096.ドラゴン
無意識に右手の薬指を触っていることがある。
リリアーナは最近自分の癖に気がついた。
首も時々触ってしまうのだ。
その度に、あぁ、無いんだ。と実感する。
リリアーナは執務室の窓から外を眺めた。
外はいい天気だ。
昨日は結局テストの結果は来なかった。
『早ければ』と言っていたので、気にするほどではないのかもしれないが、ラインハルト殿下の件もあるので学年を決めかねているのかもしれない。
私はここにいても良いのだろうか。
もしエストでの出来事にフォード侯爵が関わっているのならば、ここからも早くいなくなった方がよいと思う。
これ以上誰にも迷惑をかけないように。
わかっているのに甘えてしまっている。
もうすぐ16歳。
何歳になったら1人で生きていけるだろうか?
外を見たまま動かなくなったリリアーナをクリスは心配そうな顔で見つめた。
無理をしていないだろうか。
ラインハルト殿下の事も不問にしてしまった。
時々、ふいに寂しそうな表情をする。
手や首を触る回数は減ってきたが、まだ心の傷は深そうだ。
クリスはやり直し箱に入った書類を並べ替えながら溜息をついた。
「ク、ク、ク、クリス兄様! ド、ド、ドラゴン!」
突然リリアーナは立ち上がった。
窓枠にしがみついて必死に外を見ている。
「1番前の黒いドラゴンに乗っているのがジーク様ですよ」
クリスは窓へ近づき、見えますか? と指を差した。
「すごい。大きい!」
リリアーナはドラゴンを見るのは始めてだ。
夢の中でドラゴンのジークハルトには会った事があるが、それは夢の中の話。
窓の外にはドラゴンが飛んでいる。
隊列を組んでいるので訓練だろう。
「初めてみました」
大興奮のリリアーナにクリスは第1騎士団だと教えた。
「近くで見てみますか?」
クリスが尋ねると、リリアーナは嬉しそうにぴょんぴょん跳ねた。
帝宮から1度外に出て、隣の建物へ移動する。
そこからさらに渡り廊下を通って、別の建物へ。
エストの王宮も迷子だったが、この帝宮も迷子決定だ。
「ちょうどジーク様も帰ってきましたね」
2つ目の建物を通り抜けた所でクリスが止まった。
上を見上げるとドラゴンがたくさん飛んでいる。
今からここへ降りてくるそうだ。
風が強いからと、クリスの背中に小さなリリアーナは隠された。
すごい!
もっとドスンと降りるのかと思ったら、スッと綺麗な着地。
ジークハルトの乗った真っ黒なドラゴンは1番大きく、優雅だ。
「かっこいい……」
リリアーナの呟きにクリスは驚いた。
「怖くないのですか?」
風が少なくなったため振り返ったクリスは不思議そうな顔をした。
リリアーナは黒、赤、青、灰のドラゴンを見つめ目を輝かせている。
そういえば昨日ソファーで眠りながら抱きしめていたのはドラゴンの本だった。
クリスはリリアーナを自分の背中からドラゴンがよく見える位置へ移動させた。
ドラゴンから降りてくる人達。
ジークハルト以外は同じ服を着ているので、あの人達が騎士なのだろう。
エスト国よりも大きい人が多い。
ドラゴンに乗るにはやっぱりたくましくないとダメなのかもしれない。
「どうした!?」
ジークハルトが驚いた顔をした。
何かあったのかと慌てて駆け寄る。
「ドラゴン、スゴイ、カッコいい……」
大興奮のリリアーナは何故かカタコトだ。
ジークハルトは嬉しそうなリリアーナを見て微笑んだ。
「俺のメラスを紹介しよう」
ジークハルトはリリアーナをヒョイと抱き上げた。
「ひゃっ」
子供の抱っこにリリアーナは焦った。
騎士団の人がたくさんいるのに恥ずかしい。
「ジーク様? 急に近くに連れて行っては……」
ドラゴンもリリアーナも驚くのでは?
