家族でピクニック
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「お嬢様。ほら、着替えて朝ごはんを食べましょう。」
「うん...。」
私は気がつくと、小さな子供になっていた。
昨日は舞踏会に行く準備をしていて、行く直前でドレスがめちゃくちゃになってしまい、大魔法使いに会って...いた気がするけれど、全て夢だったのだろうか...。
ぼーっと考えていると、いつの間にか着替えが終わったらしく、髪をブラシで整え終わっていた。
「お嬢様、準備ができましたよ。」
「わ、これ!エラ好きなやつ!」
「え?そうなのですか?先日のお誕生日で旦那様がプレゼントされたもので、まだ着ていなかったはずですが...。」
「そうなの?」
「まあでも一度箱が開いていたので、中身を見たのかもしれないですね。」
でもこの服は幼少期好んで着ていたやつだ。
見覚えもあるし、最近もらったとは...とここで、食堂に着いた。
「旦那様、奥様。お嬢様をお連れいたしました。」
モリーが声をかけてくれたので、食堂の中を覗くと、父のマルスと母のミリアーナが笑いかけてくれた。
「おはよう、エラ。あら、今日はそのお洋服を着てくれたのかい?選んだ甲斐があったなあ。」
父が嬉しそうにしていると、斜め横に座っていた母が微笑んだ。
「貴方、ずーっとどれにしようか悩んでいたものね。エラ、おはよう。よく眠れたかしら?」
これは夢だ。
都合のいい夢だ。
何度も願った遠い昔の夢。
「どうしたの?エラ。一緒に朝ごはんを食べるんだって昨日言ってくれたじゃないか。」
「まあまあ。あ、もしかしたらまだ寝ぼけてるのかも!エラー、朝ですよー。」
なかなか部屋に入ろうとしない私を見て、少しだけ拗ねる父と、それを宥めつつ手招きしてくれる母。
遠い昔の記憶。
きっと死ぬ前に見せてくれた、私の最後の願い。
夢ならば、存分に楽しんでから覚めたほうがいい。
私は涙が溢れそうになった目を擦って、とびきりの笑顔で食堂へ入った。
「おとーしゃま!おかーしゃま!おはよう!」
席へ着くと、大好きなジャムと、ソーセージが置かれていた。
ジャムなんていつぶりだろう。
たっぷり塗って、口いっぱいにパンを頬張る。
口の端についたジャムを父が拭き取ってくれた。
その様子を優しそうに見つめる母に笑いかけると、ふと、母の着ているドレスが、ずっと形見として持っていたドレスに似ていることに気がついた。
「おかーしゃまのドレス、エラも好き。」
そう言うと、母は照れつつ、ドレスを見た。
「これね、マルスがプレゼントしてくれたのよ。エラが着ているお洋服とお揃いね。」
「しょうなの?」
振り返ってモリーの方を見ると、モリーが頷いてくれた。
大好きな母とお揃いのドレス。
確かによく見れば、柄も形もそっくりだ。
「おとーしゃま大好き!」
父に感謝を述べると、父はにこにことした笑顔で私の頭を撫でてくれた。
「マルス、少しでれでれしすぎでは?」
「いやあ、娘に大好きって言われると流石にな。」
お父様、これでがでれでれの表情だったとは...。
さすが商人、本音と建前の顔の使い分けが上手いらしい。
母が見分けられるのはさすがと言うべきだろう。
「ミリアーナも素敵だよ。」
「まあ、貴方ったら...。」
二人がいちゃいちゃし出すのを横目に、私は朝食を食べ終えた。
「ごちそーしゃまでした!」
「あら、エラもう食べ終わったの?」
「おとーしゃまもおかーしゃまも早くして!」
「わかったわかった。モリー、エラの準備を頼む。」
「かしこまりました。」
椅子から降りて、自室へ小走りで向かう。
まるで小さい頃に戻ったように、全てが楽しく感じる。
「モリーモリー!おでかけだよ!」
「ええ、ピクニックですね。」
「ぴくにっく!」
わくわくしながら小さなポシェットに、大事なお人形と、リボンの髪飾りを入れる。
そういえばこんなものも持っていたのか、とはたと気づく。
大好きなものだったはずなのに、どこでなくしてしまったのだろうか。
「そういえばモリー、エラってなんしゃいになったの?」
「ご年齢ですか?」
「うん。」
「ついこの間3歳になりましたよ。」
3歳。
当時の記憶はほとんどない。
物心ついた時には母の病状は悪化しており、部屋へ入れてもらえる機会もめっきり減った。
覚えていたのは母のドレスと、母が書いていた日記、歌ってくれた子守唄くらいだ。
まあ、子守唄も歌ってくれた記憶はあるのに、歌詞もメロディもすっかり忘れてしまったのだが。
「(そういえばお母様の日記、ほとんど内容を覚えていないわ...。)」
