おしまい
「ルイーゼ!アリエッタ!そろそろ時間よ!」
下から継母が義姉たちを呼ぶ声で我に返った。
慌てて時計を見ると、日没の30分前を指している。
気付けば空も赤く染まっていた。
確かに今から馬車に乗って城へ向かえば、着くのはちょうど日没くらいだ。
私の名前は呼ばれなかったが、最低限のドレスコードがないと思われているからかもしれない。
「私だって舞踏会の招待状を頂いたのだもの。このドレスならきっとお義母様も連れて行ってくれるわ。」
私は窓を閉めると、仕舞っておいた招待状と、時計、手鏡、リップを小さなカバンに入れた。
下を見ると、ネズミたちはいなくなり、すでに空になったお皿だけが残されていた。
私は机の上にお皿を置くと、深く深呼吸をした。
「行ってきます。」
誰もいない部屋に挨拶をして、急いで階段を降りる。
入り口ではすでに準備を終えた義姉たちが、継母と共に外へ出ようとしているところだった。
「待ってください!」
私が彼女たちに声をかけると、三人とも立ち止まってこちらを向いた。
継母は面倒そうにため息をついて、私を睨んだ。
「シンデレラ、何かしら。」
「私も舞踏会へ連れて行ってください!」
その様子をルイーゼが面白そうに、アリエッタが興味がなさそうに見ている。
継母と話す時は緊張するが、ここで怯んではいけない。
私は彼女の目をまっすぐ見て、訴えた。
「招待状には、妙齢の女性は必ず参加するように、命令であると記載がありました。」
「そうね。」
「舞踏会に出ても問題がないドレスも用意しました。」
「ええ。」
「私も馬車に乗らせてください。」
「そう。」
継母の返事は素っ気ない。
あまりの反応のなさに、先ほどまでの勢いがするすると抜けていく。
これは「座る席はない」と言われる流れだろう。
私は諦めて、彼女たちが行った後に歩いて行こうと思った時、継母が「いいわ」と答えた。
「え!いいの!お母様!」
ルイーゼが驚いた様子で継母の方を見た。
継母は手に持っていた扇を口元に広げて、優しく微笑んだ。
「ええ、いいわよ。馬車へどうぞ、シンデレラ。」
私もまさか許可が得られるとは思わず、驚きと喜びが隠せない。
「ああ、お義母様!ありがとうございます!とても嬉しいわ!」
「いいのよシンデレラ。ところで、このドレスはどこで用意したの?」
私は自慢のドレスを広げながら継母へ見せる。
「亡くなったお母様のものを整えました。飾りは友人からもらったものを。」
「...そう。素敵ね。招待状はもちろん持っているわよね?」
「ええ!このカバンの中に。」
「見せてもらえる?二人のものも私が預かっているの。馬車で入場する時に必要だから、一緒にもらっておくわ。」
「はい。」
私はカバンから招待状を取り出して、継母に渡した。
「どうもありがとう。シンデレラ、先に馬車へどうぞ。」
私は継母へ微笑みかけ、外へ向かおうとした時、私は何かにつまずき、よろけた。
「危ない。」
わざとらしい継母の声と、何かが千切れる音と、ドレスが引っ張られる感覚。
横を見ると、継母がドレスの端を持って笑っていた。
その後足元の何かがさらに引っかかり、体勢が保てなくなり膝をついた。
ビリリリリ、という音がして、私は立ち上がれなくなった。
怖くて周囲を見れない。
冷たい汗が背中を流れる。
だが、ひらりと目の前に布きれが落ちてきたことで、理解せざるを得なかった。
「あらごめんなさい。支えようと思ったのだけれど、掴んだところが悪かったわ。」
顔を上げれば、申し訳ない顔とはほど遠い笑みを浮かべた継母が私を見下ろしていた。
彼女の足元を見ると、右足が半歩前に出されており、私の視線に気づくと、そのままスッと元の位置に戻った。
落ちてきた布を見ると、マリアからもらったオーガンジーだった。
千切れてしまったのは私の縫い方が甘かったせいに違いない。
千切れたのは一部分なので、縫い直せばどうにかなる。
「いえ、急いで直します...。」
よろよろと立ち上がろうとしていると、今度はルイーゼが「まあ!」と声を上げた。
