[幕間]ネズミさん
幕間です。ネズミ視点の話です。
私はネズミ。
ただのネズミ。
彼女と初めて会った時、なんて親切な人間だろう、と思った。
私には家族が十匹いた。
家族はそれぞれ、食べ物がなくて飢え死に、ネコに捕まり嬲り殺され、外へ逃げればカラスに食べられ、とうとう三匹にまで減ってしまった。
命からがら逃げ出した先の大きな家で、やっと食料を見つけたと思ったら、人間が出てきて、怖くて逃げ出してしまった。
しばらくして、その人間が外にりんごを放り投げたので、そのりんごをどうにか天敵がいないところへ、とりあえずその家の陰まで持ち帰ろうとしていると、カラスがやってきてりんごを奪おうとしてきた。
せっかくりんごを手に入れるチャンスが巡ってきたのだ。
必死の抵抗でりんごを引っ張っていると、人間が何かを持ちながらやってきた。
周りに遮蔽物もなく、もう逃げられない。
ひと足先にカラスは森へ飛んでいき、私たちネズミとりんごだけが取り残された。
きっと叩き潰されて殺されるんだ、とぶるぶる震えていると、何か話しかけてきた。
この人間は私たちを殺そうとしないのか...?
怪訝そうに窺っていると、彼女はバケツと板を持ってきた。
登れるように板が斜めにかけられていたので、試しに登ってみると、中には水が入っていた。
泳げということだろうか?
試しに中へ入ってみて泳いでいると、突然捕まれ、指の腹でゴシゴシと擦られ始めた。
「なんだなんだ!」
だがすぐに体を洗われているのだと気づき、不必要に動くのをやめた。
他の二匹も私の様子を見ていたので、おとなしく洗われたあと、頭からまた水をかけられた。
プルプルと水を飛ばして、人間の方を見つめる。
何が目的なんだろうか...。
彼女はまた私たちに話かけたが、やはりよくわからない。
少しして、家の中へ招き入れる動作をしたので、恐る恐る中へ入る。
しばらく待っていると、人間がりんごを持って戻ってきた。
先程の私たちのように丁寧に洗うと、皿に入れられた牛乳と一緒に目の前に出された。
「ご飯だ!」
「あ、おい!」
隣にいたやつが真っ先に牛乳を飲み始めてしまったが、人間は気に留めることなく、席に座って自分の食事を始めた。
「食べていいのかな...。」
「変な味はしないよ。」
「そうか、なら...。」
おそるおそる食べ始めたが、やはり人間は襲ってこない。
久しぶりの食事に我を忘れて食べ始めた。
しばらく食べ続け、皿が空っぽになったが、人間は気づいていないようだ。
「今のうちに拠点を見つけよう。」
この家は今までの家に比べて広そうなので、どこかに自分たちが住める隙間があるはずだ。
どうやらあの人間は私たちに食事を与えてくれる存在らしい。
次いつ会えるかはわからないが、とりあえずこの場を離れることにした。
何日か経って、お腹が空いたので彼女へ会いにいくことにした。
この家にいて分かったのだが、彼女は「エラ」という名前らしい。
彼女の髪はブロンドで、目が青い。
他に人間が三人いたが、エラではない人間の前に出て行った時に、追いかけ回されたので、たぶんエラ以外の人間に見られない方がいいのだと理解した。
しばらくして、棲家の近くにベルが置かれた。
「なんだこれは?」
注意深く観察していると、様子を見にきた他のネズミが誤って倒してしまった。
チャリリ、という音が鳴り、慌てて棲家へ戻る。
「何やってるんだ...!」
「ごめんなさい...。」
すると人の気配がして、足音が近づいてきた。
目の前の壁が急に開き、エラが顔を覗かせた。
彼女はにこりと笑うと、その場を離れて、別の部屋へ入って行った後、また戻ってきた。
手を差し出されたので、おそるおそるみんなで乗ると、そのまま床へ降ろされた。
彼女が出てきた部屋の方を見ると、なんだかそちらからいい匂いがする。
「あそこに食べ物がたくさんあるんじゃないか?」
「そうかも!」
向こうへ行こうか悩んでいると、また皿の上に食べ物を乗せたものが、目の前に出された。
「行かないの?」
