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5歳と半年

5歳と半年後、私はやっと泳げるようになった。

1ヶ月かけて水に顔がつけられるようになった私は、少し気温が上がるのを待ってから、父とトーマスと、森の湖へ泳ぐ練習をしにいった。

比較的水深が浅いところをトーマスが見つけてくれたので、父と一緒に水遊びから始めた。

浅いといっても腰くらいなので、十分に潜ることはできる。

時折母も来てくれて、水遊びが楽しいと思えるくらいには水に慣れてきた。

しばらくして、泳ぐ練習が始まった。

今度はトーマスも水の中に入って、泳ぐ動きを教えてくれた。

私は「獣泳ぎ」と呼ばれる、顔を水面から出して、水中では手足をばたつかせて進む泳ぎ方しか知らなかったが、トーマスが水中に顔をつけて、手は伸ばし、足だけをばたつかせる泳ぎ方を見せてくれた。

本では見たことがなかったが、こちらの方が早く進む気がする。

父も一緒に、トーマスから教えてもらった泳ぎ方を練習して、トーマスと一緒に私に教えてくれた。

父は休みの日にしか湖へ行けないため、必然的に練習頻度は週1回になった。

天気が悪いと水が濁って危ないので、練習に行けない日もあった。

何回か段階を踏んで、少しずつ泳ぐ距離を伸ばし、とうとう裏庭分くらいの距離を一人で泳げるようになった。

「ぷは!トーマス!どう?」

私は立ち上がって、少し遠くの方にいるトーマスを見る。

「はい!素晴らしいです!」

「じゃあ...!」

私は反対側で待っていてくれていた父の顔を期待した目で見た。

「うん、よく頑張ったね。ウェスタへ行こうか。」

「やった!ありがとうお父様、大好き!」

私は父に飛びつくと、父は私を抱き上げてくれた。

「まさかエラが本当に泳げるようになるなんて、思っていなかったよ。」

「どうしてもお母様とウェスタへいきたかったの。ラツェッタも楽しみ!」

だが父は私の言葉を聞いて、ぴたりと止まった。

「お父様、どうかしたの?」

「ああ、エラ、それなんだが...」


私はモリーから夕飯の時間だと呼ばれるまで、自室でめそめそと泣いていた。

どうやら私が泳ぐ練習している間に、ラツェッタの開花期間は終わってしまったらしい。

暖かくなってきたとは思っていたが、暖かくなりすぎたようだ。

泳げない状態でも行けば間に合ったのかもしれないが、それこそ父と大喧嘩して行くことになるし、私も泳げないままだったに違いない。

「ウェスタへは行けるみたいだけれど、ラツェッタが咲いていないのなら、お母様に見せられないわ...。」

「お嬢様、夕食の準備ができましたよ。」

「今行きます...。」

モリーと手を繋いで、目を擦りながらとぼとぼと食堂へ向かう。

席についても、私の表情は晴れていなかったが、両親二人は少し嬉しそうだった。

「エラ、泳げるようになったって聞いたわ!よく頑張ったわね。」

「お母様、ありがとう...。」

「頑張ったエラのために、ケーキを用意したんだ。夕食のあと食べよう。」

「お父様もありがとう...。」

なかなか元気にならない私を見て、二人は顔を見合わせた後少し微笑んだ。

「エラ、ラツェッタのことなんだけれど、咲いていた時期は終わってしまったの。」

「うん、知ってる...。」

「でもね、国営の温室があって、そこに行けば少しだけ咲いているのは見れるわ。」

私は驚いて母の方を見た。

「え!!!ほんと!!!」

「ええ。ウェスタは幅広い人にさまざまな花を見てほしいから、どんな花でもいつでも見れるようにしてあるの。」

「じゃあラツェッタを見に行けるのね!」

「ええ。花畑の方が綺麗だけれど、それはまた今度行きましょう。」

「やったー!」