クリスの心配を他所にジークハルトは気にせずリリアーナを抱き上げたままドラゴンの方へ歩いていく。
ドラゴン厩舎がざわついた。
知らない小さな少女を皇太子殿下が抱き上げている。
あの強くて怖い皇太子殿下が。
「……あの子……」
黒髪の小さな少女に見覚えがある第1騎士団長は思わずつぶやいた。
エスト国でジークハルトを護衛していた赤髪の騎士団長だ。
詳しい事は知らないが、あの時は本当にかわいそうだった。
あの日以来、姿を見ていなかったが元気になったようで良かった。
ドラゴンに近づく2人を見ながら、騎士団長は赤竜の首元をポンポンと撫でた。
すごい。
7~8mくらいありそうな黒いドラゴン。
夢の中でドラゴンになったジークハルトは漆黒だったが、このドラゴンはつやつやの黒。
リリアーナの黒い眼とドラゴンの金色の眼が合った。
綺麗な金色の眼。
夢の中のジークハルトとは違う。
ドラゴンもそれぞれ眼が違うのだと初めて知った。
本ではわからない事だ。
リリアーナは黒いドラゴンから3mほど離れたところにゆっくり降ろされた。
やっぱり大きい。
かっこいい!
キラキラの目でドラゴンを見つめるリリアーナをジークハルトは少し複雑な心境で見ていた。
リリアーナはスカートをつまみ、礼をした。
側から見たら、ドラゴン相手に何をやっているんだ? と思われそうだが、リリアーナはこのドラゴンにはそうするのが相応しいと思った。
「リリアーナです。よろしくお願いします」
リリアーナが礼をすると、黒竜メラスはグゥと鳴いた。
ゆっくりと頭を下げ、お辞儀をしたリリアーナの近くに顔を寄せる。
「……まさか……」
騎士達のざわめきが聞こえた。
クリスも驚いて目を見開く。
黒竜メラスに合わせてその場にいた全てのドラゴンが頭を下げた。
10頭以上のドラゴンが一気に傅いたのだ。
こんな事はありえない。
1頭のドラゴンから信頼されるのも大変なのに、頭を下げさせるなんて。
騎士達はその異様な光景に息を呑んだ。
「メラス、ダメだ。リナは俺のだ」
ジークハルトがお辞儀をしているリリアーナの腰を抱いた。
ゆっくりとリリアーナが頭をあげると、すぐ近くに黒竜メラスの金の眼があった。
手を伸ばせば触れそうな近さ。
「……触ってもいい?」
リリアーナが尋ねると、黒竜メラスはグゥと鳴いた。
リリアーナはゆっくりと手を伸ばした。
目の下、人で言えば頬のあたりだろうか、リリアーナは優しく触れた。
ツルツルだけれども暖かい。
不思議な感じだった。
黒竜メラスの金の眼が揺れる。
優しい瞳。
リリアーナが手を離すと、黒竜メラスはお辞儀を辞めて元に戻った。
それに合わせて他のドラゴンも次々と頭を戻す。
騎士達はジークハルトの横にいる小さな少女を見た。
黒髪・黒眼の小さな少女。
なぜドラゴンが傅くのか。
「……リナ、浮気はダメだ」
ジークハルトがリリアーナの腰を引き、自分の腕に引き寄せた。
「う、うわ、浮気っ!?」
焦ったリリアーナが顔を上げると、ジークハルトに口を塞がれた。
待って、待って、ここ外ですー!
みんな見てますー!
何度も角度を変えて塞がれる口。
息もできないくらいの熱い口付け。
ジークハルトは力が抜けたリリアーナをぐっと抱き寄せた。
「俺以外の男を見るな」
ジークハルトが眉間にシワを寄せる。
いやいやいや、ドラゴンしか見ていません!
ハテナが浮かぶリリアーナにジークハルトはもう一度口付けをした。