038.鉛筆
「楽しそうですね」
パタンと扉が閉まり、仮眠を終えたノアールが部屋へ入ってきた。
「調子はどうですか? 顔色は良さそうですが」
少し機嫌が悪そうなノアールを見るのは初めてかもしれない。
忙しくて疲れている姿は見たことがあるが、それとは少し違う気がする。
「大丈夫です。ご飯も食べたし」
リリアーナはやっと動くようになった腕を上げ、平気ですアピールをした。
エドワードは椅子から立ち上がりノアールに席を譲る。
「これ、何に使うか教えてもらえますか?」
ノアールはテーブルの鉛筆を手に取るとリリアーナの前に出した。
「……字を書く物です」
街でお店を見た時、インクと羽ペンしかなかったので、この国にはきっとないのだろう。
リリアーナは目を伏せた。
「どうやって使いますか?」
リリアーナは鉛筆を手に取ると、ナイフでここを削って、と説明した。
しかし、言葉ではなかなかうまく伝わらない。
鉛筆削りを使っていたのでカッターナイフで削った経験はほとんどないが、エドワードから小型ナイフを借りて実際にやって見せることにした。
「え? 危ないよ、僕がやるって」
変わった持ち方で驚いたのだろう。
エドワードが心配する。
「大丈夫ですよ、お兄様」
ゆっくり木を削っていくと、鉛筆から黒い芯が出てきた。
不恰好だがなんとか書ける状態にする。
引き出しからノートを取り出し自分の名前を書くと、懐かしい書き心地にちょっとほっとした。
「……すごいですね」
「何それ。インクつけてないじゃん」
ノアールもエドワードも驚いて鉛筆とノートを交互に見る。
「少し良いですか?」
ノアールもノートにサラサラと書いた。
「すごっ!」
エドワードが初めての書き心地に驚く。
羽ペンしか使ったことがない2人にとっては斬新すぎるだろう。
「これはどこから持ってきたのですか? それとも作ったのですか?」
いつものような優しい声ではないノアールの声にリリアーナは驚いた。
部屋に入ってきた時から不機嫌そうだと思ったが、やはり機嫌は良くないようだ。
こんなノアールは初めて見る。
リリアーナは黙り込んだ。
第1の可能性。
転移魔術を応用し、リリアーナがどこかから手に入れた。
第2の可能性。
創造魔術で新しい物を生み出した。
以前、ヘアゴムを報告したときのウィンチェスタ侯爵の仮説だ。
「手の上に急に現れました。心当たりはありますか?」
手に? 急に?
リリアーナの伏せた目が揺れる。
「……わかりません」
確かに倒れる前、鉛筆があったら良いなと思った。
だがそれだけだ。
どこかから持ってこようと思ったわけでもないし、作ったわけでもない。
「僕も見たんだ。最初出た時は触れなかったけど、段々濃くなってリリーが握ったと思ったら倒れたんだ」
当時の状況を教えてもらうが全く心当たりがない。
鉛筆だって普通の特徴のないものだ。
どこにでもあるような物。
どこから持ってきたかとかわからない。
さすがに作ったはあり得ないが。
リリアーナは首を横に振った。
「……そうですか」
ノアールは溜息をつきながら立ち上がった。
状況を説明しにウィンチェスタ家へ行かなくてはならない。
昨日医師を手配してもらっている。
心配しているだろう。
今のところ何もわからないが、鉛筆が現れた状況だけでも伝えなくては。
たくさんの書物を読んでいる父上なら、何か手がかりがもらえるかもしれない。
口数の少ないノアールに、リリアーナは不安になった。
迷惑ばかりかけて嫌われたかもしれない。
「これを借りていっても良いですか?」
ノアールがテーブルの上の鉛筆を指差した。
父上に実物を見てもらったほうが良いだろう。
これを言葉で説明するのは難しい。
「……どうぞ。もともとノア先生に。と思った物なので」
リリアーナの言葉にノアールが止まった。
「どういう事ですか?」
「リビングにインクがなかったので」
ノアールが研究結果をいつでもどこでもメモできたら良いなと思った事、持ち歩きに困らないもの、インクがいらないもの。
リリアーナはあの時思っていた事をそのまま述べた。
ボールペンやシャープペンも考えたが目が熱くなった時に浮かんだイメージは鉛筆だった事。
手も熱かった事。
倒れる前に鉛筆を握った記憶はない事。
俯きながら話しているため、エドワードとノアールの表情は見えない。
引いているかもしれない。
気持ちの悪い子だと思っているかもしれない。
リリアーナは顔を上げることが出来なかった。
「……そう……ですか」
私のため……ノアールは小さな声で呟いた。
ふわっと良い匂いがした。
気がついたらノアールの腕の中にいて、視界が狭い。
目の前には緑の髪と、髪を結った紐、ノアールの首。
リリアーナの体温が一気に上がった。
「ありがとう、リリー」
頭の上から声がする。
先ほどまでとは違う、いつもの優しい声。
「でも無理はしないでください」
ノアールがリリアーナから少し身体を離した。
頬からアゴを撫で、リリアーナの顔を上げる。
優しく微笑むノアールと目が合った。
そのままノアールの顔がゆっくりと近づいてくる。
待って! 待って! これキスの流れ!
リリアーナの顔が赤くなった。
ガタン。
突然の音に2人でハッとする。
ノアールの動きがピタリと止まった。
「あー、あー、僕、その、ごゆっくり~」
狼狽えたエドワードが慌てて走り去る。
バタンと勢いよく扉が閉まった。
触れるか触れないかの距離で止まってしまったキス(未遂)。
「……すみません」
ノアールは慌てて離れて自分の口を押さえた。
ノアールの顔も真っ赤だ。
リリアーナも顔から火が出そうだ。
ぎこちない動きでノアールはテーブルの上の鉛筆を手に取ると、「大切にしますね」と微笑んだ。
その笑顔も破壊力満点だ。
「ウィンチェスタ家に行ってきます。夕方には戻るので安静に」
ノアールはリリアーナは頭を優しく撫でた。
「は、はい。いってらっしゃい」
ノアールの手は頭から頬を通ってリリアーナの口へ。
指でリリアーナの口をなぞると、ノアールはゆっくりと手を離した。
私、たぶん今日死ぬ。
ノアールが部屋から出ていったのを確認したリリアーナは真っ赤な顔でベッドに倒れ込んだ。
ドクドクする心臓が爆発しそうだ。
リリアーナは胸に手を当て、落ち着かない心臓を抑えながらベッドで悶えた。




