026.見舞い
「もう大丈夫です! 学園に行ってください~! ノア先生! 授業~!」
早朝目が覚めたリリアーナは、1日早退、1日欠席させてしまったノアールに謝った。
「授業よりもリリーの方が大切です」
真面目な顔で言うノアールを授業へ行くように説得しているが、なかなか行くと言ってくれない。
「お願いします~。あの、宿題とか、私の。貰って来てもらうとか、え~っと、先生に大丈夫ですと伝えてもらうとか……」
必死なリリアーナの様子にノアールは少し意地悪をすることにした。
「……そんなに側にいさせたくないですか?」
わざと悲しそうな顔をする。
少し横を向き、目を伏せがちに。
「そ、そういう事ではなくて! あの、その!」
慌てふためく姿にノアールは笑った。
「……わかりました。学園に行ってきます」
無理はしないでくださいね。とリリアーナの頭を優しく撫でる。
ノアールは名残惜しそうに扉から出ていった。
リリアーナは起き上がっていた上半身を倒し、ぼふっとベッドへ倒れこんだ。
熱を出してたくさんの人に迷惑をかけてしまった。
教室でぼーっとしてからの記憶はない。
いつこの別邸に帰ってきたのかもわからない。
ノアールも学園を休ませてしまったし、テーブルにお菓子もあるのでウィンチェスタ侯爵も来てくれたのだろう。
「お嬢様、入浴の準備ができましたよ」
侍女のミナが少しぬるめで逆上せない温度の湯を準備してくれる。
「ありがとう、ミナ」
今日は1日ゴロゴロ過ごすだろうと、入浴後もまた寝間着にした。
食事も少し取り、本を眺めながらのんびりと過ごす。
学園へ行く前はこの生活が当たり前だったはずなのに、少し物足りない。
昼もすぎ、退屈さがピークになろうとする頃、屋敷の中が急にバタバタと騒がしくなった。
「……どうして王子殿下がこのような所へ……?」
あまりにも不釣り合いな人の登場に、リリアーナの顔が引きつる。
「倒れたのだろう? 見舞いだ、見舞い!」
花を侍女のミナに渡しながら第1王子はリリアーナの部屋へ入ってきた。
ノアールの顔を見ると顔面蒼白だ。
王子の権力に逆らえなかったのだろう、嫌そうな顔をしながら後ろに立っている。
護衛の数人を扉付近に立たせたまま、第1王子はベッドのリリアーナに近づいた。
「顔色は悪くなさそうだ」
それにしても、この部屋には何もないな。と第1王子は辺りを見回す。
「このような姿で申し訳ありません」
リリアーナは溜息をついた。
いくら10歳とはいえ、寝間着姿を見られるとは。
せめてワンピースがよかった。
「いや、新鮮だ。着飾っていない女は妹以外で初めてだ」
第1王子はいつものように、リリアーナの頭をぐちゃぐちゃと撫でた。
あぁ、妹がいるのか。
同級生は第5王子と言っていたし、さすが王室。
血を残すために兄弟が多いのだろう。
大変ですね、国王陛下。
第1王子はテーブルの上のお菓子、指輪、魔石を見ると、ニヤリと笑った。
「魔力滞留とは子供だな」
7歳がなる病気だろう? と笑う。
第1王子はまだ本屋と補習の2回しか話したことがないが、気さくなお兄さんだ。
クソガキの第5王子とは違う。
やっぱり長男はしっかりしているのだろうか。
「早く学園に来いよ」
第1王子はリリアーナの頭からゆっくり手を離す。
そのまま第1王子は護衛を引き連れて帰って行った。
……は?
本当に何をしにきたの?あの人……?
「王子って……暇人……?」
リリアーナのつぶやきに、花を花瓶に生けていたミナが噴き出した。
「すみません。学園で断り切れず……」
王子を外まで送ったノアールが部屋へと戻り、申し訳なさそうに告げた。
そうでしょうね! 無理だと思います!