「この靴どこかで見たことあると思ったら私のじゃない?」
「いえこれはお義姉様たちからいらないと聞いていたので...。」
「アリエッタ見てよ、これ探していた靴じゃなくて?」
興味なさそうにしていたアリエッタが渋々私に近づいてくると、ルイーゼと同じように声を上げた。
「まあ本当よ!この靴ずっと探していたの!まさかシンデレラ盗んだの?」
「いえ、盗むだなんてとんでもない!捨てておいてって言われたものよ!」
「そんなの後からなんとだって言えるわ!返してちょうだい!」
「そうよ早く脱ぎなさいよ!」
私は靴を脱ぐと、アリエッタに渡したが、今度は義姉たちがこの靴は私のだとお互いに主張し始めた。
話がまとまらなかったのか、ルイーゼが私の髪飾りを引っ張った。
「これも私のでしょ!返して!」
「いいえ!これは友人からもらったものよ!」
「貴方に友人なんていないでしょ!泥棒!返してちょうだい!」
無理矢理ルイーゼに引っ張られ、結んでいた髪の毛が解けた。
こうなるともう収拾がつかなくなってしまった。
今度はドレスの装飾に手を伸ばし、これも私のものに違いないと主張し始めた。
私がいくら友人からもらったものだと言っても、彼女たちは全く聞く耳を持たず、結局ほとんどの装飾をむしり取られてしまった。
その間、継母は扇で口元を隠し、黙ってその様子を見ていた。
「もうこんな泥棒が義妹だなんて最悪よ!」
「本当よ!顔も見たくないわ。お母様、先に行ってるわね。」
取るものがなくなったため、義姉たちはハアハアと言いながら外へ出て行ってしまった。
もうこれではこのドレスで舞踏会に行けそうにない。
あまりの惨状に呆然としていると、目の前に継母が移動してきた。
「お義母様...。」
「ああ、そういえば招待状を見たけれど、名前のところ、エラって書いてあったわ。人違いのようだし捨てておくわね。」
そう言うと、ビリビリと招待状を破き始めた。
「やめて、お義母様!」
「あら、どうかした?シンデレラ。」
微笑みながら破き続ける継母へ手を伸ばしたが、彼女はそのままパラパラと紙片を私の前に落とした。
「あーもうめちゃくちゃ。帰るまでに掃除しておいてちょうだい。」
私は紙屑になった招待状を拾い始めたが、目の前で継母に踏みにじられた。
「どうして、どうしてこんなことを...。」
なぜこんな仕打ちをされるのかがわからない。
この家を出るまでは泣かないと決めていたのに、思わず涙が溢れてくる。
顔を上げると、目を細め、まるで汚いものを見るかのように継母がこちらを見ていた。
私と目が合うと、口の端を引き上げて微笑んだ。
「なぜって、貴方が嫌いだからよ。」
「え...。」
「幸せなんかにさせてたまるもんですか。」
彼女はそう言うと、そのまま義姉たちの乗る馬車へ乗り込み、去っていった。
馬の足音が聞こえなくなってきた頃。
私はゆっくりと立ち上がり、あたりに散らばっている招待状を集め始めた。
「どうにか、どうにかして招待状の形に...。」
するとゴーンゴーンという城の鐘の音が聞こえてきた。
舞踏会が始まったのだ。
急がなきゃ、急いで、急いで準備をして、それで。
もう我慢ができなかった。
涙がぽたり、ぽたりと手の上に落ちた。
「もうこんな格好で間に合うわけがない...。」
すると玄関のドアが開きっぱなしだったこともあり、突然大きな風が吹いて、集めていた紙片が部屋中に散らばってしまった。
「あっ...。」
紙が飛んでいった方を見て、マリアがくれたドレスだった破れた生地を見て、なんだかもう全部が嫌になってしまった。
「せっかく頑張って準備したのに。」
ドレス作りも、ダンスの練習も、ドレスに合わせた小物作りも。
家族に不遇な扱いをされても、笑顔で肯定して頑張ってきた。
でも颯爽と現れて私を助けてくれる王子様はいなかったのだ。
「部屋に戻ろう...。」
外へ出ると、靴が投げ捨ててあったので、拾って履いた。
