089.名案
「……思ったよりもマズイな」
皇帝陛下は綺麗な金髪の頭を抱えながら宰相へ話しかけた。
「そうですね」
宰相も一緒に溜息をつく。
溜息の元凶はジークハルトとリリアーナだ。
ジークハルトの竜化も深刻だが、誰がどう見ても一方的な片想いだ。
何としても両想いになってもらわなければ大陸どころか世界崩壊かもしれない。
ジークハルトは2代目アースハルト・ドラゴニアスと同じ黒髪・金眼で生まれてきた。
2人以外、ドラゴニアスの直系男児は全て金髪・金眼だ。
ジークハルトは生まれてすぐ、先祖返りだと恐れられた。
歩き始めてすぐの出来事。
ドラゴン厩舎へ初めて遊びに行った時の事だ。
幼いジークハルトを見た全てのドラゴンが平伏したのだ。
ドラゴンは知能が高く、己が認めた者しか背中に乗せない。
自分よりも強い者、または信頼関係のある者しか傅かないはずなのに。
アースハルト・ドラゴニアスは全ての竜の王、竜王だったと伝えられている。
ジークハルトもおそらくそうなのだろう。
ジークハルトが望めば、全てのドラゴンが一夜にして世界を破壊する事が可能だと恐れられた。
「……笑った顔は200年ぶりくらいに見た」
幻だと思ったと皇帝陛下が笑う。
周りの恐怖を察し、人と距離を置く様になってからは幼馴染のクリスくらいしかまともに話せる相手はいなかった。
ひと睨みすれば相手が逃げていく。
笑う事などなかったのに。
「リリアーナには犠牲になってもらうしかない」
世界のためだと皇帝陛下が頭を抱える。
竜同士のつがいであれば、お互いに惹かれあっているので問題はないが、リリアーナは人族でつがいという概念がない。
「リリアーナはだいぶ戸惑っていますね」
宰相が溜息をついた。
「リリアーナに想い人は……あぁ、婚約破棄されたのだったな。しばらくは気持ちの切り替えはできないだろうな」
なんとかリリアーナにジークハルトを好きになってもらう方法はないだろうか。
皇帝陛下と宰相はしばらく黙り込み、2人で溜息をつきながら世界の平和を祈るしかなかった。
「あの、ジーク様、一人で座れるので降ろしてください」
リリアーナはジークハルトの膝の上で今日何度目かのお願いをしていた。
「目を離すと泣くだろう。ここにいればいい」
ジークハルトは執務室の椅子に座り、書類に目を通している。
リリアーナをずっと抱きかかえたままだ。
「泣かないので降ろしてください~」
リリアーナのお願いはキスで無効にされた。
ジークハルトはすぐにキスをしてくる。
クリスによるとそれも竜の求愛行動のため仕方がないのだという。
自分のモノだという主張なのだそうだ。
気軽にキスをしない日本人にはツラい。
困った顔のクリスと目が合ったが、助けてはもらえなかった。
リリアーナは溜息をついた。
膝の上ではする事がない。
せめて本でもいいので読ませてもらえないだろうか。
ふとジークハルトが手に持つ書類が目に入った。
本当は見てはいけないと思う。
でもなんとなく気づいてしまった。
……計算がおかしくないだろうか?
「ジーク様、ここ間違っていませんか?」
リリアーナが指をさすとクリスが慌てて飛んできた。
「どこですか?」
「ここです」
掛け算が違うのだ。
3桁×3桁なので筆算をしないと答えはわからないが下1桁が違うので、きっと答えは間違っている。
「あぁ、本当ですね」
ありがとうございます。とクリスが書類を回収した。
「よくわかったな」
「リリアーナ嬢は計算が得意なのですか?」
先ほどの計算は帝立学園の8年生あたりの計算だとクリスが教えてくれた。
「ラインハルト殿下は何年生ですか?」
学園初日はラインハルト殿下と同じクラスだったはず。
「3年生です」
テストの結果次第ですが、あの計算ができるのなら初日の3年生は物足りないかもしれないですね。とクリスは笑った。
ドラゴニアス帝国は世界中からいろいろな種族が集まるため年齢で学年が分かれていない。
1年生を学び終わったら2年生になれるので、1年で上がる子もいれば家の手伝いをしながら数年かかって学年が上がる子もいるそうだ。
15年生まであるので、エスト国の初等科3年・中等科3年・高等科3年・専門科3年・博士科3年と年数だけなら同じ。
ドラゴニアス帝国もエリートしか入れない学年とかあるのだろうか。
『スーパーエリートすぎて神レベルに畏れ多い』
専門科に通いながら王宮魔術師団にノアールが所属した時だっただろうか。
お兄様が言っていた言葉だ。
リリアーナは急に寂しくなり、ジークハルトの胸に顔を埋めた。
「泣かないと言ったのは誰だ」
ジークハルトがリリアーナの頭を自分の胸に押し付ける。
リリアーナは泣きながら、泣いていませんとバレバレな嘘をついた。
「ジーク様、この計算が間違った書類を返してきますので、30分ほど休憩されてはいかがですか?」
クリスの提案により、ジークハルトはリリアーナを寝室のベッドへ連れていく。
「泣くな」
リリアーナのおでこ、まぶた、頬へと口づけを落とす。
止め処なく溢れてくる涙を抑える事ができないまま、リリアーナは切なそうに微笑んだ。
◇
「今、少し宜しいでしょうか」
クリスは計算ミスの書類を持ち、父である宰相の元を訪れた。
「どうしたクリス、何かあったか?」
こんな時間にここへ来るのは珍しい。
宰相はペンを置き、書きかけの書類を横へずらした。
クリスは書類を宰相へ見せながら計算ミスの部分を指差す。
「リリアーナ嬢が一瞬見ただけで、ここが違うと指摘しました。ジーク様が手に持って1分も経っていなかったと思います」
クリスが状況を説明すると、宰相は驚いた顔をした。
「偶然の可能性は?」
クリスは首を横に振った。
いくつか計算が並んだ紙で指摘したのは一ヶ所。
偶然ではないと思うと伝えた。
宰相はしばらく腕を組んで考えた。
「リリアーナにジークハルト殿下の補佐をさせるというのはどうだ?」
働きたいと言ったリリアーナ。
やる事があれば気も紛れるだろう。
側にいたいジークハルト殿下。
一緒に公務をすれば共通の話題ができるかもしれない。
クリスの仕事も楽になる。
以前から誰か補佐を付けたかったが、殿下を恐れて誰もやりたがらなかった。
「補佐……ですか」
それはいてくれたら楽ですが……とクリスが言う。
「とりあえずやらせてみよう」
まずは簡単な仕事からでいい。様子を見ながら進めよう。
名案だとばかりに宰相は微笑んだ。