022.学生寮
「……寮長?」
「えぇ。とても良い人よ、だから安心して」
担任の先生がなぜ「良い人」を繰り返していたのかようやくわかった。
たくましい腕、厚そうな胸板、割れていそうな腹筋。
それなのに身体のラインが見えるピンクの派手な服にじゃらじゃらとつけた腕輪。
寮の入り口に派手なオネエが立っている。
わかりやすく言うなら、たくましいマッチョのオネエだ。
テレビでオネエを見たことはあっても、実際にお会いするのは初めてだった。
「……よろしくお願いします」
見た目が衝撃的すぎて、リリアーナはきちんと挨拶が出来ないまま担任から寮長へ引き渡された。
寮は12畳のワンルーム。
落ち着いたアイボリーの壁紙の綺麗な部屋だった。
しかもトイレ、お風呂が別々で、簡易キッチン付き。
何これ、大学の時に住んでいた部屋より全然いい!
広さは倍! 日当たりもいい!
リリアーナは一通りいろいろな扉や引き出しを開けた。
どこも綺麗に掃除されており新品なのでは? と思うほどだ。
もしかして、いい部屋なのだろうか。
おとうさまがいい部屋を選んでくれたのかもしれない。
リリアーナはウィンチェスタ侯爵に感謝した。
「わからなかったらいつでも聞いて~。隣だし」
寮長、強そうなので安心です。
「教科書や荷物を自分で棚にしまわなくてはいけないから大変ねぇ」
寮長は部屋に運ばれた箱を指差した。
「ご飯どうするの? 食堂は朝やってないのよ~」
寮長がウィンチェスタ侯爵に確認するのを忘れていたと言う。
中等科と高等科の騎士コースは朝からモリモリのご飯が出るそうだが、この寮では出ない。
「材料を買ってもらう事はできますか?」
ご飯くらい自分で作れば良いので特に問題ない。
リリアーナは寮長へ尋ねた。
「パンとかかしら?」
「あ、でもお金……」
リリアーナはお金を持っていない。
週末に別邸に帰った時に1週間分持ってくるしかないのかもしれない。
でも冷蔵庫とかないし……。
「ふふふ。侯爵が言った通りね。すぐ悩んじゃう」
寮長は俯いたリリアーナに軽くデコピンした。
「ひゃっ」
痛くはないがビックリした。
人生初のデコピンかもしれない。
「欲しいもの書きなさい。お金はあんたの旦那様にツケといてあ・げ・る」
彼、持っているでしょ、と手を丸くしお金を表現された。
何でもおねだりすればいいのよと笑う。
「だ、だ、だんなさま、、、って」
リリアーナは真っ赤になった。
「あとで手伝いに来るって言っていたわよ~」
寮長はヒラヒラと手を振って寮長室へ。
え? 寮って、男子禁制とか、不純異性交遊禁止とか、何にもないの?
そこらへんの一般常識は教わっていなかったなぁ。とリリアーナは遠い目になった。
荷物の箱はたった2箱。
そのうち1箱は教科書なので、リリアーナの荷物は1箱だけだ。
侍女のミナがきれいにワンピースや下着を詰めてくれたおかげで、すぐに必要なものを取り出すことができた。
まずワンピースに着替え、制服をハンガーにかけてクローゼットへ。
本棚に教科書、机にノートとインク、羽ペン。
特に迷うこともなく、どんどん置いて行く。
前世より広くて、収納も多くて、まだまだ余裕がある。
もともと荷物も少ないので、あっという間に終わってしまった。
ベッドにボフンとダイブする。
きっとこれもいいベッドなのだろう。
ふかふかお布団で気持ちがいい。
初めての環境で疲れてしまった。
人がいっぱいいたし、身分も面倒だと思った。
ふかふかの枕に顔を埋める。
……一人くらい友達ができたらいいな……。
「リリー?」
何度もノックしたが何も反応がない扉にノアールは首を傾げた。
「あら? ノアちゃん、どうしたの?」
ムキムキな身体にピチピチな服を着た寮長が顔を出す。
寮長に初めて会った時は驚いたが、話してみると驚くほど面倒見が良い人だった。
リリアーナが学園に入学する前に、ベッドや布団を準備したのはノアールだった。
寮長が手伝ってくれたので、ベッドの搬入も予定より早く終わったのだ。
この人がリリアーナの隣の部屋なら安心だ。
「リリー? 開けますよ?」
「合鍵~。夜這いはだめよぉ~」
ノアールが預かっていた合鍵を使って開けようとすると、すぐに寮長に揶揄われる。
「リリー?」
部屋へ入るとすでに荷物は片付いていた。
箱は畳んで積んである。
侯爵令嬢なのに、なんでも自分でやってしまうのだ。
部屋を見回すとベッドの上で小さく丸まって寝ているリリアーナの姿が見えた。
「あらら。寝ちゃったのね。かわいい~」
疲れちゃったのね。と寝顔を覗き込む。
「ねぇ、この子、ご飯どうするの? 材料を買ってって言われたけど、作る気かしら?」
