187.失敗
エルフが持つ1万年以上の世界の記憶。
ヴィンセントはエルフの里にある本を古い物から順番に読んでいた。
エルフの文字は1万年の間ずっと変わっていないため普通の本を読むように読み進める事ができる。
厄介なのは表の世界の文字で書かれた本だ。
表の世界はすぐ文字が変わる。
今、手に取ったノートは何が書いてあるのか全くわからない。
ヴィンセントは溜息を吐くと、師匠ダンベルドに読み方を教わるためにエルフの里からダン古書店へ向かった。
「師匠」
ダン古書店は相変わらず客がいない。
魔術がかけられているからだ。
通常の本を探している人には本屋に見えない。
本を探していない人にはただの古書店なので入る用事がない。
意図的に客が来ないようにしている不思議な店。
「あぁ、もうそこまで読んだのか」
ダンベルドは古書店の本棚の中から1冊の本を取り出した。
「その本を解読するにはこの本が必要だ」
出されたのは古文を読むための辞書。
文字を変換するのに必要だと言う。
「ありがとうございます」
ヴィンセントは辞書を受け取ると一文字目から検索を始めた。
「その本の前は、『世界樹が枯れそうだ』までだったか?」
お茶を淹れながらダンベルドが問いかける。
「世界樹が枯れそうな原因はドラゴンが増えすぎたためと書かれていました」
ドラゴンは草も根も全てを食べ尽くし、そのせいで大地が枯れてしまった。
光の精霊Λ(ラムダ)が北の果てにいた1頭のドラゴンに人型になるタネを与え、ドラゴンを竜族に変えた。
そうする事で食べる量を10分の1以下に抑え、大地が枯れるのを防ごうとしたのだ。
西の果てでは狼、熊、犬、兎などの動物を人型に、南の果てでは鳥を人型にし、作物を食べるだけではなく、彼らに育てさせようとした。
だが一度枯れてしまった大地を甦らせる事は難しかった。
そこまでが前回の本だ。
そして順番通りに置かれているのであればその続きがこの本のはず。
ヴィンセントは辞書を引きながら読み進めた。
光の精霊Λ(ラムダ)、闇の精霊Δ(デルタ)、水の精霊η(イータ)、火の精霊θ(シータ)、風の精霊μ(ミュー)、土の精霊ν(ニュー)が集まり、自分達の力を少しずついろいろな種族に分け与えた。
魔術を使い、枯れた大地を蘇らせて欲しかったからだ。
だが竜族や獣人は身体能力が優れており魔術を必要としなかった。
最弱の人族のみ魔術を使う練習をし、どんどん魔力を上げていった。
そのおかげで大陸全体が魔力で守られ、大型生物や魔物が来ない土地となった。
おそらく人族はこのまま生き残る事ができるだろう。
鳥族は強くもないが魔術も練習しないため個体数が減っている。
彼らはまもなく絶滅するだろう。
「鳥族……」
ヴィンセントが呟くと、ダンベルドは、だいぶ前に絶滅してしまったな。と答えた。
ヴィンセントが生まれる遥か前だ。
ヴィンセントは鳥族を見た事がない。
精霊達は人族の中で魔力が高かった者に特別な魔術を教えた。
人族は寿命が短いため子に孫に魔術を受け継いでいく。
他の種族にはない特徴だ。
土の一族が土壌を育て、水の一族が作物を元気にする。
風の一族がタネを飛ばし、火の一族が肥料を作る。
身体が弱い彼らのために闇の一族が世界樹の葉を呼び出し、光の一族が薬に変える。
イースト大陸は緑を増やしていった。
サウス大陸はドワーフの土地。
彼らは自然を愛しているため緑が多く問題ない。
ウエスト大陸は、大地は枯れてはいなかったが種族による争いが増えた。
食べ物を巡る争いと縄張り争いが絶えない。
多くの種族の間で順位付けが行われた。
そして深刻だったのはノース大陸。
ドラゴンは減ったが土地が豊かになる事はなく、食糧も段々減っていった。
