4歳
母に遊んでもらうようになって1年が経った。
私は4歳になり、身長もかなり伸びた。
母は体調がいい時と悪い時に波があるらしく、1日一緒に遊べる日もあれば、午後の数時間しか遊べない日もあった。
だが、毎週末、父の仕事が休みの日は、必ず三人で遊んでくれた。
母の体調がいい時は庭へ出かけたり、絵本を読んでもらったり、刺繍を教えてもらったりした。
悪い時はもっぱらお絵描きで、母とおしゃべりをしながら描いたたくさんの絵は、父が様々な部屋に全て飾った。
あとは、喋る機会が増えたため滑舌もよくなり、字の練習もし始めた。
字は以前の人生で書けていたので、体がペンを持つのに慣れてしまえば、あとはすらすらと書けるようになった。
父には「天才か?」と言われたが、字を書いてみたかったからたくさん練習したと言えば、「うちの子は努力の天才だ!」とたくさん褒めてくれた。
ジャクソンとの関係も良好だ。
やはりジャクソンは私の言っていることが理解できるらしく、こちらを見て頷くなどの反応を見せてくれることもあり、母の体調が優れない日は、一方的な話し相手として付き合ってくれた。
だが不思議なことに、ジャクソンは病気にもならなければ、成長することもなく、ずっと子ネズミのままだ。
初めは見るたびに微妙そうな顔をしていたモリーも、いつしかネズミのことについて言うことはなくなった。
むしろ、まるで存在を認識していないかの様子に不自然さを感じたが、以前の人生にはネズミが存在していなかったことを考えると、魔法の影響なのかもしれないと納得した。
絵本が読めるようになったので、最近はこっそり父の書斎から本を持ってきて、以前の人生で読めなかった本の続きを読んでいることもある。
今日は母の体調が比較的いい日らしく、一緒に座って刺繍をしてくれた。
初めはぐちゃぐちゃだった花も、今ではパッと見て花だとわかるくらいにはできるようになった。
が、今日一日刺繍で終わらせるのはなんだか味気ない。
「おかあさま、きょうはなにするの?」
「刺繍以外?そうね...今日は詩の話でもしましょうか。」
「エラ、しってるよ。『古語』をつかってる、って聞いたよ。」
「あら、エラは物知りね。それでは、もう少し詳しく教えてあげようかしら。」
教養としての「詩」にはいくつか種類がある。
一般的なものは、数百年前に作られ現在は使われていない「古語」を使ったもので、有名なもので大体100首ほどあり、「古詩」と呼ばれている。
貴族の世界では、この古詩を挨拶の際に添えることで、相手の教養を推し量ると同時に、自身の気持ちをスマートに伝えられるため、詩を嗜むことが美徳とされていた。
また、古詩を組み合わせて新たな詩として意味を持たせた詩は「古新詩」と呼ばれ、会話の中でさりげなく使うのが今の詩の楽しみ方となっていた。
私は特に古新詩が好きで、よくマリアと茶会で古新詩の話をしていた。
だが、古語は現在使われていないこともあり、覚えて理解をすることがなかなか難しい。
現在は、有名どころで100首のうち10首程度を覚えていれば上々と言われている。
「エラは花言葉ってわかる?」
「はなことば?」
随分前に父からトゥーリアの花言葉を聞いた気がするがなんだったか。
「そうよ。お花には名前とは別に意味が添えられているの。それが花言葉。エラの好きな花は何かしら。」
「エラ、トゥーリアすきだよ。」
「エラはトゥーリアが好きなの?素敵ね。トゥーリアには『希望』っていう花言葉が付けられているのよ。」
「むむ、聞いた気がする。」
「隣国のウェスタには花言葉を使った詩、『花語詩』があって、花の名前や花自体に詩の意味を持たせているのよ。」
「うーん?」
「少し難しかったかしら。」
詩の代わりに花を渡すのだろうか。
西側にある隣国ウェスタは、本国イースデンよりも温暖な気候が特徴的で、植物がよく育つと聞いている。
花が多く咲いているからこそ、発展した文化なのかもしれない。
「おかあさまはどのおはながすきなの?」
「私はね、ラツェッタって花が好きなの。ラツェッタには『愛情』って花言葉があるのよ。」
「ラツェッタ?どんなおはななの?」
「大きな花びらが5枚、鮮やかな赤色をしているの。真ん中が黒くて、甘い香りがして、暖かくなったら一気に花が咲くのよ。」
「すてき!エラもそのラツェッタ見てみたい!」
すると微笑みながら話していた母の表情が少しだけ曇った。
「そうね...見せてあげたいけれど、この辺には咲かない花なの。」
「おかあさまはどこでそのおはなを見たの?」
「私が子どもの頃に。家の庭に咲いていて、毎年咲くのが楽しみだったわ。」