元気がない時に屋根裏部屋で時折読み返していたはずなのに、肝心の内容はもやがかかったように思い出せない。
「(せっかくお母様が夢に出ているのだから、夢の中で思い出せばいいわ!)」
そんなことを思いながら、意気揚々とモリーに髪を結んでもらうために椅子に座ったが、モリーと話しているうちに日記のことなど綺麗さっぱり忘れてしまった。
出かける支度を終えて、帽子をかぶって準備万端な私は、両親をモリーと一緒に待っていた。
「まだかな、まだかな。」
「あともう少しですよ。」
くるくると走り回りそうになる私の手を握り、ふらつくこともないモリーは流石だと思う。
モリーが動いてくれないので、両腕を振りながら待っていると、父と母が優雅に階段を降りてきた。
「もう!おそいよ!」
「ごめんごめん。待たせたね。」
父は大きいツバの帽子をかぶった母の手を取り、もう片方の手には大きなカゴバッグが握られていた。
母が私の手を握ると、モリーは私の手を離して、父からバッグを受け取った。
「じゃあ、トーマス、行ってくるね。」
「行ってらっしゃいませ。」
トーマスが私たちに対してお辞儀をした。
父の後ろに立っていたらしい。
トーマスの顔にはまだ少年の幼さが残っている。
そういえばモリーもトーマスも何歳なのか聞いたことがなかった。
「(舞踏会の日、私は16歳だったから、少なくともあの時から13年前ってことになるのね。)」
「エラ?」
トーマスを見ながらぼーっと考えていると、母に心配され顔を覗き込まれた。
さっきまではしゃぎ倒していたのに、急に静かになると流石に心配になるだろう。
私は首を振ると、弾ける笑顔で母の手を引っ張った。
「なんでもない!トーマスばいばい!おかーしゃま、いこ!」
るんるんと母の手を引きながら歩いていく。
「きょうはどこいくの?」
適当に歩いているが、方向がずれているのか、時折母に方向を修正されるように引っ張られる。
父が母の手を取り、家族で横に並び、その少し後ろをモリーがついて歩いていた。
「今日は森の湖に遊びにいくよ。」
「みずうみ!」
家の裏にある大きな森は、我が家の土地ではあるが、地域住民との共有財産としている。
そのため、地域住民の憩いの場ともなっているのだ。
「もり、こわいトリさんいる?」
「こわいトリ?どうだろう、カラスはいるかもね。」
先程から思っていたが、思考と発言がどうしても、夢の外の私と夢の中の私とごちゃ混ぜになってしまっているらしい。
考えていることは別なのに、発言も、行動も、『3歳のエラ』に引っ張られてしまう。
「(どうせ夢の中の話だし、流れに身を任せてしまったほうがいいのかしら。)」
そんなこんなで湖の近くへたどり着いた。
すぐ傍には大きな木が生えていて、ちょうど木陰になっているようだ。
「ここにしようか。」
父がそう言うと、モリーが敷物を取り出し、お茶の準備を始めた。
私は母の手を離し、湖へと駆け寄った。
「わー!すごいね!」
目の前には庭の何倍もの大きさの湖が広がっていた。
水は澄んでいて、よく晴れた青空が反射していた。
水の中に鳥が飛んでいるのが見えて、思わず空を見上げた。
こんな素敵な場所があったなんて知らなかった。
周囲を見渡すと、さまざまな色の小さい花が咲いていて、風に揺れていた。
「ひろーい!」
ぱたぱたと三人の元へ戻ると、母が笑った。
「素敵でしょ。私もこの場所が大好きなの。」
「そうなの?エラといっしょ!」
「あら、エラと一緒だなんて嬉しいわ。」
母は敷物の上に座り、モリーから茶を受け取っていた。
父も座っていたが、私の様子を見て微笑んだあと、よいしょと立ち上がった。
「エラ、散歩でもするかい?」
「しない!」
「まあまあ、そう言わずに。こっちおいで。」
父に連れられ、花が多く咲いている方へ向かった。
「エラはこの花を知っているかい?」
「ううん。」
「よく見てごらん。エラのお洋服と柄が一緒だね。」
「ほんとだ!」
父は一本摘むと、私に渡してくれた。
細長い楕円形の花弁が均等にぐるりと一周した手のひらサイズの花で、周囲には黄色や赤、ピンク、白があったが、父が渡してくれたのは白だった。
「この花はね、トゥーリアっていうんだ。」
「とーりゃ?」
「トゥーリア。お花にはそれぞれお名前の他に言葉が込められていてね、花言葉って言うんだけど、トゥーリアは『希望』っていう意味が込められているんだよ。」
「へえ〜!ほかのおはなにも、はなことばってあるの?」
「あるよ。きっとミリアーナの方がたくさん知ってるだろうから、後で聞いてみようか。」
「うん。」
私は他の色の花も摘み始めた。
花を片手にうろうろしていると、父が花冠を作って頭に乗せてくれた。