靴につけた飾りは片方なくなっていて、馬車が行く時に踏まれたのか、泥で薄汚れていた。
とぼとぼと部屋へ戻り、窓を開け、ベッドに腰掛けた。
鐘が遠くの方で鳴っている。
舞踏会へ向かう馬車がまだ入りきっていないのか、ここからでも馬車の列が見える。
今頃私もあの列に並んでいるはずだったのに。
突然風が吹き、ネックレスのチェーンが切れたのか、パールがバラバラと床へ落ちていった。
ドレスだった布が風ではためいてきらきらと光っている。
布を掴むと、そのまま千切れた。
招待状はなくなり、ドレスはボロボロ。
今まで我慢していた分涙は止まらなくなり、目は赤く腫れていた。
「今更舞踏会に行ったってきっと結果は同じよ。」
継母は去り際、私に「幸せなんかにさせてたまるもんですか」と言った。はっきりと。
なぜ私のことが嫌いなのかわからないが、幸せを妨害すると言ったのだ。
きっと縁談を組めても何かと理由をつけて、破談にさせるに決まっている。
「あ、」
不意に気がついた。
きっと彼女は私をこの家から追い出したいのだ。
だからお金をちょうど使い切るようにドレスに散財させ、家にお金を残さないようにした。
彼女が今後どうするのかはわからないが、ごっそりとお金を移動させていた口座があったことを考えると、どこか行く宛があるのかもしれない。
私だけが、修道院に入るか路頭に迷うようにしたかったのだ。
「そうか、私は幸せになっちゃいけないんだわ。」
もう無理だった。
こんな人生死んだ方がマシだ。
どこで死のうか。
この窓から飛び降りてもきっと高さが足りなくて死ねない。
ナイフで首を切ろうか。
きっと怖くてできない。
そういえば大きな川が街へ行く途中にあったはずだ。
きっと多くの人が舞踏会に行っているから、橋にいる人はいつもよりも少ないだろう。
「すぐに死ねるといいな...。」
階段を降りようと、部屋の出口へ向かおうとした時、誰かに腕を掴まれた。
「だ、だれ!?」
だが、振り返ってみても誰もいない。
ただ、確かに掴まれている感覚がある。
振り解こうと腕を引っ張ったが、離してくれそうにない。
まさか幽霊か。
恐怖にぶるぶる震えてきたが、ふと、今から死に行こうと思っていたのだから、幽霊に呪い殺された方がいいかもしれないと思い始めてきた。
私は振り解くのを諦め、懇願した。
「どうか一思いに殺してください...。」
すると、目の前がキラキラと光だし、人の形が見えてきた。
突然眩い光が放たれ、思わず目を瞑った。
「ちょっと勝手に人殺しみたいに言わないでくれる!?」
老齢の、だがハリのある女性の声。
おそるおそる目を開けると、目の前には濃いピンクのケープを着た、白髪の女性がぷりぷりと怒りながら立っていた。
「あの、どちら様ですか...?」
「こんばんはレディ。私は大魔法使いのトリル。貴方の願いを叶えに来たわ。」
彼女は私の腕を離すと、くるりと周り、自信ありげにゆっくりとお辞儀をした。
彼女の手には杖が握られており、ぽんぽんと振ると、杖の先からキラキラと星の粉が落ちたが、床には何も残っていない。
私はポカンとして彼女のことを見つめる。
するとトリルが意味ありげにため息をついた。
「もう貴方、自分の素敵な状況が理解できていないのね?そうね、魔法初心者サービスで、貴方のカサカサおててでも治しましょうか。」
そう言って杖をひょいと振れば、突然星の粉が私の手に降りかかり、温かい何かに包まれたかと思うと、カサカサであかぎれだらけの手が、傷ひとつない手に早変わりした。
「え!手が!」
私が両手をくるくるとひっくり返しながら見る様子を、彼女が満足そうに見つめた。
「うふふ。状況が理解できたかしら。さあ願いを教えてちょうだい。」
次こそは大きい魔法を出してやる、と言わんばかりに腕を回す彼女だったが、私は力無く笑って椅子へ座り込んだ。
「あらあらどうしたの?」
思っていた反応と違ったのか、トリルはおろおろと心配そうに私の前を往復した後、私の前にしゃがみ込んでそのまま私の手を握った。