私は席から立つと、くるくると踊った。

花畑を見ることは難しかったが、ラツェッタを母と見に行くのは叶いそうだ。

いつもなら食事中だと嗜める父も、この時ばかりはにこにこと私を見守ってくれた。

「私もさっきミリアーナから聞いたんだ。がっかりさせてすまなかったね。」

「いいのよ、お父様!」

私は一通り満足すると、うきうきしながら席へ戻った。

「それでウェスタへはいつ行くの?明日?」

「明日は少し難しいかな。来月の頭に行こうか。1週間休みをもらってきたよ。」

「1週間も!船は?どんな船で行くの?」

「伝手でね、客船を一部屋、無理言って空けてもらったよ。大型客船だから揺れにくいはずだ。」

「ふふ、それじゃあお母様も安心ね。」

「ええ、そうね。ありがとうマルス。」

「いやいや、エラが約束通り頑張ったのに、私も頑張らないとエラに怒られてしまうからね。」

「明日から早速準備しなくちゃ。今のウェスタは暖かいの?」

「そうね、ここよりは少し暑いかもしれないわ。あとは日差しが強くて...」

母からウェスタの気候について聞く。

どこにあってどうやっていくのかは地図でわかるが、現地のことは本ではあまり載っていなかったから、母の話はとても楽しかった。

母も久しぶりにウェスタへ行くことが決まって嬉しいのか、たくさん話をしてくれて、いつもよりも食事が30分も延びてしまった。

「おや、もうこんな時間だ。話の続きは明日にしようか。」

「お父様、私もっと聞きたい!」

「そうだね、でも私が眠くなってしまったから、また明日お話しようか。」

「お父様が眠いなら...。」

だが、父は私が船をこぎ始めていたことに気づいていたらしい。

締めの挨拶をして、モリーに手を引かれて自室へ戻ると、そのまま朝までぐっすり眠ってしまった。


翌日、私は何の荷物を持っていくか考えたあと、長期での旅行が初めてなことに気づき、母へ相談しに行った。

「お母様、ウェスタのお話聞かせて。」

「あらエラ。いいわよ。何が聞きたいの?」

母はちょうど椅子に座って日記を書いていたらしいが、私が来るとパタリと閉じた。

「旅行って何を持っていけばいいの?」

「そうね、お洋服でしょ、遊び道具、靴もあるといいわね。そうそう、あとは帽子も!」

「エラ、たくさんお洋服持ってたかな。」

「せっかくだから、来週買いに行きましょうか。

「やったー!お買い物楽しみ!お母様は何を持っていくの?」

「私もエラと同じよ。あとは...」

母から旅行について色々聞いているうちに時間はあっという間に過ぎていき、昼食を食べた後も、父が帰ってくるまでたくさん話をした。

先日まで泳ぐことに手一杯だった私は、母とこんなに話すのが久しぶりなことに気づいた。

モリーに夕食へ呼ばれた後、母と手を繋ぎながら食堂へ向かった。

「ねえお母様。明日もたくさんお話ししてくれる?」

母は少し驚いたように私を見た後、優しく微笑み、頭を撫でた。

「ええもちろんよ。」


翌日も私は母の部屋を訪れて、話をした。

昨日は旅行の話だったので、今日はウェスタの話を。

週末は家族みんなで買い物に行き、新しい洋服や帽子を買って、翌日、母はベッドから起き上がれなかった。

「お母様...、大丈夫?」

心配そうに見る私に、母は少しだけ弱々しく、優しく微笑み、頭を撫でた。

「ええ、大丈夫よ。」

「さあエラ、お部屋に戻っていなさい。」

父は私の手を優しく握ると、そのままモリーへ渡した。

父の少し太いごつごつした手から、少しだけ乾燥した細いモリーの手に移った。

「さあお嬢様、こちらですよ。」

二人とも笑顔は優しかったが、手はいつもよりも冷たかった。

モリーに連れられて母の部屋を出る前に後ろを振り返ると、父は母の横に跪き、両手を握って何かを話しているようだった。