「おかあさまのちいさいときのおうちは、もうないの?」
「いいえ、まだあるはずよ。でも行くのは少し難しいかも。」
「どうして?エラいきたい!」
「ふふ、そうね。そしたら、私が元気になったらみんなで行こうかしら。」
「やった!やくそくね!」
嬉しそうに笑う私を見た母は、愛おしそうに私の頭を撫でた後微笑んだ。
「それじゃあ、さっそく詩のお話を始めるわよ。」
母は本棚から詩の本を取り出し、丁寧に説明し始めた。
母の説明はわかりやすくて、面白くて、詩のことは知っていたはずなのに、その倍教えてくれた。
その日の話はあっという間に終わってしまったが、その日以降、本を読むながら母と勉強することが増えた。
詩のことはもちろん、我が家の領地のことや、父の仕事内容のこと。
母は私の疑問にはほとんど答えてくれて、わからなかったとしても、翌日には父や本で確認して教えてくれた。
母の友人も時折遊びにきて、少しだけその場に同席させてくれることもあった。
家の前に豪勢な馬車が乗り付けてきたのと、お付きの人が3人もいたので少し驚いた。
モリーに連れられて客間の前まで行くと、母の友人の護衛の人が二人も部屋の前で立っていた。
きっと母の友人はとても偉い人なのかもしれない。
モリーが扉を叩くと、「どうぞ」と母の返答があった。
「失礼いたします。お嬢様をお連れいたしました。」
「あなたがエラちゃん?会えて嬉しいわ。」
ぺこりとお辞儀をした後に顔をあげると、母に似た、ブロンド髪で青い瞳をした女性が座っていた。
だが、母よりも髪の色が薄く、背も少し高そうだ、あとは笑顔が素敵で快活そうな女性だった。
「はじめまして。エラ・サリドーリといいます。」
「まあ!話では聞いていたけれど、とても丁寧でいい子だわ!私はメラよ。よろしくね。」
「はい。よろしくおねがいいたします。」
「エラ、こちらへおいで。」
「うん。」
母に呼ばれたので、母の隣に座る。
テーブルの上には大きなピンクの花が一輪、花瓶に挿してあった。
見たことがない花なので、メラが持ってきた花なのかもしれない。
モリーが用意してあった空のティーカップに茶を注いでくれた。
「モリー、ありがとう。」
「はい、お嬢様。」
モリーが下がったあとに、茶を飲んでいるとその様子を見ていたメラがため息をついた。
「はあ、私にもね、エラと同じくらいの息子がいるのだけれど...すごくやんちゃでね。何が違ったのかしら。」
「あら、うふふ。元気でいいじゃない。」
「この間なんて池にいる魚を捕まえるって言って、服のまま飛び込んだって聞いたわ!もうびっくりよ!」
「それは確かに私でも驚くかもしれないわ。」
楽しそうに家族以外の人と会話をする母をあまり見たことがないので、私は2人の会話の様子をまじまじと見つめた。
母は私の視線に気づくと、優しく微笑んだ。
「ふふ、メラはね、私のいとこなの。」
「いとこ?」
「そうよ。エラの曽祖父が同じ人なの。」
母の親戚ならば、容姿がどことなく母に似ているのも納得がいく。
母方の親戚だと、他にどんなところが似ているのだろうか。
「ひいおじいさま!エラも会える?」
「いいえ、随分前に亡くなったわ!」
「私が生まれるより前よ。」
母が生まれるより前に亡くなったのなら、確かに会うのは難しい。
「そっかあ、エラも会ってみたかったなあ。」
「そうね、エラのひいおじいさまに会うのは難しいけれど、お祖父様ならまだご存命よね?ひいおじいさまとよく似ているって聞いているわ。」
「おじいさま!おかあさま、おじいさまに会いに行ける?」
だが、母は困ったような顔で微笑んだ。
「そうね、会いに行きたいけれど...。」
確かに以前の人生でも縁を切られたとのことで、一度も両親以外の親戚に会ったことはなかった。
今回初めて母のいとこであるメラに会ったので、以前の人生とは何かが変わり始めているのかもしれない。
「もう、勘当されたからって気にしすぎよ!あの時はきっとカッとなって言ってしまった手前、引っ込みがつかなくなってしまっただけよ。」
「でも結婚をする時、もう二度と会わないと言われてしまったのよ?」
「お父様が『あいつは偏屈だから。』ってよく言っていたわ。この間だって、ブライトに会いたい〜って突然遊びに来たの。その時も『あいつに孫を自慢してやる。』って、一緒に連れてきた画家に絵を描かせていたわ。」
「うふふ、元気ね。」
「そうね!お父様、変に自慢したがりだからきっと絵をいろんなところで見せて回っているのよ。私からお父様へミリアの話もしているから、きっとエラが生まれたことも伝わっているはずよ。」