先程かけてもらった魔法と同じくらい温かい手だった。
「泣いてちゃわからないわ。どうか私に貴方の願いを教えてくれない?」
そう言われて、自分がまた泣き出していることに気がついた。
私は出そうになる嗚咽を我慢しながら、小さく呟いた。
「死にたいの。」
「あらあらどうして?」
「舞踏会に行けばどうにかなると思っていたけれど、違うみたい。招待状もドレスも全部なくなっちゃった。明日から惨めなシンデレラが死ぬまで続くんだわ。」
「招待状とドレスが元に戻ったらどうかしら。」
めちゃくちゃになった招待状とドレスが元通りになるとはあまり思えないが、先程の魔法を考えると、彼女には可能だろう。
だが、私は小さく首を横に振った
「いいえ、きっと元に戻っても生活は変わらない。舞踏会へ行っても何も変わらない。」
「うーん、そんなことないわ、って言いたいけれど...。」
「慰めてくれて、ありがとう。でも、もう、ひっく、限界なの。こんな生活、もう、ひっく、もう耐えられ、ない...。」
嗚咽でうまく喋れない。
大粒の涙が溢れて止まらない。
トリルは黙って聞いていた。
不意に、昔の楽しかった思い出が頭を過ぎる。
色々教えてくれたお母様に、優しかったお父様。
今はもう二人ともこの世にはいない。
死ねば二人に会えるだろうか。
「もう嫌、お父様に、会いたい。」
「その願い聞き届けたわ。」
「え?」
トリルは突然私の手を離して立ち上がった。
「さあ魔法をかけるわよ!」
そう言うと、彼女が杖でくるくると円を描き始めた。
すると、杖から星の粉が出てきて、くるくると渦を巻いて私の周りを取り囲んだ。
「トリルさん、これは?」
「トリルさんですって!うふふ!」
星の粉はどんどん増えていき、どんどん光り始めた。
眩しくなって目を細めて、周囲を見渡した。
心なしか窓が小さくなっている気がする。
だが確かめようにも、もうこれ以上目が開けられそうにない。
あたりはどんどん光を増していき、思わず目を閉じると、優しく両手を握られた。
「エラ、聞いて。貴方の願いは聞き届けられました。」
「願い?」
「時間がないから手短に言うわ。残念ながら起こってしまったことは変えられないの。でも行動をすることはできるわ。どうか、貴方に後悔がないことを祈っています。」
「ねえ、待って!どういうことなの?」
目が開けられないまま、手が離れていく。
「幸運を。また会えるわ!」
急に足元の感覚がなくなり、温かい何かに包まれているような気がして、そこで意識が途切れた。
「お嬢様ー朝ですよー。」
誰かに声をかけられてモゾモゾと動く。
「ううん...。」
カーテンが開けられたのか、急に視界が眩しくなる。
「ほらお嬢様、今日はピクニックですよ。」
「ぴくにっく...?」
眠い目を擦りながら起き上がる。
ここはどこだろうか。
手を見ると、なんだか手が小さい。
「ほらお嬢様、旦那様と奥様がお嬢様をお待ちですよ。」
「え?」
話しかけられた方を見ると、モリーがいた。
「モリー?」
「ええ。おはようございます。お嬢様。」
なぜモリーがいるのだろうか。
だが記憶の中のモリーよりもずいぶん若い。
しかも部屋が屋根裏部屋ではなく、以前使っていた、今は義姉たちの衣装部屋になってしまった、私の部屋だった。
状況が飲み込めず、ベッドから慌てて降りるが、段差が高くて転びそうになる。
「わわ!」
「お嬢様!」
すんでのところで支えてくれたモリーも大きい。
何かがおかしい。
横を振り向くと、モリーに支えられた小さな女の子が鏡に写っていた。
「あれ?」
あれは私だ。
私はどうやら過去にタイムスリップしてしまったらしい。
これにて序章完結になります!長かった〜
次は番外編を挟んで、2章に入ります。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました!
引き続きよろしくお願いします!
活動報告にあとがきを書いておくので、気になる方は読んでみてください。