舞踏会の準備
マリアと偶然再会してから3ヶ月後。
家事の合間を縫って、ドレスを少しずつ作り始めたものの、お店とは違い全て手作業で行っているため、なかなか終わらずにいた。
刺繍の経験はあるが、縫い物を、ましてやドレスなど作ったこともないので、思っていたように進められていない。
しかも以前にも増して、義姉たちから突然呼ばれるようになったため、さらに自由な時間は減っていた。
マリアからもらったカタログをじっとみながら、ドレスの形を考える。
「ここが、こう合わせたら、この形になるかしら...。」
ドレスにはいくつもの針が刺さっているが、最初のドレスよりはだいぶ良くなっている。
「ここを...こうし...」
「シンデレラーーー!!!ちょっと来てーーー!!!」
「わっ」
義姉の大声に驚き、思わず持っていた針とカタログを落としてしまった。
針は足元を見ても見つからない。
「シンデレラー!!ちょっと聞いてるのーー!!」
「はーい!今行きます!しょうがないからあとで探しましょう。」
一旦針は諦めて、急いで階段を駆け降りる。
部屋へ行くと、義姉たちがドレスのカタログをあーだこーだ言いながら言い争っていた。
「お義姉様どうしたの?」
「シンデレラ聞いて、この間決めたドレス、アリエッタが嫌だって言うのよ。」
「嫌よあんな変な色。」
「あの時は『この色がいいわ』って言っていたじゃない。」
「いいえ!私は『この形がいいわ』って言っていたの。」
「そう!でも私はあの形は嫌なのでどちらにせよ着れないわ。」
「もうどっちにしたってダメじゃない!シンデレラ、どちらがいいと思う?」
「お義姉様たち、この間も同じことで私に頼んでいなかった?再注文だってお金がかかると思うのだけれど...。」
「まだ舞踏会まで2ヶ月もあるんだから大丈夫よ。それで貴方はどう思うの。」
「そうね...この形とかはどうかしら。この色も素敵だと思う。」
「確かにそうかも。」
「シンデレラにしてはセンスがいいわ。」
「でもこのドレス高くないかしら...。」
カタログの値段を見ると、以前決めていたドレスよりも1.5倍高い値段である。
加えて、ドレスの変更をすでに3回しており、今回で4回目だ。
前回の注文の際、採寸に来た服屋が、キャンセル料が通常より倍かかること、ドレスの製作を舞踏会に間に合わせるため、料金を割増にしていると伝えていた。
現在、安定した収入源はなく、不用品を売ったり父の遺産を切り崩したりして生活をしているため、ドレスにここまでお金をかけて大丈夫なのだろうか。
すると継母がため息を吐きながら部屋へ入ってきた。
「貴方たち何を騒いでいるの。」
「お母様!今ちょうど舞踏会で着るドレスが決まったところよ。」
「そう。なら早く伝えに行くわよ。」
義姉たちはカタログを置き、出かける準備を始めた。
継母も早々に部屋を出て行こうとしたので、私は「あの、お義母様様」と止める。
「お義姉様たちがドレスを変えるのは4回目です。お金は大丈夫でしょうか...。」
継母は面倒そうにこちらを見た後、一瞬、目線を下げたが、すぐにこちらを見た。
「いいえ問題ありません。貴方は早く自分の仕事をなさい。もう行っていいかしら。」
「はい...。」
継母は私の返事を聞く前に部屋から出て行き、そのすぐ後にお揃いの帽子を被った義姉たちが出て行った。
そのまま3人は玄関へ集まると、ドレスや髪飾りのことを話しながら外へ出て行った。
急に静かになった部屋で、私は大きなため息をついた。
最近はいつもこの繰り返しだ。
舞踏会の日まで近くて焦っているのか、継母の機嫌もあまり良くない。
「疲れた...。そういえばもう食料が残り少なくなっていた気がするし、私も買い物へ行こうかしら。」
私は台所へ行き、残金を確認するために財布の中を見たが、以前買い物をした後よりもあまり増えていない。
「おかしい...いつもならお金が補充されているはずなのに...。」
もしかしたら周囲に落ちているのかもしれないと思い、あたりを探してみたが、やはり財布の中以外にお金はなかった。
「もしかしたら何かの間違いかもしれないわ。あとでお義母様に聞いてみましょう。」
私は一旦持っている分のお金で買い物へ行くことにした。
だが、お金が十分にあるわけではないので、食材を十分に買えないまま帰宅した。
「なんだかいつもより少ない?」
夕食時、いつものように食堂で食事を配膳していると、ルイーゼが小首を傾げながら椅子へ座った。
「ごめんなさい。いつもより食材を買えなかったの。」
正直に「財布にお金がなかったから」と言おうか悩んだが、あまり言わない方がいい気がして、事実だけを述べた。
だが、ルイーゼはあまり気にしていないようで、「そう」とだけ返した。
「まあ痩せないととは思っていたからいいけれど。」
私は継母の方をチラリとみたが、彼女は素知らぬ顔で椅子に座り、そのまま食事を始めてしまった。
アリエッタは、あまり普段から食事に意識が向いていないのか、特に何も言わず、食事を始めた。
3人ともこれ以上特に何も言われなさそうなので、私は一旦台所へ戻り、彼女たちの食事が終わるのを待った。
大抵、最初に食事を終えて部屋を出てくるのはルイーゼで、そのあとアリエッタと継母が同じくらいに食べ終えて出てくる。
今日も、バタンという扉が開くことを聞いて、私は台所から食堂へ向かった。
ちょうど食堂へ着くとアリエッタが出てきて、その後ろを継母が出てきた。
いつもの私ならそのまま皿を下げに食堂へ入るが、今日は「お義母様」と声をかけた。