翌日、父は休みだった。

母はまだ起き上がることができず、医者が町からやってきて母を診てくれた。

医者が帰った後、私の部屋へ父が来て、申し訳なさそうに頭を撫でた。

「エラ、すまないが...。」

「ううん、いいのよお父様。約束だもの。」

私は母がもう長くないこと、一緒にウェスタへ行けないことを悟っていた。

「エラ、こっちへおいで。」

父は私の前にしゃがみ、大きく両手を広げた。

父の表情はいつもよりも優しげで、少しだけ諦めのような感情が混じっていた。

私は急に目頭が熱くなり、視界がぼやけてきて、涙が溢れる前に父の胸へ飛び込んだ。

私は父の胴体に腕を回して顔を埋めた。

父は私の頭を優しく撫でながら、極めて明るそうに言った。

「休みを早めてもらったんだ。しばらくは家族3人で過ごそうね。」

「...うん。」

「ウェスタへはまた今度行こうね。せっかくだからラツェッタの時期に行こう。」

「...うん。」

声が震えてくる。

嗚咽が堪えきれなくなり、涙が次から次へと溢れ始めた。

「私がずっとついているからね。」

私は父がずっと一緒にいられないことを知っている。

私を置いてみんないなくなるのだ。

急にこれからのことが不安になって、大きい声でわんわんと泣いた。

父は優しく私を撫でてくれていたが、時折肩が震えていたのが振動で分かった。


私は泣き疲れてそのまま眠ってし待ったらしく、起きた時には夕食の時間だった。

部屋を出ると、あたりはしんとしていたが 

母の部屋から明かりが漏れていることに気づき、そちらへ向かった。

部屋からワゴンを出すモリーと目が合い、腫れた目を見られたくなくて、思わず目を逸らしたが、彼女はそのことには何も言わず、ただ微笑んだ。

「お嬢様、夕食の準備ができていますよ。」

食堂は下の階のはずでは?と訝しみながら、おそるおそる部屋を覗くと、ローテーブルの上にサンドイッチが並べられていた。

母のベッドの傍には父がいて、何かを話していたが、私が来たことに気づくと「エラ」と声をかけた。

「お腹が空いただろう?しばらくはここで食事をとろうと思うんだ。どうかな。」

母は起き上がるのも辛いのか、高く積んだクッションに寄りかかっていた。

母の顔は青白く、髪の艶も心なしかなくなっている気がする。

肌も少し乾燥しているようだった。

「とってもいいと思うわ。」

私は少し戸惑いながら母の方へ近づく。

約2日会っていなかっただけで、母が急速に衰弱しているという現実を受け止められなかった。

「エラ、ごめんね。せっかく泳げるようになったのに。」

母が申し訳なさそうに私の頬を撫でた。

久しぶりに聞いた母の声は、少し元気がない。

だが、母の声が聞けたことに少しだけホッとしていた。

「いいのよ。お母様が元気になったら行こうねってお父様と話していたの。」

嘘だ。

でも来年、母がいなくなったことを前提にしたあの約束の話はしたくなかった。

もしかしたら母はここから元気になるかもしれないから。

ただ、母もわかっているのか、少しだけ視線を下げたあと、すぐに私の方を見ていつものように微笑んだ。

「そうね、私が元気になったら一緒に行きましょうね。」

「じゃあいつでも休めるように仕事を片付けておかないといけないね。」

父もいつもと変わらない笑顔でそう返したが、少しだけ声がうわずっていた。

父は嘘がつくのが少しだけ苦手なのかもしれない。

母もそれに気づいたのか、私と母は顔を見合わせて、くすくすと笑った。

ああ、あと少しだけ、あともう少しだけ、この幸せな時間が続きますように。

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