「エラもやりたい!」
「どうかな、お花がたくさん摘めたら持ってきておいで。」
「うん!」
引き続き花を摘み始めたが、他の種類の花もあることに気づいた。
「おとーしゃま、これって...」
ふと振り返ったが、父は近くにおらず、先ほどの木陰に戻って母と二人で何かを話していた。
モリーも父の茶を淹れているのか、手が離せなさそうだ。
「(もう少し摘んだら戻ろう。)」
空を見上げると雲はゆったりと流れている。
ふわりと風が吹くと草花の香りがして、チチチという鳴き声が聞こえて木を見れば、パタパタと鳥が飛び立っていった。
私は花を摘みながら父から聞いた花言葉の話を思い出す。
「(あの花の花言葉、『希望』だったんだ。私の希望は目前で破り捨てられたのに。皮肉なものね。)」
そういえば、母の日記に湖の話が書いてあった気がする。
内容は思い出せないが、確かにこの湖はとても素敵だ。
「(もう少し近くで見てみようかな。)」
花を握りしめて、湖の方へ歩いていく。
「エラーあまり湖に近づきすぎてはだめだよー。」
父が遠くから声をかけてきたが、彼の言葉は私の耳をするりと抜けていった。
湖は陽の光が反射してきらきらと輝いている。
透明度が高いのか、湖の底にある石が見えた。
遠くの方で小さい魚が数匹泳いでいて、私に気づいたのかくるりとUターンして視界から消えた。
試しに腕を伸ばして、水を触ってみる。
腕が短いので指先しか届かなかったが、とても冷たかった。
後ろを振り返ると、モリーが立ち上がってこちらへ向ってきているところだった。
あとでモリーに湖の感想を話そうと考えていると、視界の端に、初めて見る花が咲いているのを見つけた。
花弁が3枚で紫色の小さな花。
湖のほとりに生えていて、花が咲いているのは1本だけだった。
「(あの花なんだろう。摘んでいってお母様に聞いてみよう。)」
私は立ち上がり、花の方へ近づくと、右腕を目一杯伸ばした。
指先が花の先に少しだけ触れるが、風で揺れてなかなか掴めそうにない。
「あと、もうちょっと...」
すると一際大きな風が吹き、花が大きくこちらへ傾いた。
「とれた!」
私は花の下の茎をしっかり掴み、花をぷちりと切った。
が、喜びも束の間、重心がぐらりと傾いた。
どうやら花をとろうとするのに夢中で、湖の方へ乗り出していたことに気づかなかったらしい。
私は握りしめていた花を離し、どこかを掴もうと手を広げるが、虚空を掴むだけで体を支えられるものは何も掴めなかった。
私はそのままバランスを崩し、頭から湖の中へと落っこちた。
「きゃあ!!」
「お嬢様!」
「エラ!」
近くまで来ていたモリーが助けようと手を伸ばしているのが見えたが、間に合わなかった。
周囲から音が消え、ゴボボボと自分の口から空気が出ていくのが見える。
冷たい、怖い、助けて、苦しい、誰か
手足をバタつかせ、水面に上がろうとするが、パニックでどちらが上かわからない。
足が底につかず、服は水を吸ってどんどん重たくなる。
少し前まで「死にたい」などと考えていた自分に呆れる。
溺れそうになって助けてほしいと考えてしまうなんて、死にたい覚悟が足りなかったと言えるだろう。
水を飲んでしまい吐きそうになるが、吐き出そうにも吐き出せない。
体がぐるぐると回っている気がして、だんだんと動くのも疲れてきた。
視界が暗くなり、もがいているのが自分の体か、想像の中だけでなのかわからなくない。
「(この夢って覚めたりするのかな...)」
突然、下から誰かに持ち上げられて、体が水の外へ出た。
「エラ!!!!エラ!!!!」
遠くで私の名前を呼ぶ声が聞こえる。
背中を何度も強く叩かれ、咳とともに水を吐き出した。
「ゲッホゲッホ...」
「エラ、私がわかるかい?」
ぼんやりと周りを見ると、父が抱きかかえた私の顔を心配そうに覗き込み、その隣で母が泣いていた。
モリーもずぶ濡れで、手に私のポシェットを持っていてくれたが、頭を深く下げていて顔は見えなかった。
「エラ?ああ、エラ!!」
母は私の意識が戻ったことに気づくと、父を押し退けて私を強く抱きしめてくれた。
母の匂いと体温に安心したあと、私は水がとても冷たかったことと、とても苦しくて怖かったことを思い出し、大きな声でわんわんと泣き出した。
同時に、日記に母が、私が湖で溺れたので二度と森へは行かないと決めたと書かれていたことを突然思い出した。
私は自分の大きな泣き声を聞きながら、ぼんやりと理解した。
日記の内容は忘れていたのではなく、不確定だったので、記憶に存在していなかったこと。
そして、これは夢などではなく、現実なのだということを。