ほか二匹は行こうと促してくるが、私はどうしても気が向かない。
「いや、わざわざ用意してくれたんだ。こっちから食べよう。」
「そう。僕は向こうに行こうかな!」
一匹が向こうへ行こうとして、エラに掴まれて皿の前へ戻された。
何度行こうとしても戻されている。
彼に対して彼女が首を横に振っていたので、きっと行ってはいけないのかもしれない。
「ほら。たぶんこの皿に出されたものか、彼女が出してくれたものしか食べちゃいけないんだ。」
「お前も行こうとしてただろ!」
二匹がぎゃいぎゃいと言い争いをしているのを食べながら見ていると、突然尻尾を触られた。
「なんだ!」
「あ、なんかついてるよ。」
「なんだこれは。」
尻尾が少しだけ重くなった。
他のネズミたちにも尻尾に何か巻かれている。
「リボンだ。」
「ここの家のネズミって証じゃない?」
「なるほど。なら大事にしないとな。」
私は尻尾を振りながら、また食べ始めた。
エラは毎日ご飯を用意してくれた。
恩には恩を。
私は義理堅いネズミなので、彼女の助けになりたかった。
お腹が空いたら、彼女もご飯を食べ忘れているのかもしれないと思い教えてあげるし(ついでにもらう)、雨が降れば大抵人間は慌てて外へ出ていくので、それも教えてあげた。
「おかあさま」と呼ばれている人間が、小箱に何か入れたあと、壁に何かをしまっているのも見ていたので、教えてあげた。
だからちょっと外に別のネズミがいたので、棲家にスペースはあったし引き入れてやったことも教えて、この家の仲間にしてもらった。
しばらくこんな生活をしていると、仲間の中で子を身籠ったネズミが出てきた。
だが、私ももう年なので、子ネズミの顔は見れないまま事切れるだろう。
最初の仲間も何匹かは先に死んだ。
私ももうそろそろだろう。
「どうか、エラを助けてやってくれ...。」
そう言い残し、私は死んだ。
気がつくと、私はあの家にいた。
ぼやけた視界で周りを見るが、以前よりも景色や物が大きく感じるだけで、それ以外は何も変わっていなかった。
「ごはんだよ。」
かつての仲間が乳をくれた。
どうやら仲間の子ネズミとして生まれ変わったらしい。
そのことに気づいた時、私は死んだ『私』だと言ったが、気味悪がられてしまったので、冗談ということにしてそれからは言っていない。
最近棲家の場所が増えて、屋根裏の方にも拠点を作った。
ここはエラの居住区間らしく、部屋をうろついても彼女にしか出会わないので、自由に動き回ることができた。
と言っても、彼女は朝と夜にしか部屋に帰ってこないので、朝と夜に挨拶をしに行くだけだった。
私はすっかり成長して、乳以外のものを食べれるようになった。
上の拠点でのんびりしていると、ガチャリとドアが開く音がして、誰かが入ってきた。
エラが帰ってきたらしい。
だが、今日はいつもよりも早く、しかも長い時間部屋にいることが不思議だったので、仲間数匹と少し様子を見に行ってみた。
彼女は驚いたようにこちらを見ると、軽く微笑んで、ごそごそと箱の中から花柄のドレスを取り出した。
部屋の隅にあった、人の形をした太い棒みたいなものにドレスを着せると、何かを描き始めた。
「エラは何をしているの?」
「わかんないや。」
他のネズミたちも首を傾げていたし、私もわからなかった。
この日は家にエラ以外誰もいなくなったので、エラと一緒にご飯を食べた。
だがエラはあまり元気がなさそうで、ため息ばかりついてる。
すると突然仲間が怒り出した。
「エラったらなんなの!私たちのことを見てため息ばかりついて!ご飯が美味しくなくなっちゃうわよ!」
「わあなんだ!」
「エラがなに?」
「うるさいよ!」
突然の怒鳴り声に周りのネズミが驚いて喚いた。
食べ物をもらっている立場でありながら、ため息を吐くなというのはなかなかにわがままな気もするが、言ったら余計に怒られそうなので何も言わなかった。
少しすると私たちの鳴き声に驚いたのか、エラはにこりと笑いかけてくれた。