寮長の言葉にノアールは驚いた。
そういえば前の料理長の時に作りたがったと聞いた事がある。
本当に作り出してもおかしくない。
「今日の昼はここに。夜は博士科の食堂へ行こうと思っていました。明日の朝食は、朝持って来ようと思っていましたが」
ノアールは持っていた荷物を机に置いた。
この中にはお昼のチキンとサラダが入っている。
「あら、ちゃっかり毎食一緒に食べる気なのね」
寮長にバシンとノアールは背中を叩かれた。
「マメな通い婿だこと」
ふふふと笑いながら寮長が戻って行く。
ノアールは机の上のメモ書きを手に取った。
鍋・フライパン・オタマ。
完全に料理をする気だ。
レイゾウコとは何だろうか。
雑巾・ほうき。掃除もする気だ。
物干し竿。洗濯もする気か。
ノアールは溜息をついた。
別邸から通えばこんな事をしなくていいのに。
寮に住まなくても、今まで通り一緒に住むのではダメなのか。
ノアールはリリアーナの右手を握った。
小さな手。
もっと頼って欲しいのに。
「……ノア先生?」
周りを見渡し、寮の部屋だと確認するとリリアーナは飛び起きた。
「おはよう、リリー」
ノアールがクスクス笑う。
「お昼を持って来ましたよ」
机の上の荷物を指さすとリリアーナは嬉しそうに笑った。
身分って怖いと思った事、クラスメイトの誰とも話していない事、寮長に驚いた事など、リリアーナは今日の事をたくさん話した。
平日にノアールとこんなに長い時間2人で話すのは初めてかもしれない。
「ノア先生、金属の箱? 入れ物? って手に入る? 蓋があって、中に物が入れられるような……」
リリアーナは冷蔵庫のイメージを伝えた。
「氷を入れて使いたいの」
「普通の金属では錆びてしまうので難しいですね」
「そっか」
しゅんとしてしまったリリアーナをノアールがくすっと笑う。
「一緒に考えましょうか。魔道具」
「うん! ノア先生大好き!」
歴史、文字、計算、マナー、魔術基礎、魔術演習。
ノアールに家庭教師をしてもらっていたおかげで、マナー以外の座学の授業は何とかなりそうだった。
10歳だし、そんなに難しい内容はない。
「フォードさんは放課後に補習にいらっしゃい。みんなは今日はこれで授業はおしまいです」
担任の先生の言葉にクスクス笑い声が聞こえた。
「ありがとうございました~」
元気よく挨拶し、帰り支度を始める。
「補習ですって。的に当てるどころか、何にも発動しないのよ。あの子」
「魔力なしよ」
「闇っていうのも嘘じゃないの?」
わざと聞こえるくらいの音量で話す女の子達。
始めは得体のしれない闇属性の侯爵令嬢を敬遠し、遠くからコソコソ噂話程度だったが、魔術演習が始まると一気に優位に立とうとしてきた。
リーダーの侯爵令嬢を筆頭に、取り巻きの伯爵令嬢・男爵令嬢もなかなか過激だ。
物理的な嫌がらせはまだないが、精神的な嫌がらせはほぼ毎日繰り広げられている。
「ごめんなさいね、フォードさん」
教室で悪口を言われているのを聞いたのだろう。
担任の先生が謝罪した。
「いえ、補習という大義名分を与えて頂いて感謝しています」
10歳らしくない回答に先生が驚いた顔をする。
魔術演習で何もできない子に成績はつけられない。
補習を行えば、周りが納得する。
何もできないけれど補習を受けてギリギリ合格させてもらったのだなと勝手に思ってくれるだろう。
先生と2人だけの演習室。
リリアーナは指輪を外してネックレスに通した。
「それが魔道具なのよね? すごいわね。さすが天才だわ。1度くらい彼の担任をしてみたかったわ。次こそは担任に!と思っていたのに飛び級されたのよ」
先生は当時を思い出し、ふふっと笑う。
「その線からあの的に向かって撃ってね」
演習方法は授業と同じ。
的は特殊な加工がされており当たっても破損しないそうだ。
「はい、先生」
リリアーナは右の手のひらを上に向け、小さな火の玉をイメージする。
それを矢の形に変え、見えない弓で弾くように撃った。
昔、庭でウィンチェスタ侯爵に見せた水の矢は、的まで全然届かなかったがとても褒めてくれた。
あれからノアールと練習し、今では的まで余裕で届く。
当てるだけなら火の玉で十分だが、コントロールを良くするために、リリアーナはわざわざ弓のように撃った。
勢いよく飛び出した火の矢は、ど真ん中に当たって消える。
「……話には聞いていたけど……すごいのね」
担任の先生が、ほうっと息を吐いた。
「今の、その」
その撃つ格好は何? と聞こうと思っていた先生の言葉は、急に開いた扉の音にかき消される。
「……え?」
どうしてこの人がここに?
振り返ったリリアーナはそこにいるはずがない人物の登場に驚いた。