困った精霊達は考えた。
竜族が緑を増やせないのであれば、人族をノース大陸へ連れて来ようと。
まず火の一族を連れてきて肥料を作らせようと考えた。
火の精霊θ(シータ)が火の一族をノース大陸に呼んだが、火に驚いたドラゴンが暴れ、不運にも彼らは亡くなってしまった。
火の一族がいなくなり、せっかく上手くいっていたイースト大陸までバランスが狂い始めた。
責任を感じた火の精霊θ(シータ)は考え、提案した。
人族から魔力の高い者を1人選び、全ての属性を付与してはどうかと。
1人を『神』とし、ドラゴンを従えながら1人で肥料を作り、土壌を作り、水を撒き、タネを増やす。怪我は治癒で治し、世界樹と繋げて寿命を伸ばしてはどうかと。
闇の精霊Δ(デルタ)は反対した。
1人に責任を押し付けるのはどうかと。
上手くいかなかった時に可哀想だと。
だが他の精霊達は賛成し、やってみようと言った。
人族の寿命は短い。
失敗しても100年程度の事だ。
精霊全員で魔法陣を作り出した。
適任者を探し召喚する魔法陣。
同時に全属性付与を行い、世界のどこにいても世界樹の加護を得られるように世界樹と繋ぐ魔法陣だ。
この魔法陣の構成は別書籍『神選出』に記す。
「……神選出……」
ヴィンセントが思わず呟くと、それが無くなった禁書だとダンベルドが答えた。
魔法陣は発動した。
だが失敗だった。
選ばれたのは少女。
見た事もない服装をした言葉も通じない人族。
全く知らない世界から召喚してしまったのだ。
精霊達は驚いた。
この世界以外にもセカイがあったのだと。
ドラゴンフラワーの丘に召喚した少女は精霊達の姿も見えない。
緑を増やす仕事をして欲しかったのに、少女に伝える事ができなかったのだ。
風の精霊μ(ミュー)は初めて竜族になったドラゴンを、ドラゴンフラワーの丘に誘導し、少女と出会わせた。
光の精霊Λ(ラムダ)と闇の精霊Δ(デルタ)はその竜族と少女を番の魔法陣で縛り離れられないようにしたが、その効果は少女には現れなかった。
人族には番という気持ちは付与できなかったのだ。
言葉も通じない。
精霊も見えない。
番もわからない。
全く知らないセカイへ来た少女。
竜族が木の実を差し出しても少女は食べなかった。
草も根も、何も食べない。
土の精霊ν(ニュー)は竜族に毎日0時に血を一滴ずつドラゴンフラワーに落とし、竜血石を作るように助言した。
その石を少女に渡すと、ようやく少女は竜族を信用したようだった。
竜族が少女をドラゴンフラワーの丘から連れ出すのに30日以上かかった。
少女に緑を増やさせるためにあと何年かかることになるのか。
この失敗談はあえて表の世界の言葉で書いた。
表と通じるエルフ長以外が読めないように。
エルフ達には精霊の失敗を伝えないようにしてほしい。
本書はここで終わるとする。
ヴィンセントは本を閉じた。
目の前には冷めたお茶と明かりを灯すランプ。
そして師匠。
「……次のエルフ長はお前だ」
突然ダンベルドに言われた言葉にヴィンセントは目を見開いた。
ダンベルドはヴィンセントが閉じた本を指差し、最後に書いてあっただろう?と微笑んだ。
『この失敗談はあえて表の世界の言葉で書いた。表と通じるエルフ長以外が読めないように』
つまり読んで良いのはエルフ長だけ。
表と通じて良いのはエルフ長だけ。
表の世界にいるのはダンベルド、ヴィンセント、そして行方不明の女性のみ。
「20年程前、次のエルフ長はお前に決めていた。だから表の世界に連れてきた。その本を読んだからではない。エルフ長に決まっているから読む許可を与えた」
順番は間違えてはならんとダンベルドが言う。
「はい。師匠」
ヴィンセントは立ち上がりゆっくりと頭を下げた。