私が夕食後の声をかけることはほとんどないため、アリエッタが驚いて私の方を見た。
彼女は私の話が気になるのか、そのまま立ち止まっていたが、継母が小さくため息をついて、彼女の肩に手を置いた。
「アリエッタは部屋に戻っていなさい。」
「...わかったわお母様。」
「いい子ね。」
アリエッタは渋々自室へと戻って行き、その様子を継母が見届けたあと、彼女がこちらを見た。
「それで、何かしら。」
同じ家に暮らしているとはいえ、継母とはあまり話すことがないので、私よりも10cmほど身長が高い彼女に、至近距離から睨まれるように目を見られると、どうしてもひどく緊張した。
「あの、」
急に渇き出した口を開け、なんとか現状を訴えようと次の言葉を考える。
さっき待っている間に水を飲んでおけばよかったと後悔した。
「いつもよりも財布にお金がなかったの。お義母様が入れ忘れたのかと思って。」
「そう。入れ忘れていないわ。」
継母は、話はそれだけ?という顔でこちらを見るので、私は固まってしまった。
「でもあのお金では食材が買えません。」
「貴方が不要なものを買わなければ足りたのではなくて?」
「いえ私は買ってなど...」
そういう継母の視線の先には、私がいつも持ち歩いている時計と鏡を入れているポケットがあった。
もちろんこの2つはいただいたものなので、お金を使ってなどいない。
だが、私が高価なものを使っているのを見て、高額な買い物をしたと勘違いしているのだろう。
ただ、事情を説明すればそれも売ってしまえと言い出しかねない。
以前はお金は使い切らず貯めていたが、最近はその余裕もない。
貯めていたお金は、自分用の文具や肌着などを買うため少しずつ使っていたが、この状態が続けば、そのお金すら食費に回さなければならなくなってしまう。
私はもう一度継母の方へ視線を戻し、先程よりもはっきりと言った。
「あのお金では買えません。」
彼女は表情を変えずにこちらを見たままだ。
私は震えそうになる声を抑え、小さく息を吸ってから、視線を逸らさないように半歩前へ出た。
「お金を増やしてください。」
だが彼女からの反応は何もなく、黙ったままだ。
私には彼女が何を考えているのかがわからなかった。
「お義母様、父の遺産のことはご存知でしょう。」
何も反応がないことに焦った私は、ずっと聞いていなかった遺産のことを、始めて口に出した。
昨年銀行で確認をした時、2つの口座のうち1つは彼女の名義に変更されていたが、2つ目の口座はまだ手付かずだったはずだ。
彼女がこの口座の存在を知っているかどうかはわからないが、娘たちの高額なドレス費用を払っていることを考えると、もしかしたら名義を変更してお金が引き出せるようになったのかもしれない。
父の全ての遺産が彼女の手に渡っているのは、あまりいい状況とは言えないが、生活ができないよりはいい。
彼女は私が遺産のことを知っていたことが意外だったようで、目を見開き驚いた顔をしたが、すぐに先程と同じ顔に戻った。
「そこからお金を引き出してください。」
「いいえ、貴方にお金は増やせないわ。」
「そんな、どうして...!」
「あの娘たちのドレスの方が大事だもの。もう行っていいかしら。」
もちろん「あの娘たち」の中に私のことは含まれていない。
彼女は、もう聞くことはない、と私の返事を待たずにそのまま部屋を出て行った。
その日の夜更けに、私は継母の部屋へ忍び込むと、壁にかかっていた鍵を回収した。
この鍵はいつも彼女が持ち歩いているため、寝ている時にしか手元を離れる時がないことを知っていた。
私はそのまま父の書斎へ入り、ずっと鍵のかかっていた父の金庫の前でしゃがみ込んだ。
継母が持っていた鍵は3種類あった。
3つのうち1つは自宅の鍵、小さい1つはおそらく彼女の部屋にある鍵付きの小箱のものだろう。
最後の1つを金庫の鍵穴に差し込むと、ガチャリという音がして、金庫のレバーが少しだけ下がった。
そのまま扉を開けると、中には父の会社の帳簿や契約書のほかに、通帳が2冊、厚いものと薄いものが入っていた。
私はその通帳を両方取り出して、表紙を見てみると、厚いものはどうやら父の遺産の方らしい。
パラパラとめくると、父が亡くなった日からしばらくして、名義人が変更された旨が記載されていた。
そのままめくり続けていき、私は思わず目を疑った。
「預金が全然ない...。」
私は基本的に食材を買う時にのみお金を使うため、大きい買い物はしてこなかった。
だが、私以外の3人は父が亡くなる前と変わらず、色々と買い物をしていたらしい。
今日もドレスを変更した時にお金を引き出したのか、かなりの金額が減っており、現在の預金は、父が亡くなってから十分の一にまで減っていた。
しかも彼女たちは、舞踏会の準備で昨年の倍の金額をすでに使っている。
この利用ペースでは、家が没落する残り1年ちょっとまでの生活すら保つかわからない。
だいぶ状況は深刻だ。
だが、きっと現状を言ったところで、「買ってもらえない僻みだ」などと言われて流されるのがオチだ。
「大丈夫よ、エラ。口座はもう一つあるわ。」
私は震える手でもう一つの通帳を開けた。
こちらは定期的にお金が振り込まれているだけだったようだが、父が亡くなった年で振り込みが終わっているようだ。
そして今から半年前、「ウェルドン」という人の口座に全ての金が移動させられていた。
「そんな...。」
私は思わず座り込んだ。
きっとここ最近のうちに、継母が当主の書類を手に入れ、この口座の存在を知ったのだろう。
最後の頼みであったこの口座の残金は、とっくの昔に空っぽになっていたのだった。