食材を買い、行きの倍の時間をかけて自宅へと戻った。
そのまま台所へ行き、食材を保管庫に置くと、箱の中から紙束を出して、パラパラと中身を確認した。
紐で縛られ、一冊になっていたが、よく作られていた料理のレシピや、道具の保管場所、掃除の仕方など事細かにわかりやすくまとめられていた。
新人教育用の資料だったのかもしれない。
「これで少しは彼女たちの文句もマシになるかしら。」
少し薄暗くなった外を見た私は、紙束の一番上のレシピを見ながら、慌てて夕食の準備を始めた。