「おじいさま、エラのこと知ってるの?」
突然私の名前が出てきたので、思わず話を遮る。
「ええ、ご存じにはずよ!だって貴方のおじいだまはミリアのことが大好きだもの。」
「ミリア?」
「私のことよ。愛称なの。」
母が照れ臭そうに笑った。
どうやら私の祖父は何かが原因で母と揉め、母を勘当したものの、親戚のメラ経由から(メラの父親から自慢という形ではあるが)現在の様子は伝わっているらしい。
ここでふと、メラが母のことを愛称で呼ぶなら、メラも愛称の可能性があることに気がついた。
お付きの人が3人もいるのだから高貴な人に違いはないのだが、記憶の中に『メラ』という人物はいないため、不思議に思っていたのだ。
だが、母の勘当の理由も気になってしまい、どちらを聞こうかぐるぐると悩み始め、どちらも聞く前に母が小さくため息を吐いた。
「でもそうね...私もお父様に久しぶりに会いたいわ。」
母がそう呟くと、メラの瞳がキラリと光った。
「あら、言質とったわよ。」
「でも、あそこへは船でしか行けないもの。船で数時間はなかなか気軽には行けないわ。」
「うふふ、これは一部しか公開されていない事業なのだけれど、実はウェスタとの親善事業で橋を建設する計画があってね、あと数年で完成予定なの!」
「まあ、あそこの運河に橋を?」
「ええそうよ!半日かかっていた移動も、2時間ほどになる予定なの。これなら船が苦手な貴方も、きっとウェスタへ行きやすくなるわ。」
「そうね、確かに2時間なら...。」
「やったわ!貴方がウェスタに行きたいと思ってくれたら、資金援助も増えるはずよ。お父様に『ミリアが橋があればウェスタへ遊びに行くって言ってた。』って伝えておくわね!」
「狙いはそれね。」
「あら?なんのことかしら?でも橋さえかかれば、両国間の関係性の強化、経済の発展、北方諸国に対する軍事力向上等々いいこと尽くしだもの。長年の悲願がようやく叶うのだから、そこに親子の感動の再会による口添えがあってもいいんじゃない?」
「それもそうね...親交開始から100年と少し、橋建設の構想から30年、着工から5年。長かったわね。」
「そうね。予定ではあと3年とも言われていたけど、費用さえあればあと1年で完成するはず!もうこうしてはいられないわ。ミリア、待っててね!」
メラはそういうと、残っていた茶を飲み干した。
「今日は会えて嬉しかったわ。またね、ミリア。」
「こちらこそ貴方と話せて楽しかった。またいつでも遊びに来て。」
メラは母を抱きしめたあと、私の頭を撫でた。
「エラもまたね。会えて嬉しかったわ。今度はぜひ息子のブライトと遊んであげて。」
「はい!わたしもお会いできて嬉しかったです。」
メラは私の言葉を聞いてふわりと笑った。
「またね!」
メラは颯爽と部屋を出ていくと、付き人もそれに続いて部屋を出ていき、その後ろを部屋の前で待機していた二人も追って行った。
急に静かになった部屋にモリーが新しい茶を持って入ってきた。
「おかわりはいかがいたしますか?」
「お願いするわ。」
母が茶を注いでもらっている様子を見ていると、テーブルの上にある花が目に入った。
「おかあさま、このお花ってお家にあったかな。」
「いいえ、このお花はメラが持ってきてくれたのよ。」
やはりそうか。
私はもう一度その花をよく見た。
分厚い丸みを帯びたピンクの花弁が数枚折り重なり中央は黄色で、華やかな花だった。
「これはなんていうお花なの?」
「ファリィティよ。『喜び』っていう花言葉があるの。きっとメラが、会えた喜びを伝えるために用意してくれたのね。」
「花語詩だ!」
「ええ、そうよ!よくわかったわね。えらいわ。」
「えへへ。」
花語詩はウェスタでよく使われると聞いた気がするが、わりとイースデンにも普及していたのだろうか?
いや、以前の人生で聞いたことはなかった。
だが茶会へ行く機会も年々減っていたことも考えると、やっぱり自分が知らないだけで他の人たちは使っていたのかもしれない。
「そういえばファリーティー・ラ・なになにってつく挨拶の詩があった気がする。」
「ええ。実はあの詩は花語詩からきているの。」
「そうなの!じゃあ花語詩の方が古いのかな。」
「いいえ、逆もあるわ。他にもね...」
母と詩の話に夢中になってしまった私は、すっかりメラの話を忘れてしまい、結局その後もメラについて母に聞くことはなかった。
序盤で教養に「詩」とか書いてしまったので色々と書いてますが、私も覚えきれそうにないため、適当に流していただいて構いません。
それっぽいのを考えるのも大変なので、流れで必要な程度しか出さないと思いますたぶん。