その顔を見て、怒鳴っていた仲間も満足したように、食事へ戻っていった。
「なんなんだよもう...。」
「あいつそういうところあるよな。」
「なに?なんか言った?」
「いや...。」
しばらくもそもそと食べていると、エラが嬉しそうに笑いかけてくれたので、こちらもにこりと笑いかけた。
「どうかしたのか?」
「いや、エラが笑ってたから。」
「ご飯が美味しかったのかな。」
「ご飯か、ちょっと違う気もするけれど...。」
「ご飯だよ。」
ご飯のことしか考えていない仲間たちを見て肩をすくめた。
エラが部屋へ帰ってくる頻度が増えた。
しばらく様子を見ていると、ドレスを作り直していることがわかった。
みんなで一度ドレス作りを進めてあげようかと思ったが、思っていた以上に布が重く、ドレスの位置も高いので、早々に諦めた。
「しょうがない、エラのサポートをしよう。」
エラが何を望んでいるのかわからなかったので、とりあえず落としていた針は拾って針山に戻し、ごちゃ混ぜになった飾りは整頓して、他の部屋に落ちていた飾りもきっといらないだろうから、こっそり回収してきた。
手伝ったことを報告していると、エラも私たちが手伝っていることに気付いたようで、会うたびに笑いかけてくれた。
だから、彼女のドレスが完成した時にはみんなで盛大に喜んだ。
嬉しそうにくるくると笑うドレスを着たエラを、みんなでうっとりと眺めていた。
「エラ素敵だね。」
「楽しめると良いね。」
「エラを応援しに行こう!」
みんなでエラの下へ駆け寄ると、彼女がわざわざりんごを用意しておいてくれた。
「今日はとっても素敵な日だ!」
りんごも食べ終わり、エラもしばらく帰ってこなさそうなので、みんなで寝床へ戻って行った。
仲間が、「エラの様子を見てくるね。」とこっそり下へ向かって行った。
私もついて行きたかったが、子供だからと止められてしまったので大人しく待っていた。
すると突然、エラが泣き腫らした顔で部屋に戻ってきた。
少し前に素敵なドレスを着て、嬉しそうに笑っていたエラは、ぼろぼろのドレスを着て、心配そうに彼女を見つめる私たちには目もくれず、窓から城を見て、またぼろぼろと泣き始めた。
「エラはどうしたんだろう。」
「どうしてドレスがぼろぼろなの?」
「エラ!どうしたの!大丈夫?」
仲間たちがエラに話しかけるが、全く気づく気配がない。
少しして、偵察に行っていた仲間が戻ってきた。
「どうだった!?」
仲間に詰め寄ると、彼は自分の尻尾を掴み、しおしおとうなだれた。
「エラ、あの三人にドレスをめちゃくちゃにされて、大事に持っていた手紙もびりびりに破かれちゃって、馬車に置いていかれたんだ...。」
「そんな...!」
「せっかく頑張って作ったのに!」
「許せないよ...。」
エラをどうにか慰めてやりたいが、どうやったらいいのかわからない。
少しして、彼女が虚な目をしながらふらふらと立ち上がり、部屋を出て行こうとした。
嫌な予感がする。
「エラ待って!」
生まれてから一番大きい声で彼女の名前を呼ぶが気づきそうにない。
こういう時、人間の言葉が話せないのが嫌になる。
「止まって!エラ!」
すると突然エラが止まった。
だがこちらに気づいている様子はない。
何かに引き止められているようだ。
すると突然別の人間が光りながら現れた。
「私は大魔法使いのトリル。」
ピンクのケープを着た人間が突然現れたので、私たちは慌てて物陰に隠れた。
エラと何か話しているようだが、トリルの声しか理解ができない。
「エラは何を話しているの?」
「わかんない。」
トリルとエラはしばらく話していた様子だったが、突然トリルが立ち上がり、杖を振り始めた。
トリルの杖からは光る粉が出てきて、エラを囲い出した。
「わー!なんだ逃げろ!」
他のネズミたちが拠点へ逃げていく中、私はその様子をじっと見ていた。
どんどん光は強くなっていき、エラの姿はどんどん薄くなっていく。
「エラ、聞いて。貴方の願いは聞き届けられました。」
エラの願い?