身分って怖いとすでに実感しているリリアーナは、学園へ通うようになってからようやくノアールの苦労がわかるようになった。
「それにしても、いちいちお見舞いなんて、王子って大変」
リリアーナは、はぁ~。と大きく息を吐いた。
「……大変とは?」
普通は王子に限らず、異性が見舞いにくる事はあり得ない。
家に来るということは少なからず好意があるという事だ。
リリアーナはそれが分かっていないのだろうか。
ノアールはリリアーナに聞き返した。
「王立学園で倒れたからって、王室に責任はないのに」
リリアーナは肩をすくめた。
あ、でも、貴族か~。
うちの子が倒れたのは学園の環境のせいだ! とか言う変な貴族でもいるのだろうか。
いてもおかしくないか、あの子達の親だもんな。
リリアーナはクラスメイトを思い出した。
斜め上の発想を繰り広げているリリアーナに、ノアールはほっとした。
どうやらリリアーナは王子殿下に好意はなさそうだ。
よかった。
気さくで人気のある第1王子殿下。
頭もよく、人もうまく使い、王位継承は間違いない。
以前、本屋で会っただけのはずだが、なぜ今日急に来たのか。
「リリーは殿下と面識が?」
初等科と博士科は建物が離れているため、学園で会う機会はないはず。
「あ、うん。魔術演習の補習を受けているときに偶然来て、魔術見せてって」
逆らえないよね~。と笑う。
火も見られたし、水も出せっていうし、権力って怖いよね。
何でもない事のようにリリアーナが言うので、ノアールもそうか。と軽く流すことにした。
国王陛下からどこまで聞いているのかはわからないが、第1王子殿下がリリアーナを気に留めていることは間違いないだろう。
ノアールは頭が痛い事案が増えたと、溜息をついた。
◇
翌週、学園に戻ったリリアーナは驚いた。
今まで近づきもしなかったクラスメイトがチラチラと話しかけたそうにこちらを見てくる。
同じ侯爵位の子は一方的に話しかけてくるが。
話題はノアールについて。
男の子は、いかにノアールを尊敬しているか語り、家庭教師になってほしいと頼んでくれないかとアピールがすごい。
女の子は、どういう関係なのか、あんたより可愛い自分を紹介しろとうるさい。
リリアーナは溜息をついた。
大興奮の彼女たちの話で、リリアーナは倒れた日にノアールがお姫様抱っこで学園から別邸へ連れて帰ってくれたことを知った。
噂は一気に学園を駆け回り、そして現在、ノアールファンクラブに呼び出しを受けている最中だ。
「発言を許します。聞かれたことに答えなさい」
年上のお姉様方は無視できない。悲しい学園でのマナーがリリアーナを襲う。
「はい。リリアーナ・フォードと申します」
リリアーナは制服のスカートを少し持ち上げお辞儀した。
「あなたとノアール様の関係は?」
リリアーナは中等科と高等科の間、中庭の木の下で数人の上級生に囲まれていた。
青ラインの物を身に着けているので、おそらく高等科のお姉様だ。
「私はフォード家の娘です。ウィンチェスタ侯爵様に後見人になっていただいております」
貴族ならばおそらく知っているだろう。
父であるフォード侯爵が失踪したことを。
「後見人って、どうして」
「私の兄がノアール様に家庭教師をしていただいておりました」
嘘ではない。
「じゃぁ、先週抱きかかえられていたのは?」
「体調が悪くなった私を心配してくださいました。私には父も母もいないので迎えに来てくれる人はいません。フォード家へ送ってくれました」
これも嘘ではない。
「……そう。ならいいわ」
お姉様方は納得したのか、リリアーナから離れた。
あれ?
少々あっけない解放に、リリアーナは驚く。
淡々と答えすぎて興味がなくなってしまったのだろうか?
木の下に放置されたリリアーナは首を傾げた。
「……もっとビビったり、泣いたりする場面じゃないかな?」
上級生に囲まれたのに。
笑いながら金髪キラキラな兄が中等科の窓からリリアーナに声をかけた。
「……お兄様、騎士ともあろう方が助けに来ないとはどういうことです?」
リリアーナは腰に手を当ててエドワードに怒る。
「いらなかったじゃないか、助け」
手を口に当てて思い出し笑いをしているエドワードを見たリリアーナは頬をぷくっとふくらませた。
「おい、エド、妹ちゃん……あ、無事だったか」
茶髪の背が高い人と、赤髪の人がエドワードの横からリリアーナを見た。
リリアーナはとりあえずお辞儀をする。学園マナーだ。
「リリー、早くしないとお昼終わるよ」
食べていないでしょ?とエドワードがくすくす笑う。
「んもー!お兄様の意地悪?」
リリアーナは急いで初等科の方へ走り出した。
ふわふわと黒い髪が揺れ、うさぎのようにぴょこぴょこ走る後姿をエドワードは心配そうに眺めた。
「そんな顔するくらいなら助けてやりゃーいいんじゃねぇの?」
茶髪の友人が呆れ、赤髪が同意する。
……あの子はそれを望まない。
エドワードは悲しそうに微笑んだ。