エラはどこへ行くというのか。
彼女の願いは何なのか。
彼女の言葉は聞き取れるけれど何もわからない。
親切にしてくれた彼女は、少し前まで笑顔だった彼女は、ぼろぼろのドレスで泣きながら戻ってきた。
私は居ても立っても居られず、エラへ向かって走り出した。
「待ってくれ!私はエラに何も返せてない!エラに恩返しがしたい!行かないでくれ!」
だが、エラは私に気づかない。
「幸運を。また会えるわ!」
トリルがそう言うと、エラは完全に消えた。
エラがいた場所には光る粉が舞っていた。
私はエラがいた場所に飛び込んだが、そのまま床の上を滑り、トリルの足にぶつかった。
「アイタ。」
「あら、何かしら。」
トリルが一歩下がり、私の姿を見つけると、しゃがみ込んだ。
「あらあらネズミさん、こんばんは。」
私はトリルと目が合うと、思わずエラをどこへやったのか問いただそうとして、やめた。
トリルはエラの願いを叶えたのだ。
部外者の私がとやかく言うことではない。
私はとぼとぼと仲間のいるところへ帰ろうとしたが、トリルが私の体を浮かせて、彼女の手の上に乗せた。
「貴方も何か願いがあるんじゃなくて?」
「願い?」
「そう。私は強い想いがある人のところへ現れるの。私がまだここにいるってことは、きっと貴方にも何か願いがあるはずよ。」
「私の、願いは...」
私の願いは、安全に暮らすこと?
違う気がする。
家族と生きること?
それは前の人生で叶った願いだ。
私の今の願いは、エラに恩返しをすること。
でも彼女はどこかへ消えてしまった。
彼女がいなければ恩返しができない。
「私の願いは、エラに恩返しをすることだった。」
「あら、できるわよ。」
「え!」
すると先程のエラと同じように周りがキラキラと光り出した。
「貴方もエラのところへ送るわ。」
「エラのところって?エラはどこに行ったの?」
「エラのお父様のところへ。ただこれは心に留めておいて。過去に起こってしまったことは変えられないわ。」
「どういうこと?」
「詳しいことは私にもわからないの。変わらないものもあれば、行動すれば変わることもある。貴方がエラを助けてあげれば、きっと何かが良い方に変わるかも。」
「そっか、よくわからないけれど、役に立てるかな。やってみるよ。あ、でも私、寿命ですぐ死んでしまうよ。」
今だってたまたま仲間の子供に生まれただけで、次死ねばその辺の虫になるかもしれない。
そしたらきっと恩返しはもっと難しくなるだろう。
だが、トリルはにこりと笑った。
「大丈夫よ。貴方は『今』を生きている。この時まで貴方は生きていなくちゃいけないからきっと死なないわ。明日はわからないけれどね!」
彼女のジョークに固まったが、「冗談よ」と流された。
「まあ、いつまでも死なない気味の悪いネズミになるかもしれないけれど、貴方ならどうにか誤魔化せるわ。」
「わかった。」
思わず苦笑いで返す。
しばらくの間ネズミ仲間はできそうにないみたいだ。
だんだんと光が強くなってきた。
「あとはそうね...きっと不便だろうから、貴方に人間の言葉がわかる魔法をかけてあげます。」
「人間の言葉がわかるの!」
「でも貴方がわかるだけだから、エラには伝わらないわ。」
「なんだ、私がわかるだけかあ。あ、でもトリルとは話せているよ。」
「私は大魔法使いだから特別よ!」
少し自慢げに杖を回し始めたトリルに、小さくため息を吐いた。
大魔法使いならエラにも同じ魔法をかけてくれたら良かったのに、と思った。
だが、エラの言葉がわかるのなら、確実に彼女への恩返しができるだろう。
「ありがとう。トリル。」
「どういたしまして。えっと、貴方の名前は?」
「ないよ。名前なんて。ただの『ネズミさん』。」
「そう...まあ、いつか決まったら教えてちょうだい。またね。」
いつかっていつだろう、と思ったがトリルの姿はすでに消えていて、一際大きい光を浴びたあと、気づけば誰もいない同じ部屋にいた。
「あれ?」
いつの間にか朝になっていたらしく、室内は明るかった。
だが周りの様子が随分違う。
エラのベッドはないし、他にもいろんな物で埋め尽くされていて、ここで人間が生活できるスペースはない。
試しに拠点にも行ってみたが、生物が暮らしているような痕跡はない。
部屋に誰か来る様子もない。
「もしかして私一人...?」
そういえば、トリルが『エラのところへ送る』と言っていた。
ということは、どこかにエラがいるはずだ。
「エラを探しにいこう。」
私は慎重に周りを見渡しながら、階段の手すりをつたって下の階へ降りて行った。